2014年10月7日火曜日

たいした給料も得ていない若者が結婚式のお祝い金に3万円を包むのだそうだ

件(くだん)の教授によれば、今どきの若者は、友人の結婚式に招かれると3万円の祝儀を持っていくそうだ。

結婚の祝儀に幾ら包むかは本人の勝手だからどうこう言う筋合いのものではないが、3万円と聞いて正直言って驚いた。20代や30そこそこの若者が、給料の1割をも越すであろう金額を結婚の祝儀に使うことに驚いてしまうのは古い人間だからだろうか。

祝儀に相場があるのかどうかわからないが、3万円と言えば大金である(と私は思う)。高給取りや親族、たいへん世話になったことがあって、こうした機会にしかお礼ができないというのは別にしても、そんな大金を、幾ら結婚のお祝いだと言っても、若者がポンと出す方も受け取る方も異常としか思えない。超インフレのようだし、結婚の祝儀に関しては、既にデフレ脱却済みのようだ。

3万円と聞いて驚くと、結婚式や披露宴に招待されれば、それくらい包むのが当然というか相場というか礼儀というか、そんな風に訳知り(わけしり)顔で若者は言うのだそうだ。

聞けば、件の教授は、教え子の結婚式に何回か招待されてスピーチをしたりしたこともあるそうだが、包むのは決まって1万円だったと言う。そんな昔の話ではないそうだ。そんなときでも、教え子の友人や同僚は、きっと3万円を包んでいたと思うよ、と言っていた。それでも1万円にしていたのは、祝儀などは“相場”で決めるものではないと教えてやりたかったからだそうだ。なんか、言い訳がましくも聞こえるが、彼の信念なんだろう。

そう言えば、いつ頃からか、親族でもないのに結婚披露宴や葬儀に礼服を着て出席する若者が多くなったような気もする。かつては、そうではなかったような気がするが、どうなんだろう。別に悪いことではないが、私は違和感を覚える。

結婚式や結婚披露宴も大がかりになって、相当の金額が費やされるようになったそうだ。私も以前に名の知れた結婚式場の披露宴に出たことがあるが、何組もの披露宴があって、宴会場に入るまでだだ広いホールで待たされて、開宴が遅れたこともあった。そんなときに、披露宴ビジネスにみんな振り回されているというか、食い物にされていると思った。ご祝儀3万円というのも、そんなところからくる相場なんだろうな。

北海道では、いまでも会費制で結婚披露宴が行われているという。私が学生の時に聞いた話で記憶しているのは、当時の北海道では会費3千円で大きな会館で披露宴が行われたこともあるという。その頃の国家公務員の初任給が5万5千円くらいだから十分に高額な会費だとは思うが、アルバイトが1日千円ほどだったと言うから、学生でもそれほど負担にならない額であったに違いない。それでこそ、みながこぞってお祝いする意味があると思うが、どうだろう。北海道式の結婚式・披露宴が全国に広まらないのはなぜだろう。不思議である。

ちなみに、ジョージ・クルーニーの結婚式の費用は約5億円で、3日間にわたって行われたパーティーなどを含めると14億円とも言われている。まあ、こんなことはどうでもよいことで、ジョージ・クルーニーは阿呆だ、なんて言うつもりもないが、豪勢にやるのなら、そうしたことに何の負担も感じない者だけを招待すればよいことだ。

と、まあ、こんなことを書き連ねても詮無い(せんない)ことではあるが、それほどの所得があるとは言えない者たちが、式や披露宴に、このときとばかりに結婚する側も招待される側も大盤振る舞いするというのは、どう考えても知性とか本物の豊かさを感じさせず、軽佻浮薄(けいちょうふはく)に感じるのは私だけだろうか。

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