2014年2月24日月曜日

減量作戦開始

 この数週間、自分ながら、よく食べると感心すると同時に、体が何か警告を発しているような感じがしていた。このまま大食を続けると、糖尿病か高血圧、肝臓を痛めてしまうのではないかと思った。

 血圧は低いし、これといった持病があるわけではなく、通院もしていないし、常備薬の世話になっているわけでもない。ただ、頬あたりが丸くなってきたし、メタボと診断された胴回りが一層拡張してきたことと、そのために、無理なく穿(は)くことができるズボンがなくなってきた。先日、鐔(つば)付きの帽子を買おうと思って試着して鏡を見たら、殻付きピーナッツに帽子をかぶせたような姿になっていて、買うのをやめた。
 
これまで自分が快調だと感じていた体重は65Kg前後だが、いまは74Kgくらいある。10Kgほどオーバーしている。これでは、しこたま持っている背広やブレザー、ズボン、ワイシャツ類もタンスの肥やしになっているのも仕方がない。

 さて、減量開始の今日は、遅い朝食はカボチャ入りのおかゆを1杯だけ。それに、牛乳と野菜ジュース。夕食は、ふだんより数品減らして、米飯と味噌汁にマトンと野菜の炒め物(ジンギスカン風)、ゆでジャガイモ半個分、漬け物。食後のデザート類や間食はゼロ。不思議と一日中空腹感はなかった。

 歯科医院への往復で30分ほど急ぎ足で歩いたので、少しはカロリーを消費したのではないだろうか。それに、ちょっと難しい頭脳労働に結構な時間を費やしたので、減食とカロリー消費の効果はあったのではないかと思う。

 さてさて、どれくらい続くか楽しみだ。この調子でいけば、1か月もすれば、確実に減量できるのではないかと思う。食べたものを手帳に記した。

 入りと出の差し引きで体重は決まるだろうから、理屈は簡単。料理上手で、おいしいものをたくさん食卓に並べてくれる妻には申し訳ないが、しばらくはこれまでの健啖家を返上して、減食に努めることにする。

 飢餓状態が長寿遺伝子を活性化させるとか、年をとっても肉を食べなければいけないとか、小太りくらいが長生きするとか、いろいろなことが言われているが、いまは、とにかく、自分がベストコンディションと考える体重まで落とすことに専念することにしよう。
 
 これも昔の話になるが、高校時代に菜食主義的食事を数ヶ月続けたことがある。マレイ・ローズというオリンピックの競泳金メダリストの父親が著した本を当時読んで、マレイ・ローズの食生活をまねしてみようと思った。その本は、いま手元になく、題名も忘れてしまったので、amazonでマレイ・ローズを検索語にして調べてみると、『世界記録を生んだ栄養食―マレイ・ローズの父の手記』(花田 達二訳、ベースボール・マガジン社 、1964年)というのがあった。そうそう、この本だった。中古品で、18,500円の値がついている。近くの公立図書館の蔵書検索で1冊見つかった。

 私は中学から続けていたバスケットボールに夢中になっていて、ジャンプ力や瞬発的スピード、ボールさばき、ガード力、シュート力など技術的には自慢できるものがあったが、課題は持久力であった。試合時の持久力に自信がなかったわけではないが、練習時の長距離走でチームメイトに後れをとることが多く、長距離は苦手、という意識があった。

 水泳競技には持久力が何よりも求められる。17歳のマレイ・ローズは、1956年のメルボルン大会で400mと1500m、800m(200m×4)リレーの自由形で3つの金メダルに輝き、4年後のローマ大会では、400m自由形で金メダル、1500mで銀メダル、800m(200m×4)リレーで銅メダルを獲得した。その食生活が野菜中心であったことに驚いた。そして、それで持久力がつくのならやってみようかと思った。

 いまとなってはうろ覚えだが、開始3日間は絶食して、それまでの老廃物を全部排出したことと、肉や魚は一切口にしなかったことは、よく覚えている。牛乳や卵、チーズは食べた。タンパク質は大豆など植物タンパクで摂ればいいということで、豆腐や納豆をよく食べたような気がする。米飯もそんなに食べなかったのではないかと思う。そして、それまでは、夕食を終えても9時頃には空腹を覚え、寝る前にもう一食というくらいの毎日であったのが、食事の量が減少したはずなのに不思議と空腹感を覚えなかったように記憶している。

 そのときに、なぜかセロリが異常に好物になった。バリバリかじって噛みしめた。その味が何ともいえなかった。一種の中毒だったかもしれない。その本にセロリのことが書いてあったのかもしれない。高校にはアルマイトの弁当箱を2つ持って、1つの弁当箱にはセロリを何本も入れていた。級友には、あきれられて、誰も「俺にもくれ」と言わなかった。家族もあきれていた。

 その効果だと思うが、長距離走も苦にならなくなった。そればかりか、毎日の練習後に運動場の200mトラックを15周する3000m走では先頭を切ることが多くなった。もともと太ってはいなかったが、食生活が変わっても体重はほとんど変化しなかったのではないだろうか。

 いつ、なぜ、どのようにして、その食生活を止めたか全く忘れてしまったが、減量を開始して、そんな記憶がよみがえった。持久力をつけようというかつての目標に比べて、手持ちの服が再び着られるようにという何ともつまらない目標ではあるが、何となく、うまく成功するような予感がする。

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