2014年4月4日金曜日

STAP細胞騒動

 騒動と言ってしまって良いのかわからないが、STAP細胞をめぐって連日のようにテレビや新聞、インターネットで情報が飛び交っている。ワイドショウ番組でも、その道の専門家(と覚しき人)や半専門家、素人などが、時には核心を突いた、時には的はずれな、そして、時には単なる時間稼ぎのような発言と議論を長くて頻繁なコマーシャルを挟んで繰り広げている。

 国民的関心のあらわれとも言えるが、何かの騒動がおこると、決着に時間が長引けば長引くほど、関連しそうなことや関連しそうもないことも関連させるなどして何でも話題にするようになる。その結果、関心や議論が問題の核心からどんどん離れていって、ズルズルと決着が先送りになってしまう。こうした傾向を「STAP細胞の法則」と名付けておきたい。

 国の借金が累積的にドンドン膨れあがっていることや、いじめ問題やストーカー問題への対応が後手後手に回ることが多いことも、そうしたことのあらわれだといってよいだろう。

 問題はSTAP細胞が存在するか否かだとか、全体像が見えないとか、問題の本質は何か、などという発言はもっともらしく聞こえるが、全体像や問題の本質は、あれやこれやを断片的で中途半端な議論で騒ぎ立てたからとい解明できるわけではない。一つひとつ決着すべきことを決着していくことによってしか問題は解明、解決できない。

 STAP細胞が存在するか否かなどは、論文の不正とは無関係なことだ。ましてや、論文の決着を付けない段階で、1年一千万なにがしのお金をかけて再現実験に取り組むなどという理研の対応は常軌を逸している。STAP細胞の再現に取り組むとしても、まずは、論文を撤回することが筋であろう。STAP細胞の再現実験は、論文が正当であることを前提にした検証実験として初めて意義があるのであって、あたかも不正な論文を正当化させようとするかのような再現実験は、それこそ本末転倒であろう。研究の世界では、終わりよければ全てよし、ということは、あってはならないことだろう。

 今回の問題の発端は、Natureに投稿した論文が科学論文としての体をなしていなかったことにある。だとすれば、著者らがまずすべきことは、そして、この問題を議論する人々が関心を向けるべきことは、論文の撤回と、不正行為に対する反省と謝罪の表明であろう。その点では、共著者の若山教授の対応は常識的で納得させるものだと言える。それに反して、共著者として名を連ねた著名な研究者たちが黙(だんま)りを決め込んでいるのは解せない。たとえ一字も書かかずに名義貸しのように名が連ねられていたとしても、というよりは、そうであればなおさらのこと、“おいおい、冗談じゃないよ、そんな論文、早く撤回しろよ”とか“俺の名前は消してくれよ”と言うんじゃないだろうか。

 前にも書いたが、Natureに投稿した論文に不正がないと自信を持って言えるのであれば、その論文の主要著者とされる小保方氏や笹井氏らは、沈黙を守ったり言い訳をするのではなく、正々堂々と正当性を主張すればよいことだ。私には理解しがたいことだが、最初に疑義が出された段階で、著者らは、なぜ、そうしたことを全力で行わなかったのか、ということだ。研究者としての自負のかけらもないということか。

 小保方氏は、いまになって、理研の調査結果に異議を唱えているという。弁護士つきで申し立てをするそうだ。これまでは、理研が上手く処理してくれると思っていたのだろうか。あるいは、理研が、“任せておけ、悪いようにはしないから”とでも約束したのだろうか。ところが、期待していたこととは全く反対に、自分だけが悪者扱いになっていた、ということを知って、“このやろー、子ども扱いしやがって”と“小保方は激怒した”のだろうか。そう考えなければ、此の期に及んで、あっと驚くような(私にはそう感じる)行動に出たことを理解できない。

 “ヤバイ、バレちゃった”と思ったんだろうか。そうとしか考えられない。その段階で、“すみませんでした。つい勇み足で”とか“厳しい競争の世界なので、悪いこととは知っていたのですが、つい功を焦って”とか言って“ご迷惑をおかけしました”と謝っていれば、“しようがねーなー。これからは、気をつけて、そんなことをするなよ”と決着がついたかもしれない。

 もちろん、謝って済む問題ではないかもしれないが、責任の取り方や処分についてはその後の問題である。研究者にとっては全くもって不名誉な“前科”になってしまうだろうが、本当の研究者であれば、それを挽回できる機会が与えられることもあるのではないだろうか。

 Natureの対応も大いに疑問である。商業誌であるNatureは、学会誌よりも論文取り消しや削除は容易なはずである。Nature Newsやコメント欄は出版部門と独立しているから論文のことに関しては関知しないし責任もないような仕組みになっているようだが、STAP細胞論文の問題に関する記事を幾つも掲載している。まさに商業誌で、日本の週刊誌と同じように販売部数を伸ばすために売れる記事をなるべく長い期間掲載しようとしているかのようである。

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