2017年7月16日日曜日

加計学園の獣医学部設置問題の本質を突いた発言を見つけた

決して優れているとは言えない幾つもの大学を自治体や国から土地の無償提供や多額の建設・運営資金の援助を受けて経営している加計学園が、なぜ、国家戦略特区政策によって獣医学部新設を申請でき、文科省の大学設置審査が開始されないずっと前から校舎建設工事が始められたかが、実によくわかる説明がツイッターで語られている。

そのツイッターのタイトルは、「加計問題の真実(私は新学部設置の仕事を5年やったことあります)」と、なっている。また、ウェブページにも同じ記事が掲載されている。

「新学部設置の仕事を5年やったことあります」と、ちょっと表現が若者っぽいと感じるのは、老人の私なら、「やったこと(が)あります」と(が)をいれるからだ。

それはともかく、「新学部設置の仕事をやったことがある」人というのはどういう人なのかと興味がわくが、そこでいう「仕事」を広くとれば、文科省の職員だけでなく、大学の教員や職員なども含まれるだろうから、結構な数に上るだろう。

まあ、どういう立場の人かを詮索してもたいして意味はない。肝心なことは、書かれている内容である。

このブログにもしばしば登場してくれている件(くだん)の教授も、かつて(定年退職していまは名誉教授だが)学部や大学院の新設・改組に関わる設置審の仕事をした経験を持っているということで、そのツイッターを読んだ感想を聞いたところ、書かれている内容は、新学部設置の仕事を実際に経験していなければ書けない内容だろうな、ということで、加計学園岡山理科大学の獣医学部新設問題の問題の本質を突いていると思う、ということであった。

その内容について、ここで詳しく紹介するよりも、上で赤字で書いたところをクリックして読んでもらった方が話が早いから、ここでは、件の教授から聞いたことと混ぜこぜにして、私なりの理解を記すことにする。

新学部の設置は、通常であれば、新学部設置を計画する大学が、設置に必要な条件を文科省の大学の学部設置関係の部署と事前に相談する。場合によっては、係長クラスの段階でボロクソに言われてすごすごと文科省を後にする。指摘されたことを大学に持ち帰って教授会などで報告し、議論を重ねて計画書を作り直して、再び文科省に相談に行く。

そんなことを何回も何回も繰り返して、かなり上位の役職者が相手にしてくれるようになると脈があると判断して、今度は喜んで文科省を後にする。こうして、設置に必要な条件が出そろうと、いわゆる内定がもらえる。設置計画書の完成版が作成されて、設置審と略称される本審査に付されることになる。

こうして、設置審に上げることになるまでに文科省と相談し続けるというか指導を受け続けて、やっとのことで新学部設置が可能になる。内定がもらえれば、設置審でも、特別な理由がない限り認可される。認可される見通しが出るまで相談と指導が続くというわけである。これが学部や大学院を新設したり改組するときの文科省のルールである。

今回の加計学園岡山理科大学が獣医学部新設を申請し、受理された経緯には、この文科省ルールに従って進められる従来の方法ではなく、国家戦略特区ルールともいうべき方法で進められた、ということである。文科省ではなくて(文科省ルールとはかかわりなく)、国家戦略特区諮問会議が内定を出した、ということである。

「行政がゆがめられた」というのは、大学の学部新設等に関わる教育行政のルールが破られたことを指していると言える。文科省ルールに従えば、岡山理科大学の獣医学部新設の申請は決して通らなかったであろう。獣医学部を新設するに足る種々の条件をクリアできているとは思えないばかりか、加計学園が経営する千葉科学大学や倉敷芸術科学大学も種々問題を抱えているから、設置審に上げる前に獣医学部新設計画は受理さえされなかったであろう。

国家戦略特区諮問委員会は、設置審まがいのことをやったことにもなる。前に書いたが、諮問委員会のメンバーの顔触れを見れば、諮問委員会が獣医学部新設の問題を教育・研究の観点から高度の専門性を保ちながら審議できるとは、とうてい思えない。

ルールにのっとって一点の曇りもなく審議したようなことを諮問委員会のメンバーは言っていたが、審議できるだけの専門的識見がないのであれば、教育行政とは無関係なルールに従って一転の曇りもなく頓珍漢(トンチンカン)なオシャベリを楽しんだだけにすぎない。

国家戦略特区ルールが強引に適用されて加計学園の獣医学部新設が急ピッチで進められるようになったのは、そこに、常識では考えられない悪行が展開されているとしか考えられない。隠蔽と虚言が渦巻いていることが、何よりの証拠である。

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