2017年1月11日水曜日

准高齢者って、高齢者に次ぐ位(くらい)なのか-日本老年学会と日本老年医学会の「お先棒かつぎ」

『広辞苑』によれば、「准」というのは「準」の俗字で、「そのものに次ぐこと」を意味するそうだ。

これまでにも、少将に次ぐ准将、看護師に次ぐ准看護師、官吏に次ぐ准官吏、教授に次ぐ准教授などの使われ方をしてきているが、新たに高齢者に次ぐ准高齢者というのが日本老年学会と日本老年医学会から提案された。

准高齢者という言葉が定着するかどうかわからないが、ピンとこない言葉ではある。これまでの「准」の使われ方は、階級や「位(くらい)」を指す言葉として使われてきた。その伝でいけば、「准高齢者」は「高齢者」に次ぐ「位(くらい)」ということになるのか。何のこっちゃ?

日本老年学会と日本老年医学会という頭の良い連中が集まっている組織が、そんな意味で「准高齢者」という言葉を使っているとは思いたくはないが、ひょっとして、「准」の意味をわかっていないのかもしれない。階級や「位(くらい)」であれば、「准」の上に行くには色んなハードルがあるが、「准高齢者」は、途中で死なない限り、誰でもが自動的に「高齢者」に“昇格”できる。

いやいや、よくわかっているのかもしれない。75歳以上を「高齢者」で65~74歳を「准高齢者」とするのは、「高齢者」に“昇格”することで“特典”が得られるようにする、と目論んでいるのかもしれない。どんな“特典”かといえば、年金である。要は、悪政の「お先棒をかつぐ」(軽々しく人の手先になる)役割を果たしている、ということである。得意になって、「お先棒をかつぐ」ことを“先取り”して得意になっているとしか思えない。

2017年1月6日金曜日

高齢者は75歳以上だとさ-老年学会って、頭おかしいのでは

日本老年学会と日本老年医学会が、「高齢者」を「75歳以上とする」と提言したそうだ。そして、「65~74歳」を「准高齢者」と呼ぶそうだ。朝日新聞6日付朝刊の一面トップにスポーツ紙かと見紛うほどのドデカい活字が踊っていた。

まもなく70歳を迎える私は、60歳を超えた頃から“十分に高齢者”だと自認していたのだが、これからは高齢者と自認できなくなるということか。

だいたいが、高齢者や老人という言葉は、若者や中年に比べて、相対的に年齢が高いとか老いている人を指すときに用いる漠然とした便利な言葉なので、厳密に年齢で区切るようなものではないだろう。

これまで65歳以上を老人とか高齢者と言っていたのは、人口の年齢構造を年少人口(14歳以下)、生産年齢人口(15~64歳)、老年人口(65歳以上)と3区分してきたことに由来するが、それも、国連が、世界各国の人口構造を比較するために導入した便宜的な区分にすぎない。便宜的ではあっても、その国の人口の年齢構造の変化をたどったり、国際比較をする際には共通の基準として長らく採用されて定着している。だからといって、高齢者とは65歳以上の人を言う、なんてことは、そのことを知っている人ならば、誰も言ってこなかっただろう。

昔読んだ本で知ったのだが、日本最初の公的救済制度とされる養老2(718)年の「戸令」には、救済対象を「凡鰥寡孤独貧窮老疾、不能自存者」(凡<すべ>ての鰥寡孤独貧窮老疾、自存<他の何ものにも頼らず自己の力で生存すること>能<あた>わざる者)と規定していたそうだ(田代国次郎「慈善救済事業・感化救済事業の展開」『講座社会福祉2 社会福祉の歴史』有斐閣1981年)。ちなみに、救済対象の区分は以下の通り。

 鰥(かん)- 61歳以上で妻のない者
 寡(か)  - 50歳以上で夫のない者
 孤     - 16歳以下で父のない者
 独     - 61歳以上で子のない者
 貧窮   - 無産の貧乏人
 老     - 66歳以上の者
 疾     - 廃疾者

古代でも、「老」は66歳以上とされていたというのは、ちょっとビックリだが、鰥・寡・独も、対象は高齢であることを条件にしていた節がうかがわれる。「老」だけが年齢だけを条件にしているのは、その年齢になれば、ほかの条件がなくても、身体的衰えや働く機会がなくなり、生活に困難を抱えることになったからだろう。あるいは長命であることによる報償であったかもしれない。

広辞苑には、「老」の字義の一つとして、「律令制で、61歳以上65歳(のち各1歳引下げ)以下の者」とある。

要するに、その時々の行政上の都合で年齢区分がされてきたということである。それは、いまでもかわらない。年金支給年齢や、社会福祉や高齢者医療の対象年齢も同じことだ。

報道によると、「あくまでも医学・医療の立場からの提案で、国民がこれをどう利用するかは別の問題」と提言をまとめた虎の門病院の大内院長は言ったそうだ。何と無責任な。

「高齢者」は75歳以上と言われて喜ぶ人もいるかもしれないが、もう、そんな時代でもないだろう。一体何のために、こんな提言をしたのだろうか。学会のお墨付きということで、何でもかんでも75歳以上でなければ「高齢者」ではないから、という風潮がでてくることだろう。行政も、「待ってました」ということになろう。そんなことになるとまでは頭が回らないとすれば、とんでもない学会ということだ。

「お若いですね」と言われて悪い気はしないだろうが、これからは、「高齢者になるには、あと〇〇年ありますね」とか言うことになるのだろうか。

とらえようによっては、「高齢者」を「75歳以上とする」と提言した日本老年学会と日本老年医学会は、高齢ということに否定的というかマイナスイメージというか、そうした差別意識があるんだろう。そうでなければ、こんな提言はしないはずだ。とんでもない学会があったものだ。どんな連中が会員になっているのか知りたいものだ。老いぼれが、「75歳以上にならなければ高齢者じゃないから」と居座るための方便なのかもしれない。

そうそう、提言を作成したプロジェクトのメンバーには、心理学者や社会学者も入っているそうだ。どんな心理学者、社会学者なのか、顔を見たいものだ。

2017年1月1日日曜日

今年はどんな年になるのでしょう

2017年は、どんな年になるのだろうか。

新年を寿(ことほ)ぐのは、無事に越年できて、また一つ年を重ねることができたことを喜ぶからなのだろう。命の大切さを年頭にみんなで再確認することを「おめでとう」と表現することになった、というのが私の解釈である。

しかし、考えてみれば、悲しい1年を過ごして、辛い気持ちで新年を迎える人もいるのだから、みんなで「おめでとう」を言い合うのは、冷酷で軽薄でもある。人間っていうのはなんと残酷な生き物であることか。

こんなことを言うと、ひねくれ者と言われそうだが、齢を重ねると、ものを色々な角度から見ることが少しはできるようになるのかもしれない。

長命は、人類積年の願いであったが、まさか平均寿命が男女ともに80歳を超えるなどとは先人は思いもよらなかったことだろう。そして、その先にとんでもない問題-長命であることが自分自身や家族、社会に大変な苦労をもたらすようになること-が待ち構えているとは夢にも思わなかったことだろう。

さてもさても・・・

日本が唯一世界で一番を“誇っている”人口高齢化率(65歳以上人口が全人口に占める割合)は、日本に世界に例を見ない自慢できる国づくりをする機会が与えられていることでもある。並の国になることに必死になるのではなく、世界が羨(うらや)むような、知恵と知性と愛情の溢れる国になる出発年になって欲しいと節に願うものである。

2016年12月28日水曜日

ロシアは日本にサーバー攻撃をしているのだろうか

最近、このブログへの閲覧者履歴にロシアからの閲覧者が異常なほど多いことが記録されている。この1週間か10日ほど、ロシアからの閲覧者が毎日100を超えている。

ロシア人に興味のある記事を書いているわけでもないし、記事の中にロシア語が一語でも入っているわけではないから、実際に記事を読むためにアクセスしているわけでもなさそうだ。何か、自動的にアクセスしている感じがする。

閲覧者記録の仕組みもよくわからないから何とも言えないが、スパムの類だろうか。感じが悪いし、不気味だ。

2016年12月19日月曜日

韓国の政治スキャンダルを連日放送する日本のテレビ局は日本の政治に無関心なのか

朴槿恵韓国大統領の政治スキャンダルをめぐって各テレビ局は毎日のように長時間にわたって同じような内容を放送し続けている。日本のテレビ局は、日本の政治に関して詳細な取材をしたり、分析する能力のある人材がいないのか、それとも国民の目を国内政治からそらそうとしているのか、はたまた、そうしたテレビ局はもともと国内政治に無関心なのか無知なのか。

国内政治の問題で採り上げることはいくらでもあると思うのだが、“対岸の火事”よろしく、ああでもないこうでもないと半可通の司会者とレギュラーコメンテーターとで面白おかしく雑談して時間稼ぎをしている。こんな番組のスポンサーになっている企業の広報担当者の社内での評価はどんなものだろうか。

2016年12月12日月曜日

カジノ解禁法案をめぐる議論に思うこと

カジノ解禁法案とやらの国会審議が短時間で終了して衆議院を通過したそうだが、審議の中でIRとかなんとかが頻繁に出てきたので、何か聞いたことがありそうな略語のようだが、何のことかいなと思っていたら、統合リゾート(Integrated Resorts)のことだそうだ。劇場やホテル会議場、公園、ミュージアムなどが集積した観光施設のことらしい。

IRのIは、てっきりIntelligenceの頭文字のことかと早合点して、安倍首相が口にするのは似合わないのにと思っていたら、そうではなかったので、ホッとした。

カジノで私が実際に足を踏み入れたことがあるのは、随分前のことだが、カナダに行った折に、知り合いの知り合いが紹介してくれて格安で宿泊できたホテルに併設されていたかなり大きなカジノだ。聞けば、そのカジノは市内循環の無料バスを走らせていて、お年寄りも小銭を持って気軽に遊び来るということだった。そういえば、スロットルマシーンの前に座る高齢女性もけっこう見かけた。

大当たりして、「これで楽しいクリスマスを迎えることができる」と大喜びしていたが、大当たりといっても10万円くらいだったように記憶している。ルーレットやカードも掛け金の上限が決められていて、たしか、10万円を超えることはなかったと記憶している。

場内の写真を撮ろうとしたら、警備員に止められてしまった。場内は写真撮影禁止、ということだった。

不法カジノで選手生命を絶たれるような処分を受けた有名選手もいるが、日本でも、競輪・競馬・競艇は公認されていて、パチンコも景品を現金と交換できる仕組みがあるから、ギャンブルが全面的に禁止されているわけではない。宝くじも言ってみれば胴元である国や地方公共団体がぼろ儲けをするために行っている公認ギャンブルだ。

カジノ解禁法案の議論の中では、ギャンブル依存症などの問題も指摘されているが、私が問題だと思うことは、統合リゾートの名の下に、十分な審議をしないままに、観光客誘致で経済効果が大きいという理由で簡単に法案を通してしまう政治的手続きのことだ。

外国へ出かけたときに、日本が自慢できることは何かと聞かれたことも多いが、その時に私は、戦争放棄を唱った憲法と、国民皆保険、国民皆年金、銃刀法、麻薬が蔓延していないこと、そして、カジノのようなゲスっぽく荒稼ぎをする施設がないことをあげてきた。要するに、安全で国民に優しくて品格のある国であることを、ある種の見栄を張って自慢してきた。

20代のときにアメリカでホームステイをしていたとき、地方ラジオ局にゲストとして出演したことがある。リスナーの質問に答えるコーナーで、地元のハイスクールの生徒から、「日本の若者には、なんで薬物使用者がいないのか」という質問があった。何かで見たり読んだり、誰かから聞いたようだった。そんなことは考えたこともなかったので、しどろもどろの説明しかできなかった。結局、「よくわからないが、身近にそういう若者を見たこともないし、少なくとも日本の学校で薬物使用者のことが話題になった記憶はない」というようなことをその時は答えた。質問した生徒は、そんな雑な説明にも、「学校に薬物使用者がいないことはすばらしいことだ」と納得してくれた。日本はそうなんだ、と逆に教えられた思いだったし、うれしかった。

今回のカジノ解禁へ向けた動きは、なりふり構わず手っ取り早く金を稼ごうという知恵も理性も働かせずに一攫千金を狙う危うい人間のやることと同じだ。アベノミクスが失敗したことを自らが認めていることがカジノ解禁法案となって現れたのだろう。

国民を危険にさらし、国民に優しくなく、国の品格を落とし続ける政治をいつまで続けるつもりなのか、そして、国民は、いつまで、そのことに気がつかないのか。

2016年12月4日日曜日

タバコの箱に印刷された警告文

愛煙家には、なかなか厳しい世の中になったが、こんな警告文がでかでかと印刷されているのも関わらず、どうして高い金を払ってまで吸い続けるのだろう。不思議で気が知れない・・・

 
ついで、と言ってはなんですけど、冬の朝顔をご鑑賞下さい。この朝顔は、成長はしていて、どんどん伸びてはいたのですが、咲き始めがとても遅くて、育て方に失敗したかなと思っていました。ところが、夏が過ぎてから毎日とても綺麗な花を沢山つけるようになりました。そして、11月に入っても咲いていました。この写真は10月末頃のものです。柿の木に絡みついて咲いています。
 
 
 
これも、ついでです。今年のスーパームーンです。当日が雨でしたので、翌日の11月15日20:46に 撮影したものです。煌々と輝くスーパームーンを手持ち35倍ズームで撮影するのは難しいですね。三脚を用意する面倒を省いたので、50枚撮影しましたが、手ぶれやピンぼけばかりで、かろうじて、これだけが何とかそれらしく撮れた“貴重な”1枚です。ジッと見ると、月面の山が確認できますね。