2017年7月22日土曜日

加計学園問題は、なぜ早急・簡単に解決できないのか-不思議と不気味と不届き-無文字社会日本

森友問題も加計学園問題も一向に解決しない。どこに、そんな解決困難な課題があるのか、ちっとも理解できない。不思議であり、不気味である。

「総理の意向」だの「忖度」だの、文書がなかっただのあっただの、記憶にないだの忘れただの、言っただの言わなかっただの。嘘をついているだけだろ。
バカか、お前らは、という天の声が聞こえる・・・

悪いことをしたんだろう。だったら、謝罪して責任とればいいだけの話じゃないか。
ノータリンか、お前らは、という天の声が聞こえる・・・

証拠? いっぱいあるじゃないか。どれもこれも、立派な証拠じゃないか。
文書よりも記憶? いつから日本は無文字社会に逆戻りしたのか。文字を正しく読めない政治家がいるからといって、その者たちに合わせて無文字政治に励むこともなかろうに。

俺の記憶は正しくて、お前の記憶は正しくないってか。不届き者め!

勘弁してくれよ。黙って聞いていればいい気になって、「天知る、地知る、我知る、子知る」なんて、知らないんだろうな。

嘘と隠蔽を続けに続けて、それでも懲りずに、嘘と隠蔽を重ねに重ねている。

説明を求める? なんじゃ、それは。
丁寧な説明? 説明責任? なんじゃ、それは。

嘘も方便。嘘の説明も方便。嘘でも説明をすれば説明責任を果たしたことになる。言い訳することが説明責任? 説明することの責任? そんなの責任とは言わないだろう。
嘘にまみれた説明なんかはいらない。言い訳できないはずなのに、説明を求める、なんて言うから、嘘と隠蔽で言い訳を許してしまうのだ。

事実を事実ではないと言い張り、筋の通った話も対話もできない論理的思考力の欠如した人間に、説明を求めたり、証拠を突き付けて納得させようとしても無理である。近代的思考というか実証的思考というか科学的思考というか、そういったものとは全く無縁に、あたかも無文字時代の呪術や神話の世界に跋扈(ばっこ:勝手気ままにふるまうこと。のさばりはびこること。広辞苑)する呪(まじな)い師には、呪術で対抗するしかないのかもしれない。

「馬の耳に念仏」、「猫に小判」、「無理が通れば道理引っ込む」といった俗諺(ぞくげん:俗世間のことわざ)がこれほどまでにピッタリの好例を何回も何回も見せつけられては、何をか況(いわん)やである。

森友学園と加計学園に共通していることは、小学校新設にしろ獣医学部の新設にしろ、教育機関を経営・新設するのに相応(ふさわ)しいとは到底思えない人間が名乗りを上げ、それを教育にはもともと興味も関心もなく、私益を貪(むさぼ)ろうとする狡(ずる)い連中が多額の国費/公費を使って必死に、躍起に、共謀して支援していることだ。

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