2015年10月8日木曜日

一億総活躍社会とやら古くさくてセンスのないスローガンを作った阿呆は誰だ

何ともセンスのないスローガンを出してきた安倍内閣は時代錯誤か懐古趣味か、はたまた知恵不足か。ビックリしたのは、「一億総活躍担当」大臣なるものを置いたことである。

「一億総活躍社会」と聞いて、「おっ!、輝ける未来の日本!」、などと期待を膨らました人がいるだろうか。まず、いないだろう。逆に、何か聞いたことのある言葉だな、と思った人も多いことだろう。そう、経済成長下で言われた「一億総中流社会」や、かつて名を馳せた評論家・大宅壮一氏がテレビの急速な普及を揶揄した造語「1億総白痴化」などである。

もっと古くは、戦中の「一億総決起」や「一億火の玉」を思い出した人もいよう。軍歌にも、「進め一億火の玉だ」というのがあったそうだ。

戦中の日本には一億もの人口はなかったはずなのに、と思うが、昭和16年8月に厚生省人口問題研究所が発行した『人口政策の栞』には、昭和15年10月の国勢調査の結果を引いて、「この結果に依れば、内地、朝鮮、台湾、樺太、更に関東州、南洋諸島をも包含した我が国全版図の人口は1億を突破すること522万余に及んで居る」とある。このときの内地人口は、73,114,308人である。

総務省統計局の人口推計によれば、平成27年4月1日現在の総人口は1億2,693万9千人で、そのうち、日本人人口は1億2,527万5千人だから、1億人を大きく上回っている。しかし、生産年齢人口とされる15~64歳の人口は7,727万7千人だから、1億には足りない。

15~79歳だと1億88万9千人になる。20~84歳だと9,985万6千人になる。でも、これだと、年寄りに期待しすぎになるかもしれない。

10~74歳だと1億25万4千人になる。5~69歳だと9,771万1千人と1億を切ってしまう。でも、これだと子どもに期待しすぎで途上国並みになってしまう。

まあ、一億というのは実際の人口を言っているのではなく、国民みんなを象徴する数字ということだろうが、いまの、そして、これからの日本で、「一億総活躍」と言われれば、ちっちゃな子どもとヨボヨボの老人も含めないと実現できないことになる。それとも、「一億総活躍」というのは、大量の移民流入を図る政策のスローガンということなのだろうか。

昨年、内閣府は、「全員参加型社会を目指して」をスローガンに高齢社会フォーラムが開催したそうだ。これも、「一億総活躍社会」と同じ発想なんだろう。

「一億総活躍社会」だ「全員参加型社会」だ、なんて国民を煽って、誰もが本気になって活躍したり、活躍の場を求めたりしたら、困るのは言い出した方で、自分の首を絞めることになることをわかっていないのは、全くおめでたいと言うほかはない。というよりは、国民みんなが活躍する/活躍できるなんて本当は端(はな)っから思っていないから、そんな古色蒼然なスローガンを打ち上げて悦に入っているのだろう。

かつての日本は、国家総動員法や大政翼賛会のように、トンデモナイ連中がトンデモナイものを作って国民を意のままに操って戦争に駆り立てた。そして、意のままにならない活躍者には弾圧や懐柔で従わせた。

いまはそんな時代ではない、と言うかもしれないが、違憲内閣が違憲の安保法制を作った/作らせてしまったではないか。トンデモナイ連中がトンデモナイものを作ったということでは、ちっとも変わっていないということだ。

おれも、わたしもと、活躍や参加の場を求めて大いに活躍しようとすれば、きっと、いろいろと締め付けが行われることになるだろう。そして、いまでもそうだが、意のままに操れることができる連中の活躍が喧伝(けんでん)されて、更にくだらない無駄遣いの政策が次々と打ち出されてくることだろう。そして、また、その流れに乗るお調子者が考え無しで礼賛し、お人好しは、あれも活躍、これも活躍とわけのわからないことに引きずり回されて、くだらなくて無駄遣いの事業のお先棒を担ぐことになるだろう。その結果、「一億総無駄遣い社会」、「全員総惨禍社会」が出来上がるだろう。そうならないためにも、トンデモナイ連中の意に沿わない活躍に、それこそ皆が参加しなければならないだろう。

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