2017年1月6日金曜日

高齢者は75歳以上だとさ-老年学会って、頭おかしいのでは

日本老年学会と日本老年医学会が、「高齢者」を「75歳以上とする」と提言したそうだ。そして、「65~74歳」を「准高齢者」と呼ぶそうだ。朝日新聞6日付朝刊の一面トップにスポーツ紙かと見紛うほどのドデカい活字が踊っていた。

まもなく70歳を迎える私は、60歳を超えた頃から“十分に高齢者”だと自認していたのだが、これからは高齢者と自認できなくなるということか。

だいたいが、高齢者や老人という言葉は、若者や中年に比べて、相対的に年齢が高いとか老いている人を指すときに用いる漠然とした便利な言葉なので、厳密に年齢で区切るようなものではないだろう。

これまで65歳以上を老人とか高齢者と言っていたのは、人口の年齢構造を年少人口(14歳以下)、生産年齢人口(15~64歳)、老年人口(65歳以上)と3区分してきたことに由来するが、それも、国連が、世界各国の人口構造を比較するために導入した便宜的な区分にすぎない。便宜的ではあっても、その国の人口の年齢構造の変化をたどったり、国際比較をする際には共通の基準として長らく採用されて定着している。だからといって、高齢者とは65歳以上の人を言う、なんてことは、そのことを知っている人ならば、誰も言ってこなかっただろう。

昔読んだ本で知ったのだが、日本最初の公的救済制度とされる養老2(718)年の「戸令」には、救済対象を「凡鰥寡孤独貧窮老疾、不能自存者」(凡<すべ>ての鰥寡孤独貧窮老疾、自存<他の何ものにも頼らず自己の力で生存すること>能<あた>わざる者)と規定していたそうだ(田代国次郎「慈善救済事業・感化救済事業の展開」『講座社会福祉2 社会福祉の歴史』有斐閣1981年)。ちなみに、救済対象の区分は以下の通り。

 鰥(かん)- 61歳以上で妻のない者
 寡(か)  - 50歳以上で夫のない者
 孤     - 16歳以下で父のない者
 独     - 61歳以上で子のない者
 貧窮   - 無産の貧乏人
 老     - 66歳以上の者
 疾     - 廃疾者

古代でも、「老」は66歳以上とされていたというのは、ちょっとビックリだが、鰥・寡・独も、対象は高齢であることを条件にしていた節がうかがわれる。「老」だけが年齢だけを条件にしているのは、その年齢になれば、ほかの条件がなくても、身体的衰えや働く機会がなくなり、生活に困難を抱えることになったからだろう。あるいは長命であることによる報償であったかもしれない。

広辞苑には、「老」の字義の一つとして、「律令制で、61歳以上65歳(のち各1歳引下げ)以下の者」とある。

要するに、その時々の行政上の都合で年齢区分がされてきたということである。それは、いまでもかわらない。年金支給年齢や、社会福祉や高齢者医療の対象年齢も同じことだ。

報道によると、「あくまでも医学・医療の立場からの提案で、国民がこれをどう利用するかは別の問題」と提言をまとめた虎の門病院の大内院長は言ったそうだ。何と無責任な。

「高齢者」は75歳以上と言われて喜ぶ人もいるかもしれないが、もう、そんな時代でもないだろう。一体何のために、こんな提言をしたのだろうか。学会のお墨付きということで、何でもかんでも75歳以上でなければ「高齢者」ではないから、という風潮がでてくることだろう。行政も、「待ってました」ということになろう。そんなことになるとまでは頭が回らないとすれば、とんでもない学会ということだ。

「お若いですね」と言われて悪い気はしないだろうが、これからは、「高齢者になるには、あと〇〇年ありますね」とか言うことになるのだろうか。

とらえようによっては、「高齢者」を「75歳以上とする」と提言した日本老年学会と日本老年医学会は、高齢ということに否定的というかマイナスイメージというか、そうした差別意識があるんだろう。そうでなければ、こんな提言はしないはずだ。とんでもない学会があったものだ。どんな連中が会員になっているのか知りたいものだ。老いぼれが、「75歳以上にならなければ高齢者じゃないから」と居座るための方便なのかもしれない。

そうそう、提言を作成したプロジェクトのメンバーには、心理学者や社会学者も入っているそうだ。どんな心理学者、社会学者なのか、顔を見たいものだ。

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