2014年3月3日月曜日

論文の査読

 小保方晴子博士のSTAP論文に関して、剽窃(ひょうせつ)の疑いや研究結果の捏造(ねつぞう)などが取り沙汰されている。学術研究のことは、よくわからないが、知り合いの国立大学の教授が、そのことに関して色々と話してくれた。

 学術論文には様々なタイプのものがあるが、一般に、査読付き論文の方が査読付きではない論文よりも評価が高いそうだ。査読付きというのは、その研究領域の専門家によって審査され、合格した後に学術雑誌に掲載された論文のことだという。 しかし、査読付きだからといって、査読付きではない論文よりも優れた論文とは必ずしも言えないこともあるという。

 査読に当たった研究者が、投稿した研究者よりも、そのテーマや研究方法に関して詳しくなかったり、真剣に査読せずに適当に評価したり、仲間内での“なあなあ”で査読とは言えない超甘(ちょうあま)な査読に終わることもあるらしい。「おいおい、そんなことがまかり通っているんじゃ、査読付き論文と言っても信用できないじゃないか」と言うと、「まあ、中には掲載論文が少ないと雑誌が薄っぺらになってしまうし、査読が厳しいと投稿論文も少なくなってしまうからという理由で、査読と言うよりは論文指導みたいにして投稿論文を改善して掲載することにしている学術誌もあるけどね」ということだった。

 真剣に査読をするのは、自分の論文を書くことよりも大変なんだそうだ。ある種の対決のようなものだからと言う。そりゃ、そうだろう。投稿者よりも、そのテーマや研究方法に関して詳しくなければ、投稿論文の誤りや不備を見つけることはできないからだ。考えようによっては、査読者自身が試されるようなものだろう。その場合でも、何はともあれ、投稿者を信頼して、研究の方法に偽りやデータの捏造、剽窃などが一切ないものとして査読に当たるという。それはそうだろう。端(はな)っからそれらを疑ってかかれば、査読なんかできやしないに決まっている。

 「んだけんど」と、ときどき出所不明の言葉を使う教授が続けて言うには、「それだから、なおさらのこと、虚偽や剽窃、捏造を査読者が見破るのは至難の業」だそうだ。

 小保方博士の論文が掲載されたNature(ネイチャー)というのは、素人の私でも名前だけは知っている超一流の学術誌だ。これに生涯で一つでも論文が掲載されると、名誉この上もないそうだ。そんなすごい学術誌でも、虚偽や剽窃、捏造が見逃されて掲載されたこともあったという。

 激しい研究合戦というか凄(すさ)まじい競争が繰り広げられているテーマに関する研究に従事している研究者は、他に先んじて1分でも早く論文にして公表しようとするし、学術雑誌の方では、優れた研究成果や新発見を他の雑誌に先を越されないように自分のところの雑誌にいち早く掲載しようとする。そのために、査読の期間もできるだけ短くしようとするし、査読者の数も多くはできない。速報性と言うことでは、今日では、電子版で先に発表し、後に紙媒体の雑誌に掲載する方法をとっている学術誌も多い。

 STAP論文が掲載されたNatureの505巻(2014年1月30日)では、News欄でSTAPに関する研究の成果を大々的に取り上げ(持ち上げ)ている。そして、問題が生じてからは、同じ筆者が、2014年2月17日にNewsとして、問題の経過やNatureが調べていることを報じている。

 事の真相は今のところ私にはわからない。実験的研究では、その研究成果が本物か否かは、同じ条件の下で同じ材料や同じ方法で行えば判断できるだろう。再現性ってやつだ。その人しかできないものもあるかもしれない。とくに優れた技術が必要な実験もあるだろう。そして、中には、たまたま一回だけ上手くいったということもあるかもしれない。しょぼい研究者が、俺にはできなかったからウソだ、なんて言ったって通用しないが、いくらその人独自の技術や能力の成果だといっても、そして、それが本当のことであったとしても、何回も何回も再現できなければ本物とは見做されないのが科学的成果なんだろうな。

 そういう意味では、今回のような騒動に決着をつけるのはそう難しいことではないだろう。ヤイノヤイノ言わなくても、じきに真相が明るみに出るだろうから、もし、捏造であったとしたら、新発見と思って興奮した面々は、なーんだ、ウソだったのか、と多少ガッカリすればいいし、虚偽や剽窃、捏造を見抜けなかった面々は、ゴメン、うかつだった、と素直に謝ればいい。まだ、被害に遭った人はいないのだから。そして、もし、本物であったら、あらためてスゴイと興奮すればいい。

 何はともあれ、剽窃や捏造は理由の如何に関わらず許されることではないだろう。件(くだん)の教授によれば、学生のレポートや卒業論文なんかで、人の書いたものを丸写しして平気なのや、修士論文や博士論文でもとんでもないものが出てくることもあるという。博士号が取り消しになった例もあるという。他人の苦労を知ってか知らずか、アイデアやデータを平気でパクって自分の研究成果のように発表して知らん顔をしている若い奴もいるそうだ。昔は、偉い先生が若い研究者の成果を自分のものにしてしまうということはよく耳にしたことがあるが、いまや逆のことが起きているようだ。

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