2017年3月15日水曜日

稲田防衛大臣の答弁から学ぶ記憶と記録、虚偽と事実

森友学園問題に関連した国会質疑で、稲田防衛大臣の答弁が話題になっている。

籠池園長との関係を聞かれると、「10年ほど前から関係を絶っている」と答弁し、同学園の訴訟にもまったく関与したことはないと断言していた。その根拠は、彼女の記憶だったという。

そして、答弁が虚偽であったことが関係書類等で明らかにされると、自分の記憶では、そういうことだったから、答弁は虚偽ではない、と主張していた。

近代法は証拠主義である。旧時代の自白主義ではない。この桜吹雪が見えねーか、と大見得を切って裁きを行う遠山の金さんでも、自ら足を運んで証拠を積み重ねる。自白主義の時代の裁きを近代の証拠主義に重ね合わせることによって、現代の視聴者に違和感なく楽しめるように工夫した演出である。

稲田防衛大臣は弁護士資格を持ち、夫と共に弁護士事務所を経営しているそうだ。弁護士という仕事の何たるかはよくわからないが、少なくとも、今の時代では、何よりも証拠にこだわる職業ではないかと思う。要するに、記憶より記録を重んじるのが弁護士ではないのか、ということである。

私もかつて、裁判に何回か関わったことがある。弁護士資格はないが、準備書面の作成や口頭弁論など一切合切、自分一人でやったことがある。裁判所の書記官が懇切丁寧に色々と教えてくれたが、繰り返し言われたことは、準備書面を書くときの肝は、感情や記憶ではなくて、事実と証拠に基づくことである、ということだった。そう言えば、相手の弁護士は、いま思えば、容貌も話し方も稲田大臣によく似ていた、というのは私の記憶だ。

自分でも、相手の準備書面と比べると、私の準備書面の方がよっぽっど説得力があった。相手が控訴したりで長い裁判であったが、当方の全面勝訴であった。随分前のことだが、機会があれば、その詳細を、それこそ残されている記録に基づいて公開したいとも思う。

かつて、記録より記憶に残る選手になりたい、という名言を吐いた野球選手がいたが、この伝でいけば、稲田防衛大臣は、さしずめ、記録より記憶を大事にしたい弁護士であり、政治家でありたい、ということだろう。

財務省が、森友学園への国有地たたき売りの経緯を記した記録を即刻廃棄処分にしたのも、仮に、志ある職員が、“私の記憶では・・・”、と詳細を暴露しても、証拠がないと言い逃れできるからだ。官僚の方が稲田大臣よりも一枚上手、ということだ。

安倍首相も、首相夫人の件で色々と攻め続けられても、そうした事実があれば、首相も国会議員も辞めると断言した。しかし、他方では、事実より記憶を重んじる稲田大臣を我が子のようにかばい続けている。お互いに矛盾しまくっていることを堂々と喋りまくっている。思考回路のどこかに欠損部分かバグがあるのだろうか。

稲田大臣の記憶力がその程度だとしたら、幼稚園児が教育勅語を暗唱していたようには、稲田大臣は教育勅語を暗唱できないのではないか。国会の場で、試してみたらどうだろうか。

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