2017年4月2日日曜日

森友学園問題の構図-騙されてはいけない虚構の対立関係

叩き売りかのような国有地格安払い下げに端を発した森友学園問題が、予想通りと言うか、予想に反してと言うか、ドラマチックと言うか、漫画チックと言うか、三文小説風と言うか、ミステリー調と言うか、戯作風と言うか、講談よろしくと言うか、弁証法的と言うか、ドタバタとした展開を続けている。

何で、そんなに安く国有地が払い下げられたのか、という疑惑は、そこに、不正な行為が“志を同じくする”有力政治家連中の仲間内で共謀して行われた、という確からしい推測をもたらした。一連のことを素直に見つめれば、自然にそういう推測に行き着くだろう。そして、そこに、高級官僚が自己保身と出世のために大いなる“忖度”が働いていた、と考えが及ぶのも、至極当然の推測プロセスである。

国会での一連の質疑応答の中で、官僚が交渉記録を廃棄したと強弁し続け、首相始め政権与党の大臣や議員が、国有地払い下げの不自然な過程と篦棒(べらぼう)な価格での払い下げによって国民に損失を与えたことなどは歯牙(しが)にもかけずに、問題の原因究明に一切取り組もうとせず、お仲間・身内のかばい合いに終始した。

そうした第一幕から、森友学園(籠池一家) 対 安倍政権(安倍一家)の同類茶番劇の第二幕が開いた。次々と古顔、新人の役者が登場し、演出家が変わったかと思うほど新たな展開を迎え、観客は感心するやら興奮するやらで、大いに盛り上がりを見せることになった。マスコミやジャーナリスト(といえるかどうか疑わしいような政治評論家もどきも含めて)、役者の役割が明確鮮明になり、とても分かりやすい言動で対立関係が描かれることになった。

うん? わかりやすすぎるのではないか? 韓国ドラマか水戸黄門シリーズを見ているようではないか。

しかし、しかし、である。騙されてはいけない。そこでの対立関係は、敵・味方の関係ではない。悪人、善人の関係ではない。仲間同士の内輪もめに過ぎないからだ。近親憎悪のようなものだ。思想信条が同じでお互いに親しすぎたり性格がとても似通っていることからくる悪口の言い合い、ケチのつけ合い、憎しみ合いにすぎない。暴力団の内部抗争や内ゲバと同じである。

そこにあるのは単なる打算(損得勘定)だけだ。国民のため、国のためなどという真っ当な政治理念や知性などは全くない。己の利益をいかにして確保し、拡大していくか、ということだけだ。

政治家や官僚にとっては、10億や20億の金額は端金(はしたがね)に過ぎない。自分の懐が痛むわけではないから、その端金で自分がいい目を見ることができれば、いとも簡単に処理することになる。麻生財務大臣が大臣席でニタニタ笑っているのも、“おまえら、そんな端金のことで何を目くじら立てているんだ。ばっかくせい。俺の一声で、なん百億何千憶何兆も動かせるんだぞ”と思っているからだろう。

そういえば、森友学園が小学校開設予定地としていたところからゴミが出てきて、その処理費用を8億円と算定して値引きの根拠にしたが、この8億円という数字はなかなか意味深長である。

籠池理事長が提出したという3通りの工事請け負い契約書は、それぞれ23億8,400万円、15億5,000万円、7億5,000万円だった。工事業者は、正式な契約金額は15億5,000万円だという。ふむふむ。

23億8,400万円-8億円=15億8,400万円。
 7億5,000万円+8億円=15億5,000万円。

ごみ処理費用の8億円を引いたり足したりすれば、正式な契約金額になるではないか。できすぎじゃない?

誰かがアドバイスしたとしか思えない。そういえば、松井大阪府知事によれば、異例というほど近畿財務局が出向いて大阪府と何度も打ち合わせをしたそうだから、そのあたりのことも打ち合わせの際に十分に検討して確認されたのではないだろうか。籠池理事長(前理事長になったようだが)が、松井府知事にはしごを外されたと言ったのは、そういうことではないのか。

おそらく、安倍信奉者のような小物政治家や政治評論家気取りの連中などは、その辺の詳細を知らされていなくて、おべっかを使うのはこの時とばかりに安倍首相と首相夫人の擁護に血道をあげているのだろう。

ヘーゲルの弁証法を半可通的に適用すれば、正-反、と来たから、今度は合が第三幕になるはずだ。合に至ることをドイツ語ではアウフヘーベン(Aufheben:日本語では、止揚<しよう>とか揚棄<ようき>とわけのわからない訳があてられる)と言うが、その過程では、それまでの段階の実質が保存される。

安倍首相が、“国有地売却に自分や妻が少しでも関与していれば首相はもとより国会議員もやめる”ようなことを断言したのも、その後のいきり立った反論も、極右イデオロギー(思想傾向、観念形態)に凝り固まった仲間の支持は盤石(ばんじゃく:きわめて堅固)であると確信しているからだろう。

そして、その背後で、教育勅語を教材として使うことを否定しないという政府の答弁書が出され、道徳教育が教科化されて、笑止千万の教材が作られ、辺野古基地造成に反対する沖縄県知事を損害賠償で訴えることが検討されている。稲田防衛大臣の件はお預けになっている。

とんでもないことだらけだ。臭いものには蓋をして、トカゲのしっぽ切りで、第三幕が大団円、ということになれば、もはや、この国は救いようのない非文明国に陥落してしまう。

やりたい放題で弱い者いじめを平気で繰り返す政権の支持率が低下しないほど、日本人は魂を抜かれてしまったのか。全国の老人よ、健康づくりにばかり勤しんでいないで、御意見番として、子のため孫のために政治的感覚を研ぎ澄まそうではないか。

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