2016年4月17日日曜日

熊本を中心とする大地震からの一刻も早い災害復旧を

まさか熊本で、と思った人も少なくないだろう。テレビで震度7の大地震の発生が報じられたとき、
熊本で地震が発生するようなことを今まで聞いたことがなかったのに、と思った。亡くなられた方と親族や関係者に心からお悔やみ申し上げるとともに、家を失ったり避難されている方には一刻も早く平穏な日常生活が戻ることを祈るばかりである。

大地震の報に接したときにすぐさま思い出したことは、安倍首相が消費税引き上げの議論の中で、“リーマンショックや東日本大震災のような異変が生じない限り、予定通りに消費税を10%にする”と何回も“力強く”口にしていたことだ。それを聞いたときには、なんて変なことを言うのか、どういう意味なのか、消費税とりーマンショックや東日本大震災がどういう関係にあるのかと訝(いぶか)しく思った。そして、リーマンショックや東日本大震災のために大変に辛い、苦しい、悲しい思いをした人々がたくさんいるにもかかわらず、そうしたことに思いを馳(は)せることなく、りーマンショックや東日本大震災を異変の例として得意げに取り上げる安倍首相の無神経さと知性のなさに、一国の首相の発言かと、ほとほと呆(あき)れるやら腹立たしく思うやら、情けなくなってしまった。

まさか、安倍首相が熊本の地震を予測していたわけではないだろうが、全く以て(まったくもって)奇妙でゾッとする。よもや消費税引き上げを延期する口実にするようなバカげたことを口にすることはないだろうが、これまた首をかしげざるを得ないようなことが報道された。オスプレイを災害復旧に利用するという案が検討されていることを管官房長官が話したそうだ。オスプレイの配備は有耶無耶のうちに既成事実化しているが、これを機会にさらにオスプレイの“有効性”を印象づけようとしていることが見え見えである。これほど露骨に災害をも政治に利用しようとするのが現在の内閣であるということなのか。

地震は恐ろしい。いつ、どこで発生するか、現在の高度に発展した科学でも正確な予測は困難である。50年以内にどこそこで大地震が発生する確率が何%と言われても、それが研究の成果としては評価されるかもしれないが、その成果が防災に直結しているとは誰も感じてはいないだろう。いつ、どこで、どの程度の規模の地震が発生するかは永遠に予測できないことではないだろうか。

地震が起きるたびに地震学者がマスコミに登場するが、そのときの地震発生のメカニズムについての説明と余震への注意を促すばかりである。いわゆる後追いであり、結果の説明にすぎない。

一目で災害の危険があるとわかるところに建っている老朽家屋で今日なお大勢の人々が住んでいる。家屋の倒壊で亡くなられた方には、そうした家屋に住むお年寄りが多い。なぜか。経済的事情で住宅の補修や安全なところに移転することができないからである。阪神大震災でも老朽家屋の倒壊で多くのお年寄りが亡くなった。

地震予知に膨大な国家予算がつぎ込まれているというが、その予算と防災対策や災害救助、復旧のための予算とを勘案したときに、いずれが有意義かを一考することが必要ではないだろうか。

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