2017年8月15日火曜日

72回目の終戦記念日に思うこと-悔しさと怒り

今年も終戦記念日がやってきた。すでに72回目だ。戦後生まれも、いまや“立派な老人”だ。

君が代斉唱と祭壇に大きな日の丸の旗。戦前・戦中そのままの風景の中で全国戦没者追悼式が行われることに毎年違和感を覚えるのだが、以下に記す安倍首相の式辞から始まった(首相官邸のウェブサイト参照)。ふりがなも原文どおり。安倍首相が漢字の読み間違いをしない様にという配慮だろう。

天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、全国戦没者追悼式を、ここに挙行致(いた)します。
 先の大戦において、三百万余の方々が、祖国を想(おも)い、家族の行く末を案じながら、苛烈を極めた戦場に斃(たお)れ、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遠い異郷の地で命を落とされました。いま、その御霊(みたま)の御前(おんまえ)にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。
 いま、私たちが享受している平和と繁栄は、かけがえのない命を捧(ささ)げられた皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであります。私たちは、そのことを、ひとときも忘れることはありません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念を捧げます。
 戦争の惨禍を、二度と、繰り返してはならない。
 戦後、我が国は、一貫して、戦争を憎み、平和を重んずる国として、ただひたすらに、歩んでまいりました。そして、世界の平和と繁栄に力を尽くしてきました。私たちは、歴史と謙虚に向き合いながら、どのような時代であっても、この不動の方針を貫いてまいります。

 未(いま)だ、争いが絶えることのない世界にあって、我が国は、争いの温床ともなる貧困の問題をはじめ、様々な課題に、真摯に取り組むことにより、世界の平和と繁栄に貢献してまいります。そして、今を生きる世代、明日を生きる世代のため、希望に満ちた明るい未来を切り拓いていく。そのことに、全力を尽くしてまいります。
 終わりに、いま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様には、ご多幸を、心よりお祈りし、式辞といたします。

常日頃の言動とはとてつもなく遠い内容で、とても白々しい式辞である。相も変わらず舌先三寸で得意げに式辞を読む。どうしてそんなことができるのか神経を疑う。

日経新聞によれば、「式辞では安倍首相はアジア諸国への加害責任に5年連続で言及しなかった。昨年12月の真珠湾での演説では言及した「不戦の誓い」も戦没者追悼式では2007年を最後に言及していない」。

日本国憲法の前文は次のように言う。

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


憲法に「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」と明記されていることを式辞で言及し、誰が-どこのどいつが-とてつもなく大勢の尊い人命と生活を奪う戦争を引き起こしたのかを一国の首相として明言してから、「戦争の惨禍を、二度と、繰り返してはならない」と決意を示さなければならないだろう。そうではなくて、とってつけたような美辞麗句を並べ立てても、望まずして有無を言わせずに戦地に投げ込まれ、銃を握らされ、激しく飛び交う銃砲弾と投下される爆弾に想像を絶する恐怖に戦(おのの)きながら悲惨な最期を遂げた戦争犠牲者に対する追悼にはならない。

大バカな政治家と軍人によって引き起こされた戦争の犠牲者とその家族や親族、知人・友人らの悔(くや)しさと怒りを現在の大バカな政治家とその取り巻き連中は少しも理解できずに、無知丸出しで時代錯誤的言動を繰り返している。

いま、私たちが享受している平和と繁栄は、かけがえのない命を捧(ささ)げられた皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであります。私たちは、そのことを、ひとときも忘れることはありません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念を捧げます」とは、なんと傲慢なことか。大勢を死に追いやり、犬死をさせ、人間としての尊厳を踏みにじったのは、どういう輩だ。

他人(ひと)に犠牲を強いて、自分たちは決して被害を被ることがないように常に安全な居場所を確保し、我欲を貪る。終戦記念日が来るたびに、悔しさと怒りで胸が張り裂ける思いである。この思いは、死ぬまで続くだろう。いや、もし、黄泉(よみ)の国があるのならば、この悔しさと怒りを死んでも持ち続けることだろう。

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