2017年6月8日木曜日

加計学園問題への対応からわかる安倍内閣の非論理性と前近代性

加計学園問題と森友問題への政府の対応に共通していることは、安倍首相や菅官房長官を始めとする諸閣僚の言動が、非論理的で非科学的、前近代的であるということである。そして、そうした言動を否としないばかりか、むしろ積極的に是とすることが安倍内閣の規範になっているのである。

その一例は、菅義偉官房長官が、6日午前の記者会見で、前川喜平前文部科学事務次官が自身の辞任に関し5日に発表した菅氏の国会答弁への反論に対して、「私は辞任の経緯について私の承知している事実に基づいて発言した」と述べたところにみられる。

菅官房長官の発言に対して、会見場にいた記者らは何も質問していないし、報道でも問題にされていないが、私には、見逃せない実に重要な発言である。おそらく、菅官房長官自身も気が付いていないと思うが、上に記した発言の中に見られる「私の承知している事実」ということを平然と口にしているところが、見逃せないのである。

私の承知している事実」に基づくというのは、“私が承知していない事実”は事実として認めないということであるから、事実というものは幾つもあるということになる。これは、近代以降では、「事実に基づいて」いることにはならない。

会見場にいた記者たちは、少なくとも、「では、官房長官が承知していない事実とは何ですか」とか「官房長官は、事実は幾つくらいあると思うのか」、「どちらの事実が正しいのですか」くらいは、皮肉を込めて追及すべきであった。

一言でいえば、菅官房長官の発言は、古代・中世の天動説支持者のものである。ガリレオを有罪にするために天動説を持ち出した中世のローマ教皇庁と同じである。安倍内閣の面々は、「我々が承知している事実は、太陽が地球の周りをまわっているということだ」と言っているのである。

教育の本拠ともいうべき文科省の大臣らは、「調べてみたが確認できなかった」ことを恥ずかしげもなく公言している。事実を確認する方法の正否については一切触れていない。実験でも調査でも、方法が正しくなければ、結果は誤りであり、その実験や調査は何の意味もないばかり百害あって一利なしである。

財務省の佐川局長は、自分の子どもにどんなしつけをしているのか興味があるが、一切合切調査することを拒んでいる。財務省こそ正確な事実認識の下で仕事をする省庁であるはずなのに、事実を確認しようとしない。裏を返せば、事実を尊重するからこそ、事実を確認することは自らの非を認めざるを得ないことになることをよく理解しているということだろう。

安倍首相の国会での答弁やマスメディアに対する発言も、事実に対して無頓着というか正しい事実を認識することが現代政治の基本であることを全く理解していないをよく表している。事実はこうだと証拠を示されても、事実の重みを理解できずに、多弁を弄することによって言い逃れできると確信している。自分に都合の良い事実だけを強調する。

そういえば、STAP細胞問題の時に文科大臣だった下村博文幹事長代行の文科大臣らしからぬ問題認識にはあきれ果てたが、その後も安倍首相の第一の側近として相変わらずの無知性ぶりを発揮している。

要するに、安倍政権の特質は、事実に依拠して物事を考え、判断し、処理するという現代の思考様式とは無縁の類まれなる非論理性と前近代性にある、ということだ。事実を事実として受け入れることができずに、ひたすら隠蔽と誤魔化しに終始し、そのことが邪悪な行為であることを認識できず、幼稚で我儘なだけの人間集団と言ってよかろう。小学校教育から学びなおさなければならないほどである。

こんな政権を支持することは、日本を前近代社会に後戻りさせてしまうことに加担することであることを肝に銘じなければならない。

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