2014年10月29日水曜日

喫茶店で本をもらった

秋の好天に誘われたわけではないが、用事で来ていた明石にある「魚の棚」(うおのたな/うおんたな)に妻と行ってきた。何年ぶりのことだろうか。十年ぶりかもしれない。司馬遼太郎の『龍馬がゆく』にも出てきたが、400年の歴史をもつ魚屋中心の商店街である。


平日の午前中であったが、けっこうな人出があった。まずは腹ごしらえと明石名物の食材を使った蛸飯(たこめし)と穴子(あなご)の天ぷらの定食(写真を撮り忘れてしまったのが残念)に舌鼓(したつづみ)を打ってから、おもむろに商店街を歩き出す。

老人夫婦には何事もゆっくり、ゆったりが相応しい。とは言うものの、定食をパクパクと短時間で食べ終わっているので、思っていることと実際の行動は一致したためしがなく、思考も行動も瞬時に変化する。老人の思考と行動のパターンは常に不定である。こういうのを勝手気儘(かってきまま)という。だから、老人の行動は予測不可能で、安心してみていられないし、信頼が置けないのである。

どの店も新鮮な魚をたくさん並べている。ぶらぶら歩きながらあれこれと見て楽しんでいると、大ぶりのカレイの一夜干しを指して、「3匹で1,000円。おすすめですよ」と若くて元気なお兄さんに声をかけられた。ほんとだ、大きくて厚みがあり、焼いたらおいしそうだ、ということで買うことにした。氷ももらい、保冷袋に入れて、またぶらぶらと歩いて行くと、別の店でも、同じようなカレイを手にしたお兄さんに、「3匹で1,000円」と声をかけられた。協定価格なんかいな、と少しおかしくなって笑ってしまった。

肉厚で本当においしいカレイだった
さて、一休み、ということで、コーヒー好きの老人夫婦は商店街の喫茶店に入る。おー、どのテーブルにも灰皿があるではないか。同年配と覚しき女性店主が、「どこの商店も禁煙なので、お店の人たちが一服しに来るから」ということであった。なるほど、と合点して、遠慮なく私も一服する。コーヒーを飲みながら気兼ねなく紫煙を燻(くゆ)らすのは至福の一時(ひととき)である。

店内を見回すと、小さな書棚があって、文庫本が並んでいる。「あれ、本が置いてあるよ」と妻に言うと、女性店主が近づいてきて、「持っていってよ」と言う。何のことかと思ったら、「たまってしまって、置くところがなくなるから」ということである。最近の小説が多い。


女性店主は読書好きで、毎日、客がいないときに、店のカウンターに座ってどんどん本を読んでいるそうだ。「これこれ、この本は・・・」と、書棚から取り出しては、楽しそうに読んだ本の解説をしてくれた。妻も私も読書好きで、公立図書館をよく利用する。妻などは、パソコンを使って家から図書館の予約システムを利用して、多いときには一度に10冊以上も借りてくることもある。

女性店主の好意に甘えてベストセラーの文庫本7冊を頂戴した。「こんなにもらっていいんですか」と恐縮すると、「この間は、20冊持っていった人がいる」ということだ。太っ腹な女性店主に度肝を抜かれたと同時に、そんなに大量にもらっていった人もすごいな、と思った。たまたま、妻が500円の図書券を持っていたので、コーヒー代を払うときに、「少ないですが、使ってください」と渡すと、「とんでもない」と固持されたが、何とか受け取ってもらった。

喫茶店で本をもらうという、ちょっと今までしたことのない経験であったが、コーヒーと本とタバコという組み合わせをこよなく愛する私にピッタリの場所に導いてくれた不思議-これを縁というのだろうか-を感じる。

用事の時間が迫ってきたので、魚の棚を後にして、そこから少し(というか、かなりというか)遠くにある場所に移動することになったが、途中、ちょっとした買い物をするためにショッピングモールに立ち寄った。そこの催事場(さいじじょう)で恐竜や化石の展示がされていた。恐竜や化石も昔から興味があったので、ぶらっと見て回ったのだが、恐竜が本物さながら(本物を見たことはないが)で、ここまで作れるのかと感心した。映画ジュラシック・パークに登場した恐竜さながらで、歩いたりはしないが、首を自在に動かし、目玉が動き、まぶたも動いて(恐竜にまぶたがあったかどうかわからないが)、目を開けたり瞑(つぶ)ったりする。特殊な棒でなでてやると喜びの動作や声を出したり、なでる場所によっては、ビックリしたり怒ったりするような動作をする。それは見事で、大変面白かった。


というわけで、忙しい一日であったが、無事予定の用事を済まして帰途についた。

2014年10月28日火曜日

新幹線のパンタグラフは2つしかない

この土日に用事で新幹線の「のぞみ」を利用した。これまでに数え切れないほど新幹線を利用しているのだが、私が興味を持ったのは、16両編成の新幹線に、パンタグラフがたった2つしかないことだ。このことは、先月、ふと気になって、ホームに入ってくる「のぞみ」のパンタグラフを数えてみたときに気がついたことだ。

最高速度毎時270Kmで疾走する新幹線(開業以来50年を経ていても、なお新幹線と呼ぶところにユーモアを感じるが)のことだから、パンタグラフは幾つも付いていると思って数えていたら、何と2つしかなかったことに驚いた、というわけだ。

パンタグラフで電気を取り入れて猛スピードで走行すること自体、凡人にはとてつもなくすごいことと思えるのだが、たった2つというのには、素直に恐れ入ったとしか言いようがない。なんて、へんてこな感想と我ながらにあきれてしまうが、パンタグラフがいっぱい付いているとすれば、その方がかえっておかしいと電車に詳しい人は思うかもしれない。

鉄道マニアや列車マニアは多いようで、インターネットに「のぞみ」などの新幹線車両の写真がとってもたくさん掲載されている。それらをいくつか見てみた。どれも列車の姿形の美しさや走行中の“かっこよさ”を見せようと苦心して撮影されたことがわかる。当たり前のことだと思うが、わざわざパンタグラフに着目して撮影しようとする人などいないようだ。私も撮っていないので、新幹線車両のパンタグラフが2つしかないことをここでお見せすることができないのが残念だ(ちっとも残念ではないか)。でも、これらの写真をみると、新幹線車両にパンタグラフが目に付かないほど少ない、ということを“発見”できるのではないだろうか。そんな見方をされたんでは、自慢の写真を掲載した方はがっかりするかもしれないが。

「のぞみ」がホームに止まろうとして目の前をゆっくりと進んでいるのを見ながら、人間の技術力ってすごいもんだな、とあらためて思った。あれっ、おれ、年取ったせいかな、とおもいながら周囲に目をやると、鉄骨造りのホームの屋根があり、その先には高層ビルがある。土と草と木と空気しかなかったところを人間は構造物で埋め尽くしてきたのだと、これも幼稚な感慨にふけって、いかんいかん、と思いなおしながらも、構造物こそ人間の知の結晶だと、つくづく思ったりした。

そう言えば、中学生の時に、若戸大橋が東洋一の巨大橋/長大橋として完成したときに、「おお、これだ。おれは巨大橋づくりをする」と意気込んだことがある。その当時購入した記念切手がいまも切手帳に残っている(下の写真)。久しく手にしていなかったが、セロハンで丁寧に包んであったので、ほとんど痛んでいない。若戸大橋の色と同じく赤の単色だが、当時は、なんて迫力のある図柄だろうとわくわくして切手を眺めていた記憶がある。


無から有を生み出し、未だ見たことも聞いたことも触れたこともない物を人間は生み出してきた。動物にはないイメージするという能力によってだ。他の動物がイメージの能力を備えていたとしたら、人間は万物の霊長にはなれなかったかもしれない。

凡人は、それらを、誰が、どのようにして生み出したか知らないし、知ろうともしない。だが、それらを当たり前のように使って生活している。ごく少数の、とっても頭のよい(イメージ能力が桁外れに高い)人間によって次々と新たな構造物が作り出され、それらの中で、それらに囲まれて、凡人は生活している。そして、ときには、そうした多数の、あるいは少数の凡人が、類い希なるイメージ能力で生み出された構造物を使って人間を不幸にするという悪行を働くこともある。自分の力ではとうてい生み出すこともできないものを産みだした人に何の敬意も払うことなく、私利私欲からか何からかわからないが、我が物顔で間違った使い方をして人間を社会を不幸に陥(おとしい)れることは御免蒙(ごめんこうむ)りたいものだ。

最近、“ものづくり”という言葉が、よく使われる。なんじゃい、その“ものづくり”っていうのは、と常々その言い方に違和感を覚えていたが、その言い方では、小さなものにしろ巨大なものにしろ、人智が生み出す構造物の迫力を少しも伝えていないからだと、いま気がついた。

たった2つのパンタグラフで16両編成の「のぞみ」が細いレールの上を猛スピードで走る。その中で乗客はシートベルトもしないで弁当を食べたり居眠りをしたり、スマートフォンの画面に集中している。そして、時にはトイレに歩いていき、喫煙ルームで立って紫煙を燻(くゆ)らす。人間とは、何と、すごいことを平然とできる動物なんだと、老人は感心するばかりである。

2014年10月27日月曜日

干し柿が完成した

12日に干し始めて2週間が経った干し柿を食べた。「おー、うっまい!」と思わず声を出してしまった。形は悪いが、これほど、<上手く(うま)、美味(うま)く>できるとは期待していなかったので、感激してしまった(こんなことで感激するとは情けないか)。お店で売っているのと遜色(そんしょく)がない。

10月12日の干し始め
10月25日の干し終わり




ビニール紐(ひも)を使って吊(つる)していたので、まずは、縛っていた小枝部分のビニール紐を外そうと、初めは手でほどこうとしたが、きつく縛っていたので、簡単にはほどけない。そこで、文具のハサミを使って結び目を切ることにしたのだが、これがけっこう面倒。なかなか上手く切れないのだ。そこで、次には、料理用のごついハサミで小枝を切ることにしたのだが、これもけっこう力が要(い)るのと、実と小枝の間にハサミを差し込むのが難儀(なんぎ)。

そうこうしているうちに、小枝をつまんで、捩じ切る(ねじきる)ようにすると、紐ごと簡単に取れることがわかった。こんなことでも試行錯誤していれば頭の訓練にはなるか(なるわけがないと裏の声がする)。何事もやってみなければわからない、と素朴でわかりやすい経験主義が頭をもたげる。というわけで、テーブルの上や下には、紐の切れ端やら小枝がバラバラになったのやらが散乱したが、干し柿づくりの完成とあいなった。

そこで、早速、初物(はつもの)を楽しんだ。妻もご満悦であった。私の小さい頃に、初物をいただくときには東に向かって笑う、ということを教えられて、よくそうしたものだ。私の郷里の習慣だったのだろうか。干し柿を口にして、東を向いて、にっ、と小さく笑顔をつくってみた。何かいいことでもあるといいのだが。

食べ物と方角ということでは、関西でよく知られている「恵方巻(えほうまき)」というのがある。太い巻き寿司を切らずにそのまま恵方を向いて頬張(ほうば)る。初めて恵方巻を知ったときに、なんて下品な、と思ったが、広辞苑では、こう説明している。恵方巻は、「節分の日に、その年の恵方を向いて食う巻きずし」で、「恵方とは、古くは正月の神の来臨する方角。のちに暦術が入って、その年の歳徳神(としとくじん)のいる方角」。神様にかこつけてへんてこなこじつけで突拍子(とっぴょうし)もない習慣をつくってしまうのは、人間の遊び心なんだろうな。科学技術の発明発見に通じるところがあるのかもしれない。そして、洋の東西を問わずに見られることだが、神様仏様にまつわる迷信・俗信を商売に結びつける商魂たくましい人間と、それに乗っかって、神も仏も信心も“それはさておき”と楽しもうとする客とで商売が成立していることに、人間のすごさというか、賢さを見る思いがする、というのは余談に過ぎるか。

2014年10月18日土曜日

渋をぬいた柿が食べ頃になった

12日に35度の焼酎で渋抜きを始めた柿を、渋が抜けたかな、とポリ袋から取り出して試しに食べてみた。とっても甘くなっていた。熟柿(じゅくし)のようになっていたのや、堅さが保たれていたものなど色々だが、実に美味であった。


左側がフラッシュ撮影、右側が蛍光灯下での撮影。右側の方が自然の色に近い。

これまで何回も渋抜きを試みてきたが、今年の出来が最高だ。妻曰く。「私が本気を出さないと何事もうまくいかない」。とってもご機嫌である。確かに(exactly!)。これまでは私が自己流で適当にやっていたのが失敗のもとであった、ということである。悔しいが脱帽である。少々くずれた柿はプリンにするということだ。それも楽しみだ。これで、これからは、毎年、妻公認のというか妻主導のと言うか、渋柿の収穫と渋抜きを大ぴらに楽しめることになる。

「柿の木に、早速、御礼肥をしなくては」とのことである。こんなこともいままでは言ったことがなく、実のなる木にはあまり関心を寄せていなかった妻であるが、自分のしたことが良い成果をもたらすと、人間、俄然(がぜん)とやる気が出るものだ、ということの一つの例証になるかもしれない。

ちなみに、御礼肥(おれいごえ)というのは、「果実の収穫や開花の後に施す肥料」と広辞苑では説明している。園芸用語辞典では、「開花後や果実の収穫後に施す肥料。消耗した植物に栄養分を補給して回復をはかり、株を充実させて次年度の成長に備える。即効性の肥料を使う。ほうび肥ともいう」とある。褒美肥というのも言い表現だな、と思う。御礼肥にしろ褒美肥にしろ、こういうところは、なかなか日本的情緒を感じさせると思う。 外国語でも、こんな表現てあるんだろうか。

2014年10月15日水曜日

メガネが壊れてしまった

昨夜、風呂上がりにメガネのレンズを拭こうと思ったら、ポロッとフレームがとれてしまった(下図)。特に力を入れたわけではなく、手に持った途端にもげてしまった。

 
そういうわけで、行きつけの(というのもおかしいが)眼鏡屋さんに朝一番で行くべく家を出たが、開店は10時から。しかたがないので、近くの大規模公園の中を30分ほど散歩した。おかげで運動不足の解消になった。一人で、夫婦でと、散歩するお年寄りが何人かいたが、考えてみれば(考えなくても)、私もお年寄り。
 
先日は、温泉大浴場の脱衣場でこのメガネを落としてしまい、片方のレンズが割れてしまったので、交換したばかりだった。そのときに、壊れた経緯(いきさつ)を話すと、眼鏡屋さんは商売上手で、「あっ、それなら、おすすめのメガネがございます」と言って、風呂用メガネを持ってきた。「お客様にちょうどピッタリの度数のがありました」ということで、試しにかけてみたら、ホントだ、よく見える。ということで、購入したのが下の写真のメガネ。パッケージに、「BATH GLASSES FOR ゆ」とあって、「ゆ」の下に小さく「 YOU」とある。こういうの、好きである。「GLASSES」の「S」も湯気に見立てていて、なかなか親父ギャグ的で好感度満点、と私には受ける。
 

今日の話に戻ると、壊れたメガネの修理はメガネの生産地福井県に送ることになり、2週間はかかると言い、溶接するだけなら4,500円ですむが、溶接で変色した部分を元通りに補修するには1万円ほどかかり、日数も伸びるというので、思案の結果、レンズはそのままでフレームだけを買い換えることにした。その店で購入したメガネなので記録が残っていて調べてくれたが、同じフレームはなかった。7年前に購入したことも、そのときにわかった。まだ3年くらいしか使っていないと思っていたが、けっこう長く使っていたことになる。商品購入の記憶は好い加減なんだと思った。

新しいフレームにいま使っているレンズをはめ込むことになると、フレームに合わせてレンズのまわりを削ることになるのでレンズ本体が小さくなる。それに合うフレームがなかなか見つからない。流行の違いか、横長だったり角張っていたりして隙間ができてしまうものが多く、7年前の形状のものがなかなか見つからない。仕方がないので、削ったレンズでもはまりそうなもので我慢することにした。年金生活者だから贅沢は言ってられないので、低価格のをと思ったが、それもかなわず、19,000円ほどのものを購入することにした(下図)。


レンズなしの場合は割引で、さらに“お得意様ですので”ということで5%引き。で、結局、16,621円と相成った。店員の話では、このデザインは“トラッド”だということで、その種のメガネをかけたモデルの写真が載っているチラシを指さしながら、「どこでも、どんな場面でも違和感なくお使いになれます」とのことである。まあ、その写真のモデルは当然のごとくに“イケメン”だからよく似合ってはいるが、典型的な親父の私には似合うかどうかは二の次で、よく見えることが大事。

出来上がるまで40~50分かかるとのこと。一度家に帰ろうかと思ったが、また、すぐに来ることになるのも面倒だと思い、近くの公立図書館に行った。おー、朝からこんなにもたくさんの人で賑わっている、と少しばかり驚く。しかも、圧倒的に“老老男女”だ。テーブルと倚子のほとんどは爺婆(じじばば)で占領されている。どっかり座ってテーブルに新聞を広げているのを見ると、図書館で新聞なんか読まなくても、と思ったりする。書架の間を“徘徊(はいかい)”しているのも爺婆だ。大勢の爺婆が、静かに、ゆったりと“徘徊”する様(さま)は、さながら幽霊が天界を彷徨(さまよ)っているかのようだ、というのは失礼に当たるか。おいおい(老老)、どうなってるんだ、と思う私も、その仲間で、つい、釣(つ)られて、さて何を読もうかと同じように館内を彷徨う。図書館が、あたかも天界のごとき様相を呈しているところにも、高齢社会ならではの景色を見ることができる、というのが私の印象風景である。

最新刊の将棋雑誌があったので、それを手にして、どこか座る場所はないかと“徘徊”すると、児童書コーナーのテーブルと倚子には空きが多いではないか。よっしゃ、とばかりに座ろうとすると、テーブルの上に、「ここは子ども用ですので、大人は座らないで下さい」というようなことが書いてあった。おっとっとっと、そういうことなのか、と気恥ずかしい思いで、そそくさと移動する。

児童書書架の陰に倚子だけが並べられていて、そこに座って大人も児童書を読んでいる。おー、ここなら老人が座ってもかまわないのだと、どっかと座って将棋雑誌を開く。阪大大学院在学中の糸谷七段が竜王戦の挑戦者になった記事や豊島七段が羽生名人が持つ王座に挑戦している記事などを読む。目をしょぼつけながら指し手を追いながら読むのはけっこう疲れる。

時折、母親に連れられてきている子どもの声がする。図書館らしく静謐(せいしつ)な中に、と言いたいところだが、「次の方、こちらにどうぞ」とか「少々お待ち下さい」という女性の明るく元気な声が引っ切りなしに響き渡っている。本を借りたり返却する人がカウンター前に行列を作っているので、それを捌(さば)く声だ。“徘徊”している時には気にならなかったが、読書に集中するとスーパーの大売り出しさながらの喧噪のように感じてしまう。そうこうしているうちに40分はあっという間に過ぎたので、眼鏡屋さんに戻っていったら、ちょうど出来上がったところだった。

聞いたことがある気がするのだが、国によっては、メガネも健康保険が適用されるようだ。近眼や老眼は病気ではないというのが日本の健康保険の考え方なのだろうか。それとも、近眼や老眼は“治療”できないから病気として扱わないというのだろうか。あるいは、“治療に値しない”ということなのだろうか。近眼、老眼も日常生活にけっこう支障があるし、メガネやコンタクトレンズ(私は使ったことはないが)にも費用が嵩(かさ)むことを考えると、健康保険が適用されたら随分とうれしいが。


これは、パソコンに向かうときや、旅行時に予備として使っているメガネ。レンズセットで6,000円という格安品。プラスチックレンズで、フレームもごついが、目に易しい感じがする。
寝ながら本を読むときに使っているメガネ。近眼用だが度数はかなり弱い。遠近両用を使わない私には、とても使い勝手が良い。ドライブ中に通りかかった眼鏡屋さんの宣伝幟(のぼり)にあった「レンズ付き格安メガネ3,500円」の文字が目に入って、その場で購入したもの。こんなのもあるんだと感心した一品。
若かりし時に大枚をはたいて買った舶来品(オーストリア製)。気に入っていて、自分でもよく似合っていたと思っていた。踏んづけてしまってプラスチック(だかエボナイトだか)のフレームがボキッと折れてしまった。そのときは、フレームの修理などのことは知らなかったので、自分で接着剤で修理した。
接着剤で修理(になっていないかもしれないが)したところが“見事”にわかる。頑丈にと、レンズもろとも接着させた。何を考えていたのか、随分乱暴である。そのせいで、その後は外で使うことはめったになかったが、いまでも十分に(?)使えている。
これも同時に購入したオーストリア製。ちょっと、トンボメガネ的だが、若いときには、これでも、まあ似合っていて、気に入っていた。いまも現役だが、重たくて、鼻骨が痛くなり、長時間はかけていられない。それよりも何よりも、まったく不似合で、たま~にしか使わない。


一時期、車を運転するときに使っていたメガネ。息子が使っていたフレームにそれまで使っていたレンズをはめ込んだもの。老眼が進むとともに近眼の程度が弱くなったようで、このメガネでは度がきつくなり、スピードメーターもハッキリ見えなくなったので、いまはほとんど使っていない。ときどき予備に持ち歩くことがある程度。
度付きのサングラス。これも購入したときには抜群の見え方だったが、いまでは度がきつくなってしまったので、あまり使っていない。
以上が私のメガネコレクションだが、本格的にメガネをかけるようになったのが大学時代からで、どこかにしまい込んだままになっているものや捨てたのもあるので、 これまでに実にたくさんのメガネを使ってきたことになる。“メガネは顔の一部です”なんてコピーのコマーシャルがあったっけ。

コンタクトレンズが流行(はや)りだしてからも、目に異物を入れるなど、げに恐ろしげな、と使ったことはない。高校時代に大学生のバスケットの試合を見ていたときに、慶応大学の選手がコート内で急に止まって這いつくばったことがあった。他の選手も審判もみな同じように這いつくばってウロウロし出した。コンタクトレンズが落ちたのを探し始めたのだった。「コンタクトレンズ→落ちる→這いつくばって探す」。コンタクトレンズにはそんなイメージを私は持っているが、いまのコンタクトレンズは、使い捨てが多いようだから、そんなイメージはもう合わないのだろう。

泳ぐのが好きだったので、度付きの水中眼鏡も使ったことがあるが、シュノーケリングをするときには昔ながらの一つ眼(ひとつがん)でぼやけたままで海中の景色や魚の群れを楽しんだ。ハワイの海では、魚群が壁のごとくに迫ってきたのには驚いた。

小中学校の時にはサザエも自由に獲れた。その当時は、シッタカなんかは、まさに“とるにたりない”貝で、海底にたくさんいたが、獲っても自慢にはならなかったから手を出す子どももいなかった。たまに獲った子がいると、「な~んだ、シッタカか」と言われて、ポイッと海に戻したものだが、いまではけっこう食されているそうだ。いまはサザエもシッタカも自由には獲れないのだろう。川では、カンジッコやダボッカンジを学校帰りに糸だけで釣って遊んだ。話がメガネからとんでもない方向に行ってしまったが、そんな古き良き時代に幼少期を過ごしたことは幸せであったと言うべきか。

2014年10月13日月曜日

台風19号が接近中

現在14時30分。台風第19号が接近中。この台風は、ヴォンフォンと名付けられている。気象庁の10月13日13時40分の発表は、以下の通り。

<13日13時の実況>
大きさ 大型
強さ -
存在地域 土佐清水市の西南西約90km
中心位置 北緯 32度20分(32.3度)
東経 132度10分(132.2度)
進行方向、速さ 東北東 35km/h(19kt)
中心気圧 975hPa
最大風速 30m/s(60kt)
最大瞬間風速 45m/s(85kt)
25m/s以上の暴風域 北側 280km(150NM)
南側 220km(120NM)
15m/s以上の強風域 全域 700km(375NM)
<13日14時の推定>
大きさ 大型
強さ -
存在地域 土佐清水市の西南西約50km
中心位置 北緯 32度30分(32.5度)
東経 132度30分(132.5度)
進行方向、速さ 東北東 35km/h(19kt)
中心気圧 975hPa
最大風速 30m/s(60kt)
最大瞬間風速 45m/s(85kt)
25m/s以上の暴風域 北側 280km(150NM)
南側 220km(120NM)
15m/s以上の強風域 全域 700km(375NM)
<14日00時の予報>
強さ -
存在地域 下呂市の南東約30km
予報円の中心 北緯 35度35分(35.6度)
東経 137度25分(137.4度)
進行方向、速さ 北東 55km/h(29kt)
中心気圧 980hPa
最大風速 30m/s(55kt)
最大瞬間風速 40m/s(80kt)
予報円の半径 90km(50NM)
暴風警戒域 南東側 350km(190NM)
北西側 310km(170NM)
<14日12時の予報>
強さ -
存在地域 宮古市の東北東約220km
予報円の中心 北緯 40度10分(40.2度)
東経 144度25分(144.4度)
進行方向、速さ 北東 65km/h(36kt)
中心気圧 980hPa
最大風速 30m/s(60kt)
最大瞬間風速 45m/s(85kt)
予報円の半径 240km(130NM)
暴風警戒域 南東側 520km(280NM)
北西側 440km(240NM)
<15日09時の予報>
強さ -
温帯低気圧
存在地域 千島近海
予報円の中心 北緯 45度55分(45.9度)
東経 155度35分(155.6度)
進行方向、速さ 北東 50km/h(28kt)
中心気圧 976hPa
最大風速 30m/s(60kt)
最大瞬間風速 45m/s(85kt)
予報円の半径 410km(220NM)
暴風警戒域 南東側 700km(375NM)
北西側 650km(350NM)

 


このような詳細な情報を瞬時に出すことができることはすごいことだ。気象観測機器とコンピュータの発達が可能にしたと言う意味では、科学技術が人類社会の安全に果たしている大いなる成果といえる。まさに、かつてベーコンが言った「知は力なり」の具現である。

昔、小学校か中学校で、低気圧というのは大気の圧力が1,013ミリバール(mb)より小さいことと習ったように記憶している。なんと中途半端な数字だと不思議に思ったことが記憶に深く刻まれることになったのかもしれない。いまではヘクトパスカル(hPa)と単位の呼称が変わったが、数値は同じだ。ところが、気象庁の説明では、「高さ(気圧)の同じ面で、周囲よりも気圧(高度)が低く、閉じた等圧線(等高度線)で囲まれたところ」となっていて、具体的な数値は示されていない。単に1気圧は1,013ミリバールと習ったことを私が勘違いしていたのかもしれない。

いま接近中の台風19号はヴォンフォンと名付けられている。日本人には馴染みのない名前と聞こえるが、これも気象庁の説明を見てみると以下のように記されている。

台風には従来、米国が英語名(人名)を付けていましたが、北西太平洋または南シナ海で発生する台風防災に関する各国の政府間組織である台風委員会(日本ほか14カ国等が加盟)は、平成12年(2000年)から、北西太平洋または南シナ海の領域で発生する台風には同領域内で用いられている固有の名前(加盟国などが提案した名前)を付けることになりました。平成12年の台風第1号にカンボジアで「象」を意味する「ダムレイ」の名前が付けられ、以後、発生順にあらかじめ用意された140個の名前を順番に用いて、その後再び「ダムレイ」に戻ります。台風の年間発生数の平年値は25.6個ですので、おおむね5年間で台風の名前が一巡することになります。

いま、外は大雨と大風ですごい。どの家も雨戸を閉めてひっそりとしている。予報の精度は格段に高まったが、台風を直接制御することまではできない。全国で何十万人に避難勧告が出されているが、避難する場所が安全なところであるならば、避難しなくても良い安全な場所と住居に住むようにすることもできるはずだ。そういう意味では、まだまだ人智を十分に働かせてはいないということなのだろう。「知は力なり」ではあるが、知を用いてこそ力を発揮できるというところまで考えが及んでいないということなのだろうか。

2014年10月12日日曜日

干し柿づくりに挑戦

2階の“書斎”で“研究”に“夢中“になっていると、「手が痛くて一人ではできない」と妻が呼びに来た。

妻は、9日に収穫した渋柿を干し柿にするために皮を剥いていたのだが、先日、右手首を痛めてしまって、皮剥きに難儀していたからだ。

「よしっ、まかせなさい」と勇んでみたものの、ひもで吊(つる)すための小枝がついた小さな柿の皮剥きはけっこう面倒だ。老眼の目をしょぼつかせながら、妻の指示に従って、蔕(へた)を丁寧にむしってから、包丁や果物ナイフ、ピーラーを使って奮闘(と言うと大げさだが)。

剥き始めは沢山あるなと思ったが、剥き終わるとたいした数ではなかった。剥いた皮は柿の根元に埋めた。

こんな風にきれいに剥けました
 
台風が近づいていて、今日の夜半から雨が降るということなので、すぐに取り込めるようにと、ふだんは使っていない移動式の衣類掛けを妻が物干し台に持ってきて、それに吊した。うん、なかなかいいアイデア、と感心した。 
 
 

 
手でもぎ取った柿は35度の焼酎で渋抜きをすることにした。妻の話では1週間経ったら、また、焼酎を追加するそうだ。
 
 
干し柿も渋抜き柿もうまくいくといいが。その間は、近くの直売所で売っている甘柿をせっせと食べることにする。そうそう、その直売所では、地元産のブドウを沢山売っている。ピオーネという品種が多い。私は、紫玉という品種が好きだ。昨年も、いやっと言うほど食べたが、今年も毎日食べている。糖分の取り過ぎで、老人には、あまりよろしくないかもしれない。

2014年10月9日木曜日

皆既月食を見た

ニュースでアナウンサーが「今夜は皆既月食が見られる」と言ったのを聞くやいなや妻はバタバタと表(おもて)に駆けだした。元気である。では、わしも、とモタモタと表に出てみた。

快晴の夜空に、いまや光が消え失せようとしている赤茶色のまんまる月が浮かんでいた。あわててコンパクトデジカメを取りに戻って、門柱を台にして、しっかり手で押さえてみたものの、その状態で数秒の露光には無理があって、ぶれてしまった。何枚か撮った中で、比較的ましなものを乗せてみたが、どうだろう。


 
下のは、かなり古いものだが、2000年の皆既月食の時に撮ったうちの1枚。記憶が定かではないが、当時としてはハイスペックのスチールカメラに望遠レンズを装着し、三脚に固定して撮ったような気がする。スキャナーを使ってデジタル化して保存していたのだと思う。今回の月食の写真と比べると、カメラが著しく進歩したことがわかる。
 
 
ついでと言っては何だけど、狭い庭に植わっている柿を収穫(と言うと大げさだが)したので、その写真も載せておく。今年は台風で成長途中の実がだいぶ落ちてしまったので数が少ないが、快晴の日におもしろがって手でもぎ取ったり、高枝鋏を使って収穫した。この柿は、食べた甘柿の種を試しに植えてみたところ、2本が成長したものだ。まだ、十分な成木にはなっていないが、それなりに実をつけるので、毎年、収穫を楽しみにしている。ただ、残念なことに、接ぎ木をしなかったので、甘柿の種から生長したのに渋柿だ。初めて実がなったときに、喜んで齧(かぶ)りついてギャッとなったのも楽しい思い出だ。
 
干し柿づくりにも何回か挑戦したが失敗続きで、焼酎で渋を抜く方法も何回も試しているが、なかなかうまい具合にいかない。ずっと昔に、温泉につけて渋を抜いていたのを見たことがあるが、いまでもそうしたことをしているのだろうか。
 
 









 
こんな形の柿もありました。