2017年10月5日木曜日

公明党も綱領で言うこととやってることとが一致しない-党名は、「こうめえても党」にしたらどうか

公明党の綱領を見てみた。綱領で言っていることと、いま、山口代表が安倍首相の僕(しもべ)のように奮闘していることとだいぶ違うんじゃないのか。自民党と同じく、羊頭狗肉だ。公明党ならぬ「こうめえても党」だ(ちょっと苦しいが、「こうめえても」は「こう見えても」のことと理解されたい)。

長くなるが、気が付いたところを抜粋しておく。いかに羊頭狗肉かがわかるだろう。

十八世紀以来の人権尊重の歴史的推移は、まず国家権力の干渉から個人の諸権利を守ることを主眼とした市民的・政治的自由権の確立として出発。次に国家に人々の生活の保障を求める生存権・社会的基本権へと発展。そして今日においては、平和にしても開発にしても、すべては究極目的である人権の実現――人間が人間らしく平和に幸せに生きることの保障である、との位置付けがなされるに至っています。

われわれの目標とすベき国内社会像は、「生活者優先」を基調とする、成熟した文化・福祉国家であり、その実現に全力を期していきます。

国家、行政、社会はすべて国民=生活者のためにあり、生活者に奉仕するという理念を確立すべきです。また、従来の生産者優先のあらゆる社会システムを見直し、生活者を重視した新たな制度・体制・機構を構築することです。

エコロジーを重視する立場から利潤と効率一辺倒の「経済の論理」や近代文明そのものに潜むゆがんだ自然観、地球観の見直しが欠かせません。

冷戦終結により第三次世界大戦・熱核戦争の脅威がやや遠のいたとはいえ、すでに膨大に蓄積された核兵器の存在は、種としての人類の絶滅をもたらすものです。

ラッセル=アインシュタインが提唱した「人類の全面的破滅を避けることは、他のすべての目標に優位すべきである」との、“人類的生存権”の原則に立つべきです。

わが国は、世界の繁栄と平和で公正な国際社会をめざし、国連中心主義の立場に立って国連を改革し、国連の役割強化を図るとともに、国連とわが国との連携強化を軸にした平和の確保や軍縮、緑の回復など地球環境保全、南北問題の解決などに積極的な役割を果たすべきです。

戦後、日本国憲法と地方自治法の制定によって地方分権が制度としては保障されたにもかかわらず、それを具体化するための中央政府からの権限移譲や事務の再配分、地方財政の抜本的強化が一向に進まず、今なお中央集権構造が続いているのが現実です。

われわれは、いかなる時代、いかなる社会にあっても、「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」との誓いを貫き、常に民衆の側に立つことを信条とします。われわれが内に求め、行動の規範とするのは、高い志と社会的正義感、モラル性、強い公的責任感、そして民衆への献身です。これこそ公明党議員が身上とすベき特質です。(平成六年十二月五日決定)平成十年十月二十四日一部改正)

かつては、こんなこともやっていたのに。いま、恥ずかしくないのか。


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