2015年3月10日火曜日

竹下亘復興大臣の冷酷非情な発言に怒り心頭

9日の朝日新聞朝刊一面に、竹下亘復興大臣の次のような発言が掲載されていた。

竹下亘復興相は8日、宮城県の村井嘉浩知事らに対し、全額を国が負担する東日本大震災の復興予算について、2016年度以降は自治体に負担を一部求める考えを示した。「被災した一人ひとり、さらに市町村も自立する強い意志を持ってほしい」と強調した。

読んでいて悲しくなってしまった。いや、悲しくなってはいけない。どうも日本人は(と言ってはいけないのだろうが)、怒り、猛り狂う(たけりくるう)べきところを悲しみや無念の情に転換してしまう性癖があるようだ。それを日本人の美徳かのように自他ともに認めてしまうところに、本気になって問題を解決できずに有耶無耶のままに先送りしてしまう原因があるように思える。そして、そこに日本の不幸があるように思えてならない。

被災者も被災自治体も、これまでの長い年月、一日も早く自立できるようにと懸命な努力をしてきたし、していることは多くの国民が知っている。にもかかわらず、「自立する強い意志を持ってほしい」とは、誰に向かって、何を根拠に言っているのか。

竹下復興相は、慶應義塾大学経済学部を卒業してNHK(日本放送協会)に入社し、6年間記者やキャスターとして働いたようだ。その間、記者の目、キャスターとしての見識を培ってきたことと推察する。そして、第三次小泉内閣では環境大臣政務官を務めているから、環境問題にも造詣が深いことだろう。にもかかわらず、被災地県の知事に面と向かって発せられた上のような発言は許しがたい暴言であり、政治家としてあるまじき行為であると言うべきだろう。

震災から早4年。被災地の現状が新聞各紙や各テレビ局、雑誌等で繰り返し報道、放映されている。それらに接すれば、被災者の心中は察してあまりあるという感慨を抱く人が多いことだろう。そして、一刻も早く生活が立て直ることを祈ることはあっても、「被災した一人ひとり、さらに市町村も自立する強い意志を持ってほしい」などと何も知らない人間が上から目線で説教じみた精神論を吐くようなことは決してしないだろうし、そうしたことが頭に浮かぶことさえないだろう。ましてや、政治の中枢にいて膨大な情報を得ているはずの人間なら、なおさらのことと、ふつうは思う。

今回の報道に接して、怒り心頭に達した人がどれくらいいるかはわからない。一面の記事ではあるが、それほど大きく取り上げられたわけではない。マスコミを賑わす失言やスキャンダルの類ではない。確信を持っての発言であるということでは、もっともっと大きな問題であると思うのだが。