2016年4月20日水曜日

三菱自動車の燃費データ不正は何を教えているか

三菱自動車が不正な燃費データで顧客をだましていたことが発覚した。報道によれば、不正の手口は、タイヤの路面抵抗や空気抵抗などを表す走行抵抗値を燃費が良くなるように改竄(かいざん)して、実際の燃費試験値よりも5~10%高くしたそうだ。カタログ燃費がリッター30㎞だったとすると、実際には、29.70297㎞~29.85075㎞ということになる。なんだか、燃費が向上したようにはちっとも思えないが。

実際の試験燃費と改竄した燃費にそんな小さな差しかないのに、こんなに大きな問題になってしまうことの方が恐ろしい気がする。もちろん、不正なデータでウソをつくことは許されないが、この問題の背景には、凄まじい燃費競争がある。低燃費にこしたことはないが、現在の燃費競争は、小数点以下の数値で行われている。

自動車をよく運転している人は、カタログに記載されている燃費は実際の燃費と大きく異なることを知っている。そして、運転の仕方やタイヤの空気圧、車載物の重量で燃費が大きく変わることもよく知っている。コンマいくつかの燃費の差などは、そうしたことで消し飛んでしまう。

しかし、自動車メーカーは、数字に表される燃費で勝負している。おそらく、開発者たちには、コンマいくつかでも試験燃費を向上させるようにすごいプレッシャーがかけられていたのではないかと思う。考えようによっては、悲しい出来事と言うべきかもしれない。

エコカー・ブームを作ったのは自動車メーカーではなくて国=時の政府である。国土交通省の「自動車燃費目標基準について」というウェブページによれば、1979年以降、以下のように、燃費基準が策定され続けてきている。そして、その過程で、エコカー減税やなんやらで低燃費車を優遇する一方で、燃費基準に達していない古い車には自動車税を上げるという制裁を課してきた。

1979年  6月: エネルギーの使用の合理化に関する法律(省エネ法)制定
1979年12月: ガソリン乗用自動車の燃費基準の策定 (1985年度目標)
1993年  1月: ガソリン乗用自動車の燃費基準の改正 (2000年度目標)
1996年  3月: ガソリン貨物自動車の燃費基準の策定 (2003年度目標)
1998年  6月: 省エネ法改正・・・「トップランナー基準」の考え方の導入
1999年  3月: 乗用車、小型貨物車のトップランナー基準の策定 (ガソリン車は2010年度目標、  ディーゼル車は2005年度目標)
2003年  7月: LPガス乗用車のトップランナー基準の策定 (2010年度目標)
2006年  3月: 重量車(トラック、バス等)のトップランナー基準の策定 (2015年度目標)
2007年  7月: 乗用車、小型バス、小型貨物車のトップランナー基準の策定 (2015年度目標)
2013年  3月: 乗用車、小型バスのトップランナー基準の策定(2020年度目標)
2015年  7月: 小型貨物車のトップランナー基準の策定(2022年度目標)


かつてに比べて自動車の燃費は格段に向上してきたことは確かであり、プリウスに代表されるハイブリッド車やマツダのスカイアクティブの技術は、素直にすごいと思う。軽自動車はもともと普通車や大型車に比べて遙かに低燃費であったが、さらに燃費を向上させるために新技術を次々に開発してきた。これも、また、驚嘆に値する。

しかし、コンマいくつかの燃費向上で販売競争をすることから生じた今回の試験燃費データの改竄事件は、自動車メーカーもユーザーも、自動車の燃費について、色々と考え直す必要があることを教えているのではないだろうか。

三菱製の自動車は好きだった。かつて、スーパーシフトと呼ばれた副変速機を備えたマニュアルミッションのミラージュ(黄色の3ドアハッチバック)に乗っていた。チェンジレバーが2つあって、8速という優れもので、ガンガン走った。軽自動車のミニカ(白色)にも乗っていたことがある。これは、主に妻が使用していた。パワーステアリングが電動式で、長年乗っていたらパワステが時々効かなくなったりして修理に出したこともあるが、近くの修理工場では手に負えなかったことが懐かしい思い出だ。

2016年4月17日日曜日

熊本を中心とする大地震からの一刻も早い災害復旧を

まさか熊本で、と思った人も少なくないだろう。テレビで震度7の大地震の発生が報じられたとき、
熊本で地震が発生するようなことを今まで聞いたことがなかったのに、と思った。亡くなられた方と親族や関係者に心からお悔やみ申し上げるとともに、家を失ったり避難されている方には一刻も早く平穏な日常生活が戻ることを祈るばかりである。

大地震の報に接したときにすぐさま思い出したことは、安倍首相が消費税引き上げの議論の中で、“リーマンショックや東日本大震災のような異変が生じない限り、予定通りに消費税を10%にする”と何回も“力強く”口にしていたことだ。それを聞いたときには、なんて変なことを言うのか、どういう意味なのか、消費税とりーマンショックや東日本大震災がどういう関係にあるのかと訝(いぶか)しく思った。そして、リーマンショックや東日本大震災のために大変に辛い、苦しい、悲しい思いをした人々がたくさんいるにもかかわらず、そうしたことに思いを馳(は)せることなく、りーマンショックや東日本大震災を異変の例として得意げに取り上げる安倍首相の無神経さと知性のなさに、一国の首相の発言かと、ほとほと呆(あき)れるやら腹立たしく思うやら、情けなくなってしまった。

まさか、安倍首相が熊本の地震を予測していたわけではないだろうが、全く以て(まったくもって)奇妙でゾッとする。よもや消費税引き上げを延期する口実にするようなバカげたことを口にすることはないだろうが、これまた首をかしげざるを得ないようなことが報道された。オスプレイを災害復旧に利用するという案が検討されていることを管官房長官が話したそうだ。オスプレイの配備は有耶無耶のうちに既成事実化しているが、これを機会にさらにオスプレイの“有効性”を印象づけようとしていることが見え見えである。これほど露骨に災害をも政治に利用しようとするのが現在の内閣であるということなのか。

地震は恐ろしい。いつ、どこで発生するか、現在の高度に発展した科学でも正確な予測は困難である。50年以内にどこそこで大地震が発生する確率が何%と言われても、それが研究の成果としては評価されるかもしれないが、その成果が防災に直結しているとは誰も感じてはいないだろう。いつ、どこで、どの程度の規模の地震が発生するかは永遠に予測できないことではないだろうか。

地震が起きるたびに地震学者がマスコミに登場するが、そのときの地震発生のメカニズムについての説明と余震への注意を促すばかりである。いわゆる後追いであり、結果の説明にすぎない。

一目で災害の危険があるとわかるところに建っている老朽家屋で今日なお大勢の人々が住んでいる。家屋の倒壊で亡くなられた方には、そうした家屋に住むお年寄りが多い。なぜか。経済的事情で住宅の補修や安全なところに移転することができないからである。阪神大震災でも老朽家屋の倒壊で多くのお年寄りが亡くなった。

地震予知に膨大な国家予算がつぎ込まれているというが、その予算と防災対策や災害救助、復旧のための予算とを勘案したときに、いずれが有意義かを一考することが必要ではないだろうか。