2015年7月16日木曜日

安保法案が衆議院で野党欠席のまま可決された-

強力な台風11号が間もなく四国・近畿を直撃しようとしているいま、衆議院で、自民、公明、次世代の賛成多数で安保法案が可決された。民主、維新、共産、社民の各党の議員は採決の前に退席した。、生活の党は本会議に出席していなかった。

採決前の野党党首の反対演説は筋の通ったものだったが、安倍首相は、無表情で、時折は不敵な表情で、また、隣席の石破大臣と言葉を交わしながら、“なに言ってんだ、喋るだけしゃべっておけ”と腹の中で言っているかのように何の反応もせずにじっと時間の経つのを座して待っていた。

新聞各紙のネット上の速報もNHKのニュースでも、安保法案が衆議院で可決されたことから、参議院で可決も議決もされない場合であっても、憲法の「60日ルール」に従って再度衆議院で出席議員の3分の2で可決されれば、法案は成立することから、今国会での成立は確実になる、と報じている。60日=2か月先であるから、9月14日から会期末の9月27日までの間に安保法案は成立するということである。こういうときは憲法に従う、というよりは、憲法を利用するという小賢しくて陰湿で身勝手な体質がもろに現れている。

「法案成立が確実になる」という報道には違和感を覚える。もう、何を言っても、しても、無駄ですよ、と聞こえる。マスメディアが法案成立の見通しを政府に代わって/お先棒を担いで国民に広報しているかのようである。

民主主義の基本原則とは言え、ただただ、数の論理で事が進められている。違憲だろうと何だろうと、数で押しまくれば非も是になるという暴挙である。そこには、知性のかけらも、人間的な心情も、国民と国の将来に対する責任感も何も感じられない。

正当な手段・方法では対抗できない、効果がない、というときには、人間は絶望感に襲われるか、ルールを無視した暴挙に出る。ふつうの人間は後者を選ばないから、絶望感や無力感、虚無感に襲われて何もしなくなるか、無関心になる。かつて学生闘争に身を投じた学生たちが味わった挫折感もそうであろう。

しかし、相手の思う壺(つぼ)に陥らないためには、一時の感情に身を任せることなく、しつこくしつこく、澤地久枝女史が語る「絶望せずにモノ言う勇気を」もち続けることが何よりも大事である。日本人にもっとも欠けている勇気が、そうしたしつこさではないだろうか。そして、そのことが、これまでに多くの人を犠牲にし、心情の欠けた傲慢で無知蒙昧な輩どもの身勝手な独断専行を許してきたことを肝に銘じなければならないだろう。

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