2015年7月1日水曜日

安倍首相の戦後70年を記念する談話への関心

安倍首相の戦後70年を記念する談話に関心が高まっているが、たまたま興味深い記事を見つけた米国の学者8人、「私なら70年談話をこう語る」と題されたネット上の記事だ。その中で、『太平洋戦争終結70周年に考える-8人のスタンフォード研究者による終戦の日の談話-』という出版物が紹介されている(上記書名をクリックすれば全文が読める)。

これは、スタンフォード大学ショーレンスタイン・アジア太平洋研究センター とフリーマン・スポグリ国際研究所 に所属する8人の日本研究者が、自分が日本の首相だったら、どのような談話を発表するか、という観点から書かれたものだ。その中には、村山談話(1995年<平成7年>8月15日の戦後50周年記念式典に際 して、内閣総理大臣の村山富市が閣議決定に基づき発表した声明)と小泉談話( 2005年<平成17年>8月15日の戦後60周年記念式典に 際して、内閣総理大臣の小泉純一郎が閣議決定に基づき発表した声明)も収録されている。

詳細は上記の出版物に直接当たって欲しいが、私は、その内容もさることながら、これを企画した編者の星岳雄(ホシ・タケオ)氏とダニエル・スナイダー氏、そして、その求めに応じて“談話”を書いた8人の日本研究者(編者らを含む)のこのような希有と思われる試みに感心する。

首相談話で議論になることは、かつての日本の行為に対する反省と謝罪(お詫び)に関してである。戦後生まれの人間にとって、正直なところ、戦後50年も、60年も、そして70年も経って、なお、反省と謝罪が首相談話の重要課題になることにはとても違和感を覚える。もちろん、日本が犯した過去の不始末に目を瞑(つむ)るとか、反省や謝罪が必要ではないと言うのではない。これまで長い間、過去の不始末に決着をつけずに、いつまでも後世の人間に付けを残し続けるのか、ということである。

30年ほど前(戦後40年を経ていた)のことだが、仕事でマレーシアの開拓農村に滞在していたことがある。ゴムや油椰子(オイルパーム)の林に囲まれた方々(ほうぼう)の集落を回ったが、ある日、村の集会所のような所で昼食休憩をしていたときに、どことなく古めかしい小銃を持った中年の警備員が親しげに話しかけてきて、テーブルの向かいに座った。外国人が珍しかったようだ。テーブルの上に、ドンと小銃を置いたのには驚いた。

一緒にいたマレーシア人が、私が日本人で、仕事で来ていることを話した。警備員は、ますます親しげにあれこれと話し、聞いてきた。私はマレー語がわからなかったので、同席のマレーシア人の通訳で雑談していたのだが、彼が時折苦い顔をして警備員に話していたので、何を話しているのかを聞いたところ、日本の占領時代のことだという。日本兵の銃剣で追い立てられて椰子の木に登って逃げたという話を祖母から聞いたということだった。

警備員は、とりたてて私を責めているような感じはなかったが、ジッと見つめられたときには複雑な心境になった。いま、この村にいる日本人は私一人と思うと、日本を代表して謝罪しなければならないのか、とも思ったが、口から出たのは、「そんなことがありましたか。その兵隊はとても悪い兵隊でしたね。おばあさんは、とても恐ろしかったでしょうね、くやしかったでしょうね」、「でも、そのことに私が日本人だからといってここでお詫びしたりするつもりはありませんし、過去に悪行を犯した日本人と一緒にしてほしくはないです」というものだった。警備員もマレーシア人も、その後に交わした会話の中で、私の言ったことに理解してくれたようだった。彼は、重そうな小銃を手にすると、笑顔で去って行った。

同国人だからと言って、いまの世代が前の世代が犯した悪行の責めを負わなければならないなんてことはない。いつまで経っても反省と謝罪の議論が繰り返されているのは、悪行を働いた者たちの責任をハッキリさせることなく、皆が納得できるようなしっかりとした決着をつけないままにズルズルと先延ばして来たからである。

その間に、外向きには中途半端な反省やら謝罪やらでお茶を濁すようなことをし、内向きには自国民が無知蒙昧かのように幼稚な手練手管(てれんてくだ)を弄(ろう)して恰(あたか)も戦前回帰のような言動を繰り返してきた。そして、それに同調したり、指示を与えたりする輩が跋扈し、少なからぬ国民がそれを許してきた。

安倍首相の談話は閣議決定を経ることなく個人の談話として発表することも検討されているという。時の総理大臣が戦後70年を記念する談話を個人談話として発表することに何の意味があるのだろう。“ああ、首相談話ね。あれって、個人の単なる呟(つぶや)きでしょ。その程度のことは、みんなツイッターでやってるよ”ということだ。無責任きわまりない。それこそ国民を愚弄するものではないのか。愚民扱いである。国民は何と馬鹿にされていることか。そして、また、決着させることなく、日本は、日本人は「反省と謝罪」を歴史的遺物として後世に引き継いでいくことになる。

日本国憲法は、戦前の愚かな独善者が犯した悪行に対して内外に向けて反省と謝罪を表明したものであり、二度とそのような悪行を起こさないことを権力の地位に座る者に誓わしめたものである、と私は理解している。憲法の前文は次のように述べている。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」たのであり、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」と宣言したのである。そう宣言した以上、この憲法に則(のっと)って、速やかに過去の悪行に対して国内外が納得しうるような決着を速やかに図るべきであった。そうすることなく、平和憲法を蔑(ないがし)ろにするような言動を相も変わらず繰り返している。

私は、現行の日本国憲法は、他の何にも増して日本人が誇りうる世界遺産に相応しいと思っている。憲法が世界遺産に登録されている例を知らないし、世界遺産の登録をめぐる運動やら駆け引きには胡散臭(うさんくさ)さやバカバカしさを感じてはいるが、日本政府が日本国憲法を大事にし、世界遺産に登録したいという態度を示せば、過去の悪行に対して本気になって決着をつけようとしていると国内外に理解してもらえるに違いない。

私の父は、終戦時に満州(中国東北部)でソ連軍の捕虜になり、シベリアに2年間抑留された。帰国できたが、抑留中の過酷な捕虜生活で体はボロボロになっていた。帰国後何年もしないうちに長い入院生活を余儀なくされ、多くを語ることなく亡くなった。誰からも、どこからも心底からの謝罪の言葉を受けたことはない。かつての戦争で犠牲になった途轍(とてつ)もない多くの人々もそうだろう。

上辺だけの、形だけの哀悼の意らしきもの、謝罪らしきもので取り繕われてきた。それでも日本人は、自国の権力者に対して類い希なる寛容の精神を示してきた。そのことにいい気になって/図に乗って、過去を清算する努力を怠り、付けを残したまま、時には過去の過ちを美化し、再び過ちを犯そうとするかのような言動を繰り返している。そして、そうしたことを支持する輩が欲得尽(よくとくずく)で群がっている。

もう、反省と謝罪の議論で振り回されるのはご免である。過去を清算する決意を表明し、日本が真の平和国家として世界から尊敬され、羨望の的になれるような首相談話であることを願わずにはいられない。

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