2017年4月15日土曜日

世界の平和安全のために日本政府は必死になって行動すべきだ

あたかも開戦前夜のような論評がマスコミを賑わす一方で、安倍首相は花見を主催して駄句を披露して悦に入っている。渦中の昭恵夫人も“堂々と”笑顔を見せている。

新聞の首相動静欄には、14日には、熊本地震1年の追悼式で挨拶をして、その夜にはホテルニューオータニで開催された「桜を見る会」の前夜祭に昭恵夫人と出席している。そして、きょう15日の午前中に花見である。

花見が悪いと言うわけではない。被災地を視察して、何を見て何を考えたのかはわからないが、被災者・被災地に寄り添う気持ちがあるならば、花見で浮かれて政権のおごりを示すような駄句を披露して悦に入るなんてことはできないのではなかろうか。私にはできない。ましてや、米軍のシリア爆撃に対して戦争を煽るが如きの支持声明を出しておいてである。

そうした安倍首相との対比で私がとても印象に残ったのは、中国の王毅外相の発言である。

AFPBB Newsによれば、彼の発言は次のようなものである。

戦争が起きれば、その結果は全員が負けるという状況で、誰も勝者にはなれない」と述べたという。そして、衝突を誘発する側がどちらであっても「歴史的責任を負うことになり、相応の代償を払うことになるだろう」と言い、「対話こそが唯一可能な解決策だ」と訴えたそうだ。

中国の内政、外交に見られる日頃の横暴を棚にあげておいて何を白々しい、と言うのは簡単だし、自国の利益を優先して機に乗じて見え透いた“ええ格好しい”じゃないか、と王毅外相を揶揄することもできよう。

しかし、私の印象は違う。嫌らしいほど大国の自負を露骨に押し出しての名演技とは思いつつも、他方では、とてもうらやましい気分にさせられた。

何を言いたいかというと、こうした訴えを、安倍首相始め安倍政権の閣僚が声を大にして何度も何度も国際社会に向けて発信し、必死になって行動して欲しかった/欲しい、ということだ。それでこそ、日本人は、自国に確固たる誇りと愛国心を持つことができるだろう。

ミサイルの迎撃のことばかりに関心が向いているようだが、自国に何の被害も生じることなく100%迎撃できるわけではないことは、軍事評論家でなくてもわかる。兵器の性能評価は、詳しいことはわからないが、100%は期待されていないのであろう。それが、たとえ、50%や60%であったとしても、高い確率と見做されているのではないだろうか。もっといえば、“ないよりは、まし”程度ではないかとも思う。

飛んできたミサイルの99%は迎撃できた、と軍事的には大成功と戦争遂行者は自慢したとしても、残りの1%で多くの人が犠牲を強いられることになる。ミサイル迎撃の議論は確率の問題ではないと言うことだ。 最新式の武力や兵器を幾ら用意しても、戦争を起こせば、悲惨な結果が生じることを、これまでに、イヤと言うほど学んだはずである。日本政府は、世界平和のために、武力行使を徹底的に批判し、頭を使って必死になって行動することを願わずにはいられない。

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