2017年6月30日金曜日

安倍政権のお仲間たちの言動に、ほとほと呆れたりウンザリしたり

もう、ウンザリ、としか言いようがない。

稲田防衛大臣が公職選挙法と自衛隊法に違反する都議選応援演説と、その後の発言撤回と謝罪によってそれを問題がないとする菅官房長官の定例会見における発言。記者も、稲田大臣の発言としてではなく、一般的に言って、と断ってから、現職の防衛大臣がそうした発言を不特定多数を前にした応援演説の中ですることが公職選挙法と自衛隊法に違反する行為であるという認識を菅官房長官が持っているか否かを回答が得られるまで追及すべきであった。

稲田防衛大臣は、安倍首相の寵愛をずっと受けてきたと言われている。安倍首相は、彼女を首相候補と党務や政務の経験を積ませてきたということらしい。思想信条が同じだそうだが、知的レベルが同じということなんだろう。その意味では、安倍首相には、見る目がある、ということなのかもしれない。いや、同類を強く引き付ける磁力が備わっているのかもしれない。

警察や司法は、選挙運動を監視しているはずであるのに、一向に動きを見せない。公職選挙法違反や自衛隊法違反の罪は親告罪ではないはずなのに。

政治資金規正法違反の疑いに対する下村元文科大臣の釈明会見も噴飯ものである。この人物が文科大臣としてふさわしくなかったことはSTAP細胞事件の際の文科大臣としての対応から周知のところだが、200万円の寄付が11の個人・団体からのものだから、1件当たり20万円未満になるという理由で記載不要の寄付だというのである。

そのことについてネット上で子どもだましにもならない“計算”と揶揄されている。200万円が1人当たり20万円未満になるように11の個人・団体からと“小学生レベル”の算術をしたのだろう。が(200万円÷11=181,811.181818・・・円:)。

11の個人・団体が200万円を均等に寄付したとすると、それぞれの寄付金額は、単純平均して、181,811.181818・・・円になる。数字の語呂合わせで、イヤイヤイヤなんて言われている。

小数点以下切り捨てて、181,811円ずつ寄付した理解してもらおうと思ったのなら、脳細胞欠損症でしかないだろう。誰か一人が199万9,990円寄付して、残りの10人が1円ずつ寄付しても、総額は200万円になる。

200万円を11人で分けるということは、200万個のなかから11個取り出すときの組み合わせ問題になる。

一般に、n 個の中から r 個を取り出すときの組み合わせの総数は次式で求められる。
n が 2,000,000 で r が11だから、これを計算すると、5.130530706E+61となる。普通に書くと次のようになる。

51,305,307,060,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000

天文学的数字だ。11人が均等に寄付するのは、そのうちの1組だから、1を上の数字で割れば、そうした組み合わせが出現する確率が出る。1.94911609988131E-60%。これを普通に書くと、小数点前に0が果てしなく続くから書いても意味がない。要するに、ほとんど0ということだ。これも超天文学的数字といえる。11個取り出したときに、どれもが20万円未満になる組み合わせとなると・・・気が向いた方は計算してみてはどうだろうか。

早稲田の教育学部を出ていて、文科大臣を経験していながら、自分の言っていることが愚にもつかないことだとわからないのか。こんな人物が、安倍首相の側近として優遇され、文科大臣をやっていたとは、国民も馬鹿にされたものである。安倍首相は、稲田氏と同様に、下村氏も同じ知的レベルの同志と思っているのだろう。

国有地投げ売り問題に関する国会での野党の追及に、よくもこれほどというくらいに詭弁を弄し続けてきた佐川財務局長が、国税庁長官に出世するそうだ。文書の破棄と記憶にないで証拠の提出を拒んだ人間が国税庁の長官とはギャクにもならない。マルサ(国税局査察部)も仕事がやりにくくなるのではないだろうか。

秘書に政治家にあるまじき暴言を吐き、乱暴を働いた豊田真由子議員。それをかばう細田博之自民総務会長。

加計学園岡山理科大学獣医学部の新設を推し進めてきた国家戦略特別区域諮問会議

もう、ほとほと呆れてウンザリする。

諮問会議の諮問というのは、「意見を尋ね求めること。下の者や識者の意見を求めること」(広辞苑)を言う。そこで、諮問会議というのは、誰かに意見を求められたときに、どのように答えるかを複数人が一堂に会して議論する場ということになる。結論が出たら、それを諮問した人間や組織に伝えることを答申という。

では、国家戦略特別区域諮問会議に誰が諮問し、誰に答申するのかというと、「国家戦略特別区域法」(平成二十五年法律第百七号)の第三十条には、次のように記されている。

六 前各号に掲げるもののほか、内閣総理大臣又は関係各大臣の諮問に応じ、国家戦略特  別区域における産業の国際競争力の強化及び国際的な経済活動の拠点の形成の推進に関する重要事項について調査審議すること。
七 第一号から前号までに規定する事項に関し、調査審議し、必要があると認めるときは、内閣総理大臣及び関係各大臣に対し、意見を述べること。

諮問するのは、内閣総理大臣や関係各大臣であり、したがって、この諮問会議が答申する相手は内閣総理大臣や関係各大臣である。

では、諮問会議の組織についてはどうかと言えば、次のような条文がある。

第三十一条 会議は、議長及び議員十人以内をもって組織する。
第三十二条 議長は、内閣総理大臣をもって充てる。
2  議長は、会務を総理する。
3  議長に事故があるときは、あらかじめその指名する議員が、その職務を代理する。
第三十三条 議員は、次に掲げる者をもって充てる。
一 内閣官房長官
二 国家戦略特別区域担当大臣
三 前二号に掲げる者のほか、国務大臣のうちから、内閣総理大臣が指定する者
四 経済社会の構造改革の推進による産業の国際競争力の強化又は国際的な経済活動の拠点の形成に関し優れた識見を有する者のうちから、内閣総理大臣が任命する者

諮問会議の議長は内閣総理大臣である。ん? 内閣総理大臣又は関係各大臣の諮問に応じとあったから、内閣総理大臣が諮問した場合には、自問自答ということになる。へ?

内閣総理大臣(自分)が諮問し、内閣総理大臣(自分)が議長になって会議の事務を統一して管理し(会務を総理する)、内閣総理大臣(自分)に答申することができる、ということのようだ。諮問会議っていうのはよくわからないが、こういう諮問会議って、ありなのか? 

これって、物わかりがいいからかボンクラだからかわからないが、操りやすい面々を「有識者議員」などとおだてておいて、十分な役得のようなものを与えながら内閣総理大臣の意に沿った言動をすることに大いなる喜びを感じる参謀にしていることが見え見えで、諮問会議とは名ばかりの参謀本部じゃないのか。

ちなみに、国家戦略特別区域諮問会議の議員名簿は次の通りである。

議 長 安倍 晋三  内閣総理大臣
議 員 麻生 太郎  財務大臣 兼 副総理
同  山本 幸三  内閣府特命担当大臣(地方創生、規制改革)
同  菅  義偉  内閣官房長官
同  石原 伸晃  内閣府特命担当大臣(経済財政政策) 兼 経済再生担当大臣
有識者
議 員 秋池 玲子  ボストンコンサルティンググループ シニア・パートナー&マネージ 

    ング・ディレクター
同  坂根 正弘  株式会社小松製作所相談役
同  坂村  健  東洋大学情報連携学部 INIAD学部長
同  竹中 平蔵  東洋大学教授 慶應義塾大学名誉教授
同  八田 達夫  アジア成長研究所所長 大阪大学名誉教授


これらの有識者議員は、上に記した第三十三条の四にある「経済社会の構造改革の推進による産業の国際競争力の強化又は国際的な経済活動の拠点の形成に関し優れた識見を有する者のうちから、内閣総理大臣が任命する者」というわけだが、そうなの? ふーん、としか言えないが、大見得を切って大々的にぶち上げているにしては、国家戦略特別区域諮問会議って、こんなんなの、これで大丈夫、やっぱりな、って感じがしてしまう。

まあ、とにかく、安倍政権には、呆れたりうんざりすることばかりで、国民の幸福で安全な生活のために必死になって良いことをやっている/やろうとしているところが全く見られない。もう、ウンザリだ。これしか言いようがない。

2017年6月27日火曜日

藤井四段の29連勝に拍手喝采

私が書かなくても藤井四段の快挙は世に知られているところだが、褒めたたえずにはいられない。

日本将棋将棋連盟の公式中継やソフトで検討する中継などを見ながら、まさに手に汗を握る熱戦を堪能した。

素人目には先手の藤井四段が序盤から攻め続けていたようだが、ソフトの評価値は、中盤までは後手の増田四段の方が有利であることを示していた。しかし、藤井四段の粘り強いというか執拗にというか、あくまでも攻めの差し回しで評価値は一挙に藤井四段有利に傾いていき、最終盤の増田四段の攻めを大ゴマの飛車を使っての受けで投了に追い込んだ。91手での終了は、歴史的一戦にしては単手数というべきか。

増田四段は現在19歳で、16歳の時に四段に昇段してプロデビューし、西の天才藤井四段に対して東の天才と並び称される逸材である。

棋士は天才ぞろいであるが、その中でも10代でとびぬけて活躍してきた棋士は、その後もタイトルを獲得するなど偉大な棋士として名を残している。

凡人の私が言うのも何だが、頭脳を目いっぱい使って対戦する天才棋士二人とついつい比べてしまうのは、頭脳を働かせもせず、というか働かせる頭脳を持ち合わせていないのに政権を握ってトンデモナイ言動を繰り返している輩だ。

折しも、安倍首相は、お仲間の招待で講演した際に、獣医学部を作りたいというのなら何校でも認可するようなことを、「あまりにも批判が続くから、頭に来て言ったんだ」そうだ。

 
お笑いタレントが冗談で言うならアホクサと聞捨てることもできるが、いくら、お仲間向けの無駄話でも、これでは、“私の脳内は壊滅寸前です”と言っているようなものだ。そんな壊滅寸前の頭脳で改憲論議をされたのではたまったものではない。これでは、取り巻きの政治屋や官僚も「忖度」のふりをして好き放題にできるわけだ。
 
そういえば、棋士は、目隠しして対戦する「脳内将棋」ができるが、「脳無い政治」で国家財源を私物化したり無駄遣いしている輩と取り巻き連中を投了に追い込まねば、将棋無い(しょうがない)世になってしまう。

2017年6月17日土曜日

藤井四段の快進撃-ハラハラドキドキ

書こう書こうと思いながら、連勝が止まることの恐怖心から、藤井四段の大活躍について触れないでおいた。しかし、四段になってプロデビューしてから無傷の27連勝で、歴代連勝記録にあと1勝となったので、書き留めておくことにした。

藤井四段は、4月から(今年度)の成績は、16日対局分までで、対局数が16局で1位(2位は11局)、勝ち数は16で1位(2位は8勝)、勝率は16勝0敗で10割(同率者が8人いるが、勝ち数は4~1)、連勝数26で1位(2位は6)。

新人が上述の各ランキング1位を独占するなんて、まるで小説か映画のようだ。いくら架空の天才棋士を登場させようとしても、これだけの天才ぶりを描くことには躊躇するだろう。

かつて読んだことのある漫画に「ドカベン」という猛打者が登場する野球漫画があったが、たしか打率は4~6割ではなかったかと記憶している。いくら漫画でも、作者は打率7割とか8割の打者にはできなかったのだろう。

稀代の天才棋士と誰もが認める羽生善治さんは、現在三冠だが、かつて、七大タイトル全冠制覇をした。タイトル獲得97期で、同一タイトル(王座)獲得24期など数々の記録を持っている。

神武以来の天才と評された加藤一二三九段はプロデビュー最年少記録と18歳でA級入りという記録を持っていて、もう破られることはないだろうと言われていた。

大山康晴さんは、生涯A級に留まり、名人位連続13期、通算18期の記録を持っている。

将棋のプロになる(四段になる)ことは極めて難しく、1年に4人しかなれない。基本的には、満26までに四段にならなければ、プロへの道は閉ざされる。幼少期から将棋の才能に恵まれた者ばかりが集まっている天才集団である。その中で、タイトルを獲得できる棋士や記録を打ち立てることができる棋士は、ほんの一握りである。

藤井四段は、すでにそれまでの新人連勝記録10を破る11連勝の新記録を達成している。そして、第30期竜王戦では、61人がトーナメントで戦う最下級クラスの6組ランキング戦で優勝し、賞金93万円を獲得している。

29連勝という新記録を樹立してほしいと切に願うが、本人の心境を思うと、いたたまれない気持ちにもなる。それこそ、祈るばかりである。

それにしても、安倍首相と取り巻き連中が繰り広げるデタラメと胡散臭さ、厚顔無恥無知ぶりと、14歳の天才中学生棋士とを、つい比べてしまう。

2017年6月15日木曜日

安倍政権のおぞましさ

やることなすこと、道理に反することばかり。道徳心のかけらもない。

安倍政権の人道(じんどう:人のふみ行うべき道。人の人たる道。人倫-広辞苑より)に背く数々の悪政と愚行が連日報道されている。

そうした報道に接して、老妻と二人、腹が立つというより、怒り心頭で血圧上昇。

おぞましいかぎりだ。鬼畜にも劣る行いを平然と繰り返す。

「おぞましい」には2つの意味があることを知った(広辞苑)。

悍(おぞま)しい-ぞっとするようで、いやな感じだ。恐ろしい。
鈍(おぞま)しい-にぶい。おろかしい。

安倍政権は、そして、安倍首相を支えている取り巻き連中は、まさに、おぞましい。

2017年6月11日日曜日

「ご意向」文書の再調査-茶番劇は続く:どれだけ国民を馬鹿にしているのか

確認できなかったとか怪文書だとか、さんざん隠蔽工作をしておきながら、今度は、安倍総理の「ご意向」第2弾で、再調査をするという。安倍総理は、徹底的に調査をするように命じたと臆面もなく記者の問いかけにか答えていた。

これほどの茶番劇を書くことができる脚本家はいないだろうし、どんな名優を揃えても、これほどの茶番劇を演出できる演出家もいないだろう。それほど、稀代の茶番劇ということであり、名優も顔負けの演技力抜群で台本に忠実な団員が揃いも揃ったカルト劇団による茶番劇のシーズン3のエピソード1と言えようか。

主役、準主役、準準主役、脇役といった俳優ばかりではなく、舞台装置から大道具、小道具、プロンプターなどの裏方まで、よくぞこれほど強烈な個性をもった団員を揃えることができたか感心する。映画やテレビドラマの制作者からすれば、うらやましい限りではなかろうか。

しかも、観客からは事前に高額な観劇料を徴収していて、休演や役者のトチリでブーイングを受けたり予告なしの交代があって観客に満足を与えなくても観劇料の払い戻しは一切ないから、興行が赤字になることも絶対にない。団員のふところは全く痛まない。

そこで、観客を徹底的に馬鹿にして、というか、観客は劇の筋書きも展開もわからないバカばっかりだと決めつけて、デタラメで見え透いたミステリー仕立てにする。それを名作だとばかりに頓珍漢な劇評をもっともらしく書き連ね、言い連ねて金を稼いでいる悪徳評論家がいる。こうして、ゲスどもがグルになって稀代の茶番劇が繰り広げられている。

「ご意向」文書が捏造された怪文書ではなく、確実に存在することをあらためて調査するということはどういうことか。怪文書だとか確認できなかったといい続けてきた者の責任を問い、処罰するためでなければ意味がない。

「ご意向」が加計学園の獣医学部新設に直接触れていないから安倍総理には累が及ばないようなことを一生懸命に言い募るノータリンな連中がいるが、唯一加計学園だけが獣医学部新設の申請を許可され、受理されていたのだから、「ご意向」が加計学園の獣医学部新設の件であることは誰でもがわかっていることだ。

問題は、なぜ、加計学園なのか、ということだ。安倍首相だから加計学園だ、ということだ。安倍首相が加計学園にしろと言ったか言わなかったかは問題ではないのだ。安倍首相と首相夫人、お仲間たちの加計学園とのズブズブの関係は、広く知られている。あきれるばかりだ。

茶番劇に終止符を打つことができるように、心ある政治家とマスメディア、ジャーナリスト、文筆家にあらためて声援を送ろうではないか。そして、大きなことができないわれわれは、安倍政権のデタラメで危い政策運営をしっかりと監視して、来るべき日に備えておこうではないか。

2017年6月8日木曜日

加計学園問題への対応からわかる安倍内閣の非論理性と前近代性

加計学園問題と森友問題への政府の対応に共通していることは、安倍首相や菅官房長官を始めとする諸閣僚の言動が、非論理的で非科学的、前近代的であるということである。そして、そうした言動を否としないばかりか、むしろ積極的に是とすることが安倍内閣の規範になっているのである。

その一例は、菅義偉官房長官が、6日午前の記者会見で、前川喜平前文部科学事務次官が自身の辞任に関し5日に発表した菅氏の国会答弁への反論に対して、「私は辞任の経緯について私の承知している事実に基づいて発言した」と述べたところにみられる。

菅官房長官の発言に対して、会見場にいた記者らは何も質問していないし、報道でも問題にされていないが、私には、見逃せない実に重要な発言である。おそらく、菅官房長官自身も気が付いていないと思うが、上に記した発言の中に見られる「私の承知している事実」ということを平然と口にしているところが、見逃せないのである。

私の承知している事実」に基づくというのは、“私が承知していない事実”は事実として認めないということであるから、事実というものは幾つもあるということになる。これは、近代以降では、「事実に基づいて」いることにはならない。

会見場にいた記者たちは、少なくとも、「では、官房長官が承知していない事実とは何ですか」とか「官房長官は、事実は幾つくらいあると思うのか」、「どちらの事実が正しいのですか」くらいは、皮肉を込めて追及すべきであった。

一言でいえば、菅官房長官の発言は、古代・中世の天動説支持者のものである。ガリレオを有罪にするために天動説を持ち出した中世のローマ教皇庁と同じである。安倍内閣の面々は、「我々が承知している事実は、太陽が地球の周りをまわっているということだ」と言っているのである。

教育の本拠ともいうべき文科省の大臣らは、「調べてみたが確認できなかった」ことを恥ずかしげもなく公言している。事実を確認する方法の正否については一切触れていない。実験でも調査でも、方法が正しくなければ、結果は誤りであり、その実験や調査は何の意味もないばかり百害あって一利なしである。

財務省の佐川局長は、自分の子どもにどんなしつけをしているのか興味があるが、一切合切調査することを拒んでいる。財務省こそ正確な事実認識の下で仕事をする省庁であるはずなのに、事実を確認しようとしない。裏を返せば、事実を尊重するからこそ、事実を確認することは自らの非を認めざるを得ないことになることをよく理解しているということだろう。

安倍首相の国会での答弁やマスメディアに対する発言も、事実に対して無頓着というか正しい事実を認識することが現代政治の基本であることを全く理解していないをよく表している。事実はこうだと証拠を示されても、事実の重みを理解できずに、多弁を弄することによって言い逃れできると確信している。自分に都合の良い事実だけを強調する。

そういえば、STAP細胞問題の時に文科大臣だった下村博文幹事長代行の文科大臣らしからぬ問題認識にはあきれ果てたが、その後も安倍首相の第一の側近として相変わらずの無知性ぶりを発揮している。

要するに、安倍政権の特質は、事実に依拠して物事を考え、判断し、処理するという現代の思考様式とは無縁の類まれなる非論理性と前近代性にある、ということだ。事実を事実として受け入れることができずに、ひたすら隠蔽と誤魔化しに終始し、そのことが邪悪な行為であることを認識できず、幼稚で我儘なだけの人間集団と言ってよかろう。小学校教育から学びなおさなければならないほどである。

こんな政権を支持することは、日本を前近代社会に後戻りさせてしまうことに加担することであることを肝に銘じなければならない。

2017年6月4日日曜日

加計学園がなんで獣医学部新設を申請できて、受理されたのか-加計学園は設置計画について何も言っていないという不思議

獣医学部新設をめぐって、加計学園問題が世情をにぎわしているが、マスメディアも政治家も真正面から取り上げないことは、加計学園グループの大学の実情である。

今回の騒動が起きるまで、加計学園はもとより、岡山理科大や千葉科学大学、倉敷芸術科学大学という加計学園が経営する大学が存在していることすら知らなかった。

初めて、その名前を聞いたとき、岡山理科大学は、東京理科大学の岡山キャンパスかと思ったし、千葉や倉敷に、そうした大学があることも初めて知った。そこで、少し調べてみた。

そのことについては、以前にも触れたが、文部科学省のホームページに掲載されている設置計画履行状況等調査には、上記3大学がいずれも定員割れ等の問題を抱えていて、改善が必要であることが明記されていた。

大学受験産業が提供している大学入試情報では、3大学いずれもが、入試の難易度のかなり低い大学に属することが示されている。しかし、入試の難易度が低いこと自体が問題になるわけではない。いろいろな大学があることは悪いことではない。そこでしか学べないとか、特色ある教育・研究が行われていて、そうしたところに魅力を感じる学生でにぎわっていれば-定員が埋まっていれば-素晴らしいことだ。

ところが、加計学園グループの大学は、どう考えても、そうした大学とは言えない。疑問に思うのは、それなのに、そうした大学が世界水準の獣医学部を新設するという野望を抱いた暴挙を諫めるどころか申請を奨励し、それを受理したのか、ということである。

国立大学の運営費や教員を削減する“大学改革”を積極的に進めていながら、他方では、議論の多い獣医学部新設を問題が少なくない大学経営グループに積極的、というよりは強引、というよりは強権的に認可しようとするのか。

獣医学部が足りないというのなら、実績のある既設の獣医学部の定員を増やせばよいことではないだろうか。聞くところによると、申請している獣医学部は、キャンパスも、その獣医学部だけをつくるために今治市が無償提供したという。

個別キャンパスで獣医学教育をするには、そのための施設はもちろんのこと、獣医学の専門教育を担当する教員だけではなく、いわゆる教養教育担当の教員も必要とする。施設・設備と教員スタッフをどのように揃えるのか詳細は分からないが、国費からの相当規模の補助金が提供されることを見越していることであろう。

加計学園のホームページを見ても、獣医学部設置計画に関する記述はどこにも見当たらない。それどころか、事業計画について平成28年度までについては、上記3大学が個別に詳しく記しているのに、平成29年度に関しては、既に6月というのに、記載されていない。あえて記載していないのだろうか。何か隠しているような印象を受ける。

岡山理科大学の平成28年度の事業計画を見ると、「平成29年度に・・・新たに経営学部経営学科の開設を計画しています。・・・文部科学省に対し平成28年4月に設置届出を行います。なお、入学定員が130名となるため、平成28年3月に収容定員増の認可申請を行いました。・・・ビッグデータコースを立ち上げ、20名の定員増を行います。・・・定員増のほか、理学部・・・において、平成29年度より入学定員増を行います。大学全体で185名の入学定員増となります。平成28年3月に学則変更認可申請書類を提出しており、6月認可を予定しています」と、かなり詳しく書いてある。こうした拡大策を展開できるのはなぜだろうか。不思議である。

それにしても、獣医学部新設は、加計学園にとっては一大事業だと思うが、そのことに一切触れていないのは、とても奇妙で、不気味で、うさん臭いと思わないではいられない。誰も指摘していないのも、不思議である。何か、後ろめたいことがあることを告白しているようなものではないだろうか。
 
獣医学関係でいえば、山口大学が、「大学院共同獣医学研究科の設置構想について(平成30年4月設置予定)」の記事をホームページに掲載している。これが、意気込んで新設組織を設置しようとする場合に大学が示す普通の態度だろう。

このように見ていけば、進行中の加計学園問題が政治的一大スキャンダルであることは誰にでもわかる。それは政治的な暗躍(人に知れないように活動すること。ひそかに策動すること:広辞苑)ではなくて、まさに強権政治による“悪だくみ”である。そして、それは、何もかも知っていながら、平然とことを進めようとする嘘つきでたらめ集団による共謀がなせる業(わざ)である。

この問題を軽く見てはいけない。そこには、国の命運を左右するほどの大きくて邪悪で、薄汚れてどす黒い病んだ精神が跳梁跋扈しているのである。退治しなければ、世も末、になってしまう。