2013年8月2日金曜日

大学の学期末試験

知り合いの国立大学教授が、こんな話をしていた。

この時期、大学では、学期末試験や成績評価が行われているようだ。彼は、試験や採点、成績評価がイヤでイヤでしょうがないらしい。なぜかというと、試験をして採点すると、何のために授業をしたのか虚しくなってしまうからだそうだ。

彼は、学生が毎回の講義内容をちゃんと理解したかどうかをできるだけ客観的に評価できるような試験問題をじっくり練って作成しているという。授業中にも、このところは重要なところだからしっかりと理解するようにと繰り返し説明し、試験にも出すことをそれとなくにおわしても、いざ試験をすると、ちゃんとした解答を書く学生はわずかだそうだ。大多数は問題文さえ読んでいないかのようなことを書いているという。

教科書に指定した本を買わない学生もいるという。授業をしっかり聞かない、教科書も読まない、授業中に質問もしない、ということになれば、当然、授業の復習のような試験問題にさえ正しく答えることはできない。そんな当たり前のことを理解できないはずはないのに、そうした学生が多いそうだ。

そうなれば、これも当然のごとく、試験を受けても単位を取得できる点数には遠く及ばないことになる。それでも、試験の日には、ふだんの受講生数よりも遙かに多い学生が来て、150人収容の教室がいっぱいになる。事前にシラバスに受験要件として授業への出席回数が授業回数の3分の2以上と書いてあるにも関わらず、そうらしい。聞けば、授業に出なくても試験さえ受ければ「通してくれる」授業も多く、そうしたことを学生はよく知っているからだという。

「なめとんのか、おめーら、どの面下げてきたんだ」、とは言えないから、「今日はふだんよりも出席者が多いね」、なんて皮肉のつもりで言っても、笑いもしなければ何の反応もなくて、それもイヤーな気分にさせられるという。

ちなみに、シラバスという耳慣れない言葉は、授業の内容や進め方、成績評価の方法などを学生に示したものだそうだ、最初耳にしたときには、何のことかわからなかった。むかし私が学んだ大学では、そんな言葉を聞いたことがなかったから。

さて、採点の段になると、これまた苦労が多いという。出題した十数問の問題のそれぞれに配点を記してあるので、それに従って100点満点で採点していくが、「おいおい、授業中に話しただろう、詳しく。それなのに何でや。まったく。何も聞いていないのかよ」、と嘆きたくなる迷答、珍答が続出するという。

なんか書けば点をくれると思っているんだろうな、と言う。そして、そうした試験も中にはあるようだ。彼に言わせれば、そうした試験はする方もされる方も楽だからで、100人も200人も受ける試験では、ぱっぱっ、と眺め回して、授業とは関係ないことでもなんか書いてあれば内容なんか無視して10点刻みとか20点刻みで採点してしまうのが手っ取り早いからだという。そうした試験では落第点が出ないし、出席しなくても単位が取れるから、学生にとっては、こんなすばらしい授業はないことになる。そういえば、むかしもそんな授業があったような気がする。

彼の場合、一問一問じっくりと採点していくので、時間がかかることになる。百数十人の採点をするには1週間はかかるらしい。ちょっと時間かけすぎのような気もするが、答案をまじめに読むとなると、そのくらいはかかるのだろう。何も書かれていないとほっとするという。問題文に答えられないのなら、同じ0点になるのだから、グチャグチャとデタラメなことを、しかも、薄い字だったりちっちゃな字だったり、誤字だらけでいっぱい書くなよ、と言いたくなるそうだ。しかも、持っている知識で勝負しているつもりらしいが、まるで「知識持っていない」ことを堂々と宣言しているような答案には閉口するそうだ。

そして、極めつけは成績評価ということで、まともに成績を出したら受講学生の半分以上は「不可」になってしまうそうだ。彼の授業の一つでは、百数十人中八十人を超えてしまうそうだ。要するに、100点満点で60点未満が7割近くを占めることになる。もちろん、80点、90点を超える学生だって何人もいるのだから、問題が難しいとかへんちくりんな問題ばかりということではない、という。その辺のことは私にはよくわからないが、採点していて面白くはないだろうな、とは思う。

ちなみに、90点以上が「秀」、80~89が「優」、70~79が「良」、60~69が「可」で、60点未満が「不可」という。この区分はむかしも同じだったような気がするが、「秀」はなかった。「秀」が「優」よりも上なんだと知った。これもちなみにだが、『広辞苑』では、「優」は、「すぐれていること。まさっていること。また、成績の段階の一つ」とあり、「秀」は、「すぐれたこと。ひいでていること。また、すぐれた人」とある。「優秀」というのは同じような意味の文字を重ねることによって、優れていることを強調しているということか。「優」には「成績の段階の一つ」と添えられているが、「秀」にはそれがないところを見ると、成績評価のカテゴリとしては最近のことであることがわかる。

まあ、問題が難しかったことにして、と彼は考えて、といってもいつものことのようだが、思い切って「不可」を50点未満まで下げて、授業への出席回数を加味して成績評価をやり直すのだそうだ。それでも、まだ、「不可」が多いと、後ろめたい気持ちを持ちながらも、えいやっと、40点以上であれば、「まっ、いいか」と合格点にするそうだ。「本当かいな?」と聞くと、本当とも冗談とも言わなかったが、そんな点数で単位が取得できた学生は、かえって面食らうか、甘いもんだと教員をバカにするかどっちかだろう。

そんなこんなで、この時期は憂鬱な気分で過ごすそうだ。大学の教授も大変だな、と思ったが、いっそのこと、試験も評価もなくしてしまえば良いのにとも思った。「意味ないじゃん」という声が聞こえそうだ。そんなことに気を配ったって、だれも褒めてくれないよ、と言うと、「まあな」とわけのわからない返事が返ってきた。
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