2014年10月29日水曜日

喫茶店で本をもらった

秋の好天に誘われたわけではないが、用事で来ていた明石にある「魚の棚」(うおのたな/うおんたな)に妻と行ってきた。何年ぶりのことだろうか。十年ぶりかもしれない。司馬遼太郎の『龍馬がゆく』にも出てきたが、400年の歴史をもつ魚屋中心の商店街である。


平日の午前中であったが、けっこうな人出があった。まずは腹ごしらえと明石名物の食材を使った蛸飯(たこめし)と穴子(あなご)の天ぷらの定食(写真を撮り忘れてしまったのが残念)に舌鼓(したつづみ)を打ってから、おもむろに商店街を歩き出す。

老人夫婦には何事もゆっくり、ゆったりが相応しい。とは言うものの、定食をパクパクと短時間で食べ終わっているので、思っていることと実際の行動は一致したためしがなく、思考も行動も瞬時に変化する。老人の思考と行動のパターンは常に不定である。こういうのを勝手気儘(かってきまま)という。だから、老人の行動は予測不可能で、安心してみていられないし、信頼が置けないのである。

どの店も新鮮な魚をたくさん並べている。ぶらぶら歩きながらあれこれと見て楽しんでいると、大ぶりのカレイの一夜干しを指して、「3匹で1,000円。おすすめですよ」と若くて元気なお兄さんに声をかけられた。ほんとだ、大きくて厚みがあり、焼いたらおいしそうだ、ということで買うことにした。氷ももらい、保冷袋に入れて、またぶらぶらと歩いて行くと、別の店でも、同じようなカレイを手にしたお兄さんに、「3匹で1,000円」と声をかけられた。協定価格なんかいな、と少しおかしくなって笑ってしまった。

肉厚で本当においしいカレイだった
さて、一休み、ということで、コーヒー好きの老人夫婦は商店街の喫茶店に入る。おー、どのテーブルにも灰皿があるではないか。同年配と覚しき女性店主が、「どこの商店も禁煙なので、お店の人たちが一服しに来るから」ということであった。なるほど、と合点して、遠慮なく私も一服する。コーヒーを飲みながら気兼ねなく紫煙を燻(くゆ)らすのは至福の一時(ひととき)である。

店内を見回すと、小さな書棚があって、文庫本が並んでいる。「あれ、本が置いてあるよ」と妻に言うと、女性店主が近づいてきて、「持っていってよ」と言う。何のことかと思ったら、「たまってしまって、置くところがなくなるから」ということである。最近の小説が多い。


女性店主は読書好きで、毎日、客がいないときに、店のカウンターに座ってどんどん本を読んでいるそうだ。「これこれ、この本は・・・」と、書棚から取り出しては、楽しそうに読んだ本の解説をしてくれた。妻も私も読書好きで、公立図書館をよく利用する。妻などは、パソコンを使って家から図書館の予約システムを利用して、多いときには一度に10冊以上も借りてくることもある。

女性店主の好意に甘えてベストセラーの文庫本7冊を頂戴した。「こんなにもらっていいんですか」と恐縮すると、「この間は、20冊持っていった人がいる」ということだ。太っ腹な女性店主に度肝を抜かれたと同時に、そんなに大量にもらっていった人もすごいな、と思った。たまたま、妻が500円の図書券を持っていたので、コーヒー代を払うときに、「少ないですが、使ってください」と渡すと、「とんでもない」と固持されたが、何とか受け取ってもらった。

喫茶店で本をもらうという、ちょっと今までしたことのない経験であったが、コーヒーと本とタバコという組み合わせをこよなく愛する私にピッタリの場所に導いてくれた不思議-これを縁というのだろうか-を感じる。

用事の時間が迫ってきたので、魚の棚を後にして、そこから少し(というか、かなりというか)遠くにある場所に移動することになったが、途中、ちょっとした買い物をするためにショッピングモールに立ち寄った。そこの催事場(さいじじょう)で恐竜や化石の展示がされていた。恐竜や化石も昔から興味があったので、ぶらっと見て回ったのだが、恐竜が本物さながら(本物を見たことはないが)で、ここまで作れるのかと感心した。映画ジュラシック・パークに登場した恐竜さながらで、歩いたりはしないが、首を自在に動かし、目玉が動き、まぶたも動いて(恐竜にまぶたがあったかどうかわからないが)、目を開けたり瞑(つぶ)ったりする。特殊な棒でなでてやると喜びの動作や声を出したり、なでる場所によっては、ビックリしたり怒ったりするような動作をする。それは見事で、大変面白かった。


というわけで、忙しい一日であったが、無事予定の用事を済まして帰途についた。

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