2015年8月18日火曜日

大学に人文社会科学の教育研究は不要だそうだ-大学改革の失政は続く

またしても大学改革構想に日本的バカ政策が発揮されようとしている。どうも、この国の教育政策には優れた知性と鋭い洞察力、豊かな想像力が感じられない。

平成27年5月27日に開催された第51 回国立大学法人評価委員会総会に提出された資料10-3「国立大学法人の第2期中期目標期間終了時における組織及び業務全般の見直しについて(案)」によれば、、国立大学の使命は、「法人化のメリットを生かし、各大学の強み・特色・社会的役割を踏まえ、自ら改善・発展する仕組みを構築することにより、持続的な競争力を持ち、高い付加価値を生み出す国立大学となることが期待されている」ということである。

「持続的な競争力を持ち、高い付加価値を生み出す」といわれても、なにか抽象的で、これが国立大学の使命と言われても、よくわからない。

だが、資料を読み進めていくと、「『ミッションの再定義』」を踏まえた組織の見直し」という標題が付けられた項の中で言っていることが、国立大学の使命とされる「持続的な競争力を持ち、高い付加価値を生み出す」ための方法というか手段というか、そうしたことを具体的に述べていて、それが今回の改革案の“目玉”のようだ。こんなことを言っている。

「ミッションの再定義」で明らかにされた各大学の強み・特色・社会的役割を踏まえた速やかな組織改革に努めることとする。特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする。

マスメディアもこぞって取り上げていたが、「教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする」という見直し案は、事の是非はともかく衝撃的である。そして、それが、単なる脅しか、本気かはわからないが、これまでの大学政策からいえば、まさに画期的ではある。

その資料を、もう一度、最初から読み返すと、冒頭で、こんなことを言っている。

国立大学は、全国的な高等教育の機会均等の確保、世界最高水準の教育研究の実施、社会・経済的な観点からの需要は必ずしも多くないが重要な学問分野の継承・発展、計画的な人材育成等への対応、地域の活性化への貢献等の役割を担ってきた。

思わず、吹き出してしまった。どこがそんなに笑えるかといえば、「社会・経済的な観点からの需要は必ずしも多くないが重要な学問分野の継承・発展」という件(くだり)である。とくに、「需要は必ずしも多くないが重要な学問分野」と持って回った言い方をしているところである。

需要(じゅよう)と重要(じゅうよう)は音がよく似ているから、この一文は、きっと駄洒落好きの誰かが、“こんな資料づくりはバカらしくて、やってられないよ”と出来がよくない駄洒落をそっと盛り込んだのかもしれない。大学教育のことを真剣に考えて書かれた文章とは到底思えないからである。

ともあれ、この一文は、大学において求められる学問分野は、何よりも「需要」がある学問分野であると言っているのであって、それ以外の学問分野に関しては、申し訳程度に「重要」な学問分野と付け加えているに過ぎない。なぜ、そのように言えるかと言えば、「重要」である理由には何ら触れていないからである。

「社会・経済的な観点からの需要」という表現も奇妙な言い回しである。社会的需要や経済的需要ではなく、「社会・経済的な観点からの」需要というのは何のことだろう。この資料では、それらについて何も説明されていない。

社会的需要が高いといえば、ふつうは多くの人がそれを求めていることを意味するが、そう理解すると、経済的需要というのは社会的需要に対応しなくなる。社会・経済的観点からの需要」を社会的観点からの需要と経済的観点からの需要として考えてみよう。

社会的観点からの需要というのはさまざまに解釈できるから、まずは経済的観点からの需要について考えてみる。これは、経済的問題の解決や経済成長に資する/役立つような学問分野ということであろう。経済的問題と言うことであれば、貧困問題や経済格差問題なども含まれるが、ここで言っている経済的観点からと言うのは、どうも専ら経済成長のことのようだ。

社会的観点からの需要は、経済的観点からの需要を除く様々な需要ということになるだろう。高齢化問題や少子化問題、犯罪、災害問題、教育問題等々を解決する学問分野ということになるだろう。もっとも、そうした問題をどこまで認識して社会的観点からの需要と言っているのかは不明である。

こう考えると、社会・経済的観点からの需要というのは、ありとあらゆる需要が含まれることになるが、それらは多い需要と少ない需要に分けられて、少ない需要が教員養成系や人文社会科学系の学問分野だと言うわけである。そして、そうした学問分野は日本にはいらない、と言っているのである。要は、実学重視で即効性のある学問分野だけあればいいというわけである。

あまりにも粗雑で短絡的な議論であきれてしまう。ちなみに、第6期国立大学法人評価委員会国立大学法人分科会委員(平成27年5月1日現在)は以下の面々である。

市川 太一 広島修道大学長
奥野 武俊 前公立大学法人大阪府立大学理事長・学長(分科会長)
河田 悌一 日本私立学校振興・共済事業団理事長
桐野 高明 独立行政法人国立病院機構理事長
熊平 美香 一般財団法人クマヒラセキュリティ財団代表理事
田籠 喜三 株式会社TAGS代表取締役社長
津坂 美樹 ボストンコンサルティンググループシニア・パートナー&マネージング・ディレクター
早川 信夫 日本放送協会放送総局解説委員室解説委員
日比谷潤子 国際基督教大学長
深見希代子 東京薬科大学生命科学部長
前原 金一 公益社団法人経済同友会終身幹事
宮内  忍 宮内公認会計士事務所長(分科会長代理)
臨時委員4名
巻之内 茂 巻之内・上石法律事務所長・弁護士
松川 禮子 岐阜県教育委員会教育長
森山 幹弘 南山大学外国語学部教授、図書館長
山田 礼子 同志社大学学習支援・教育開発センター長

社会・経済的観点からの需要がある学問分野ということを、その国が抱えている問題の解決に役立つ学問分野と理解したとしよう。この場合には、何よりもまず、その国がどのような問題を抱えているかを的確に把握することが大事である。次には、どのような学問をどのように活用すればそれらの問題を解決することができるかを考えることである。大事なことは、役に立たない学問などないことを理解することである。

その学問が役に立つか立たないかは、その学問それ自体の性質ではなくて、その学問を役に立たせる/活用するすることができるか否かといった人間の側の問題である。

どの学問も、人間や社会、自然に関わる現実の問題や疑問から発している。それらの問題を解決する必要や、疑問や不明であったことを解き明かしたいという欲求から様々な学問分野が発展してきた。どの学問分野も人類の崇高な営みの成果であり、役に立たない学問分野などはないのである。

ただし、学問を役立たせることができない人間はいる。今から400年以上も前(1597年)のことだが、フランシス・ベーコンは、こんなことを言っている。

「すばしこい人間は学問を軽蔑し、単純な人間はそれに感嘆し、賢い人間はそれを利用する。学問それ自身は使用法を教えないからである。」(渡辺義雄訳『ベーコン随想集』岩波文庫218頁)。ちなみに、『ベーコン随想集』の原本はインターネット上でいくつか公開されているので紹介しておく。Searchable online text of the Essays  Original Scan of the University of Toronto

「すばしこい人間」というとチョットわかりづらいが、原語は Crafty men で、crafty は、「悪賢い」とか「悪巧みにたけた」、「悪知恵のある」、「狡猾な」、「ずるい」という意味である。ということで、「すばしこい人間」は「ずる賢い人間」と訳した方が、ベーコンがこの文章で言おうとしているところを理解しやすいだろう。

学問は事実や真理を伝えるから、ずる賢い人間にとっては、学問は役に立つどころか邪魔くさい物になる。何やら近頃の安保法案をめぐる議論の中で、憲法学者の言うことに真摯に耳を傾けることのない政治屋連中のことを言っているみたいだ。ベーコンに言わせれば、彼らは crafty men ということになる。

学問分野を役に立つ分野と役に立たない分野とに分類するという、とてもわかりやすくて幼稚で、400年以上の昔でさえそんな分類は知性ある人間のすることではないことをベーコンが教えているにもかかわらず、そんな分類をして平気でいられる神経の持ち主ばかりの上に記した国立大学法人評価委員会国立大学法人分科会委員の錚錚(そうそう)たる面々も、同じく crafty men ということになるのだろうか。少なくとも、「賢い人間はそれを利用する」といった態度で議論したとは思えないのだが。

おかしなことを平気で行う政治家の多くは人文社会科学系学部の卒業者だ。ちなみに、安倍内閣の閣僚の最終学歴を以下に記しておく。20名の閣僚のうち、太田昭宏国土交通大臣と中谷元防衛大臣の2名(1割)だけが非人文社会科学系の卒業者/修了者だ。

内閣総理大臣         安倍晋三 成蹊大学法学部政治学科
副総理・財務大臣       麻生太郎 学習院大学政経学部
総務大臣            高市早苗 神戸大学経営学部経営学科
法務大臣            上川陽子 東京大学教養学部教養学科 ハーバード大学大学院政治行政学
外務大臣            岸田文雄 早稲田大学法学部
文部科学大臣         下村博文 早稲田大学教育学部
厚生労働大臣         塩崎恭久 東京大学教養学部教養学科 ハーバード大学大学院行政学
農林水産大臣         林 芳正  東京大学法学部
経済産業大臣         宮澤洋一 東京大学法学部 ハーバード大学大学院院行政学
国土交通大臣         太田昭宏 京都大学工学部土木工学科 京都大学大学院工学研究科
環境大臣            望月義夫 中央大学法学部
防衛大臣            中谷 元  防衛大学校本科理工学専攻
内閣官房長官         菅 義偉  法政大学法学部政治学科
復興大臣            竹下 亘  慶應義塾大学経済学部
国家公安委員会委員長   山谷えり子 聖心女子大学文学部
内閣府特命担当大臣    山口俊一  青山学院大学文学部
内閣府特命担当大臣    有村治子  国際基督教大学教養学部 SIT大学院
内閣府特命担当大臣    甘利 明   慶應義塾大学法学部
内閣府特命担当大臣    石破 茂   慶應義塾大学法学部
東京オリンピック担当大臣 遠藤利明  中央大学法学部

「社会・経済的な観点からの需要は必ずしも多くない」人文社会科学系の学部・大学院を卒業/修了した者が政治に携わると、ろくな政治が行われないことが、この閣僚名簿から一目瞭然だろう、ということで、人文社会科学系の学問は役に立たない、という結論に達したのであれば、奇妙奇天烈な大学改革構想にわずかながらも耳を傾けようかという気分になったかもしれない。

待て待て、20名の閣僚のうち、国立大学出身者は6名(3割)にすぎない。いま、課題になっているのは国立大学法人の改革だから、私大の人文社会科学系の学部・大学院には無縁のことで、むしろ、これからは、人文社会科学系の学問は私大にお任せ、ということになって、私大の人文社会科学系の学部・大学院が活況を呈して、その卒業者・修了者が政治の世界を制覇することになるかもしれない。

しかし、先進産業国であることを自負する日本が、そして、優秀と自負する官僚が、そして、また、日本有数の知識人と思われる面々が、あたかも、明治期の日本が西欧列強に追いすがろうとして国策事業に血道を上げたことと軌を一にするような国立大学改革を臆面もなく打ち上げたことには、これが日本人の知性なのかと、恥ずかしい思いをする。みっともない。

日本は、あんなこと言ってるよ。めったに数値目標を出さない曖昧さが日本の特徴だと思っていたが、世界100大学の中に少なくとも10校が入るようにしたいそうだ。国立大学では、人文社会科学系の教育研究組織を廃止してまで、その目標実現に取り組むことになるそうだね。可愛げがあるというか、いじらしいというか、なにか悲しさが漂っているね。と感想を語ったのは、日本をよく知るアメリカ人の友人だ。

教育や研究に強い関心と真の理解のない政治家は、官僚の予算獲得のための改革構想の是非を判断できずに、言われるままに教育改革を口にしたり、それを推し進めようとする。そして、それに乗じる教育関係者も少なくないようだ。

ちなみに、教育基本法の一部を掲載しておく。今回の大学改革案は、教育基本法に照らしてもおかしいと思うが・・・。
 
第一章 教育の目的及び理念
(教育の目的)
第一条  教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
(教育の目標)
第二条  教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うととも に、健やかな身体を養うこと。
 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四  生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五  伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
(生涯学習の理念)
第三条  国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。
(教育の機会均等)
第四条  すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
2  国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。
国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない。

(大学)
第七条  大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。
2  大学については、自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならない。
 
(教員)
第九条  法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。
 前項の教員については、その使命と職責の重要性にかんがみ、その身分は尊重され、待遇の適正が期せられるとともに、養成と研修の充実が図られなければならない。

2015年8月9日日曜日

長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における「平和宣言」と「平和への誓い」に感動した

長崎市の平和公園で開催された「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」の中継をテレビで見た。

田上富久市長の「平和宣言」と被爆者代表・谷口稜曄(すみてる)さんの「平和への誓い」には本当に感動した。二人の落ち着いて淡々と語る中にも強い思いが伝わってくる宣言と誓いに涙が出るほど強く心を動かされた。

それに引き替え、二人の後に登壇した安倍首相の「あいさつ」には呆れてしまった。まさに儀礼的としか言いようのない内容で、人々に語りかけるのではなく、ただ書かれたものを早く読み終えたいという思いが強く表れていたように思えた。そして、その表情からは、一国のリーダーとして国民の先頭に立って平和を守り抜くという意気込みも被爆者に対する心からの優しさも感じられなかった。

「平和宣言」と「誓い」が語られているときに、テレビカメラは安倍首相の表情をアップで写していた。目がうつろで、時折、視線を左右に向けていた。平和公園での平和記念式典で平和を参列者に、全国民に、世界に強く訴えることをしない/できない首相を頂くことの悲しさと無念さを多くの国民が感じたことであろう。

「平和宣言」と「平和への誓い」の全文は新聞にも掲載されている。「平和宣言」は、長崎市のウェブサイト「この宣言文は、国連加盟の各国元首をはじめ、全国の地方公共団体などへ送るとともに、インターネットを通じ全世界に発信します。」と日本語原文に加えて、中国語、韓国語、フランス語、ロシア語、スペイン語、アラビア語、ポルトガル語、オランダ語、ドイツ語の各翻訳版も掲載されている。

ここでは、以下に、「平和宣言」、「平和への誓い」、「首相あいさつ」の全文を掲載しておく。

「平和宣言」
昭和20年8月9日午前11時2分、一発の原子爆弾により、長崎の街は一瞬で廃墟(はいきょ)と化しました。
 大量の放射線が人々の体をつらぬき、想像を絶する熱線と爆風が街を襲いました。24万人の市民のうち、7万4000人が亡くなり、7万5000人が傷つきました。70年は草木も生えない、といわれた廃墟の浦上の丘は今、こうして緑に囲まれています。しかし、放射線に体を蝕(むしば)まれ、後障害に苦しみ続けている被爆者は、あの日のことを一日たりとも忘れることはできません。
  原子爆弾は戦争の中で生まれました。そして、戦争の中で使われました。
  原子爆弾の凄(すさ)まじい破壊力を身をもって知った被爆者は、核兵器は存在してはならない、そして二度と戦争をしてはならないと深く、強く、心に刻みました。日本国憲法における平和の理念は、こうした辛(つら)く厳しい経験と戦争の反省の中から生まれ、戦後、我が国は平和国家としての道を歩んできました。長崎にとっても、日本にとっても、戦争をしないという平和の理念は永久に変えてはならない原点です。
  今、戦後に生まれた世代が国民の多くを占めるようになり、戦争の記憶が私たちの社会から急速に失われつつあります。長崎や広島の被爆体験だけでなく、東京をはじめ多くの街を破壊した空襲、沖縄戦、そしてアジアの多くの人々を苦しめた悲惨な戦争の記憶を忘れてはなりません。
  70年を経た今、私たちに必要なことは、その記憶を語り継いでいくことです。
  原爆や戦争を体験した日本、そして世界の皆さん、記憶を風化させないためにも、その経験を語ってください。
  若い世代の皆さん、過去の話だと切り捨てずに、未来のあなたの身に起こるかもしれない話だからこそ伝えようとする、平和への思いをしっかりと受け止めてください。「私だったらどうするだろう」と想像してみてください。そして、「平和のために、私にできることは何だろう」と考えてみてください。若い世代の皆さんは、国境を越えて新しい関係を築いていく力を持っています。
  世界の皆さん、戦争と核兵器のない世界を実現するための最も大きな力は私たち一人ひとりの中にあります。戦争の話に耳を傾け、核兵器廃絶の署名に賛同し、原爆展に足を運ぶといった一人ひとりの活動も、集まれば大きな力になります。長崎では、被爆二世、三世をはじめ、次の世代が思いを受け継ぎ、動き始めています。
  私たち一人ひとりの力こそが、戦争と核兵器のない世界を実現する最大の力です。市民社会の力は、政府を動かし、世界を動かす力なのです。
  今年5月、核不拡散条約(NPT)再検討会議は、最終文書を採択できないまま閉幕しました。しかし、最終文書案には、核兵器を禁止しようとする国々の努力により、核軍縮について一歩踏み込んだ内容も盛り込むことができました。
  NPT加盟国の首脳に訴えます。
  今回の再検討会議を決して無駄にしないでください。国連総会などあらゆる機会に、核兵器禁止条約など法的枠組みを議論する努力を続けてください。
  また、会議では被爆地訪問の重要性が、多くの国々に共有されました。
  改めて、長崎から呼びかけます。
  オバマ大統領、核保有国をはじめ各国首脳の皆さん、世界中の皆さん、70年前、原子雲の下で何があったのか、長崎や広島を訪れて確かめてください。被爆者が、単なる被害者としてではなく、“人類の一員”として、今も懸命に伝えようとしていることを感じとってください。
  日本政府に訴えます。
  国の安全保障は、核抑止力に頼らない方法を検討してください。アメリカ、日本、韓国、中国など多くの国の研究者が提案しているように、北東アジア非核兵器地帯の設立によって、それは可能です。未来を見据え、“核の傘”から“非核の傘”への転換について、ぜひ検討してください。
  この夏、長崎では世界の122の国や地域の子どもたちが、平和について考え、話し合う、「世界こども平和会議」を開きました。
  11月には、長崎で初めての「パグウォッシュ会議世界大会」が開かれます。核兵器の恐ろしさを知ったアインシュタインの訴えから始まったこの会議には、世界の科学者が集まり、核兵器の問題を語り合い、平和のメッセージを長崎から世界に発信します。
  「ピース・フロム・ナガサキ」。平和は長崎から。私たちはこの言葉を大切に守りながら、平和の種を蒔(ま)き続けます。
  また、東日本大震災から4年が過ぎても、原発事故の影響で苦しんでいる福島の皆さんを、長崎はこれからも応援し続けます。
  現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯(しんし)な審議を行うことを求めます。
  被爆者の平均年齢は今年80歳を超えました。日本政府には、国の責任において、被爆者の実態に即した援護の充実と被爆体験者が生きているうちの被爆地域拡大を強く要望します。
  原子爆弾により亡くなられた方々に追悼の意を捧(ささ)げ、私たち長崎市民は広島とともに、核兵器のない世界と平和の実現に向けて、全力を尽くし続けることを、ここに宣言します。
  2015年(平成27年)8月9日  長崎市長 田上 富久


「平和への誓い」
 70年前のこの日、この上空に投下されたアメリカの原爆によって、一瞬にして7万余の人々が殺されました。真っ黒く焼け焦げた死体。倒壊した建物の下から助けを求める声。肉はちぎれ、ぶらさがり、腸が露出している人。かぼちゃのように膨れあがった顔。眼(め)が飛び出している人。水を求め浦上川で命絶えた人々の群れ。この浦上の地は、一晩中火の海でした。地獄でした。
 地獄はその後も続きました。火傷(やけど)や怪我(けが)もなかった人々が、肉親を捜して爆心地をさまよった人々が、救援・救護に駆け付けた人々が、突然体中に紫斑が出、血を吐きながら、死んでいきました。
  70年前のこの日、私は16才。郵便配達をしていました。爆心地から1・8キロの住吉町を自転車で走っていた時でした。突然、背後から虹のような光が目に映り、強烈な爆風で吹き飛ばされ道路に叩きつけられました。
  しばらくして起き上がってみると、私の左手は肩から手の先までボロ布を下げたように、皮膚が垂れ下がっていました。背中に手を当てると着ていた物は何もなくヌルヌルと焼けただれた皮膚がべっとり付いてきました。不思議なことに、傷からは一滴の血も出ず、痛みも全く感じませんでした。
  それから2晩山の中で過ごし、3日目の朝やっと救助されました。3年7カ月の病院生活、その内の1年9カ月は背中一面大火傷のため、うつ伏せのままで死の淵をさまよいました。
  そのため私の胸は床擦れで骨まで腐りました。今でも胸は深くえぐり取ったようになり、肋骨(ろっこつ)の間から心臓の動いているのが見えます。肺活量は人の半分近くだと言われています。
  かろうじて生き残った者も、暮らしと健康を破壊され、病気との闘い、国の援護のないまま、12年間放置されました。アメリカのビキニ水爆実験の被害によって高まった原水爆禁止運動によって励まされた私たち被爆者は、1956年に被爆者の組織を立ち上げることができたのです。あの日、死体の山に入らなかった私は、被爆者の運動の中で生きてくることができました。
  戦後日本は再び戦争はしない、武器は持たないと、世界に公約した「憲法」が制定されました。しかし、今集団的自衛権の行使容認を押しつけ、憲法改正を押し進め、戦時中の時代に逆戻りしようとしています。今政府が進めようとしている戦争につながる安保法案は、被爆者を始め平和を願う多くの人々が積み上げてきた核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆そうとするもので、許すことはできません。
  核兵器は残虐で人道に反する兵器です。廃絶すべきだということが、世界の圧倒的な声になっています。
  私はこの70年の間に倒れた多くの仲間の遺志を引き継ぎ、戦争のない、核兵器のない世界の実現のため、生きている限り、戦争と原爆被害の生き証人の一人として、その実相を世界中に語り続けることを、平和を願うすべての皆さんの前で心から誓います。
 平成27年8月9日  被爆者代表 谷口稜曄(すみてる)


「首相あいさつ」
 本日ここに、被爆七十周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が執り行われるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。
 そして、被爆による後遺症に、今なお苦しんでおられる方々に対し、衷心(ちゅうしん)よりお見舞いを申し上げます。
 あの日投下された原子爆弾により、長崎の地が、草木もない焦土と化してから70年が経(た)ちました。当時、7万ともいわれる、あまたの貴い命が奪われました。惨禍の中、生き永らえた方々にも、筆舌に尽くしがたい苦難の生活をもたらしました。
 しかし、苦境の中から力強く立ち上がられた市民の皆様によって、世界文化遺産と美しい自然に恵まれた国際文化都市が、見事に築き上げられました。
 今日の復興を成し遂げた長崎の街を見渡すとき、改めて平和の尊さを噛(か)みしめています。そして、世界で唯一の戦争被爆国として、非核三原則を堅持しつつ、「核兵器のない世界」の実現に向けて、国際社会の核軍縮の取り組みを主導していく決意を新たにいたしました。
 特に本年は、被爆70年という節目の年です。核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議では、残念ながら最終合意には至りませんでしたが、我が国としては、核兵器国と非核兵器国、双方の協力を引き続き求めつつ、「核兵器のない世界」の実現に向けて、一層の努力を積み重ねていく決意です。この決意を表明するため、本年秋の国連総会に新たな核兵器廃絶決議案を提出いたします。
 8月末に広島で開催される包括的核実験禁止条約賢人グループ会合並びに国連軍縮会議に続き、11月には、パグウォッシュ会議がここ長崎で開催されます。更に来年には、G7外相会合が広島で開催されます。これらの国際会議を通じ、被爆地から我々の思いを、国際社会に力強く発信いたします。また、世界の指導者や若者が被爆の悲惨な現実に直(じか)に触れることを通じ、「核兵器のない世界」の実現に向けた取り組みを前に進めてまいります。
 今年、被爆者の方々の平均年齢が、はじめて80歳を超えました。高齢化する被爆者の方々に支援を行うために制定された「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」も、施行から20年を迎えました。引き続き、保健、医療、福祉にわたる総合的な援護施策を、しっかりと進めてまいります。
 特に、原爆症の認定につきましては、申請された方々の心情を思い、一日も早く認定がなされるよう、審査を急いでまいります。
 結びに、亡くなられた方々のご冥福と、ご遺族並びに被爆者の皆様のご多幸をお祈り申し上げるとともに、参列者並びに長崎市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私のご挨拶(あいさつ)といたします。
平成27年8月9日 内閣総理大臣・安倍晋三