2016年2月21日日曜日

愛車の平成10年式アルトを涙を呑んで手放した

ついに、愛車の平成10年式アルト-4ナンバーの商用車で4速のマニュアル・ミッション-を涙を呑んで手放した。実に悲しい思いだ。

実によく走った。3速でも坂道をガンガン走った。在職中は通勤にも使った。退職してからも、老妻とのチョットした遠出や買い物に、また、妻の買い物や趣味のお出かけにと、まさに活躍した。老妻は、30代後半に免許を取ってから、ずっとマニュアルミッションを運転してきたから、いまでも、このアルトを上手に操ることができる。

自動車税は4,000円で有料道路料金も普通車の半額料金、タイヤも4本で1万円以下、バッテリーも小型なので低価格だったし、オイルも3リッターですんだ。車検もずっとユーザー車検でやってきたので必要最小限の費用ですんだことなど、維持費を気にしないで乗り回すことができた。

燃費は詳しく計ったことはないが、なにしろパワーウィンドウなどの電動装置やらなにやら余分なものが何も付いていないので超軽量でマニュアル・ミッションだったので、優にリッター15キロ以上は走ったようだった。

エアコンも調子がよいし、CD付きのラジオはAM、FMともに音質良好だったし、エンジンの噴き上がりも上々で、エンジン音も良好。まだまだ十分に走る車だったが、老妻に言わせれば、もうボロボロでエンジン音がうるさくて、人がビックリして振り向く(そんなことはないと思うが)から恥ずかしくて載っていられない、ということで、買い換えることにした、という次第。泣く子と老妻にはかなわない、というところか。

下取り価格は0円という査定だった。私にとっては、すごい価値があるものも、市場価格では、そういうことになるというわけだ。個人にとっての価値と市場価値の乖離(かいり)は甚だしい、ということを実感する。馴染みの販売店(ここでこれまでの20年間で5台購入した、といっても総額は中級の新車1台分くらいか)の馴染みの営業マン(既にベテランになって管理職)に、「展示車にしたら」とか「代車で使ったら」とか「ガソリンがまだいっぱい入っているから営業で使ったら」と提案したが、「残念ですが潰されますね」と笑っていた。

というわけで、記念に、その愛車だったアルトを紹介しておこう。ぜひ欲しい、と言われても、残念ながら(誰も残念がらないか)、もう遅い・・・。





 

2016年2月7日日曜日

小保方晴子さんの信じがたい言動を子を持つ親の立場から考える

このブログで、2014年5月12日に、「STAP細胞騒動を子を持つ親の目から考える」と題して一文を認(したた)めたが、小保方嬢が最近「あの日」と題する手記を出版したとの報道に接して、その一文を思い起こした。「親の目から考える」と奇妙な表現を使ってしまった。本来なら「親の目で見る」とか「親の観点から見る」、「親の立場から考える」とすべきところだ。それはともあれ、彼女が何のためにその手記を書き、出版社が何のためにそれを出版したのか理解に苦しむが、彼女も出版社もそうした信じがたい異常な行為がまかり通ることに恐ろしさを覚える。

仮に小保方嬢が自分の娘であれば、そんな手記を出版することなど断じて許さなかったであろうし、出版を企画した講談社に必死になってその企画の取り消しを求めただろう。出版社のいい年をした連中も、自分の娘だったら、と考えたことがあるだろうか。自分の娘が、何度も何度もいたぶられ、恥をさらすことに、親なら耐えられないと思ったことはなかったのだろうか。

STAP騒動の最中(さなか)に、小保方嬢をしたり顔で擁護したり弁明の機会や再実験の場を用意するなどした理研の当時の野依理事長をはじめとする幹部連中や当時の下村文科大臣、兵庫県知事なども、一時(いっとき)でも、親の立場から考えたことがあるだろうか。親なら、娘が犯した不正行為やデタラメを一番よくわかるはずである。そして、正すことができるはずである。本当に娘のことを思うなら、中途半端で曖昧な庇(かば)い立てをすれば、結局は一番傷つくのは当の娘自身であることを知っているはずである。

手記は売れているという。おそらく、興味本位で読む人は少なくないかもしれないし、擁護派が大量に買い占めているのかもしれないが、その手記が大手出版社から堂々と出版された背景として指摘しなければならないことは、STAP騒動の過程で繰り返されてきた多くの茶番の仕掛け人と支持者、支援者が誰も責任をとろうとしないで知らんぷりを決め込んだり無関係を装ってきっちりとした決着をつけないままに放置してきたことがある。

小保方嬢も、もう好い加減にデタラメとごまかしの上塗りを止めて、これ以上おのれの愚かさをさらけ出すことをしないことだ。そのことは、もう十分に知れ渡っているのだから。そして、一日も早く自分自身で決着をつけ、普通の生活に戻ることだ。そのことを誰が説得するかは、もう言わなくてもいいだろう。

聞くところによると、手記には、科学の道を閉ざされて悔しいようなことを書いているという。自分と自分を取り巻く世界を客観視できない者が、科学を口にすること自体が矛盾していることに気がつかなければならないだろう。

人から嘲笑を買いたいのであれば、それはそれでいい。自虐志向を人生観にしていると人々は理解してくれるだろう。しかし、他人を誹謗したり被害者面(ひがいしゃずら)することは許されない。それを続ければ、もう、誰も相手にはしてくれないだろうし、再起の道も完全に閉ざされるだろう。

それにしても、こうした異常な事態を生じさせている連中は許されない。

2016年2月5日金曜日

羽生四冠が王将戦第3局に勝った

郷田王将に挑戦している羽生四冠(名人、王位、王座、棋聖)が王将戦第3局(2月4日・5日)に1勝って2勝1敗と勝ち越した。

羽生ファンの私には気分のよい1日になった。

中継に釘付けにされるほど白熱した戦いであった。読みと構想力が試される力戦調の勝負で、まさに鎬(しのぎ)を削(けず)りあう実に見応えのある一局であった。将棋ソフトの差し手と羽生四冠の差し手では全く異なっていたり、全く同じであったり、解説者の読みと同じであったり、異なっていたりと、中・終盤の攻防にハラハラ、ドキドキしながら楽しんだ。

守勢に回った郷田王将の59手目を6六銀と予想して中継のチャットに書き込んだら、郷田王将がその手を指した。難解な局面の62手目で、ひょっとして2五桂馬と予想して中継のチャットに書き込んだら、羽生四冠が、その手を指した。おおおお、とビックリした。どちらも予想されにくい手だっただけに、うれしくなった。終盤、ソフトの評価値は羽生四冠断然有利を示していたが、81手目に郷田王将が王手をかけた。これは100手まで行く、と中継のチャットに書き込んだら、まさに、その通りになった。というわけで、3勝した気分になった。

前王将の渡辺二冠(竜王、棋王)から王将位を奪取して久々にタイトルを手にした郷田王将も好きな棋士だから、連覇して欲しいという気持ちもあるが、郷田王将には誠に申し訳ないが、羽生四冠には、今期、王将位を奪取して五冠になって欲しいとも思い、複雑な心境ではある。そんなこんなで、次局の熱戦を楽しみにしている。