2015年8月18日火曜日

大学に人文社会科学の教育研究は不要だそうだ-大学改革の失政は続く

またしても大学改革構想に日本的バカ政策が発揮されようとしている。どうも、この国の教育政策には優れた知性と鋭い洞察力、豊かな想像力が感じられない。

平成27年5月27日に開催された第51 回国立大学法人評価委員会総会に提出された資料10-3「国立大学法人の第2期中期目標期間終了時における組織及び業務全般の見直しについて(案)」によれば、、国立大学の使命は、「法人化のメリットを生かし、各大学の強み・特色・社会的役割を踏まえ、自ら改善・発展する仕組みを構築することにより、持続的な競争力を持ち、高い付加価値を生み出す国立大学となることが期待されている」ということである。

「持続的な競争力を持ち、高い付加価値を生み出す」といわれても、なにか抽象的で、これが国立大学の使命と言われても、よくわからない。

だが、資料を読み進めていくと、「『ミッションの再定義』」を踏まえた組織の見直し」という標題が付けられた項の中で言っていることが、国立大学の使命とされる「持続的な競争力を持ち、高い付加価値を生み出す」ための方法というか手段というか、そうしたことを具体的に述べていて、それが今回の改革案の“目玉”のようだ。こんなことを言っている。

「ミッションの再定義」で明らかにされた各大学の強み・特色・社会的役割を踏まえた速やかな組織改革に努めることとする。特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする。

マスメディアもこぞって取り上げていたが、「教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする」という見直し案は、事の是非はともかく衝撃的である。そして、それが、単なる脅しか、本気かはわからないが、これまでの大学政策からいえば、まさに画期的ではある。

その資料を、もう一度、最初から読み返すと、冒頭で、こんなことを言っている。

国立大学は、全国的な高等教育の機会均等の確保、世界最高水準の教育研究の実施、社会・経済的な観点からの需要は必ずしも多くないが重要な学問分野の継承・発展、計画的な人材育成等への対応、地域の活性化への貢献等の役割を担ってきた。

思わず、吹き出してしまった。どこがそんなに笑えるかといえば、「社会・経済的な観点からの需要は必ずしも多くないが重要な学問分野の継承・発展」という件(くだり)である。とくに、「需要は必ずしも多くないが重要な学問分野」と持って回った言い方をしているところである。

需要(じゅよう)と重要(じゅうよう)は音がよく似ているから、この一文は、きっと駄洒落好きの誰かが、“こんな資料づくりはバカらしくて、やってられないよ”と出来がよくない駄洒落をそっと盛り込んだのかもしれない。大学教育のことを真剣に考えて書かれた文章とは到底思えないからである。

ともあれ、この一文は、大学において求められる学問分野は、何よりも「需要」がある学問分野であると言っているのであって、それ以外の学問分野に関しては、申し訳程度に「重要」な学問分野と付け加えているに過ぎない。なぜ、そのように言えるかと言えば、「重要」である理由には何ら触れていないからである。

「社会・経済的な観点からの需要」という表現も奇妙な言い回しである。社会的需要や経済的需要ではなく、「社会・経済的な観点からの」需要というのは何のことだろう。この資料では、それらについて何も説明されていない。

社会的需要が高いといえば、ふつうは多くの人がそれを求めていることを意味するが、そう理解すると、経済的需要というのは社会的需要に対応しなくなる。社会・経済的観点からの需要」を社会的観点からの需要と経済的観点からの需要として考えてみよう。

社会的観点からの需要というのはさまざまに解釈できるから、まずは経済的観点からの需要について考えてみる。これは、経済的問題の解決や経済成長に資する/役立つような学問分野ということであろう。経済的問題と言うことであれば、貧困問題や経済格差問題なども含まれるが、ここで言っている経済的観点からと言うのは、どうも専ら経済成長のことのようだ。

社会的観点からの需要は、経済的観点からの需要を除く様々な需要ということになるだろう。高齢化問題や少子化問題、犯罪、災害問題、教育問題等々を解決する学問分野ということになるだろう。もっとも、そうした問題をどこまで認識して社会的観点からの需要と言っているのかは不明である。

こう考えると、社会・経済的観点からの需要というのは、ありとあらゆる需要が含まれることになるが、それらは多い需要と少ない需要に分けられて、少ない需要が教員養成系や人文社会科学系の学問分野だと言うわけである。そして、そうした学問分野は日本にはいらない、と言っているのである。要は、実学重視で即効性のある学問分野だけあればいいというわけである。

あまりにも粗雑で短絡的な議論であきれてしまう。ちなみに、第6期国立大学法人評価委員会国立大学法人分科会委員(平成27年5月1日現在)は以下の面々である。

市川 太一 広島修道大学長
奥野 武俊 前公立大学法人大阪府立大学理事長・学長(分科会長)
河田 悌一 日本私立学校振興・共済事業団理事長
桐野 高明 独立行政法人国立病院機構理事長
熊平 美香 一般財団法人クマヒラセキュリティ財団代表理事
田籠 喜三 株式会社TAGS代表取締役社長
津坂 美樹 ボストンコンサルティンググループシニア・パートナー&マネージング・ディレクター
早川 信夫 日本放送協会放送総局解説委員室解説委員
日比谷潤子 国際基督教大学長
深見希代子 東京薬科大学生命科学部長
前原 金一 公益社団法人経済同友会終身幹事
宮内  忍 宮内公認会計士事務所長(分科会長代理)
臨時委員4名
巻之内 茂 巻之内・上石法律事務所長・弁護士
松川 禮子 岐阜県教育委員会教育長
森山 幹弘 南山大学外国語学部教授、図書館長
山田 礼子 同志社大学学習支援・教育開発センター長

社会・経済的観点からの需要がある学問分野ということを、その国が抱えている問題の解決に役立つ学問分野と理解したとしよう。この場合には、何よりもまず、その国がどのような問題を抱えているかを的確に把握することが大事である。次には、どのような学問をどのように活用すればそれらの問題を解決することができるかを考えることである。大事なことは、役に立たない学問などないことを理解することである。

その学問が役に立つか立たないかは、その学問それ自体の性質ではなくて、その学問を役に立たせる/活用するすることができるか否かといった人間の側の問題である。

どの学問も、人間や社会、自然に関わる現実の問題や疑問から発している。それらの問題を解決する必要や、疑問や不明であったことを解き明かしたいという欲求から様々な学問分野が発展してきた。どの学問分野も人類の崇高な営みの成果であり、役に立たない学問分野などはないのである。

ただし、学問を役立たせることができない人間はいる。今から400年以上も前(1597年)のことだが、フランシス・ベーコンは、こんなことを言っている。

「すばしこい人間は学問を軽蔑し、単純な人間はそれに感嘆し、賢い人間はそれを利用する。学問それ自身は使用法を教えないからである。」(渡辺義雄訳『ベーコン随想集』岩波文庫218頁)。ちなみに、『ベーコン随想集』の原本はインターネット上でいくつか公開されているので紹介しておく。Searchable online text of the Essays  Original Scan of the University of Toronto

「すばしこい人間」というとチョットわかりづらいが、原語は Crafty men で、crafty は、「悪賢い」とか「悪巧みにたけた」、「悪知恵のある」、「狡猾な」、「ずるい」という意味である。ということで、「すばしこい人間」は「ずる賢い人間」と訳した方が、ベーコンがこの文章で言おうとしているところを理解しやすいだろう。

学問は事実や真理を伝えるから、ずる賢い人間にとっては、学問は役に立つどころか邪魔くさい物になる。何やら近頃の安保法案をめぐる議論の中で、憲法学者の言うことに真摯に耳を傾けることのない政治屋連中のことを言っているみたいだ。ベーコンに言わせれば、彼らは crafty men ということになる。

学問分野を役に立つ分野と役に立たない分野とに分類するという、とてもわかりやすくて幼稚で、400年以上の昔でさえそんな分類は知性ある人間のすることではないことをベーコンが教えているにもかかわらず、そんな分類をして平気でいられる神経の持ち主ばかりの上に記した国立大学法人評価委員会国立大学法人分科会委員の錚錚(そうそう)たる面々も、同じく crafty men ということになるのだろうか。少なくとも、「賢い人間はそれを利用する」といった態度で議論したとは思えないのだが。

おかしなことを平気で行う政治家の多くは人文社会科学系学部の卒業者だ。ちなみに、安倍内閣の閣僚の最終学歴を以下に記しておく。20名の閣僚のうち、太田昭宏国土交通大臣と中谷元防衛大臣の2名(1割)だけが非人文社会科学系の卒業者/修了者だ。

内閣総理大臣         安倍晋三 成蹊大学法学部政治学科
副総理・財務大臣       麻生太郎 学習院大学政経学部
総務大臣            高市早苗 神戸大学経営学部経営学科
法務大臣            上川陽子 東京大学教養学部教養学科 ハーバード大学大学院政治行政学
外務大臣            岸田文雄 早稲田大学法学部
文部科学大臣         下村博文 早稲田大学教育学部
厚生労働大臣         塩崎恭久 東京大学教養学部教養学科 ハーバード大学大学院行政学
農林水産大臣         林 芳正  東京大学法学部
経済産業大臣         宮澤洋一 東京大学法学部 ハーバード大学大学院院行政学
国土交通大臣         太田昭宏 京都大学工学部土木工学科 京都大学大学院工学研究科
環境大臣            望月義夫 中央大学法学部
防衛大臣            中谷 元  防衛大学校本科理工学専攻
内閣官房長官         菅 義偉  法政大学法学部政治学科
復興大臣            竹下 亘  慶應義塾大学経済学部
国家公安委員会委員長   山谷えり子 聖心女子大学文学部
内閣府特命担当大臣    山口俊一  青山学院大学文学部
内閣府特命担当大臣    有村治子  国際基督教大学教養学部 SIT大学院
内閣府特命担当大臣    甘利 明   慶應義塾大学法学部
内閣府特命担当大臣    石破 茂   慶應義塾大学法学部
東京オリンピック担当大臣 遠藤利明  中央大学法学部

「社会・経済的な観点からの需要は必ずしも多くない」人文社会科学系の学部・大学院を卒業/修了した者が政治に携わると、ろくな政治が行われないことが、この閣僚名簿から一目瞭然だろう、ということで、人文社会科学系の学問は役に立たない、という結論に達したのであれば、奇妙奇天烈な大学改革構想にわずかながらも耳を傾けようかという気分になったかもしれない。

待て待て、20名の閣僚のうち、国立大学出身者は6名(3割)にすぎない。いま、課題になっているのは国立大学法人の改革だから、私大の人文社会科学系の学部・大学院には無縁のことで、むしろ、これからは、人文社会科学系の学問は私大にお任せ、ということになって、私大の人文社会科学系の学部・大学院が活況を呈して、その卒業者・修了者が政治の世界を制覇することになるかもしれない。

しかし、先進産業国であることを自負する日本が、そして、優秀と自負する官僚が、そして、また、日本有数の知識人と思われる面々が、あたかも、明治期の日本が西欧列強に追いすがろうとして国策事業に血道を上げたことと軌を一にするような国立大学改革を臆面もなく打ち上げたことには、これが日本人の知性なのかと、恥ずかしい思いをする。みっともない。

日本は、あんなこと言ってるよ。めったに数値目標を出さない曖昧さが日本の特徴だと思っていたが、世界100大学の中に少なくとも10校が入るようにしたいそうだ。国立大学では、人文社会科学系の教育研究組織を廃止してまで、その目標実現に取り組むことになるそうだね。可愛げがあるというか、いじらしいというか、なにか悲しさが漂っているね。と感想を語ったのは、日本をよく知るアメリカ人の友人だ。

教育や研究に強い関心と真の理解のない政治家は、官僚の予算獲得のための改革構想の是非を判断できずに、言われるままに教育改革を口にしたり、それを推し進めようとする。そして、それに乗じる教育関係者も少なくないようだ。

ちなみに、教育基本法の一部を掲載しておく。今回の大学改革案は、教育基本法に照らしてもおかしいと思うが・・・。
 
第一章 教育の目的及び理念
(教育の目的)
第一条  教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
(教育の目標)
第二条  教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うととも に、健やかな身体を養うこと。
 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四  生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五  伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
(生涯学習の理念)
第三条  国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。
(教育の機会均等)
第四条  すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
2  国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。
国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない。

(大学)
第七条  大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。
2  大学については、自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならない。
 
(教員)
第九条  法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。
 前項の教員については、その使命と職責の重要性にかんがみ、その身分は尊重され、待遇の適正が期せられるとともに、養成と研修の充実が図られなければならない。

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