2014年7月9日水曜日

なぜ、STAP細胞問題は早期に解決しないのか

STAP細胞をめぐる問題が一向に解決する様子のないままに過ぎていき、その間にも、不信感を募らせる情報が次々と目に飛び込んでくる。いったい、この国は、どうなっているのか。

司馬遼太郎流に言えば、この国のかたち、というのだろうか。鉄槌を下されないとわからないが、鉄槌を下されるとは毛頭考えないで高を括っていて、鉄槌を下されても、鉄槌を下されたことを理解できないで、鉄槌を下されたことを忘れてしまう。そういう人たちがリーダーとして君臨し、鉄槌を下したと思っている人も鉄槌を下したと思って満足してしまい、鉄槌を下した相手の暴走を止められない。

7月8日付のMSN産経ニュースによれば、下村文部科学大臣が、不正の実態が解明されるまで検証実験の凍結を求めた日本分子生物学会の声明に対して、理研の検証実験を意義あることだとあらためて強調し、小保方嬢が実験に参加することに対しては、「科学界を含め、社会に対する説明責任を果たすために、透明性を確保し科学的に検証すると聞いている」と述べたという(記者会見の動画)。

STAP論文をめぐる問題と、その後の理研の尋常ならざる対応に関して、教育・科学行政の最高責任者が、教育や科学の観点から知ろうともしなければ、考えてもいないし、考えようとしない、ということが如実に表れている発言だ。こうした大臣を頂く文部科学省の良識ある職員は切歯扼腕していることだろう。

同じ日付のMSN産経ニュースには、Natureに提出した撤回理由が、共著者の合意がないまま若山教授の説明とは全く逆の説明に書き換えられていて、しかも、誰が書き換えたのわからずに水掛け論になっていることが報じられている。事実とすれば、撤回理由書も改竄されたことになる。性懲りもなく・・・、救いようがない、というところだが、ミステリー小説作家もビックリだろう。
 (追記:7月11日-「若山さんがNature誌に送った取り下げ理由(5)のSTAP幹細胞の遺伝子解析の結果について説明した英文が誤読を招くもので、それによって若山さんが意図した意味ではない解釈をされたことが原因でした」ということのようです」-書き換えの事実はなかったということだが、言語の違いが引き起こしたミステリアスな一件である。語学に達者な方は、Natureに提出した撤回理由と理研が公表している撤回理由書の日本版とを比較してみるといい)。それにしても、仮訳とはいえ、日本版を公表する前に関係者の誰もが気がつかなかったというか、見過ごしていたというのも解せないことだが・・・。

理研は、7月2日に、広報ページで、STAP細胞に関する研究論文の取り下げを発表している。その中に、STAP論文の主要著者たちのコメントも掲載している。コメントというのは便利な言葉でよく使われるが、広辞苑には、「事件・問題などについて、解説や意見を述べること。評言。論評。」とある。ふつうは、コメントと言えば他人の行為や客観的な対象とか出来事に対する意見の意味で使われるから、自らの行為に対して使うことには違和感を感じる。

今回の場合は、自らが犯した不正や共著者として不正を防げなかったことを認めて謝罪しているわけであるから、「コメント」ではなく、素直に「謝罪」や「おわび」とすることが知識人と知識人の集まりである組織の常識であり、誠意であろう。もっとも、これまでの言動からすれば、とてもとても知識人とは言い難いから、「コメント」とするのも宜(むべ)なるかな。それにしても、今さら何を、という感じで、遅きに失するとは、こうしたことを言うのだろう。

小保方嬢のコメントだけ2日遅れの4日に追加されているが、掲載順は、STAP論文の著者順に準じているようで、小保方嬢のコメントが最初にあげられている。どれも短いものだから、下に再録しておく(青字の部分)。なお、誰のコメントかは敬称を略して( )内に記しておく。ついでに言えば、理事長やセンター長の声明のようなものが一切ないのは、とても違和感を感じる。通常の組織ではありえないことではないだろうか。組織をあげて問題の解明に当たってきた/いるはずなのに、この広報ページは、実に淡々としていて、他人事のような広報ぶりである。見ようによっては、客観的で科学研究の組織らしいと言えないこともないけれど、やっていることは、それとは反対で、ひどく非科学的であり、固まってしまうようなユーモア、ジョークの類と言えなくもない。そういえば、ずっと以前に、「責任者出てこい!」を売りにしていた漫才があったな。

今回起こった論文の不備は、自身のデータ管理のみならず、共同研究者間でのサンプル共有・データ共有の在り方・確認方法を含め、筆頭著者である私の至らなさが招いた結果であると深く反省しております。理化学研究所の皆様、共著者の皆様はじめ、多くの方に多大なご迷惑をおかけしてしまったことを重ねてお詫び申し上げます。今後はSTAP現象・STAP細胞の存在を実証するために最大限の努力をして参る所存です。(小保方晴子)
 
Nature誌へ掲載した2つの論文の撤回について
先に、Nature誌に掲載されたSTAP現象に関する2つの論文が、本日正式に撤回されました。撤回によって、皆様のご期待を裏切る結果となり、大変申し訳なく思っております。これらの論文は発表直後から図や文章に多数の疑義が指摘され、そのうちのいくつかは論文の根底に関わる重要なものでした。そこで、論文の撤回は研究者にとって最もつらい選択ですが、3月10日に論文の撤回を共著者に呼びかけました。その後、2点の疑義が不正認定され、さらに新たな疑義が複数指摘されていることからも今回の論文撤回は必要な処置と考えます。(若山照彦)
 
論文撤回に際して
私どもが発表した2つの論文に、多くの誤りが存在することが判明し、撤回いたしましたことは、研究者として慚愧の念にたえません。また、こうした誤りを事前に発見できず、それらを回避し不正を防止する指導を徹底しきれなかったことを、共著者として痛切に後悔し反省しております。こうした事態に至り、多くの混乱と失望を生みましたことを、心中より深くお詫び申し上げます。今回の撤回により実験的な根拠が失われ、その後新たに判明してきた細胞の遺伝子型などの齟齬などを照らしあわせると、STAP現象全体の整合性を疑念なく語ることは現在困難であると言えます。研究所の若手研究者育成を担うべき副センター長としても、本件に関する重い責任を感じ、その進退については理研の判断に従う所存です。(笹井芳樹)
 
Nature論文撤回について
論文作成過程における数多くの誤りから、本論文が撤回される事態に至りました事は、共著者として誠に遺憾であり、慎んでお詫び申し上げます。本件に係る疑問点につきましては、今後もその解明に真摯に対応していく所存です。(丹羽仁史)

各人のコメントにどのような印象を持つかは人それぞれだろうが、小保方嬢のコメントには表題がなく、いきなり本文に入っている。杜撰な実験ノートが笑いものになっているが、このコメントにも同じような杜撰さが見られる。学位論文やSTAP論文でしたように、何かの文章をコピペしたのではないかと勘ぐってしまう。コメントを出した他の3人に遅れること2日の間に、コピペ元を探していたのかもしれない。ひょっとすると、他の3人のコメントをコピペしたものを提出して止められたか叱られたのかもしれない。とても科学論文を書いてきた人が自ら書いたものとは思えない。ひょっとすると、筆頭著者にはなっているが、STAP論文は一字も書いていないのではなかろうか。そのことが、彼女の不可解な言動を可能にしているのかもしれない。

「共同研究者間でのサンプル共有・データ共有の在り方・確認方法を含め」と「今後はSTAP現象・STAP細胞の存在を実証するために最大限の努力をして参る所存です」という物言いには、俗な表現を使えば、仰け反ってしまった。不正行為を行った事実につては何も触れず、まさに他人事のような“コメント”である。STAP細胞の存在を実証したことを宣言した論文が捏造論文であったことなどどこ吹く風で、最大限の努力とは・・・。彼女のコメントを「査読」した人はいないのだろうか。それとも、しっかり査読を受けて修正してのことだろうか。もし、そうであれば、恐ろしいことだ。

毎日新聞 (7月8日:7時0分配信)によれば、理研の発生・再生科学総合研究センター長である竹市雅俊氏が、今年4月に理研改革委員会に内部調査結果を報告した際、「信頼性がないと私が判断した(職員らの)発言や資料は削除した」と述べていたという。そして、「改革委の元委員によると、そうしたセンター長の姿勢が問題視され、センターを解体すべきだという厳しい提言(6月12日)につながったという」ことも報じられている。

問題を積極的に解明しよう、しなければならない、という姿勢は微塵も感じられない。科学者であれば、 精粗様々な情報を集めて分析しようとするのではないだろうか。「信頼性がないと私が判断した」という発言は、かつて野球審判・二出川延明が「俺がルールブックだ」と言ったというエピソードを彷彿させる。二出川の場合は武勇伝として語ることができるが、竹市センター長の場合は、すでに理研内外で痛いところを突かれていることを重々承知の上で、自己保身のために何かの勢力に唯々諾(いいだくだく)として従う姿勢としか写らない。センター長として判断すべきところを大きく取り違えていることに気がつかないのだろうか。理研内外からの期待を裏切っているという意味で、センター長の役割を果たしていないというべきであろう。

報道によれば、文科省は、STAP細胞の問題など研究不正が相次いだことから、インターネットで疑問点が指摘された場合でも調査することなどを含んだ「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」(案)を7月2日に発表した。そして、翌3日から8月1日までパブリック・コメントを募集している。

STAP細胞論文の不正を暴くことにインターネットでの議論が大いに貢献した、というより、インターネット上で不正が暴露されなければ、おそらくこれほど早くに不正が明るみに出ることはなかったであろう。ようやく文科省はインターネット時代に即応した対応をとることになったわけだが、これまでの文科省の情報収集能力というか情報収集における姿勢に疑問を覚える。

その種のガイドラインはこれまでにも詳細なものがあったし、平成18年に行われた「研究費の不正対策検討会(第1回)」の議事録には、研究費が国民の税金で賄われていることについて盛んに言及されている。

今回のSTAP論文問題は、これまでのガイドラインに照らしても、多額の公的費用を用いて行われた著しい研究不正であることは明々白々である。にも関わらず、文科省は調査や監査、指導を積極的に行ってこなかったし、行おうともせずに、来年度から適用されるガイドラインの改定という事務作業を進めることで問題を先送りしている。しかも、その作業のための予算として5千5百万円を見込んでいる(25年度は5千6百万円)。予算を獲得、消化できる仕事が生まれて、STAP細胞論文問題さまさま、というところか。

研究者の国会ともいうべき日本学術会議も、3月19日に「STAP 細胞をめぐる調査・検証の在り方について」という会長談話を出したきりで、その後は何も行動を起こしていない。談話は、まあ、一言くらい言わないと、という程度のもので、学術会議の提言でも何でもないから、不正を行った面々や不正を見逃している組織にはもとより、文科省や文科大臣にも何の影響力もない。

なぜ、STAP細胞問題は早期に解決しないのか、といった疑問が、これで解消したわけではない。ただ、言えることは、研究不正をそれほど重大な問題と認識していないことが、問題を拡散させ、有耶無耶にしている、ということである。

明らかに法律に抵触していると見做されれば、それは違法行為=犯罪である。誰かに迷惑をかけたり、誰かが損害を被ったことが明らかであれば、損害賠償をしなければならない。ところが、研究不正に関しては、不正を行った当人も第三者も、そうした認識をもたない。「えっ、誰が、どんな迷惑を被ったの?」、「誰かに損害を与えたかしら?」という程度の感覚ではないだろうか。こうした鈍感さが、“STAP細胞があるか否かが問題である”とか、“再現実験で検証してからでないと問題は解明されない”というような問題のすり替えにつながっている。

STAP論文の著者たちが、「コメント」で表面上は「謝罪」しながら、何ら具体的な償いに触れていないのも、理研が再現実験と称して不正を行った人間を処分することなく実験に参加させ、以前と同様に職員として待遇しているのも、研究不正を一般的な意味での不正行為と認識していない/できないからである。これは、倫理観の問題ではない。研究不正というものが、不正として認識されにくい行為になってしまっている、ということである。そこに、「科学」を錦の御旗に掲げて己の不正から目をそらさせようとする言動が入り込む余地を与え、第三者は、そうした言動を盲目的に支持してしまうようになる。

研究不正が多額の公費を用いて行われたとすれば、納税者に多大の損害を与えたことになる。科学研究に多額の資金が必要であることは認められるとしても、それは研究が適切公正に行われることを前提にしている。論文を撤回し、謝罪したことは不正行為を行ったことを認めたことであり、当然、その不正に用いた費用を返却することを申し出なくてはいけない。科学に名を借りて、組織ぐるみで隠蔽工作のようなことをして問題解決を先延ばしすることは許されないだろう。国民の信託を受けた行政機関である文科省や国内有数の知が結集している日本学術会議の責任は重い。

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