2016年3月4日金曜日

教員の部活動顧問が社会問題になっている

たまたま学校教員、過酷過ぎる部活顧問労働…百日連続勤務、休みは1年に7日、残業代なしという記事を目にした。

中学や高校の教員を子どもに持つ知り合いが何人かいて、クラブ活動の顧問をしていて、ろくに休みも取れない毎日を送っている、ということは聞いていた。それにしても、上の記事を読むと、ひえー、という感じがする。

部活動の顧問をすると、そんなにも時間がとられてしまうのか、とビックリする。教員としての本務を果たせないのではないかと思ってしまう。教員になると、ほとんど勉強しない、なんて話を聞いたこともあるが、そんなことでは、教員としての研鑽を積むことなんかできなくなるし、そうすることが教員に求められる、なんてことは忘れてしまうのではないだろうか。そして、そうしたことが学校で当たり前になってしまっているとすれば、学校は、もはやまっとうな教育機関ではないことになる。

私は、中学、高校時代を自慢ではないが(自慢しているがな)、運動部で活躍した。高校時代は、早朝練習があったので毎日弁当を2食分もっていったし(早弁と昼食)、週休2日制ではなかった時代だから、土曜日はたっぷり練習時間をとったし、日曜日も午前中は練習だった。夏休みや冬休みには合宿が何回となくあったし、正月もなかった。

大好きだった海水浴も、中学と高校の6年間は一度も行った記憶がない。海水浴は体に悪い、なんてことを聞かされていたし、行く暇もなかった。

そんなクラブ活動漬けで過ごした6年間だが、部活動の練習に顧問の先生が来たのは数えるほどしかなかった。それも、その日ずっと練習を指導したりしたことはなかった。まあ、たまに顔を見せるくらい、というところだった。公式大会の時には付き添ってくれたこともあったと思うが、あまり記憶にないから、大きな大会だけだったかもしれない。

中学時代の記憶では、大会が近い頃に早朝練習があって、そのときには、顧問の体育教員が珍しく体育館に来た。何でそんな記憶があるかといえば、その日に、その先生が、アメリカ大統領のJ.F.ケネディが暗殺されたと教えてくれたからだ。練習を見に来たついでなのか、その事件を知らせるためについでに練習を見に来たのかわからないが、その先生は興奮して話していた記憶がある。運動バカの集まりであった私たちは、そのことを聞いても、ことの重大さを考えることができなかったが、なにか、とんでもないことが起こったということを、その先生の話しぶりから感じた。

高校時代は、卒業生で地元で働いていたクラブの先輩がコーチとして毎日指導してくれていた。そのことは顧問も承知していたし、学校の許可が必要とか面倒なこともなかったようだし、もちろん無給であった。本当にそのスポーツが好きだったことと、強くしたいという思いが強かったのだと思う。ととても厳しい指導だった。自分たちだけでは絶対にできない練習であった。素晴らしいコーチであった(早世してしまったのが残念である)。そのおかげで県内有数の強豪校として常に県大会でベスト3の位置を維持していた(残念ながら国体もインターハイ全国大会も、あと一歩のところで代表にはなれなかったが)。

クラブ活動が試合の勝ち負けを度外視した同好会のようなものならともかく、競技力を高めようとするならば、優れた指導力をもち、熱意に溢れて、その指導に全力を傾けることに本人が満足感・充実感を覚えることができる指導者が必要である。現在の学校のクラブ活動では、運動部であろうと文化部であろうと、かつての時代よりも競技力や技術、技能、設備、用具などのレベルが格段に上がっていることだろう。そうであれば、なおさらのこと、指導に専念できる指導者が必要になろう。こう考えると、一般の教員にそうしたことを求めることには無理があるのは明らかである。

そうした中で、本来ならば、授業の準備や教員としての研鑽を積む時間を削って、疲労とストレスを抱えながら時間外労働として部活顧問をしている、というわけだ。考えてみれば異常な世界であるが、そうしたことが是正されずに続いているのは、部活顧問も教員の本務の一つと思い込んでいる教員が少なからずいるからだろう。そして、部活顧問も一生懸命にやる教員が良い教員とする風潮が教育界にべたーと蔓延(はびこ)っているからだろう。

もちろん、部活顧問も一生懸命にやる教員が悪いというわけではない。私も高校時代に、クラブ活動の顧問をして全国大会の常連になれるような強い運動部を育てたい、という気持ちから高校の教師になりたいと思ったことがある。大学でも運動部に所属して教員免許も取得した。休みに帰省した折には、母校の運動部の合宿に付き合ったりもした。しかし、体を壊して激しい運動を続けられなくなったことから教師になることを断念したほど教師になる動機も部活動だった。そのころは部活動顧問の問題などは考えもしなかった。まあ、筋肉でしかものを考えられないような運動バカで思考も単純だったからだろう。

いまや学校はブラック企業と同じだとも言われている。労働という面では、教職員組合もだらしないというか組合としての機能を果たしていないというか、組合として部活動問題の責任は大きいことを自覚すべきである。教員の本務という面では、問題を放置したままでいる校長などの管理職や教育委員会の責任はとりわけ大きい。

では、解決策としてどういうことが考えられるか、ということになるが、思いつくままに幾つかの選択肢を並べてみよう。

1.部活動を全面的に廃止する。
2.教員の時間外労働に対して時給計算に基づき正規の賃金を支払う。
3.指導者を外部から招聘する/外部に委託する。
4.部活動は生徒の自主的運営に任せ、顧問はその部の管理に当たる。

1は、部活動を学校から切り離すことである。アメリカなどでは、そうした方法で生徒のクラブ活動が行われていると聞いたことがある。生徒にとっては、学校内で行おうが学校外で行おうが大きな違いはないだろう。活動費などは従来通りに学校の負担とすればよい。

2は、若干の手当などということではなくて、時間外手当や休日出勤など一般の労働と同等の賃金を正規の報酬として支払うことである。おそらく相当の金額になるだろう。この場合は部活動顧問を従来通り教員が行うことを前提にしているが、強制ではなく、教員の意志に任せる。いいアルバイトになると思えばやるだろうし、それよりも勉強や家族サービス、休養の時間が欲しいと思えばやらなければよい。

3は、いま流行(はやり)のアウトソーシングである。部活動専属の職員として正規あるいは非正規に雇用するかどうかは契約によることになろう。外部委託の場合には、運動部であれ文化部であれ、専門家が指導することになるだろうから、費用は嵩むだろう。しかし、学校や教育委員会が部活動は必要と考えれば、費用は負担せざるを得ない。

4は、かつて私が経験した部活動のスタイルである。中学生ともなれば、上級生が練習のメニューを作り、立派に部活動を運営できる。高校生なら、なおさらのことである。県大会や全国大会に無縁の部でも、生徒は練習に励み、部活動を満喫できるだろう。

大事なことは、教員として生徒の教育に専念できることである。部活動の顧問をすることも立派な教育活動の一環だ、なんて声が聞こえそうだが、よほど器用か才能豊かで何でも手早くこなすことができる人とか、よっぽど要領が良い人とか、授業や勉強に手抜きすることに全く罪悪感を感じない人とかでないかぎり、教員として教育と部活動顧問の両立を図ることは、相当無理をしないとできないことだろう。

部活動顧問をしないと変な奴とみられるとか自分勝手とみられるとか、そんな風潮は一掃しなければならないだろう。一億総活躍などと戯言を言っていないで、活躍しすぎて苦しんでいる教員や、本務でもないことに強制されて悩んでいる教員のことを真剣に考え、教育現場の悪しき風習を早急に無くすよう、関係者は尽力すべきだろう。

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