2017年4月5日水曜日

きょう、ウグイスの初音を聴いた

今日、4月5日の午後、鶯(ウグイス)の初音を聴いた。

毎年、春になると、喧しいくらい朝からウグイスが鳴き続ける。近くの林の中に何羽いるかは定かではないが、競い合うように、これぞとばかりに喧しいほど澄み切った高音を奏でる。

春告鳥(はるつげどり)の別名を持つように、桜の開花が視覚を通してということならば、鶯は聴覚を通して春の到来を教えてくれる。

清少納言の枕草子にもあるように、日本人は(といってよいかわからないが)、古くから鶯の鳴き声を愛(め)でてきたが、夏の盛りにも鳴き声を聞くことがあり、初秋まで鳴いていることもある。枕草子には、そんな時期の鶯を品のない者は「虫食い」と呼ぶと言って残念がっていて、春にだけ鳴くのであれば、どれほど味わい深いものか、などと言っている次のような一節もある。

夏秋の末まで老い声に鳴きて、虫くひなど、良うもあらぬものは名をつけかへて言ふぞ、くちをしくすごき心地する。・・・春なくゆゑこそはあらめ。「年立ちかへる」など、をかしきことに歌にも文にも作るなるは。なほ春のうちならましかば、いかにをかしからまし。

鶯の初音にウキウキするような気持ちにさせる政治状況の到来を望むばかりだ。真に賢くて品性のある信頼に足る政治家たちよ登場してくれ。

善政を施すために、年がら年中、国会で競い合って論争し、メディアは、その内容を喧しいほど国民に伝えるのであれば、そんな喧しさなら大歓迎だ。

悪政を悪政と理解できずに得意になって税金を無駄遣いして国民を翻弄するだけの厚顔無恥な政治家は、「虫食い」ならぬ「金食い」という別名で呼ばれるのがふさわしいだろう。

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