2016年1月28日木曜日

小保方さんと甘利さんは同類

お騒がせの二人が、同じようなことを言っている。

聞くところによると、小保方さんが手記『あの日』を出版したそうだ。稚拙な書名で、あの日って、どの日?、と茶々を入れたくなるが、読む気はしないし、ましてや買おうとも思わない。

講談社のホームページにある「講談社サイト全体検索」の検索欄に「あの日」と入力すると、「あの日」が書名に入っている本が10冊ヒットした。講談社は、よっぽど、「あの日」が好きなようだ。

講談社からの出版だそうだから、中身は講談の類だろう。講談社にしてみれば、社名に相応しい講談本が出版できたと大喜びなのだろう。

ちなみに、講談とは、「調子をつけて、おもしろく話して聞かせる軍記・武勇談・あだ討ちなどの話」(新明解国語辞典第七版)とか「寄席(よせ)演芸の一。軍記・武勇伝・かたき討ち・侠客伝などを、おもしろく調子をつけて読んで聞かせる話芸。江戸時代には講釈とよばれ、太平記読みに始まるという」(大辞泉)と辞書にはある。

出版されると、さっそく、内容の紹介などがネット上に書き込まれた。そんな中に、前書き部分が公開されているものがあったので、転記しておく。

「STAP細胞に関する論文発表後、世間を大きくお騒がせしたことを心よりお詫び申し上げます。このようなお詫びを申し上げる手段を見出すことができず、これまで心からの反省や謝罪を社会に向けて行えてこなかったことを、本当に情けなく申し訳なく思っております。」

お詫びの言葉があるが、何に対してかと言えば、「世間を大きくお騒がせしたこと」にである。この手のお詫びは、本人が犯した罪悪や違法行為には頬被(ほおかむ)りして、何ら反省する気もなく、罪の意識も覚えることなく、自らの責任から逃れようと体裁だけを繕うときの定番である。

金銭スキャンダルで経済再生担当大臣を辞任した甘利国会議員は、記者会見の冒頭で、「私を巡る今回の週刊誌報道の件で、国民の皆さまにご心配をおかけしていることにつきまして、深くおわびを申し上げる」と述べたと報道されている。

このお詫びも、「国民の皆さまにご心配をおかけしていること」に対してである。国民が心配しているかどうかはお構いなしに、勝手に心配してくれていると決めつけて、自分を被害者の如くに装う。こうしたスキャンダルに、国民は、怒ったり呆れたりすることはあっても、心配することはあり得ないのに。

小保方さんと甘利さんは、自分が行った好ましくない行為や不始末に対する責任を回避して、世間を騒がせたことや国民に心配をかけたことに対してお詫びをしている。こういう慇懃無礼な態度で自己保身を図ろうとするという点で、両者は同類ということになるだろう。

2016年1月1日金曜日

2016年元旦の老人のつぶやき

また、新しい年が明けた。おかしな言い方だが、そんなふうに言うようになったのは、年をとったからか。もう、これまでに何回も新しい年を迎えてきた年齢の人間にとっては、年が改まったことをことさら強調すべき理由もないのかもしれない。

新年を迎えるということは、単に寿命が1年縮むことにすぎない。そして、そのことに何の感慨も違和感も覚えなくなるのも、老成・老熟の証(あかし)と言えなくもない。こう言うと何となく気が利いた屁理屈のようだが、まあ、本当のところは、ただ何事にも鈍感になっただけだったり、気力が衰えただけだったり、ただ単に諦めや面倒くささの気持ちが増幅しただけかもしれない。

年をとるということは、そういうことなのかもしれない。ところが、いまや、アクティブ・エイジングとかなんとか言って、元気で活発な老い方がやたらに賞賛されたり推奨されたりしているようだ。

たしかに、80歳、90歳になっても元気で活動的なお年寄りも少なくないし、60代や70代は今の時代ではお年寄りとは言えないかもしれない。それはそれで結構なことだが、本人も社会も老いを素直に受け入れることができることも大事なことではないだろうか。そして、そうしたことができるようにするにはどうしたらよいか、ということに政治家や知識人は知恵を絞って欲しいと思う。

さて、話は変わるが、今年は申(さる)年ということだ。明治41(1908)年生まれの父親の十二支(じゅうにし)である。生きていれば107歳になる。母親は大正4(1915)年の卯(う)年うまれで、生きていればちょうど100歳である。有名人であれば生誕100年祭を祝うところだ。

毎年のことだが、正月には何かと十二支が取り上げられる。そして、それにちなんだ動物が話題になる。今年は申年だからと猿が登場するが、申と猿とは本来なんの関係もない。

十二支は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥で、それぞれの音読みと訓読みを記してみると、次のようになる(括弧内の左が音読みで右が訓読み)。

子(し:ね)・ 丑(ちゅう: うし)・ 寅(いん:とら)・卯(ぼう:う)・辰(しん:たつ)・巳(し:み)・午(ご:うま)・未(び:ひつじ)・申(しん:さる)・酉(ゆう:とり)・戌(じゅつ:いぬ)・亥(がい:い)

一説によると、もともと暦(年月日)や時間、方位を表す十二支を誰でもが覚えやすいようにと動物を当てたということだ。語呂合わせや駄洒落の類が、言ってみれば、立派な伝統や文化になったというわけだ。何でも長く続くと、そういうことになる。伝統だ文化だといって持ち上げているものも、その始まりを辿(たど)ると、言ってみれば、ごく些細なたいしたことではないことが多い。

まあ、「新年明けましておめでとうございます」と年のはじめに素直におめでたい気分にはなれることは悪いことではない。そうした気分が、今年1年ずっと続くような平和で安全な年であってほしい。年寄りは、そうした年になるように一踏ん張りしなければならないだろう。そして、いまの年寄りは十分にそうしたことができるはずだ。人類の幸福を祈って元旦の呟(つぶや)きとしよう。