2014年10月27日月曜日

干し柿が完成した

12日に干し始めて2週間が経った干し柿を食べた。「おー、うっまい!」と思わず声を出してしまった。形は悪いが、これほど、<上手く(うま)、美味(うま)く>できるとは期待していなかったので、感激してしまった(こんなことで感激するとは情けないか)。お店で売っているのと遜色(そんしょく)がない。

10月12日の干し始め
10月25日の干し終わり




ビニール紐(ひも)を使って吊(つる)していたので、まずは、縛っていた小枝部分のビニール紐を外そうと、初めは手でほどこうとしたが、きつく縛っていたので、簡単にはほどけない。そこで、文具のハサミを使って結び目を切ることにしたのだが、これがけっこう面倒。なかなか上手く切れないのだ。そこで、次には、料理用のごついハサミで小枝を切ることにしたのだが、これもけっこう力が要(い)るのと、実と小枝の間にハサミを差し込むのが難儀(なんぎ)。

そうこうしているうちに、小枝をつまんで、捩じ切る(ねじきる)ようにすると、紐ごと簡単に取れることがわかった。こんなことでも試行錯誤していれば頭の訓練にはなるか(なるわけがないと裏の声がする)。何事もやってみなければわからない、と素朴でわかりやすい経験主義が頭をもたげる。というわけで、テーブルの上や下には、紐の切れ端やら小枝がバラバラになったのやらが散乱したが、干し柿づくりの完成とあいなった。

そこで、早速、初物(はつもの)を楽しんだ。妻もご満悦であった。私の小さい頃に、初物をいただくときには東に向かって笑う、ということを教えられて、よくそうしたものだ。私の郷里の習慣だったのだろうか。干し柿を口にして、東を向いて、にっ、と小さく笑顔をつくってみた。何かいいことでもあるといいのだが。

食べ物と方角ということでは、関西でよく知られている「恵方巻(えほうまき)」というのがある。太い巻き寿司を切らずにそのまま恵方を向いて頬張(ほうば)る。初めて恵方巻を知ったときに、なんて下品な、と思ったが、広辞苑では、こう説明している。恵方巻は、「節分の日に、その年の恵方を向いて食う巻きずし」で、「恵方とは、古くは正月の神の来臨する方角。のちに暦術が入って、その年の歳徳神(としとくじん)のいる方角」。神様にかこつけてへんてこなこじつけで突拍子(とっぴょうし)もない習慣をつくってしまうのは、人間の遊び心なんだろうな。科学技術の発明発見に通じるところがあるのかもしれない。そして、洋の東西を問わずに見られることだが、神様仏様にまつわる迷信・俗信を商売に結びつける商魂たくましい人間と、それに乗っかって、神も仏も信心も“それはさておき”と楽しもうとする客とで商売が成立していることに、人間のすごさというか、賢さを見る思いがする、というのは余談に過ぎるか。

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