2016年1月1日金曜日

2016年元旦の老人のつぶやき

また、新しい年が明けた。おかしな言い方だが、そんなふうに言うようになったのは、年をとったからか。もう、これまでに何回も新しい年を迎えてきた年齢の人間にとっては、年が改まったことをことさら強調すべき理由もないのかもしれない。

新年を迎えるということは、単に寿命が1年縮むことにすぎない。そして、そのことに何の感慨も違和感も覚えなくなるのも、老成・老熟の証(あかし)と言えなくもない。こう言うと何となく気が利いた屁理屈のようだが、まあ、本当のところは、ただ何事にも鈍感になっただけだったり、気力が衰えただけだったり、ただ単に諦めや面倒くささの気持ちが増幅しただけかもしれない。

年をとるということは、そういうことなのかもしれない。ところが、いまや、アクティブ・エイジングとかなんとか言って、元気で活発な老い方がやたらに賞賛されたり推奨されたりしているようだ。

たしかに、80歳、90歳になっても元気で活動的なお年寄りも少なくないし、60代や70代は今の時代ではお年寄りとは言えないかもしれない。それはそれで結構なことだが、本人も社会も老いを素直に受け入れることができることも大事なことではないだろうか。そして、そうしたことができるようにするにはどうしたらよいか、ということに政治家や知識人は知恵を絞って欲しいと思う。

さて、話は変わるが、今年は申(さる)年ということだ。明治41(1908)年生まれの父親の十二支(じゅうにし)である。生きていれば107歳になる。母親は大正4(1915)年の卯(う)年うまれで、生きていればちょうど100歳である。有名人であれば生誕100年祭を祝うところだ。

毎年のことだが、正月には何かと十二支が取り上げられる。そして、それにちなんだ動物が話題になる。今年は申年だからと猿が登場するが、申と猿とは本来なんの関係もない。

十二支は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥で、それぞれの音読みと訓読みを記してみると、次のようになる(括弧内の左が音読みで右が訓読み)。

子(し:ね)・ 丑(ちゅう: うし)・ 寅(いん:とら)・卯(ぼう:う)・辰(しん:たつ)・巳(し:み)・午(ご:うま)・未(び:ひつじ)・申(しん:さる)・酉(ゆう:とり)・戌(じゅつ:いぬ)・亥(がい:い)

一説によると、もともと暦(年月日)や時間、方位を表す十二支を誰でもが覚えやすいようにと動物を当てたということだ。語呂合わせや駄洒落の類が、言ってみれば、立派な伝統や文化になったというわけだ。何でも長く続くと、そういうことになる。伝統だ文化だといって持ち上げているものも、その始まりを辿(たど)ると、言ってみれば、ごく些細なたいしたことではないことが多い。

まあ、「新年明けましておめでとうございます」と年のはじめに素直におめでたい気分にはなれることは悪いことではない。そうした気分が、今年1年ずっと続くような平和で安全な年であってほしい。年寄りは、そうした年になるように一踏ん張りしなければならないだろう。そして、いまの年寄りは十分にそうしたことができるはずだ。人類の幸福を祈って元旦の呟(つぶや)きとしよう。

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