2017年7月25日火曜日

参院閉会中審査の中継を視聴した-疑惑はますます深まった

昨日に続いて、9時からの参院閉会中審査を視聴した。今朝も8時半に起床した。ずいぶん朝寝坊と思われそうだが、睡眠時間は4時間半だ。老人でも、徹夜まがいのことをしなければならないこともあるのだ。寝不足で食欲もないので、朝食は、牛乳と地元産の桃と老妻お好みのアールグレイの出がらしである。

トップバッターの自民党・青山繁晴氏は1時間以上の持ち時間で加計問題に関しては問題の究明に関わるような質問はなく、例によって出所不明の「私が関係者から聞いたところによると」的な説明に終始し、時間つぶしの役割は十分に果たしたと満足したようだ。

老妻曰く。バラエティ番組なんかでは自信たっぷりに話すのに、国会では、なんか自信なさげで不安定な感じ。

自民党や日本維新の議員の質問には安倍首相も安心して弁舌をふるう。哀れ。

民進党の蓮舫議員は、例によってカッと相手をにらみつけ、舌鋒鋭く歯切れのよい口調で論じる。南スーダンの日報問題について問われた稲田大臣の頓珍漢な答弁とは対照的。だが、残念ながら、日報問題も加計問題も攻め切れていなかった感じ。

民進党の桜井議員は、加計問題究明のプロジェクトチームを率いているだけあって、今治市職員の官邸訪問記録を基に官邸での面会者とされる柳瀬元首相秘書官に面会の事実を鋭く迫った。しかし、柳瀬元秘書官は、「記憶にない」から始まり、同じ質問を何回もされても同じように「記憶にない」を繰り返した挙句、「記憶にないから会ってはいない」と最後までしらを押し通した。

老妻曰く。記憶力が悪いのか、記憶の選別機能が優れているのか、いずれにしても記憶にないと言い続けるところは根性あるけど、正直に言ったら、身の危険でもあるのかしらね、かわいそうに。経歴は立派なのに、認知症が疑われるから、一度病院で診てもらうことをすすめた方がいいのに。

昨日と同様に、山本幸三大臣は、指名されてもいないのに何回ものこのこ答弁席に立ってごにょごにょとしゃべり続け、桜井議員に、「出ていけ」と罵倒された。

老妻曰く。あの人バカなの、性懲りもなく。自分を客観視できないのね。どんな風にテレビに映っているか想像しないのかしら。

共産党の小池議員は短い時間しか質問できなかったが、日報問題と安倍首相が加計考太郎氏が獣医学部新設を申請していたことをいつ知ったか、という点について問いただした。安倍首相は苦し紛れの答弁を何回も繰り返しては、呆れられていた。

老妻曰く。ますます印象悪くしていることに気が付きそうなものなのに。鈍なの、鈍だけ。

無所属の松沢成文議員は、加計孝太郎氏の政治活動について、自民党岡山県自治振興支部の政治資金収支報告書を掲げて質問した。この点は、国会で初めて取り上げられたと思うが、加計学園と政治家との間の金の流れや加計学園の経営や資金管理をめぐる問題(ドラマでは学校経営といえば、すぐに二重帳簿と政治献金の問題が出るところだが)につながっていくような予感がする。松沢議員が、どういうスタンスで取り組むのかわからないが。

予想通り、「丁寧な説明」なんか、何もなかった。「李下に冠を正さず」なんて、初めて知った諺(ことわざ)をチョット賢くなった気分で子どもが嬉しそうに使い続けるみたいに連発しているが、本当のところは、「李下に冠を何回も何回も正しましたでございます」だろう。安倍首相と昭恵夫人が加計学園とどれだけ密接な関係(ずぶずぶとも言うそうだ)にあるかは万人の知るところだ(ネット上に、そうした関係を示す写真がいっぱいある)。

2日間、われら老夫婦は、いったい何を期待してテレビにくぎ付けになったのだろう。単なる野次馬じゃないか、と言われれば、そうかもしれない。特に政治活動に熱心でもないのに、閉会中審査の中継が、老夫婦にお気に入りの連続ドラマよりも興味と感心を惹きつけさせるのはなぜだろうか。

老妻曰く。やっぱり、おかしいわよ。問題をたっくさん抱えているのに、国民の生活をよくするような政治を何もやっていない。年寄りが増えて財源が足りなくなるからと年金を減額したり支給年齢を上げようとしたりしている。それなのに、仲の良いお友達には、国を挙げて道理に外れたようなことを平気でやっている。とんでもないことよ。そんなこと許せないわよ。黙っているからって、いい気になるんじゃないよ。天に代わってお仕置きよ(なんか古いな:まあ、人間が古いからいいか)。老人を馬鹿にしたら許さないから。

2017年7月24日月曜日

加計問題の閉会中審査の中継を視聴した-「丁寧に説明」と「李下に冠を正さず」って、そういうことか

昨夜は、といっても、もう今日だが、寝たのが朝の4時頃だった。しかし、9時からの衆院予算委員会閉会中審査の中継を視聴すべく、がんばって(こんなことに頑張らなくてもいいのにとは思うが)8時半には起床した。さてさて、朝食に、牛乳と蜂蜜を塗ったトースト、それに到来物の巨峰を食べて、老妻と二人、淹(い)れたてのキリマンジャロの香りと味を楽しみながら、テレビの前に座った。

このところ、老妻は政治に夢中で、テレビや新聞はもとより、愛用のタブレット(iPad)を駆使して、インターネット上のニュース記事やツイッター、ユーチューブから最新情報を収集しては、私に情報を提供してくれる。そして、疑問や議論をぶつけてくる。いまや、われら老夫婦は、すっかり政治オタクになってしまっている。安倍政権が、これほどまでに政治的関心を掻き立ててくれるとは思いもよらなかったし、老後に、こんな高尚な楽しみを提供してくれるとは想像もしなかった。

いま、政治が面白い。

正午までの前半と13時から15時までの後半、計5時間にわたる閉会中審査における質疑応答は、こう言っては語弊があるかもしれないが、期待していたほどではなかったものの、退屈はしなかった。

安倍首相が「丁寧に説明する」ということだったが、「丁寧に説明する」という意味を理解していないのか、「丁寧に説明する」つもりなんか毛頭ないのか、ちっとも「丁寧な説明」をしなかった。力(りき)んで声高に一方的に捲(まく)し立てたり、大声をあげたり、人を小ばかにしたような薄ら笑いはなく、神妙な振りをして、しかし、相変わらず質問にはまともに答えずに、はぐらかしに終始していた。

老妻曰く。やっぱりね~。

指名されてもいないのに、のこのこと答弁席へきて、ごにょごにょと不明瞭な発言を繰り返した山本幸三大臣は、さらに疑惑を深めるのに一役買った。

老妻曰く。この人の言っていること、聞きづらくて、人に聞いてもらおうって気持ちも全然感じられない。どうだ、俺は本当のことなんか言わないぞって、いうのが伝わってくるわね。

参考人として呼ばれた前川喜平前文科事務次官の証言も野党は活かしきれていなかった。和泉洋人内閣総理大臣補佐官は、前川氏が「和泉補佐官は、総理は自分の口からは言えないので、代わって私が言うんだ」と言ったことを、最初は記憶にないと言っておいて、その後、さらに追及されると、「言っていない」と強く否定した。そして、「私は補佐官として特区諮問会議に陪席し、首相から常々『岩盤規制改革を全体としてスピード感をもって進めるんだ』と聞き、前川さんに『スピード感をもって取り組むことは大事だ』ということは申し上げあげたかもしれない」と自信満々に語った。

老妻曰く。逃げ回っていて、出てきたら、そんなこと言うんだ。きっと、誰かに入れ知恵されたね。

安倍首相はじめ関係閣僚らがぐうの音も出ないほどに野党の質問者が攻めて攻めて攻めまくってどこまで追い込めるか期待していたが、残念ながら、イマイチであった。

印象的なことは、麻生大臣が、例によって、眠っているのかくたびれているのか、目をつむって椅子にだら~と座って、時折ニヤニヤと薄ら笑いをしている全く持って感じ悪い爺さん然としていることだ。この爺さんが派閥の領袖で財務大臣兼副総理とのこと。全然似合わない。

まあ、明日も参議院で閉会中審査があるから老妻ともども楽しみにしている。

2017年7月22日土曜日

加計学園問題は、なぜ早急・簡単に解決できないのか-不思議と不気味と不届き-無文字社会日本

森友問題も加計学園問題も一向に解決しない。どこに、そんな解決困難な課題があるのか、ちっとも理解できない。不思議であり、不気味である。

「総理の意向」だの「忖度」だの、文書がなかっただのあっただの、記憶にないだの忘れただの、言っただの言わなかっただの。嘘をついているだけだろ。
バカか、お前らは、という天の声が聞こえる・・・

悪いことをしたんだろう。だったら、謝罪して責任とればいいだけの話じゃないか。
ノータリンか、お前らは、という天の声が聞こえる・・・

証拠? いっぱいあるじゃないか。どれもこれも、立派な証拠じゃないか。
文書よりも記憶? いつから日本は無文字社会に逆戻りしたのか。文字を正しく読めない政治家がいるからといって、その者たちに合わせて無文字政治に励むこともなかろうに。

俺の記憶は正しくて、お前の記憶は正しくないってか。不届き者め!

勘弁してくれよ。黙って聞いていればいい気になって、「天知る、地知る、我知る、子知る」なんて、知らないんだろうな。

嘘と隠蔽を続けに続けて、それでも懲りずに、嘘と隠蔽を重ねに重ねている。

説明を求める? なんじゃ、それは。
丁寧な説明? 説明責任? なんじゃ、それは。

嘘も方便。嘘の説明も方便。嘘でも説明をすれば説明責任を果たしたことになる。言い訳することが説明責任? 説明することの責任? そんなの責任とは言わないだろう。
嘘にまみれた説明なんかはいらない。言い訳できないはずなのに、説明を求める、なんて言うから、嘘と隠蔽で言い訳を許してしまうのだ。

事実を事実ではないと言い張り、筋の通った話も対話もできない論理的思考力の欠如した人間に、説明を求めたり、証拠を突き付けて納得させようとしても無理である。近代的思考というか実証的思考というか科学的思考というか、そういったものとは全く無縁に、あたかも無文字時代の呪術や神話の世界に跋扈(ばっこ:勝手気ままにふるまうこと。のさばりはびこること。広辞苑)する呪(まじな)い師には、呪術で対抗するしかないのかもしれない。

「馬の耳に念仏」、「猫に小判」、「無理が通れば道理引っ込む」といった俗諺(ぞくげん:俗世間のことわざ)がこれほどまでにピッタリの好例を何回も何回も見せつけられては、何をか況(いわん)やである。

森友学園と加計学園に共通していることは、小学校新設にしろ獣医学部の新設にしろ、教育機関を経営・新設するのに相応(ふさわ)しいとは到底思えない人間が名乗りを上げ、それを教育にはもともと興味も関心もなく、私益を貪(むさぼ)ろうとする狡(ずる)い連中が多額の国費/公費を使って必死に、躍起に、共謀して支援していることだ。

2017年7月16日日曜日

加計学園の獣医学部設置問題の本質を突いた発言を見つけた

決して優れているとは言えない幾つもの大学を自治体や国から土地の無償提供や多額の建設・運営資金の援助を受けて経営している加計学園が、なぜ、国家戦略特区政策によって獣医学部新設を申請でき、文科省の大学設置審査が開始されないずっと前から校舎建設工事が始められたかが、実によくわかる説明がツイッターで語られている。

そのツイッターのタイトルは、「加計問題の真実(私は新学部設置の仕事を5年やったことあります)」と、なっている。また、ウェブページにも同じ記事が掲載されている。

「新学部設置の仕事を5年やったことあります」と、ちょっと表現が若者っぽいと感じるのは、老人の私なら、「やったこと(が)あります」と(が)をいれるからだ。

それはともかく、「新学部設置の仕事をやったことがある」人というのはどういう人なのかと興味がわくが、そこでいう「仕事」を広くとれば、文科省の職員だけでなく、大学の教員や職員なども含まれるだろうから、結構な数に上るだろう。

まあ、どういう立場の人かを詮索してもたいして意味はない。肝心なことは、書かれている内容である。

このブログにもしばしば登場してくれている件(くだん)の教授も、かつて(定年退職していまは名誉教授だが)学部や大学院の新設・改組に関わる設置審の仕事をした経験を持っているということで、そのツイッターを読んだ感想を聞いたところ、書かれている内容は、新学部設置の仕事を実際に経験していなければ書けない内容だろうな、ということで、加計学園岡山理科大学の獣医学部新設問題の問題の本質を突いていると思う、ということであった。

その内容について、ここで詳しく紹介するよりも、上で赤字で書いたところをクリックして読んでもらった方が話が早いから、ここでは、件の教授から聞いたことと混ぜこぜにして、私なりの理解を記すことにする。

新学部の設置は、通常であれば、新学部設置を計画する大学が、設置に必要な条件を文科省の大学の学部設置関係の部署と事前に相談する。場合によっては、係長クラスの段階でボロクソに言われてすごすごと文科省を後にする。指摘されたことを大学に持ち帰って教授会などで報告し、議論を重ねて計画書を作り直して、再び文科省に相談に行く。

そんなことを何回も何回も繰り返して、かなり上位の役職者が相手にしてくれるようになると脈があると判断して、今度は喜んで文科省を後にする。こうして、設置に必要な条件が出そろうと、いわゆる内定がもらえる。設置計画書の完成版が作成されて、設置審と略称される本審査に付されることになる。

こうして、設置審に上げることになるまでに文科省と相談し続けるというか指導を受け続けて、やっとのことで新学部設置が可能になる。内定がもらえれば、設置審でも、特別な理由がない限り認可される。認可される見通しが出るまで相談と指導が続くというわけである。これが学部や大学院を新設したり改組するときの文科省のルールである。

今回の加計学園岡山理科大学が獣医学部新設を申請し、受理された経緯には、この文科省ルールに従って進められる従来の方法ではなく、国家戦略特区ルールともいうべき方法で進められた、ということである。文科省ではなくて(文科省ルールとはかかわりなく)、国家戦略特区諮問会議が内定を出した、ということである。

「行政がゆがめられた」というのは、大学の学部新設等に関わる教育行政のルールが破られたことを指していると言える。文科省ルールに従えば、岡山理科大学の獣医学部新設の申請は決して通らなかったであろう。獣医学部を新設するに足る種々の条件をクリアできているとは思えないばかりか、加計学園が経営する千葉科学大学や倉敷芸術科学大学も種々問題を抱えているから、設置審に上げる前に獣医学部新設計画は受理さえされなかったであろう。

国家戦略特区諮問委員会は、設置審まがいのことをやったことにもなる。前に書いたが、諮問委員会のメンバーの顔触れを見れば、諮問委員会が獣医学部新設の問題を教育・研究の観点から高度の専門性を保ちながら審議できるとは、とうてい思えない。

ルールにのっとって一点の曇りもなく審議したようなことを諮問委員会のメンバーは言っていたが、審議できるだけの専門的識見がないのであれば、教育行政とは無関係なルールに従って一転の曇りもなく頓珍漢(トンチンカン)なオシャベリを楽しんだだけにすぎない。

国家戦略特区ルールが強引に適用されて加計学園の獣医学部新設が急ピッチで進められるようになったのは、そこに、常識では考えられない悪行が展開されているとしか考えられない。隠蔽と虚言が渦巻いていることが、何よりの証拠である。

2017年7月12日水曜日

安倍首相のお仲間に共通していることは国民に対して不誠実であることだ-内閣支持率調査の結果が教えてくれること

新聞社やテレビ局の世論調査で内閣支持率が暴落し、不支持率が支持率を上回ったことが報じられた。安倍御用新聞と言われている読売新聞の調査での不支持率が一番高かったことも興味深いものがある。

その調査では、「支持する」が 36%、「支持しない」が 52%で、支持しない理由として最も多くあげられているのが、「首相が信頼できない」の49%である。

マスメディアが行う世論調査は標本調査で、今回の読売新聞の場合は、全国の18歳以上の有権者の中から、RDD方式という電話で聴取する方法を用いて、固定電話を対象にした世帯から547人、携帯電話を対象にした個人から541人の回答を得ている(有効回答率は固定電話で60%、携帯電話で42%ということである)。

標本調査だから誤差が生じる。 その計算方法の詳細は、このブログの2015年5月18日の記事に記したが、上の調査結果を同様にして計算すると次のようになる。

支持率36%というのは、全国の有権者全部を対象に調査した場合には、33.1%~38.9%に、不支持率52%は、同様に49%~55%になるだろう、ということを指している。要するに、発表された支持率と不支持率は、そうした幅を持った数値であるということである。したがって、ひょっとすると、支持率は33.1%で、不支持率は49%かもしれないし、支持率は38.9%で不支持率は55%かもしれない、ということである。こういうのを区間推定と言う。

これに対して、発表される内閣支持率/不支持率は、たいていの場合、今回のように支持率36%/不支持率52%と区間を表示することはない。そうした推定を点推定と言う。点推定で、数%の違いがあっても、本当のところは、支持率が上がったとか下がったと言うことはできない。

しかし、今回の場合は、支持率33.1%~38.9%の区間と、不支持率49%~55%の区間には重なるところがないので、明らかに支持率は不支持率を下回っているということができるのである。

さて、ここからが本題である。支持しない理由の回答は以下のようになっている。

1.政策に期待できない -------- 15%   5.自民党中心の政権だから ----- 11%
2.首相に指導力がない --------  5%   6.これまでの内閣の方がよい ---  1%
3.首相が信頼できない -------- 49%   7.その他 -----------------------------  1%
4.閣僚の顔ぶれがよくない --- 16%   8.答えない --------------------------  2%

3の「首相が信頼できない」がダントツである。用意された回答の選択肢が国民の政治に対する
考えや思いを調べるのに十分なものかどうかは措くとしても、「首相が信頼できない」というのは、政権に対する全否定の表明ということができるだろう。

「政策に期待できない」ことも、「首相に指導力がない」ことも、「閣僚の顔ぶれがよくない」ことも、「首相が信頼できない」ことに含まれる理由と見ることができよう。

政治に関わる世論調査でいつも疑問に思っていることは、日頃から政治や政策のことに関心を持ち、それらに関する正しい情報を収集している人と、そうではない人とを一緒くたにして政治や政策に関わることを尋ねて得られた結果がどれほどの意味をもつのか、ということである。

憲法に目を通したことも、憲法問題について考えたこともない人が改憲の是非を尋ねられても的確に回答できるだろうか。しかし、「首相を信頼できるか、できないか」のような質問には、正常な常識感覚をもった人間ならば、政治や政策の面倒な事柄抜きでも的確に回答できる。

連日のように新聞やテレビ、インターネットで、森友学園問題や加計学園問題、共謀罪問題、稲田防衛大臣問題、豊田議員問題などが報じられ、国会や記者会見での首相や官房長官をはじめ閣僚と官僚の国民をバカにしきった答弁や応答から、彼ら/彼女らが誠実さのかけらもない信頼の置けない人間であることをイヤと言うほど思い知らされたからである。

政治や政策はわからない。しかし、その政治家が政治家にふさわしい誠実で品格を備えた人間であるか否かはわかる。ずるい奴かそうではないか、悪い奴かそうではないか、ウソをついているかそうではないか、軽薄な人間かそうではないかくらいは、よくわかる。そして、難しいことはわからないし興味もないが、そんな輩に政治を任せていてはとんでもないことになる、ということは、とってもよくわかる。

私利私欲にまみれたお仲間たちで国費を私物化し、国民に対しては不誠実きわまりない対応をする。そんなことは、もう隠しきれない段階になった、ということを、お仲間たちの広報誌である読売新聞が明らかにした、ということである。