2013年9月1日日曜日

喫煙考

妻に付き合って近くにある公立の図書館に行った。

タバコを吸いたくなったので、「ちょっと一服してから行く」」と妻に告げて、図書館周辺のベンチに腰掛けてタバコを吸おうと思ったらライターがない。どこかに落としたようだ。

近くでタバコを吸っていた同年配の人がいたのでライターを借りた。携帯で電話をしていたようだったが、ニッコリとして使い捨てライターを貸してくれた。
ベンチに戻って、フーと一服。外でゆっくりタバコを吸うのは至福のひとときだ。

しばらくすると、ライターを貸してくれた人が話しかけてきた。

「この間、ここでタバコを吸っていたら、『ここでタバコを吸ってはダメです』と警備員姿の奴が言いやがった。頭にきて、なんだよ、お前、と言ってやった」と言うので、「すみません」と謝っておけばいいのに」と言うと、「そうなんだけど、病院に電話していていて、ちょっと気持ちが落ち着かなかったので」と何かの事情があっったらしくて、神経に障ったようなことを言っていた。そして、「こっちは灰皿もちゃんと持っているし、散らかしているわけでもないのに、偉そうに言いやがって。あいつはきっと役所の幹部を退職した奴だな」と付け加えて図書館に入っていった。

そういえば、以前にはここに喫煙場所の掲示があって灰皿も置いてあったのに見当たらないが、喫煙禁止の看板もないし、吸い殻が何本か落ちていたので、ここでタバコを吸う人が結構いるようだ。

何となく後ろめたい気持ちでタバコを吸い終わって図書館に入ると、先ほどの人が書架に沿って置いてある椅子に腰掛けて本を読んでいた。きっと、タバコを吸いながら読みたいな、と思っているんじゃないかと想像した。

図書館の帰りにスーパーに寄って買い物をすませ、カートを押しながら駐車場に向かった。駐車場への連絡通路の入り口に灰皿があるところでタバコを吸っている同年配の人がいたので、ここでも、また、「ちょっと、すみませんが」と声をかけたら、ぎょっとした目で振り返った。喫煙を注意されたかと思ったようだ。

「すみませんが、火を貸して頂けますか」と言うと、ほっとしたような笑顔を見せて、「あっ、どうぞ」と使い捨てライター貸してくれた。火をつけから「ありがとうございます」と言ってて返すと、ニッコリとして受け取って立ち去ったかと思うと、すぐに振り返って、「ちゃんとつきましたか」と念を押すように、私が口にしているタバコをのぞいた。タバコに火がしっかりと付いていなかったことを見ていて、気になったようだ。タバコ飲みは、火がしっかりと付かなかったタバコを吸うのは何となくいやな気分になるからだ。

ライターをどこかに落としてしまったことで、今日は新たな出会いを経験した。

かつては、タバコのやりとりや火の貸し借りは、どこでも頻繁にやられていた。外国でも、初対面の人と挨拶替わりによくタバコの交換をした。マッチが主流の時代では、風で火が消えないように、貸した方が手をかざしてやったりもした。

喫煙できる場所が制限されて、喫煙者も少なくなった。宮崎駿監督の「風立ちぬ」の中に登場する喫煙シーンに対して日本禁煙学会(こういう学会があることを知らなかった)が制作担当者に要望書を送ったという。

要望書はこれ  http://www.nosmoke55.jp/action/1308kazetatinu.pdf
NPO法人・日本禁煙学会のサイトはこちら  http://www.nosmoke55.jp/

タバコなんか吸わない方がいいに決まっている。健康によくないし、まわりに迷惑をかけるし、灰やヤニで部屋はパソコンは汚れるし、服や床を焦がすし、金はかかるし・・・
しかし、時代の風景も消し去ろうという感覚には理解しがたいところがある。というより、時代の風潮に乗ってかさにかかって責め立てる姿勢には、何か恐ろしいものを感じる。

喫煙を弁護したり擁護する気持ちはさらさらないし、色々わかっていても、愛煙家はタバコを離すことができないのは悲しいことだ。まあ、根性無しの中毒患者なんだろうね、というのは自分に対してだけで、ジブリの宮崎駿監督や鈴木プロデューサーのような愛煙家には親しみを込めてエールを送りたい。