2015年7月23日木曜日

新国立競技場建設をめぐる議論に見る政治家の阿呆さ加減

新国立競技場の建設計画案が白紙に戻った後に、各界でさまざまな議論が行われているが、政治家の阿呆さ加減を代表する発言の極めつけは、なぜか五輪組織委員会の会長に収まっている森喜朗・元首相が、7月22日に東京の日本記者クラブで講演した際の発言と記者の質問に対する返答だろう。

知性のかけらもない発言内容は、逐一(ちくいち)論(あげつら)うことが阿呆らしいくらいであるので、ここではしない。その詳細は、ハフィントンポスト日本版に掲載されているから、是非ご覧いただき、こういう発言を得意になってする低レベルの阿呆な人間が、“大物”として君臨し、重責を担っている日本は、全くおかしな国である。

肝心なことは、森発言にしろ、下村文部科学省大臣にしろ、はたまた、舛添東京都知事にしろ、安倍首相もそうだが、新国立競技場の建設計画問題に関して、国家財政の問題や財政健全化計画と全く関連させることなく無駄話をしていることである。政治家の発言とは言えないお粗末きわまりないものである。

どうして、そのような無駄話を阿呆面して平気でできるかと言えば、要するに、他人(ひと)の金を使うことで自分の腹は痛まない、という感覚だからだろう。国家の財源が国民の労働から生み出される血税によるものであることなど、ちっとも考えていない、ということである。

国民は、懸命に働いてせっせと税金を払っても、阿呆どもは、どうせ自分の金ではないからと、面白がって他人の金を自由に使い、足りなくなりそうになったら、もっとよこせ、と有無を言わせずに取り立てればいい、と考えているわけである。時代劇に出てくる能なしで欲深な悪代官と全く同じである。私利私欲に走り、目先のことしかわからず、考えもせず、将来の日本にツケを残すことを一向に気にもかけない脳天気な与太者ばかりが政治を行っている。こんなことを許しておいて日本の将来は大丈夫だろうか。

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