2015年7月17日金曜日

新国立競技場の建設計画が白紙に戻った-茶番劇の第二幕か

森喜朗古墳とも揶揄された新国立競技場の建設計画を白紙に戻すことがきまったということだ。テレビのニュースで、安倍首相が「国民の声を聞いて・・・」などと言っているのを見て、まあ、何と、いけしゃあしゃあと、と思ったのは、私一人ではないだろう。安保法案では国民の声を完全に無視していたのに、である。

白紙に戻すことを決めたのは、これもテレビで自民党議員が言っていたことだが、そうしないと、安倍政権や自民党にとって不利になるからである。そこには、不合理な血税の大盤振る舞いに対する国民の批判は全く念頭に置かれていない。

最新のおもちゃをもらえることになって大喜びで友だちや親類縁者に自慢するかのようにはしゃいでいた五輪組織委員会会長の森喜朗元首相(日本ラグビー協会名誉会長)はとても残念がっていたそうだが、首相経験者ともあろう者が、事態を全く理解できていないことに開いた口がふさがらない。

借金まみれの国で、しかも、東日本大震災からの復興のための施策を実施するために必要な財源の確保に関する特別措置法 (平成二十三年十二月二日法律第百十七号)を制定して、震災復興のために平成25年から平成49年までの長期にわたって復興特別税を徴収し続けるというのに、原発事故の処理に解決の目途が立たないままに多額の税金を投入し続けているのに、道路や橋梁の老朽化対策が急がれているのに、少子高齢化対策が遅々として進まないのに・・・。

するべきことが山ほどあるのに、お祭り騒ぎで、はしゃぎ回っているときではない。

オリンピックにケチをつけるわけではないが、開催地の決定プロセスにしろ運営にしろ、FIFA(Fédération Internationale de Football Association:国際サッカー連盟)の汚職事件にも見られるように、胡散臭いことが多い。スポーツという美名に隠れて私利を図り、私欲を充たそうとする輩が跋扈していることには、ほとほとうんざりする。そこに、頭で考えることなく、筋肉で考えるが如くの思考回路に同期(作動を時間的に一致させること:『広辞苑』)させる連中が群がって知性なき言動を繰り返す。そして、そのツケを平気で国民に押しつける。勘弁して欲しい、というより、許しておけない。

質素であっても、世界一流のアスリートが競技に全力を出せる環境を整えることは十分に可能であろう。国民に不必要な負担をかけることなく、さすが日本だ、と言われるほどの創意工夫をしてこそ、国民がこぞって祝福できるオリンピックになるはずである。

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