2017年3月12日日曜日

防災対策に本気に取り組め-東日本大震災から6年を経て

東日本大震災から6年を経た。震災当日、仙台に居住していた息子と連絡が取れずに不安な時間を過ごした。夜の9時になって、公衆電話から無事を知らせる連絡が入った。

震災2か月後に仙台市若林地区、石巻市、南三陸町を訪れたが、被害の大きさに呆然とした。その後も南相馬や浪江も含めて何回か訪れたが、復興が遅々として進まないのを目の当たりにした。そして、その後も、原発事故の処理に手間取るばかりか、事故の甚大さと処理の難しさが次々と明らかにされてきた。そして、その対策に莫大な国費が投入され続けてきた。

その間に、オリンピック招致を決め、原発事故は、アンダー・コントロール(制御下にある)と安倍首相は国際社会に向かって大見得を切った。しかし、制御下にないばかりか、いまや、どうしてよいかわからないで、氷結壁のような効果のない対策を続けている。

報道によると、11日に都内で開かれた東日本大震災の政府主催の追悼式で、安倍晋三首相は、式辞で原発事故に一切触れずに、「復興は着実に進展していることを実感します・・・福島においても順次避難指示の解除が行われるなど、復興は新たな段階に入りつつあると復興の成果を強調したそうだ。

一国の首相として責任ある発言とは思えない。原発事故の処理にはお手上げ状態だから、ボクちゃんは、もう知らない、ということだろう。何かを言えば、自分に跳ね返ってくることがわかっているから、その問題には関わり合いたくなくて、一生懸命に避けて通ろうとしているのだろう。

一説によると、復興が進まない理由として、建築資材と作業員が東京五輪に取られているからということだ。東京五輪の建設に当たった方が建設会社の利益が大きいからだろう。

そういえば、第一次安倍政権の平成18(2006)年に、安倍首相は国会で、巨大地震が発生しても、「外部電源又は非常用所内電源のいずれからも電力の供給を受けられる設計となっているため、外部電源から電力の供給を受けられなくなった場合でも、非常用所内電源からの電力により、停止した原子炉の冷却が可能であると原発の全電源喪失はありえない旨の答弁をしている。原発事故への対策をおろそかにしていたということだ。

それから5年後の平成23(2011)年に、東日本大震災で原発の全電源が喪失し、原子炉の冷却が不可能になり、事故が拡大したことは周知のところである。

震災復興そっちのけで東京五輪に莫大な国費を投入する安倍政権は、一言で言えば、国民に冷酷・冷淡だ、ということだ。一億総活躍などと国民に対する要求は多いが、国民に対する優しさは微塵も感じられない。だから、防災対策に本気になって取り組もうなんて考えもしないのだろう。

自然災害に対する防災対策の基本原則は、災害の危険があると判断されるところには、住まない、住まわせない、建てない、建てさせない、ということだ。

現在は、災害の危険があるところに大勢の人間が住み、たくさんの建造物が立地している。一目で土砂災害や津波の危険があるとわかるところに多くの住宅や施設が建っており、活断層の上や間近に原発や高速道路、工場がある。

災害が起きるたびに、なんで、そんなところに、なんで、そんなことを、と思う人は多いだろう。被災して人命や物財を失えば、人を悲しみのどん底に突き落とし、心に受けた傷は容易に癒えることはない。そして、復旧・復興には長い年月と莫大な金額を費やすことになる。あ~、あのときに、もっと、対策をしっかりと立てていたら、と反省しきりではないだろうか。いや、そんな反省もしていないようなことを繰り返している。

予測不可能だったとか、想定外だったということは言い訳にはならない。予測不可能であることを予測し、想定外を想定することが、人間の知恵であり、その知恵を働かせて人間を幸福にするのが政治であり、政治家の責務であろう。いまの政権与党の政治家は、そうしたことに懸命になっているとは思えない言動ばかりしている。

防災の研究者は、災害発生の予測や被害想定ばかりに時間とお金とエネルギーを費やしていないで、政治家が復興と防災対策に本気になって取り組むように仕向けるくらいの刺激的な研究成果を出して欲しいものである。

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