2014年4月18日金曜日

STAP細胞騒動-小保方さんが追加資料を出すそうだ

ゴチャゴチャした展開になってきたSTAP細胞騒動だが、小保方さんが、何の目的か私には理解できないが、追加資料を出すそうだ。何か、真性の画像だとか。STAP細胞はあった、ということを主張したいのかもしれないが、彼女の弁護団も面白い人たちだなと感心する。

まあ、こんな誰も目を通さないブログで、私ごとき者が何か言っても始まらないが、感想ごときものを綴っても悪いことはないだろうと、また、書いちゃうことにした。

知っていて偽札を使ってバレなければしめたもので、バレたときには、偽札だなんて知りませんでした、ちゃんと本物の札を持っていますよ、と出して身の潔白を主張することと今回の追加資料提出は、どこが、どう違うのだろう。

ああ、ちゃんと本物の札をいっぱい持っていたんですね、と誰もが納得するだろうか。

偽札も本札もたくさん持っていて、どれが本物か偽物か自分でも区別がつかずに使ってしまった、ということなら悪意がなかった(故意ではなかった)ということになるのだろうか。弁護団がそう言うのなら、そうなのか。そんなわけないだろう。まあ、たとえ話で説明することは、いつの場合も適切ではないかもしれないが、こんなたとえ話が通用しそうなところが、この騒動のお粗末なところではないだろうか。

あまりにも出来映えがよかったんで、作った本人も、ついうっかり本物を作ったと錯覚に陥ってしまったとしたら、他の人は、それが偽物と見抜くことは難しいだろうな。

以下は創作(断る必要もないけど・・・)

しょうがねーな、バレちまったよ。どうすべー。

待て待て、言い逃れる方法はいくらでもある。あまり景気のいい話が少ない昨今、ちょっと、世間を賑わしたかったから、悪ふざけをしたってことにしようや。それには、さてさて、いよいよ本物はこれですよ~って、言って、世間を納得させちまえば良いんだよ。

反知性主義がまかり通っているんだから、わけのわからない科学ジャーナリストが、世間が納得するようにとか何とか言ってくれているように、世間を味方にすれば良いんだよ。その作戦でいこう。けっこう、同情論とか応援も多くなってきているっていうし、いまがチャンス、“いまでしょ!”ということだ。

これで納得してもらえなかったら、一蓮托生だ、あることないことぶちまけて、ああじゃないこうじゃない、ってやっていれば、慌てふためいてこっちに有利になるように何だかんだと連中がやってくれるようになって風向きがかわってくるし、そのうち世間も飽きてくるから、まあ、チョットの辛抱だ。

2014年4月17日木曜日

日本国憲法9条がノーベル平和賞候補に

思いもよらないニュースが飛び込んできた。朝日新聞デジタル版(2014年4月11日11時34分)によれば、「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会に、ノルウェー・オスロのノーベル委員会から推薦を受理したとのメールが9日に実行委員会に届き、正式に候補になったということである。

思いもよらない、というのは、平和論者を自認している私自身が、いままで、どうしてこういうことを思いつかなかったのか、ということだ。ナイス・アイデア!と大いに納得した。

報道によれば、今年のノーベル平和賞候補に登録された件数は278にも上るという。そんなにもたくさん、と驚いたが、10月10日の発表を楽しみにしておこう。

候補は個人か団体だが、今回の推薦では受賞者は日本国民ということだそうだ。国民が受賞者になったことはこれまでにはないと思うが、団体としては、近いところでは一昨年のEUの例がある。

もっとも、日本では、かつて佐藤栄作元首相が受賞している。記憶に残っている人は少ないと思うし、いまの若い人は日本人がノーベル平和賞を受賞したことなんか知らないかもしれない。受賞の報を耳にしたときには驚いたのなんの、というか、あっけにとられたというか、平和賞ってなんなの、と思ったことや首をかしげることもあったが、今回受賞できたら、ノーベル財団にノーベル賞を贈りたい気持ちだ。

2014年4月16日水曜日

STAP細胞騒動は続く-理研の笹井副センター長の会見を視た

予告通りに笹井副センター長の会見が行われた。小保方会見と同様に、コタツに入って、テレビとインターネット中継の両方を妻と“鑑賞した”が、2時間半を過ぎたところで、歯科医院への予約時間が迫ったので、やむを得ずに中座した。

冒頭の挨拶の場面を、つい小保方さんと比較してしまった。彼女は、ドラマの主役が演ずるごとくに滔々と謝罪を述べて、ビックリさせられた。まさにドラマチックであったが、理研のケビン・コスナーこと笹井さんの挨拶は、“おれ、謝るのって苦手なんだけど、しゃーねーな”、という気持ちを何とか包んで、という感じで迫力に欠けていた。ということで、妻の判定は、この勝負は完全に小保方さんの勝ちであった。

Nature論文への関与の仕方など、これまでのいきさつをかなり詳しく説明して、この間に笹井さんのことで散々言われていたことに一つひとつ回答していた。あたかも先行研究をレビューするかのようであった。うん、さすが、と思わせた。

圧巻は、いわゆる科学的部分の説明というか解説というか、そうしたところになると、講演調で淀みなく、しかも慎重に教え諭すがごとくに話を展開していったところである。この勝負は小保方さんを圧倒していて、役者が一枚も二枚も上という感じで、笹井さんの完勝である。

以上は、舞台上で役者を共演させたときの判定である。日時と場所が違うので正確には共演とは言えないかもしれないが、テレビで“鑑賞”している観客にとっては大物同士の共演と言えなくもないだろう。

事の是非は、まあ、よくわからん、というところだが、繰り返しになるが、最大の問題は、Nature論文に見られる不正であり、STAP細胞にしろSTAP幹細胞にしろ、それらが、あったか、なかったか、ということでる。あるかもしれないし、ないかもしれないから検証してみなければとか、検証に値する仮説であるとかどうとかという問題ではないのだ。このあたりのことが、まだ理解されていないようで、笹井さんの会見で、ますます問題が拡散されてしまった。

2014年4月14日月曜日

消費税を支払う

きのう、妻と行きつけのスーパーに買い物に行った。5%引きの特売日なので、食料品や雑貨などのまとめ買いをした。年金生活者には少しでも割安なのは助かるが、チョット買いすぎたようだ。合計で16,661円になっていた。

レシートには、割引対象額が16,355円、その5%分の818円が値引きされた支払合計15,843円、内消費税等8% 1,173円と記されていた。まあ、大雑把に言って、16,000円の買い物で1,200円の消費税というところか。

消費税と言うからには、消費した側が支払うのだから、本来ならば、これだけ買いましたので、これだけ消費税として支払いますと言って、消費者がその額を税務署に行って納税するのが筋だけど、そんなことをしていたら税務署が混乱するし、税務署まで行かない人や行けない人もいる(中にはごまかす人もいる)ので、販売した側が消費税の徴収を代行しているわけだ。

だけど、販売者は代行料を取っているわけではないので、言ってみればボランティアということになる。なのに、消費税が上がって売り上げが落ち込むと困るので、値引きをするなどして販売努力をする。販売者の立場になって考えると、消費税の仕組みって、けっこう、不思議なものだ。

まあ、一年金生活者でも、今回のようなまとめ買いをすると、一度の買い物で1,000円以上の消費税を支払うのだから、国庫に入るお金は相当のものになる。

毎回1,000円でオイル交換をしてくれる近くの自動車販売店に行った際に聞いた話では、消費税値上げの駆け込み需要が結構あったということだ。そういえば、いつもなら所狭しと並んでいる車が大分少なくなっていた。高額商品であれば、消費税が5%と8%とでは支払合計は大分違ってくるから、さもありなんと思ったが、これで、この販売店からどれくらいの額が消費税として国庫に入ってくのだろうと気になった。

消費税が上がったからと行って、何もかも買い控えをするわけにはいかないから、消費者は否応なしに高い消費税を支払うことになる。それを、消費税が上がっても消費の落ち込みは小さいから、消費税の値上げは国民に受け入れられたとか、成功したというようなバカげた論評はすべきではないし、逆に、消費税が上がると消費が落ち込むなどと浅知恵を披瀝するするのは困ったものだ。膨大な消費税収入を本当に生かしてほしいと願わずにはいられない。そして、増税した消費税の使い方にこそ冷徹な目を向けていかなければならないだろう。

2014年4月12日土曜日

今年の花見

桜大好き人間の私にとって、今春は例年と違う花見をした。

庭の山桜が伸びて電線に引っ掛かりそうになったので、脚立を使って門柱に上り、高枝切りばさみを目一杯伸ばしてバツバツとたくさん切った。この月曜日のことである。

私は、せっかく伸びた枝を切るのは好きではないので、どの庭木でも、できれば伸ばしっぱなしにしたいところだが、妻は木が繁茂すると隣近所に迷惑がかかるとか見栄えが悪いということで私が見ていないところで剪定している。そして、私がそのことに気がつくと一悶着が起きる、というのが、もう何十年来となく続く夫婦の唯一の食い違いである(と私は思っている)。

とはいうものの、今回ばかりは妻の言に従って、「ごめんよ、がまんしてな」と桜に語りながら思い切って鋏を振るった。

切り落としてみると、蕾がたくさんついている。太い枝は、つくことはないだろうと思いながらも庭のあちこちに挿し木にした。ゴミとして捨てるのは忍びないと思ったからだ。挿し木にするときに、地面に深く差し込むために、小枝をたくさん払ったが、それらにも蕾がたくさんついていた。小指大の枝から箸や腕くらいの長さのものまで区々(まちまち)だが、それらもゴミにはしたくないな、と思い、待てよ、花瓶に生けたらどうかなと思って、妻を呼んで相談した。妻は、居間から私がしていることをジッと見ていたらしく、「何を一所懸命しているのかと思った」そうだ。

妻も賛同したので、細くて短めの枝は輪ゴムで束ねて、コップや瓶やらに生けてみた。なんと、翌日からつぼみが膨らみ開花しだしたではないか。それからは、毎日、徐々にか急にか、見るたびに花開いて行くではないか。

しばらくジッと見ていれば、スローモーション撮影のように開花していく様子を観察できるかな、と思って試みたが、辛抱が続かなかった。ビデオ撮影しておけばよかったかな、とあとで思ったが、そんなに長時間撮影するビデオカメラは残念ながら持ち合わせがない。

ということで、今年の花見は名所に出向くことなく、生け桜を居間で観賞することにしたが、これが、名所で満開の桜を愛でるよりも満足させてくれることに気がついて、とてもうれしくなった。これからは、毎年、そうしようと思う。

小枝をあり合わせの空き瓶にこんな風に生けてみました
勢いよく開花しています
とても可愛らしく、いとおしく思い、つい、同じような写真も撮ってしまいます
 
いよいよ満開に近づいていきます
中ぶりの枝は、こんな風に投げ入れ調です
少し大ぶりの枝は花瓶に詰め込めるだけ詰め込みました
満開です
実に見事です。満開になってくれて、ありがとう。
ウオッカグラスに蕾を入れておいたら開花しました。
なんと、けなげなんでしょう。感動しました.
 
枝を剪定した山桜です。電線に引っ掛かりそうです
染井吉野と違って葉も同時に開きます
ほぼ満開です。
染井吉野とちがって、花だけがこんもりと枝を覆う
ことはないので、桜の満開という雰囲気はないか
もしれませんが、それはそれで美しいものです。
2階の部屋から見た山桜です。この部屋で花見ができます。

でも、やっぱり、桜を見に外出しました。お気に入りの場所ですが、10数年前に比べると桜の木がとても少なくなりました。とくに、この数年にかなりの数が枯れてしまったようです。寂しい思いです。







2014年4月11日金曜日

小保方晴子さんのテレビ会見の目的は何だろう

 考えてみれば不思議なことだ。「STAP細胞がありま~す」という発言は、誰に向けられたものなんだろう。「STAP細胞があるか」と聞かれたから、そう返事をしたのだけれど、STAP細胞があるというのなら、その主張は、いわゆる科学コミュニティの場で展開するべきであって、こうした会見の場では何の意味も持たないのではないだろうか。

 一連の騒動の過程で、何かというと、“肝心なことはSTAP細胞があるかないかだ”というような、わけしり顔の発言が多いが、騒動の発端は、そして、問題になっていることは、そんな純粋に科学的なことではない。

 笹井芳樹氏は、STAP細胞がなければ説明がつかないことが多いというようなことを述べたと2014年4月11日05時43分付けの朝日デジタルで報じている。日本人初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹博士が存在を予測した中間子の議論みたいだ。

 であるならば、予定していた国際会議への出席をキャンセルなんかしないで、急遽演題の変更を主催者に求めて(問題が問題だから許可されると思う)、良い機会だからとSTAP細胞の存在可能性について説明すればよかったのにと思う。それを、小保方さんと同じような会見を開いて何事かを説明するようだ。なんかおかしい。

 上記の報道によれば、「来週中に会見を東京都内で開く意向を示しており、『質問の集中砲火は覚悟して、会見に臨みたい』とした」ということだが、どんな集中砲火を予想しているのだろう。

 もはや世間話の材料をまき散らすほどに話題が拡散している。そういうことなら、俺にも、私にも、一言ある、チョットくらい言わせろ、と誰でもが言いたい放題の様相を呈してきた。混迷状態、カオスというのだろうか、囲碁や将棋で言えば、不利な状態から脱却するためには紛れを求めて相手を攪乱する戦法をとるようなものだ。相手が乗ってくればしめたもので、うまくいけば逆転する。

 マスメディアは、いま、まさに、そうした攪乱戦法に載せられているのではないだろうか。まあ、そうした目くらましで大衆を巻き込むことが営業上の秘訣なんだろうが、それに載せられる“非科学の専門家”もなんと多いことか。

2014年4月10日木曜日

小保方晴子氏会見放送を視た

 昨日、小保方晴子氏の会見をテレビで見た。我が家のユニットリーダーである妻も関心が大(というより超大と言えるくらい)で、テレビ番組をしっかりチェックして録画の準備も怠りなかった。おかげで、会見の全てを視ることができたが、ハードディスクの残量も一挙に減った。

 会見が始まるまでにコーヒーとお菓子を用意して、コタツに入って1時を待った。

 正直言って、どんな風に登場して、どんなことを話すのか、ドキドキとは言わないまでも、固唾をのんで、というと大げさだが、想像もつかなかった。何を期待して、こんなにも待ちこがれたようにテレビの前で待機しているのか、われながらに可笑しくなった。ただの野次馬じゃないか。娯楽か時間つぶしか。それにしてはチョット熱を入れすぎではないか。それに、会見を視て、何を知って、知ったからと言ってどうする?
 誰かに向かって話すわけではないし、議論するわけでもないし・・・。老夫婦がコタツに入ってコーヒーをすすりながら(この場合は番茶の方が似合いそうだが、何せ、コーヒー好きだから仕方がない)、清美オレンジやクッキー(煎餅ではないところが現代風か)を賞味しながら・・・(他にすることがないのかいな?)

 時間きっかりに登場した小保方さん(こんな呼び方で合っているのかな。小保方氏では硬いし、小保方博士と呼ぶのはチョット躊躇われるし、小保方暫定博士というのも取って付けたようだし、小保方ユニットリーダーでは長ったらしいし。まっ、いいか)は登場した。ん? 別段変わったところもないし。チョットやせて、地味になったかな。

 滑舌よく、通る声で、謝罪から始まった。おっ、と思ったのは、私だけか。見事な謝罪表明である。おー、これで、あとは、「Natureの論文は撤回し、一からやり直します」と締めくくれば満点だ、と期待したが、残念なことに、その謝罪発言は単なる前口上で終わってしまった。

 小保方さんは、せっかくの機会を逃した、と感じた。会見の中では、自分は(未熟で勉強不足ながらも)一大発見を成し遂げた科学者だという意識というか錯覚が端々に現れていて、冒頭の謝罪を台無しにした。

 もう、たくさん報道されているから、会見の中身を取り上げるまでもないが、とても印象に残ったことは、「STAP細胞はあるのか」という質問に、「STAP細胞はありま~す」と子どもじみたというか幼げな表情とトーンで答えたところと、スポーツニッポンの記者(だったと記憶している)が、「これまでの体調は」と聞かれて、一呼吸置いて出た言葉が「絶不調でした」というところだ(現役時代の中畑選手がすぐに目に浮かんだ)。聞いたのがスポーツ紙の記者であったことから、意識してその問いにピッタリの対応をしたとすれば、これはすごいと感心した。ユーモア抜群ではないか。

 200回以上STAP細胞を作成したと自慢げに話していたことと、実験ノートが何冊くらいあるかと聞かれて、少なくとも4~5冊はある、と答えたのには仰け反った。“お前、2万円しか持ってねーのかよ”と言われて、“バカにすんじゃねーよ、4~5万円はあらーな”と言っているようなものだ。貯金通帳に残高2万円しかないが、隠し持っているお金が5万円では自慢にならない。

 不正か不正ではないかを理研の規則に照らして争うということだが、不正ではないと申し立てが成功したからといって、何が、どう変わるのだろうか。会場を貸したホテルには貸料が30万円ほど入ったようだから、このご時世に思いがけない臨時収入とホテルはおこぼれ頂戴で満足だろう。ホテルの美容室で髪を整えたというから、美容室にも貢献したことになるし、母親が会見用の服を3着購入したようだから、それも洋服屋にはとっては、何が幸いするかわからない、というところだろう。

 担当の弁護士団は著名な面々だそうで、通常の弁護料であれば相当の金額に上るそうだ。謝罪しておいて、そこまでやる、というか、やれることがすごい。そこまでやって、守ろうとしていることは何なんだろう。

以下、老夫婦が新婚当初に交わした会話。

 妻
だって、私はUFOを絶対に見たし、宇宙人とも話しをしました、200回以上ですよ。神様だって私には見えるんですよ。実際、200回以上は見ています。ネッシーだって、クッシーだって見たんだから。UFOも宇宙人も、神様も、ネッシーも本当にいるんだから。
 
 夫
見たとか会ったという証拠はあるのかい。そのときの記録とか写真のようなものが。
 妻
ありますよ、何百枚も。多すぎて、どれが、どれだか、混乱しちゃったけど。ほら、ノートにだって書いてあるでしょ。
 夫
なんか似たような写真ばっかで、どっかで見たような気がする写真も多いね。それに、この字、読めないよ。いつのことかも書いてないじゃないの。
 妻
そんなの、私のメモだし、忙しすぎて書き忘れることだってあるじゃないの。
 夫
記録したノートって、この2冊しかないの。
 妻
探せば、もっと、たーくさん、ありますよ。最低でも4~5冊はあるわよ。
 夫
他の人も、UFO見たり宇宙人と話をした人がいるのかい。むかし、アメリカで、本気になってUFO探しとか宇宙人と交信しようとして莫大なお金を使ったていうけど、結局、失敗したっていうじゃないか。
 妻
何人もの人が見ているのよ。宇宙人と話をしたっていう人も何人もいるのよ。あなた、映画ETをアメリカにいたとき見たと言ってたでしょ。子どもが実際に、「ボク、ET」って言う宇宙人に会ったんだけど、大人は最初信じなかったでしょ。あれ、本当のことなのよ。映画にしちゃったから、空想の話になっちゃっているけど。
 夫
じゃあ、なんで、その、なんだ、いろいろ見たり会ったりしたという人たちは出てこないんだ。これが証拠だ、と黄門様の印籠みたいに振りかざして、みんなに知らせればいいのに。
 妻
ばかね、あなた。誰にでも見えるわけじゃないのよ。見える人は限られているのよ。特殊な能力やコツがあるのよ。訓練したり、その通りにやってもダメなのよ。だけど、私は絶対に見たんだから、私には、その能力やコツがあるのよ。だから、あなたが、いくら見てみたいと言っても無理なのよ。それに、そうした能力やコツを備えた人は、変人扱いされるから表には出たがらないのよ。そんな人たちを私が紹介できるわけがないじゃないの。
 夫
そんなものかね。
 妻
そうなのよ。あなた、Natureって雑誌知っているでしょ。あれってね、超一流の科学雑誌とか言われているけど、本当は違うのよ。
 夫
へっ???
 妻
あれってね、科学雑誌を装うっているけど、本当はね、文芸誌なの。科学小説が中心だけどね。だから、科学っぽいものが掲載されるんだけど、文芸誌だと作家に執筆料とか印税を払わなきゃならなくなるでしょ。それに、毎週毎週発行するとなると、原稿を集めるのも大変なのよ。だからさ、科学研究の発表の場にしておけば、世界中に山ほどいて、山ほど無駄な実験なんかしていて、おれがおれがという研究者に発表の場を与えてやれば、山ほどの人が購入するでしょ。作家ほど想像力がなくても自分は科学者だと思ってお金も時間も体力も無駄になることを厭わずに研究に打ち込んでいる人は山ほどいるのよ。そこにつけ込んで、ガバガバ稼いでいるのがNatureなのよ。日本でも文科省が7千万円くらいNatureに支出しているくらいだから。宇宙人が、これは面白い小説雑誌だって、ネットを通じて購入しているのよ、あなた、知ってる?
 夫
知っているわけないじゃないか。
 妻
でしょう。それを、まともに科学雑誌なんて勝手に思い込んでいる人たちが、Natureが、これは面白い小説だと取り上げて掲載すると、不正だ捏造だって騒ぐのよ。Natureも、科学研究と小説のすれすれのところに高い評価を置くから、そんなのをバーンと掲載するんだけど、ときには失敗するの。
 査読とかいうけど、それとか編集に当たっているのが基本的には社員だから、中身は面白いか面白くないか、売れるか売れないかを基準にしているから、勇み足っていうのかしら、誰も本当のところはわからないだろうって、それまでの経験から思っちゃうわけね。掲載する写真だって、きれいなものが良いのよ。見栄えね。その点ではファッション誌と同じ。だから、写真の加工や、いいなと思った写真なんかをどっかから無断で拝借してきても、別に問題なんかにはしないわけ。読んで面白ければいいんだからさ、そんなことは些細なことだと片付けちゃう分けね。そういうことを、よく知っている投稿者は大歓迎なわけよ。
 夫
お前、すごいな。おれ、お前と結婚して、ほんとによかったよ。そんなに色々とみんなが知らないことに詳しいんだものな。今日の洗い物は俺がするから。

 老夫婦は夢中で視聴していたが、コマーシャルが入ったり、入れ替わり立ち替わりで登場する専門家やタレントのないタレントのわかったようなわからないような、自信ありげのようななさげのような解説やら感想やらにウンザリして、顔を見合わせると、ともに目がとろ~んとしている。はい、お昼寝の時間がきました。続きは、目が覚めてからにしましょう。ほんとーに、録画機能は便利ですね。

2014年4月4日金曜日

STAP細胞騒動

 騒動と言ってしまって良いのかわからないが、STAP細胞をめぐって連日のようにテレビや新聞、インターネットで情報が飛び交っている。ワイドショウ番組でも、その道の専門家(と覚しき人)や半専門家、素人などが、時には核心を突いた、時には的はずれな、そして、時には単なる時間稼ぎのような発言と議論を長くて頻繁なコマーシャルを挟んで繰り広げている。

 国民的関心のあらわれとも言えるが、何かの騒動がおこると、決着に時間が長引けば長引くほど、関連しそうなことや関連しそうもないことも関連させるなどして何でも話題にするようになる。その結果、関心や議論が問題の核心からどんどん離れていって、ズルズルと決着が先送りになってしまう。こうした傾向を「STAP細胞の法則」と名付けておきたい。

 国の借金が累積的にドンドン膨れあがっていることや、いじめ問題やストーカー問題への対応が後手後手に回ることが多いことも、そうしたことのあらわれだといってよいだろう。

 問題はSTAP細胞が存在するか否かだとか、全体像が見えないとか、問題の本質は何か、などという発言はもっともらしく聞こえるが、全体像や問題の本質は、あれやこれやを断片的で中途半端な議論で騒ぎ立てたからとい解明できるわけではない。一つひとつ決着すべきことを決着していくことによってしか問題は解明、解決できない。

 STAP細胞が存在するか否かなどは、論文の不正とは無関係なことだ。ましてや、論文の決着を付けない段階で、1年一千万なにがしのお金をかけて再現実験に取り組むなどという理研の対応は常軌を逸している。STAP細胞の再現に取り組むとしても、まずは、論文を撤回することが筋であろう。STAP細胞の再現実験は、論文が正当であることを前提にした検証実験として初めて意義があるのであって、あたかも不正な論文を正当化させようとするかのような再現実験は、それこそ本末転倒であろう。研究の世界では、終わりよければ全てよし、ということは、あってはならないことだろう。

 今回の問題の発端は、Natureに投稿した論文が科学論文としての体をなしていなかったことにある。だとすれば、著者らがまずすべきことは、そして、この問題を議論する人々が関心を向けるべきことは、論文の撤回と、不正行為に対する反省と謝罪の表明であろう。その点では、共著者の若山教授の対応は常識的で納得させるものだと言える。それに反して、共著者として名を連ねた著名な研究者たちが黙(だんま)りを決め込んでいるのは解せない。たとえ一字も書かかずに名義貸しのように名が連ねられていたとしても、というよりは、そうであればなおさらのこと、“おいおい、冗談じゃないよ、そんな論文、早く撤回しろよ”とか“俺の名前は消してくれよ”と言うんじゃないだろうか。

 前にも書いたが、Natureに投稿した論文に不正がないと自信を持って言えるのであれば、その論文の主要著者とされる小保方氏や笹井氏らは、沈黙を守ったり言い訳をするのではなく、正々堂々と正当性を主張すればよいことだ。私には理解しがたいことだが、最初に疑義が出された段階で、著者らは、なぜ、そうしたことを全力で行わなかったのか、ということだ。研究者としての自負のかけらもないということか。

 小保方氏は、いまになって、理研の調査結果に異議を唱えているという。弁護士つきで申し立てをするそうだ。これまでは、理研が上手く処理してくれると思っていたのだろうか。あるいは、理研が、“任せておけ、悪いようにはしないから”とでも約束したのだろうか。ところが、期待していたこととは全く反対に、自分だけが悪者扱いになっていた、ということを知って、“このやろー、子ども扱いしやがって”と“小保方は激怒した”のだろうか。そう考えなければ、此の期に及んで、あっと驚くような(私にはそう感じる)行動に出たことを理解できない。

 “ヤバイ、バレちゃった”と思ったんだろうか。そうとしか考えられない。その段階で、“すみませんでした。つい勇み足で”とか“厳しい競争の世界なので、悪いこととは知っていたのですが、つい功を焦って”とか言って“ご迷惑をおかけしました”と謝っていれば、“しようがねーなー。これからは、気をつけて、そんなことをするなよ”と決着がついたかもしれない。

 もちろん、謝って済む問題ではないかもしれないが、責任の取り方や処分についてはその後の問題である。研究者にとっては全くもって不名誉な“前科”になってしまうだろうが、本当の研究者であれば、それを挽回できる機会が与えられることもあるのではないだろうか。

 Natureの対応も大いに疑問である。商業誌であるNatureは、学会誌よりも論文取り消しや削除は容易なはずである。Nature Newsやコメント欄は出版部門と独立しているから論文のことに関しては関知しないし責任もないような仕組みになっているようだが、STAP細胞論文の問題に関する記事を幾つも掲載している。まさに商業誌で、日本の週刊誌と同じように販売部数を伸ばすために売れる記事をなるべく長い期間掲載しようとしているかのようである。

2014年4月1日火曜日

STAP細胞に関する理研の調査委員会報告

 STAP細胞疑惑に関する理研の調査委員会が調査結果を報告した。テレビやネット中継で視聴したが、内部委員会の調査報告らしい報告であったというのが率直な印象だ。日経サイエンスの女性記者(古田彩さんとのことだ)だけが、問題の本質を捉えていてしっかりとした質問をしていたように思った。

 捏造や改竄、コピペをして、ウソをまき散らしたことが問題なのであって、STAP細胞があるかないかとか、再現実験をするとかしないとか、そういうことが、いま問題になっているわけではないだろう。理研は、関心を“科学の世界”に引きずり込もうとしているように見受けられたが、問題は、そんな高尚なことではないだろう。

 朝日新聞デジタルによれば、小保方さんは、理研の規定に照らして不正ではないと主張し、「驚きと憤りの気持ちでいぱい」ということで、「近日中に、理化学研究所に不服申し立てをします」ということだ。“科学の世界で勝負”ということだろう。

 面白くなってきた、小保方vs理研のバトル、なんて野次馬的発言をする人もいるようだが、なんでこんなに時間をかけて調査をしてきたのか疑問に感じる人も多いだろう。

 論文の問題を指摘して不正を暴き出してきたのは匿名や実名でのネット上での議論である。最高度の頭脳集団と言われる理研のスタッフが、ネット上での指摘の前に気がつかなかったというのは誰が考えてもおかしいと言えるのではないか。わかっていて言わずに調べもしなかったということではないだろうか。そうした人たちで調査委員会を作って時間をかけて調査するということ自体が奇妙だ。

 会見では、現在の問題に決着を付けないままに、不正防止の話しが出ていた。トンチンカンな記者で、そうした質問をしていた者もいた。“不正を行った動機は何か”なんて質問していた記者もいた。動機の解明は犯罪立証の一要件だが、すでに多くの証拠がある中で、いまさら動機を聞いてどうするんだと思う。

 どう決着をつけるのか、小保方さん本人や共著者、理研、nature、科学界、そして文科省の対応をシカと見届けたい。

消費税が上がった

 消費税が8%になった。我が家では消費税値上げの前の駆け込み購入をしなかった。増税されても影響がないからというわけではない。駆け込み購入しなければ大損するほどの物を購入する必要がなかったからだ。

 少しでも節約しようと思えば駆け込み購入することは賢い選択かもしれないが、家の中に山ほど蓄えておくだけのスペースもないし、買いだめするだけの余裕もない。

 安倍首相は、増税分を全部社会保障に使うというようなことを言っていたが、そんなことを信じる人は誰もいないだろう。震災復興のために増税したのに、その増税分が全部震災復興に使われずに膨大なお金が流用されたではないか。

 しめしめ、これで財布も膨らんだ、と全く別のとんでもないことにたくさん使われるのが目に見えている。高齢者の医療費を値上げし、年金を減額し・・・ということを同時に行うことが、何で社会保障の充実なのか。

 デフレ脱却で経済の活性化とか成長と息巻いているが、その恩恵にあずかるのは誰なんだろう。増税で8兆円の収入増になるらしいが、それくらいの金額は、増税しなくても生み出されるんじゃないだろうか。国家財政の管理運営の中身がさっぱりわからないままに増税されて国民は右往左往させられている気がする。

 増税が真に国民生活のためになるのであれば、誰も駆け込み購入をしたり、それを煽ったりすることはなく、喜んで税金を払うだろう。自分が払った税金が有効に使われていれば、自分も国家に貢献していると実感できるだろう。そうであれば、消費税が10%であろうと20%であろうと、けちで欲張りな人間であっても仕方がないと納得するであろうし、けちでも欲張りでもない人間は、この国は自分たちが払う高い税金で、こんなによい国になっていると自慢できるだろう。税金を払うと言うことはそういうことなのではないか。政府を、国を信じていないから増税に反対するということを、よーく理解してほしいものである。