2014年12月19日金曜日

STAP騒動の茶番が一段落した

理研がSTAP細胞を再現できなかったと報告した。小保方晴子嬢は退職届を出して受理されたそうだ。ふつうの感覚では、退職届を受理せずに懲戒解雇とすべき事案ではないだろうか。とても不思議で理解に苦しむ。

ともあれ、これで、一連の茶番劇が一段落したことになる。本人から退職届が出るのを待つために、死者を出してまであれやこれやの大がかりな茶番を仕組んできたとしか言いようがない。そうした茶番をよってたかって仕組み、加勢してきた連中は、どう責任を取るつもりなのだろうか。

小保方嬢本人は、相変わらず尋常ではないコメントを出している(以下全文)。

どのような状況下であっても必ず十分な結果をと思い必死に過ごした3カ月でした。予想をはるかに超えた制約の中での作業となり、細かな条件を検討できなかったことなどが悔やまれますが、与えられた環境の中では魂の限界まで取り組み、今はただ疲れ切り、このような結果に留まってしまったことに大変困惑しております。
 私の未熟さゆえに論文発表・撤回に際し、理化学研究所をはじめ多くの皆様にご迷惑をおかけしてしまったことの責任を痛感しておりおわびの言葉もありません。検証終了をもって退職願を提出させていただきました。最後になりますが本検証実験にあたり検証チームの皆さまはじめ、ご支援・応援してくださった方々に心より御礼申し上げます。 2014年12月19日 小保方晴子

不正行為を働いた反省や虚言の背景については何も言っていない。不正の責任を取るのではなく、迷惑をかけたことについて詫びることは、浅田次郎が『マンチュリアン・リポート』で描いた関東軍の幹部と同じ行為である。犯したことに対して責任をとるのではなく、それを犯したことで誰それに迷惑をかけたことを詫びることによって自分の責任を棚上げにするという小賢しいというか陰湿な行為である。そして、そのことを許す面々には呆れてものが言えない。こんなコメントを出すほうも出させる方も尋常ではない。

STAP騒動に自らが何の関わりももたないかのような無責任きわまりない野依理事長の「退職願の承認に際してのコメント」にも唖然とする。全くの他人事として処理できてホッとした顔が浮かんでくる。

剽窃、捏造、法螺話、奇行のオンパレード。本人と、それを許してきた面々は、科学の名を借りて虚構の世界に人々を引きずり込み、巨費を浪費した。不正を不正と認めようとせず、処分もできずに、ひたすら退職届が出ることを待っていた背景には何があるのか。「事実は小説よりも奇なり」を地でいくような今回のSTAP騒動。

ごくごく単純で、誰の目にも明らかな不正行為でも、寄って集(たか)って、あの手この手で隠匿、隠滅しようとすればできないことはない、と考えた意地汚いれ連中がけっこうな数いたということで、その連中はなにがしかの地位にいて、そうすることが自分たちの利益を守る/増やすことができると考えたのだろう。冤罪の逆バージョンとも言える。

性懲りもなくダラダラと時間をかけて自分の金ではないから巨費を浪費しても痛くもかゆくもないし、「赤信号みんなで渡れば怖くない」と、自分(たち)が犯している不誠実に気を向けることなく、科学の名で押してゆけば欺けるだろう高を括っていたのだろう。

努力や一生懸命にやることとは、それがまっとうなことであってこそ賞賛されるのであって、不正行為に努力をし、一生懸命になることは非難されこそすれ、許されることではない。そして、不正行為を許すかのように、それを隠匿、隠滅し、言い訳する連中には一層の責任があると言わなければならない。

2014年12月5日金曜日

糸谷くんが竜王位を奪取した

昨日、糸谷哲郎(いとだに てつろう)七段(26歳)が森内竜王に挑戦していた第27期竜王戦で、4勝1敗という好成績で竜王位を奪取した。タイトル初挑戦での偉業である。彼が在籍している大阪大学では、その快挙をトップページに祝辞とともに写真入りで紹介している。阪大もなかなかやるものだと感心する。このトップページはすぐに変更されるだろうから、コピーして以下に掲げておく。とくに文句は言われないだろう。


画面の「詳しくはこちら」をクリックすると、号外や彼のプロフィール、総長の喜びのコメントも掲載されている。こちらのページはなくなることはないだろう。

この1勝で竜王位を獲得ということで、風邪で体調を崩していた私だが、コタツに入ってパソコンで中継を見ていた。最終盤まで森内竜王優勢の解説だったが、辛抱に辛抱を重ねて最後まで受けに徹して、まさに最後の最後で詰めの手筋を放った。

挑戦者決定戦で羽生名人を2勝1敗で退け、森内竜王を破り、将棋界最高の優勝賞金4,200万円を獲得した(ちなみに敗者の森内の賞金は1,550万円)。竜王戦3組で優勝して賞金250万円を獲得し、決勝トーナメントでは竜王位挑戦までに、75万円、115万円、160万円、440万円の計790万円の対局料を手にしているから、今季の竜王戦で5,240万円を獲得したことになる。昨年度の賞金・対局料が1,035円で20位の成績だったから、今季は竜王戦だけで昨年度の5倍を稼ぎ出したことになる。立派と言うほかはない。

将棋の優勝賞金額が他の競技に比べて大きいか小さいかは難しい問題だが、将棋の他のタイトル戦の多くが賞金額を公表していない中で、読売新聞社が主催する竜王戦は将棋界最高という優勝賞金額を公表して昭和62(1987)年に設立された。将棋のスポンサーと言えば朝日新聞社と毎日新聞社という時代が長く続いていた中で、それを打ち破るには他の追随を許さない賞金額のタイトルであることを大々的に宣伝する必要があったのだろう。そして、それは成功した。

今期の竜王戦で糸谷七段は羽生名人を退けて挑戦権を獲得し、名人8期や竜王2期を含むタイトル12期の鉄板流・森内竜王から竜王位を奪取した。竜王位は後発のタイトルでありながらも、それまでは伝統的に将棋界最高のタイトルとされてきた名人位を名実ともに凌駕することになったと言えるだろう。

糸谷新竜王は、竜王位挑戦権を得た9月8日に六段から七段に昇段し、竜王位を奪取したことにより12月4日に八段に昇段した。とても効率のよいスピード昇段であり、現役八段18人の中では最も若い棋士である。

現在の将棋界の二枚看板である羽生と森内を立て続けに破っての竜王位奪取であるので、まさに快挙である。しかも、高校3年生で四段になってプロデビューし、現役棋士として現役で大阪大学に合格し、現在は休学中とはいえ、現役の大学院生でハイデッカーを研究しているという、まさに異色の棋士である。

私は早くから彼に注目していたが、記憶に残っていることは、超早指しであることを故米長邦雄会長からたしなめられたことや、ひとから苗字を「いとたに」と読まれると「いとだに」だから間違わないで欲しいと言ったこと、奨励会在籍中にもたくさんの哲学書を読んでいたことなどである。

ハワイで開催された今季竜王戦第一局に際しての糸谷七段の挨拶には面目躍如たるものがあった。感心し、また、とても面白かったので、以下に紹介しておく。

「皆さんアローハ。私はあいさつに入ると、長くて分かりにくいと言われるので手短にしたいと思います。昨日、領事館にうかがわせていただきました。そこで一つ啓示的な話をいただきました。母の実家が鎌倉でして、鎌倉とハワイはある共通点という話をいただきました。話を縮めますと、日本とハワイは精霊信仰、シャーマニズムという点において共通しています。父方が宮島が実家でして、宗教と縁があるのですが、一神教とシャーマニズムの違いとして、観客に語りかけるか、神に交信するかという話をいただきました。私は中高をカトリック系の学校にいましたが、ミサなどにおいて神父は聴衆に話しかけますが、ハワイや鎌倉に行こうというのは神そのものに話しかける。一種の交信儀式を行うわけです。これは将棋と近しいのではないかと。将棋は哲学では神、世界、真理、存在とある程度同一視される、というと怒られるかもしれませんが。一つの世界そのものが神の代わりである。ニーチェは『神は死んだ』と申しましたが、そういった意味での存在、真理、ただ一つのくつがえしがたいものを神などと隠喩する風習があります。そういう点で将棋はある程度真理を目指す、神の存在ですね。神のメタファーになると思いますが、どこか真理を目指しながら、しかし、神にたどり着かない。ただ、対局者同士は神を目指すという行為ですね。シャーマンも神にたどり着くという行為自体はなしえないわけです。交信することにおきまして、ただ、それを目指す。というわけで、真理=神に近づけますように将棋を指していきたいと思います」

かつては将棋に邁進して学業は中学や高校までという棋士が多かった。それだけ厳しい世界であるからだ。プロ棋士として認められるのは四段からで、それまでは奨励会という6級から三段までが所属する組織で昇級・昇段をかけて戦う。

三段になると三段だけでのリーグ戦を半年単位で行う。そして、各期上位二名が四段に昇段し、プロ棋士になる。年に4人しかプロ棋士になれないということだ。しかも、年齢制限があって、満23歳(2003年度奨励会試験合格者より満21歳)の誕生日までに初段、満26歳の誕生日を含むリーグ終了までに四段になれなかった場合は退会になる。ただし、最後にあたる三段リーグで勝ち越しすると、次回のリーグに参加することができるが、それを繰り返しても満29歳のリーグ終了時で四段になれない場合は退会 となる。棋力はもちろんだが、厳しい戦いを長く続けることができる気力や体力も想像を絶するほど必要になる。尋常な世界ではない、と言うこともできるかもしれない。

「兄貴たちは頭が悪かったから東大に行った」というのは故米長邦雄会長がかつて語った言葉として有名だが、将棋の世界の厳しさを言い得て妙だと思う。近年では、奨励会時代に東京大学に合格し、在学中に四段になってプロ棋士になり、その後法学部を卒業した片上大輔六段(33歳)のような大卒棋士も増えてきた。

文武両道という言葉があるが、将棋と学業の両立と言うことでは、文文両道というべきか。糸谷哲郎くんが竜王位を奪取し、大阪大学が大学のウェブサイトのトップページに快挙を称える写真と記事を掲載し、号外を出し、総長の喜びのコメントを出したことから、世のトンチンカンな親は子どもに将棋をやらせ、何か面白い大学改革策はないかと目先のことばかりに執心している文部科学省は、推薦入試の目玉として奨励会員や若い棋士の入学勧誘の手立てを早速講じるように各大学に指令を出すことになるかもしれない。そのどちらも悪いことではないと思うが、単なる流行(はやり)に終わらせてもらいたくないとも思う。大阪大学は、糸谷くんが博士号を取れるように色々算段することになるかもしれないが、糸谷くんには是非とも実力で博士号を取ってもらいたいとも思う。そして、羽生ファンの私としては複雑な心境だが、何よりも竜王位を何回も防衛してもらいたいものだ。

2014年11月25日火曜日

アベノミクス解散とやらに老人はどう対応しようか

内閣が解散して衆院選挙が行われる。安倍首相は、「アベノミクス解散」だと見得を切ったが、聞いた方は、「アベノミクス」は解散=おしまい、ということかと思った。

アベノミクスは、「安倍 のみ クスクス 笑う」とか「安倍 のみ くすねる」、はたまた「あべのハルカス」をもじったものかと思っていたので、もう、そうした冗談をおしまいにして、真面目に政治に取り組むことを宣言したのかと思った。

まあ、これは出来の悪い駄洒落だが、アベノミクスというのは、かつてアメリカ大統領レーガンが進めた経済政策に対して名付けられた造語であるレーガノミクスを真似たものだ。

レーガノミクス - レーガン(Reagan)と経済(economics)をくっつけてレーガノミクス(Reaganomics) - は、アメリカの三大放送ネットワークの一つであるABC(American Broadcasting Companies Inc.:アメリカ放送会社)の当時のラジオ・キャスターであったポール・ハーベイ(Paul Harvey)が作った言葉とされている。レーガンの経済政策ということだから、アベノミクスは、安部の経済政策ということになる。

それが、どんな政策かは内閣府が詳しく説明している。三本の矢だの日本再興戦略だの財政健全化だ何だのと言っているが、おそらく、財政を更に悪化させて国民の生活を混乱させ、将来に大きな付けを残すことになるだろう政策ばかりだ。

アベノミクスという言葉を誰が最初に使ったかということについては、それが下手な捩(もじ)り、パロディにしか感じないので関心もないが、首相自らがアベノミクス解散と言うのだから、本人はアベノミクスという言葉をえらく気に入っているのだろう。

レーガノミクスReaganomicsは、レーガンという苗字とエコノミクスという言葉が素直につながるが、アベノミクス(Abenomics)は安倍(Abe)という苗字とエコノミクス(economics)の間に「の」を挟んで無理矢理つなげたものだ。だから、「アベのミクス」と書くのが正しい(こんなことに正しいとか正しくないというのもおかしいが)。

安倍とエコノミクスを素直につなげれば、「アベコノミクス」(Abeconomics)となるはずだ(どうでもいいことだが)。実際、外国では、Abeconomics(アベコノミクス)も使われている。でも、これだと、「安倍好み薬(くす)」や「安倍好み屈(く)す」、「安倍子のミックス」とも読めるから、使いたくないのかもしれない(穿ち過ぎか)。ちょっと訛(なま)れば、「安倍好み屑」(アベコノミクズ)や「安倍好み愚図」(アベコノミグズ)にもなる。何か現在の経済状況というか内閣の陣容を象徴しているようで寒気がしてきた。   

ともあれ、内閣解散ということになれば選挙だ。12月2日公示-14日投票と決まった。国会議員はこれから大忙しだろう。選挙費用もかかるだろう。かつて「勝手連」なんて銘打って候補者に依頼されたわけでもないのに選挙応援をしたグループもあったように、手弁当で応援する有権者などもいるのかもしれない。

総務省が発表している行政事業レビューシートによれば、平成21年8月30日に実施した第45回衆議院議員総選挙に国が支出した費用は598億8,440万円だ。金の流れは以下の図のようになっている。

総選挙を一回やるのに600億円はかかるということだ。今回の選挙では、どれくらいの予算を計上しているのだろう。東京新聞には、「総選挙事務700億円 貴重な一票忘れずに」という見出しの記事が掲載されていて、「この三年間で千九百億円程度の税金が選挙事務に費やされることになる」と書かれている。棄権することは、その費用を無駄にするということだが、投票率の上下で費用が変わるのだろうか。

ためしに身近な何人かに、「今度の衆院選にどれくらい経費がかかると思う」と聞いてみたところ、「そりゃ、何千万もかかるだろう」とか「そんなもんじゃ済まないだろう。5億はいくだろう」、「いやー、10億くらいじゃないのか。選挙には金がかかるんだよ」という返事が返ってきたが、600億円とか700億円とか聞いてビックリしていた。

「うそだろう。そんな大金を選挙に使えるんなら、震災復興でも何でもすぐにでもできるだろう」と侃々諤々の議論が始まった。いまは、選挙に大金を使う時期ではない、という議論が国会でされたかどうか記憶にないが、「アベノミクス解散には随分と金がかかることよ」ということで、「言っていることとやっていることとが全く合ってねーだろう」とか「これでデフレを促進かよ」と文句たらたらの時間が過ぎた。

選挙のたびに投票率が発表されて、前回より上回ったとか下回ったとか議論されるが、老人は、どの選挙でも投票によく足を運んでいる。下の図は、明るい選挙推進協会が発表している衆議院議員総選挙投票率の推移(中選挙区・小選挙区)で、その次の図は年齢別の投票率を示したものだ。

 
平成24年12月16日に行われた衆院選での平均投票率は59.32%だったが、60代は74.93%、50代は68.02%と平均を大きく、といってよいほどに上回っている。70歳以上になると病弱などの理由から選挙ことに行けない有権者が増えるためか50~60代よりも投票率が下がる。それでも63.30%と20~40代の投票率を上回っている。平均投票率を押し下げているのは20~30代ということになる。
 
下の図は、2013年7月21日に行われた第23回参議院選挙の年齢別投票率である。年齢が上がるほど投票率が高くなっていることが一目瞭然である。70代でも投票率は高く、80代になると急激に低下するが、それでも20代の投票率よりも高い。
 
 
上の図と一緒に掲載されている年齢階層別有権者数・投票者数・投票率の表を使って、年齢層ごとに有権者に占める割合(有権者比率)と投票率を掛けて各年齢層が選挙に与える影響力みたいなものを作成してみた(下の表)。
 
 
20代の影響力は60代の3分の1でしかない。80歳以上と同程度である。30代でも60代の半分である。こと選挙に関しては、高齢層が圧倒的に優勢である。そして、選挙への影響力が拮抗する年齢階層として、20~50代と60代以上とに二分することができそうである。大雑把に言って、働く世代(現役世代)と退職世代(年金世代)とが選挙への影響力という点で拮抗しているということである。しかし、こうした図式も近い将来には崩れることになるだろう。
 
最新の人口推計(2014年11月1日現在)では、日本の総人口は1億2,708万人(概算値)で、そのうち有権者(20歳以上)は1億485万人である。総人口の82%が有権者ということになるが、有権者総数に占める年齢階層別割合は、20代が12.3%、20~30代が27.6%、20~40代が45.2%、50代が14.7%、60歳以上が40.1%、65歳以上が31.6%である。少子・高齢化が進んでいるので、今後は、有権者の高齢化がもっともっと進み、そんな遠くない時期に、有権者の半分は高齢層で占められることになる。有権者を18歳以上にしても、少子化が進んでいるので、高齢層が占める割合にはほとんど変化はないだろう。
 
有権者比率が低い上に投票率が低いのでは、若年層は今後ますます選挙を通しての政治参加から置いてけぼりをくうことになる。選挙は、有権者比率が大きく、投票率も高い高齢層を中心に回っていくことになる。
 
高齢層中心の選挙になってしまうとはいうものの、現在の高齢層も若いときには投票率が低かったのかもしれないから、若者の投票率が低いからといって非難することも問題にすることもできないかもしれない。これまでの選挙が示している年齢別投票率の結果は、年をとるにつれて多くの人が投票にいくようになることを教えているのかもしれない。選挙って、そんなものかもしれない。だからといって、それでかまわないとか、仕方がないというわけではない。
 
そこで、老人の登場、と言いたいのである。選挙が高齢層中心になってしまうのは、少子・高齢化が進む社会では避けることができない現象である。だから、老人は、選挙では若者の分までしっかりと考えて投票しなければならないということなのである。老人の一票は、かつてとは比べものにならないほど重くなったことを老人は自覚しなければならないのである。
 
老人だからといって、老人に利益になることばかりを考えて政策や候補者を選んではいけないということである。もちろん、年金や医療、介護など老人の生活に直結する政策の充実は重要であるが、現在の若者もいずれ年をとるのだから、将来を見据えた社会保障政策が進められているのかどうかを見極めなければならない。
 
現在の高齢世代のためだからといって、現在の若年世代に負担を負わせたり、将来の高齢世代のためだからといって現在の高齢世代に我慢を強いるような政策は子どもでも考えつく稚拙な策であり、政治の舞台で活躍しようと立候補し、選挙で選ばれようとする人間のすることではない。
 
真に選良(せんりょう:すぐれた人を選び出すこと。また、その選ばれた人。特に、代議士をいう-広辞苑)たらんとするならば、凡人が為し得ないことを為そうとしなければならない。老人には、そのことを見極める眼力が求められているのである。そして、そうした眼力を発揮すれば、選挙結果をいくらでも左右できるだけの勢力に老人はなっているのである。
 
60歳以上人口3,310万人の投票率が70%だとすると、2,317万人が投票所に足を運ぶことになる。すごい数である。仮に、その人たちが一人毎年1,000円を寄付すれば、総額は年に230億円になる。政治活動費として一人1年1億円としても、230人を国会に送り込むことができる。せいぜい頑張ってもらうために活動費を年に2億にしても115人の国会議員を抱えることができる。優れた政治家を育てることも老人は考えなくてはいけないだろう。
 
わけのわからない解散のために選挙費用600億円が使われる。有権者一人あたり572円になる。700億円かかるとすると有権者一人あたり667円になる。選挙のたびに小金ををむしり取られているようなものだ。そのことを考えれば、優れた政治家を支えるために、年に1,000円を出し合って新たな政党を作った方が、ずっとましな気がする。
 
投票率が前回同様の59.32%だとすると、投票に行く人は6,219万7,020人で、投票に行かない/行けない人は4,265万2,980人ということになる。投票に行かない/行けないからといって政治に関心がないとは言えないかもしれないが、投票に行く人は、投票に行かない/行けない人の分まで考えて投票するしかない。そうすることが、知性も工夫も優しさも何もないような政策を得意顔で進めている政治家と官僚に、そして、おちゃらけ気分でワイドショーに出演して、鵜飼いの鵜が一度口にした鮎を飲み込むこともなく、すぐ吐き出すように、仕入れたばかりの知識を消化することもなく吐き出しては経済と政治について知ったかぶりで話しては高額の出演料をせしめている連中に鉄槌を下すことにつながるのではないだろうか。
 
老人よ、団結して立ち上がれ!なんて言っても無理かな~。かえって石がとんでくるかな・・・。
 
<追記>
下記の川柳を某新聞社に投稿したが、没にされたので、ここに記しておく。自分ではとても気に入っているのだが・・・
 
効くのかい 誰が薦めた 安倍飲み薬きくのかい だれが すすめた アベノミクス) 「薬」(くすり)は、「くす」とも読む。

2014年11月4日火曜日

今年2回目のユーザー車検に行ってきた

今年の3月にユーザー車検に行ってきたことをこのブログに書いたが、主に家族が使っているもう一台の車が今月末に車検切れになるので、今日、またユーザー車検に行ってきた。

ちなみに、「今年の3月にユーザー車検に行ってきたことをこのブログに書いた」という上の文章は、いろいろな読み方ができるので悪文である。「今年の3月にユーザー車検に行ってきた」ことを「このブログに書いた」のか、「ユーザー車検に行ってきたことを」、「今年の3月に」、「このブログに書いた」のか一読しただけではわからないからだ。伝えたいことは、「今年の3月にユーザー車検に行ってきたこと」を「今年の3月にこのブログに書いた」ということなのだが、上の文章では、読み手にそのようには伝わらないかもしれない。一つの文章が複文になっているからである。

複文とは、一つの文章の中に、主語と述語で構成される単文が複数含まれている文章を言う。辞書では次のように説明している。

主節と従属節から成る文。主節の一部に従属節が含まれている文。「誰もが雪が降ると思っている」、「雪が降ると、電車が止まる」、「雪が降る日は寒い」の類で、「雪が降る」が従属節でそれ以外が主節。(広辞苑)

構造上からみた文の種類の一。主語・述語の関係が成り立っている文で,さらにその構成部分に主語・述語の関係がみられるもの。「花の咲く春が来た」の類。(大辞林第三版)

では、どのように書けばすんなりと真意が伝わるか、試しに書き換えてみる。

(1)今年の3月にユーザー車検に行ってきた。そのことを、同じ月にブログに書いた。
(2)今年の3月にユーザー車検に行ってきた。すぐにそのことをブログに書いた。

このように、2つの単文に分けて書いた方が読む方に誤解されずに済むだろう。あるいは、「ユーザー車検に行ってきたことを今年の3月にこのブログに書いた」のように書いてもいいかもしれない。ふつうは、ずっと昔にユーザー車検に行ったことを、ずっと後になってブログに書いたりはしないだろうから、今年の3月にユーザー車検に行ってきたんだな、と読者は読み取ってくれると思う。または、「ユーザー車検に行ってきたのは今年の3月13日で、そのことを当日のブログに書いた」とすればいい。もっとも、こんなことを書き連ねないで、推敲した後の文章を認(したた)めればよいことだと言われそうだが、わかりやすくて、誤解/誤読されない-文章を書くことは難しいことだと常々思っているので、つい、話が横道にそれてしまった。

さて、話を戻すことにする。今回ユーザー車検にもっていったのは、平成23年登録の軽ワゴン車で、走行距離は23,700Kmである。数日前にはオイル交換を済ませておいた。昨日は、2時間ほどかけて、エンジンルームの清掃やタイヤ、下回り、ワイパーの点検を行い、車体の汚れを落とした。エンジンルームには土埃(つちぼこり)がけっこうたまっている。水に濡らしたぼろ布で拭き取っていくと、購入時のようにきれいになった。ボンネットの隙間(すきま)には、松葉などの枯れ葉も挟まっていて、取り去るのにけっこう手間がかかってしまった。ウィンドウ・ウォッシャー液を補充する。クーラントが必要量の下限までしか入っていなかったので、近くのホームセンターに行って補充液を税込み150円で購入し、そのホームセンターの駐車場でボンネットを開けて補充する。ピッタリ上限まで入った。

予約はインターネットで先月末にしておいたが、予約していなければ受検できないわけではない。11月の上旬という“中途半端な時期”のせいか、車検場は混んでいなかったことと、3月に車検を受けた軽自動車は平成10年登録の“大古車”だったが、今回のは登録後3年の初回車検なので、特に不具合などもなく検査では何も指摘されることないだろうから短時間で帰れるな、と思って気が楽になった。

記入用紙を60円で購入し、重量税6,600円と検査手数料1,400円を支払う。自賠責保険料が26,370円。その合計34,430円が今回の費用。自賠責保険料が費用の77%を占める。車の所有者は、任意保険と自賠責保険と2つの保険に入っているのがふつうだが、車の保険料の仕組みもよくわからない。

用紙に必要事項を記入する。何回ユーザー車検をやっていても、書類の記入漏れを毎回のごとく犯してしまう。特に記入用紙がややこしいわけではないが、いくつかの書類に同じようなことを記入するので、つい見落としてしまう。今回も、受付の女性が親切丁寧に赤鉛筆で記入漏れ箇所をマークしてくれて、無事、書類完成。「初めてですか」と聞かれたので、「何回もやっていますが、いつも緊張して」と答えると、ニコニコと笑いながら、「では、コース1から入って下さい。不安なら、ラインを見学してからにしたらどうですか」と言ってくれた。礼を言って、コース1の車列に並ぶ。この車検場は2つのコースがあり、コース2には、整備士の持ち込み車やユーザー車検でも慣れた人の車が並ぶ。私は、いつもコース1に並ぶ。

コース1に車を入れて待つが、車列が全然動かない。何かトラブルでもあったのかと思ったが、そうではなく、検査員の交代時間であったために、検査ラインが動いていなかったのだ。そのため、20分間待つことになった。交代時間があることを知らなかったが、検査ラインの入り口に交代時間が書いてあった。そのことを知っていた受検者は、車を車列に置きっぱなしにして、外へ出てタバコを吸ったり、書類を持って事務所を往復していた。慣れている人の行動である。

ラインに入ると、まずは検査員が車体全体を点検する。指示に従ってボンネットを開け、一度車外へ出る。検査員が懐中電灯を照らしてボンネット内を点検し、車内も点検する。ウィンドウ・ウォッシャーを出してワイパーを動かす。モタモタしていると、ここでも「初めてですか」と聞かれた。「何回もやっていますが、いつも緊張して」と同じように答える。マスクをした検査員は、うんうん、と頷(うなず)きながら、「では、前に進んで」と言う。前方の電光掲示板と音声の指示に従ってラインを進む。別の検査員が付き添うようにして優しく指示してくれた。

この車には、車内に光軸を何段階かに調整するダイヤルが付いている。乗り始めの頃は、おもしろがって目盛りの位置を色々と変えてみた。その後は2にしていたのだが、その目盛りを0にして計測するのだと検査員がダイヤルを回してくれた。ライトを上向き(ハイビーム状態)にしての光軸検査で、〇(まる)ではなく✕が表示された。「あれ?」と思った。検査員も首をかしげるような様子で、もう一回検査してくれたが、やはりダメだった。不合格である。

ジャッキアップされての下回り検査が終了してラインから出ると、「光軸を調整して再検査を受けて下さい。4時までです。次の日になると検査料を再度払うことになります」と検査員に言われた。ガッカリしてしまったが、早速、検査場近くにある大手カー用品店に行き、調整してもらう。税込みで2,160円だった。車検場に戻って、再度コース1に入る。光軸の再検査であることを伝えると、検査員はわかっているといった様子であったが、再検査でもボンネットの中は再度点検するとのことだった。その後は光軸検査だけを受けて、無事合格。新しい車検証と検査標章(ステッカー)をもらい、帰途についた。

今日は短時間で終わると思ったが、豈図(あにはか)らんや、2時間もかかってしまった。これで、今年も2台のユーザー車検を終えた。ユーザー車検に行くことは、私にとっては常に挑戦-チャレンジ-であり、冒険である。しかも失敗を重ねている挑戦であり、冒険であるが、こりずに挑戦しつづけているのは、車好きで、おっちょこちょいだからかもしれない。また、2年後に挑戦するのを楽しみにしておくことにしよう。

2014年11月2日日曜日

高齢者の社会参加とボランティア活動についての雑感

最近とみに高齢者の社会参加やボランティア活動が語られているようだ。けっこなことだとは思うが、一体何のために、そうしたことがしきりに語られるようになったのか、高齢者である私には今一(いまいち)わからない。

社会参加、社会参加っていうけど、社会参加って、どゆこと? と社会参加ということから、まず、よくわからない。「社会参加しなさい」と言われるということは、高齢者は社会参加していないからけしからん、ということなのだろうか。それに、誰が、何のために、社会参加、社会参加と盛んに煽(あお)っているのか、なんだか胡散臭い感じがする。

社会参加って、社会に参加することなんだろうから、ふつうに生活していれば社会に参加していることではないのか、と凡人である私は思うのだが、どもそうではないらしい。それ以上の何かをすることらしいが、ふつうに、というか、年金の中から税金や保険料をちゃんと払って、それなりに精一杯生活していることは立派な社会参加ではないのか、と言いたくなるのは私だけなんだろうか。

何か色々やって目立っていないと社会参加していない老人と非難の的になってしまいそうだが、敢えて引きこもったり隠遁生活をしようとしているわけではない。人付き合いも下手な方だし、何か特技といわれても思いつかないし、体力には自信がないし、いまの高齢者は元気だなんていわれるけど、そんな実感もない。そんなわけで、何か目立つことなんか自分には無縁のことと思っているし、ましてや社会貢献などという大それたことを考えたこともない。言ってみれば、ダメ老人の典型かもしれない。

高齢者のボランティア活動が取り上げられることも多く、社会参加っていうとボランティア活動をすることのようでもある。ボランティア団体もけっこう沢山あるらしい。どんなことをしているのか詳しくはわからないが、ボランティア活動をしている高齢者はえらいなーと正直に感心する。

私も、在職中に町内会の役員をやったことがある。順番で回ってきた役割だから自分の意志ですすんでやったわけではないのでボランティア活動とはいえないが、町内にある公園の清掃や火の用心の夜回り、盆踊りの開催、町内広報誌の発行やホームページの作成等の手伝い、毎月2回の常会への出席など、けっこう色々と忙しかった。いまでも町内一斉大掃除などのときには公園などへ行って草刈りをしようと思うのだが、そういうときに限って朝寝坊をしてしまい、たいては妻に任せている。こうしたことも、社会参加をしていない、ということになってしまうのかもしれない。

高齢者大学とかカルチャースクールとか何とか似たような名称の学習の場があっちこっちにあることも知っている。私はそうしたところで学んだことはないが、案内のチラシは図書館などでけっこう目にする。そういうところに行って学ぶことも社会参加らしい。とてもよいことだとは思うが、不精者の私には、そうしたところに継続して通ったりすることは、とてもできそうにない。

絵画教室や陶芸教室なども人気があるそうだ。そうした教室に通っている高齢者の作品が図書館や公民館などで展示されていることがある。制作した方々は、一生懸命に打ち込んで仕上げた作品が展示されて達成感や満足感を味わっていることだろう。それはそれで素晴らしいことだと思う。だから、別に言いがかりをつけるつもりは毛頭ないが、正直に言って、同じ高齢者として、見るに堪えないような作品を堂々と人目に晒(さらす)す度胸には感心する一方で、何となく悲しくなる。

以前、テレビで視たのだが、タイの動物園だったか、絵を描く象が紹介されていた。鼻で絵筆を持って(持ってと言っていいのかな)、それはそれは象とは思えないほどに上手に、見事に描く。象が描いているとは思えない。署名までするのだから、もう、それこそ、恐れ入谷の鬼子母神といったところだ。その絵が高値で売れるそうだ。同じような絵を人間が描いたのでは誰も興味を示さないが、象が絵を描くなんてふつうは誰も考えないから、象が描いた絵は、まさに、象形(ぞうけい:造形)芸術であり、“すごいぞう”ということになるわけだ。象が絵を描いて人々の興味をひくことと、プロではない素人の高齢者が絵画や陶器を制作して展示することとがダブってしまった。

私から見ればとんでもなく長生きの超高齢の方の中に、とてつもなく達者で、本格的にスポーツをするなどビックリするほど活動的な方もいる。そうした人たちが紹介されるのを見ると、ふつうの高齢者ではとてもできないことだと驚いてしまうし、まだ高齢者の仲間入りをして日の浅い私でさえそんなのは無理、と大いに感心するが、同時に、猿やイノシシ、犬、イルカなどがあたかも人間がするような芸をするのを見たときに、動物なのに何てすごい、と感心して見入ってしまうこととがダブってしまう。

“物珍しさ”というか珍しい物を見たときに感じる興味であり、驚きであり、感心であるということかもしれない。こんな感想を抱く私は社会参加の素晴らしさをちっともわかっていないダメ老人ということになるかもしれないが、あれこれと思いをめぐらせながら、高齢者に社会参加やボランティア活動が呼びかけられる理由を考えてみた。

健康にいいとか、元気になれるとか、仲間ができるとか、家に引きこもってばかりいるとよくないからとかいうのは、よく聞くことである。社会参加している高齢者は健康度も上昇するとか生活満足度も高いといったようなことを学者が研究で明らかにした、というようなことも聞く。何となくわかるような気もするし、そうなんだろうと思うし、学者もたいした研究をしていないとも思う。まあ、そうした研究結果は当たり障りがないし、毒にも害にもならないし、日常的経験に照らして素人にもわかりやすい。

そうした理由は、社会参加はいいものだ、だから社会参加すべきだ、と高齢者を納得させるにはいいかもしれないが、もし、高齢者全員がその気になって、俺も私もと社会参加だボランティアだと活動しまくったら、どうなるんだろう。ちょっと想像できないが、異様な風景になるかもしれない。

そして、それが、趣味や娯楽、ごくごく身近な助け合いや行政の手伝いの域を超えて、本気になって社会の矛盾や政策の不備を暴き出して社会変革を目指そうとする動きになったら、どうなんだろう。高齢者に社会参加を求めたりボランティア活動を奨励する側は、そんなことにはならないと高を括(くく)っているから、色々な機会に社会参加やボランティアを口にしているのかもしれない。

国や都道府県、市町村が-といっても、都道府県や市町村は国の方針に従っているだけだろうが-高齢者の社会参加やボランティア活動を積極的に推し進めていることも、考えてみれば不思議なことだ。行政が言う社会参加は、行政のお手伝いをすることのようだ。いまや、中央も地方も行政計画の中にあらかじめボランティア活動を組み込んでいる。「そういうことはボランティアでやってもらわなければ困る。役所は、全部が全部できないんだから」というのが役人が高齢者に求める社会参加であり、ボランティア活動なのである。役人の思い上がりも甚だしいと思うが、そうした求めに応じて得意げに社会参加とかボランティア活動とかを高齢者に奨励する団体や組織がけっこうあるのも違和感を感じる。

だいたいが、省庁や都道府県、市町村の役所・役場といった行政機関は、国民、住民の信託を受けて事業・業務を執行する責務を担っているのだから、「役所は、全部が全部できないんだから」といったような言い訳は通用しないはずである。国民、住民は、そのために、税金の使い方を一任しているわけだから、役所でできないというのは、行政計画が杜撰(ずさん)で工夫が足りないか、役人に行政能力が欠けているということである。そんなことを言う役人なら、役所を辞めて自らがボランティア活動に邁進しろと言いたい。

高齢化が進み、労働力人口が減少し、年金受給者が増加して社会保障費の支出額が今後も増え続ける。景気のいいときには高齢社会対策と銘打って大盤振る舞いをしてきたが、景気後退が長い間続いた過程で高齢化と少子化がどんどん進み、年金や医療などの社会保障関係費が膨れあがってきた。かつては不法集団の生業(なりわい)であった労働者派遣事業を広く適法化したことからピンハネが“立派な会社”の“立派なビジネス”となって、派遣会社が次々と作られて派遣社員や非正規社員が大量に作られるようになった。派遣社員や非正規社員は、正規社員に比べて賃金が低く抑えられているから、国の所得税収入や保険料収入も当然減少する。

そうした政策の付けが回ってきたということだ。別の言い方をすれば、自らの失政が招いたことなのに、そうしたことへの反省とか総括ぬきに、高齢者は財政の負担になっているから、財政の負担にならないようにがんばらなければならないと言っているということだ。高齢者に求められている社会貢献とは、要するに、財政に負担をかけないということだ。

高齢になっても元気で活躍できることは良いことに決まっているし、誰しもが、そう願っているはずだ。実際に、そういう人もいる人が、そんな人は高齢者全体から見れば、ごくわずかである。個人が努力していることはもちろんのことだが、それだけではない。色々な条件に恵まれていないとできないことだ。高齢期になったから、さてやるか、と意気込みだけでできることではない。だから、華々しく活躍している高齢者を見せられても、自分もそのようであったらいいなと思ったとしても、自分には無縁の物珍しい存在として、絵を描く象や動物離れした動物を見て感心するのと同様の感想を抱くのである。

社会参加やボランティア活動にケチをつける気持ちは毛頭ない。そうしたことに一生懸命になっている人たちには心底敬意を払う。その人たちの行っていることが社会に大いに貢献していることや、その活動を必要としている人たちにとって、とても役立っていることも重々理解している。わたし自身も、ひとが感心するほどのことではないかもしれないが、社会参加に心がけ、なんちゃってボランティア活動もちょこちょことすることもある。そのことが生きがいだとか健康に良いとか考えたこともないし、とくに他人を誘って何かをするということもしてはいない。これが、ふつうの高齢者の日常生活なのではないかと思うが、どうだろうか。

助け合いや身近でできることをすることは人間として当然のことであり、そうしたことは、目立つことはないが日常的にどこでも行われていることである。それらの幾つかを取り上げて、あたかも素晴らしい事例のごとくに褒(ほ)め称(たた)えて、「ほら、このように自分たちで上手にやっている人たちもいるんですよ。みなさんも、ぜひ、そうして下さいね」と言わんばかりに行政業務の負担軽減を図ろうとする役人の思惑に腹が立つのである。

高齢者は、経験を活かし、見識を発揮して、現実を広く見つめて、自分のことや自分の世代のことだけではなく、次の世代のことを考えて、社会のご意見番として機会があるごとに、もっともっと発言し、行動してほしいと思う。そうすることこそ社会参加であり、社会貢献であると私は思う。

国や都道府県、市町村が高齢者の社会参加やボランティア活動を大々的に奨励するのはなぜか、そして、そうしていることは妥当で適切なことなのか、ということを、もう少し考えてみることも必要ではないかと私は思っている。

2014年10月29日水曜日

喫茶店で本をもらった

秋の好天に誘われたわけではないが、用事で来ていた明石にある「魚の棚」(うおのたな/うおんたな)に妻と行ってきた。何年ぶりのことだろうか。十年ぶりかもしれない。司馬遼太郎の『龍馬がゆく』にも出てきたが、400年の歴史をもつ魚屋中心の商店街である。


平日の午前中であったが、けっこうな人出があった。まずは腹ごしらえと明石名物の食材を使った蛸飯(たこめし)と穴子(あなご)の天ぷらの定食(写真を撮り忘れてしまったのが残念)に舌鼓(したつづみ)を打ってから、おもむろに商店街を歩き出す。

老人夫婦には何事もゆっくり、ゆったりが相応しい。とは言うものの、定食をパクパクと短時間で食べ終わっているので、思っていることと実際の行動は一致したためしがなく、思考も行動も瞬時に変化する。老人の思考と行動のパターンは常に不定である。こういうのを勝手気儘(かってきまま)という。だから、老人の行動は予測不可能で、安心してみていられないし、信頼が置けないのである。

どの店も新鮮な魚をたくさん並べている。ぶらぶら歩きながらあれこれと見て楽しんでいると、大ぶりのカレイの一夜干しを指して、「3匹で1,000円。おすすめですよ」と若くて元気なお兄さんに声をかけられた。ほんとだ、大きくて厚みがあり、焼いたらおいしそうだ、ということで買うことにした。氷ももらい、保冷袋に入れて、またぶらぶらと歩いて行くと、別の店でも、同じようなカレイを手にしたお兄さんに、「3匹で1,000円」と声をかけられた。協定価格なんかいな、と少しおかしくなって笑ってしまった。

肉厚で本当においしいカレイだった
さて、一休み、ということで、コーヒー好きの老人夫婦は商店街の喫茶店に入る。おー、どのテーブルにも灰皿があるではないか。同年配と覚しき女性店主が、「どこの商店も禁煙なので、お店の人たちが一服しに来るから」ということであった。なるほど、と合点して、遠慮なく私も一服する。コーヒーを飲みながら気兼ねなく紫煙を燻(くゆ)らすのは至福の一時(ひととき)である。

店内を見回すと、小さな書棚があって、文庫本が並んでいる。「あれ、本が置いてあるよ」と妻に言うと、女性店主が近づいてきて、「持っていってよ」と言う。何のことかと思ったら、「たまってしまって、置くところがなくなるから」ということである。最近の小説が多い。


女性店主は読書好きで、毎日、客がいないときに、店のカウンターに座ってどんどん本を読んでいるそうだ。「これこれ、この本は・・・」と、書棚から取り出しては、楽しそうに読んだ本の解説をしてくれた。妻も私も読書好きで、公立図書館をよく利用する。妻などは、パソコンを使って家から図書館の予約システムを利用して、多いときには一度に10冊以上も借りてくることもある。

女性店主の好意に甘えてベストセラーの文庫本7冊を頂戴した。「こんなにもらっていいんですか」と恐縮すると、「この間は、20冊持っていった人がいる」ということだ。太っ腹な女性店主に度肝を抜かれたと同時に、そんなに大量にもらっていった人もすごいな、と思った。たまたま、妻が500円の図書券を持っていたので、コーヒー代を払うときに、「少ないですが、使ってください」と渡すと、「とんでもない」と固持されたが、何とか受け取ってもらった。

喫茶店で本をもらうという、ちょっと今までしたことのない経験であったが、コーヒーと本とタバコという組み合わせをこよなく愛する私にピッタリの場所に導いてくれた不思議-これを縁というのだろうか-を感じる。

用事の時間が迫ってきたので、魚の棚を後にして、そこから少し(というか、かなりというか)遠くにある場所に移動することになったが、途中、ちょっとした買い物をするためにショッピングモールに立ち寄った。そこの催事場(さいじじょう)で恐竜や化石の展示がされていた。恐竜や化石も昔から興味があったので、ぶらっと見て回ったのだが、恐竜が本物さながら(本物を見たことはないが)で、ここまで作れるのかと感心した。映画ジュラシック・パークに登場した恐竜さながらで、歩いたりはしないが、首を自在に動かし、目玉が動き、まぶたも動いて(恐竜にまぶたがあったかどうかわからないが)、目を開けたり瞑(つぶ)ったりする。特殊な棒でなでてやると喜びの動作や声を出したり、なでる場所によっては、ビックリしたり怒ったりするような動作をする。それは見事で、大変面白かった。


というわけで、忙しい一日であったが、無事予定の用事を済まして帰途についた。

2014年10月28日火曜日

新幹線のパンタグラフは2つしかない

この土日に用事で新幹線の「のぞみ」を利用した。これまでに数え切れないほど新幹線を利用しているのだが、私が興味を持ったのは、16両編成の新幹線に、パンタグラフがたった2つしかないことだ。このことは、先月、ふと気になって、ホームに入ってくる「のぞみ」のパンタグラフを数えてみたときに気がついたことだ。

最高速度毎時270Kmで疾走する新幹線(開業以来50年を経ていても、なお新幹線と呼ぶところにユーモアを感じるが)のことだから、パンタグラフは幾つも付いていると思って数えていたら、何と2つしかなかったことに驚いた、というわけだ。

パンタグラフで電気を取り入れて猛スピードで走行すること自体、凡人にはとてつもなくすごいことと思えるのだが、たった2つというのには、素直に恐れ入ったとしか言いようがない。なんて、へんてこな感想と我ながらにあきれてしまうが、パンタグラフがいっぱい付いているとすれば、その方がかえっておかしいと電車に詳しい人は思うかもしれない。

鉄道マニアや列車マニアは多いようで、インターネットに「のぞみ」などの新幹線車両の写真がとってもたくさん掲載されている。それらをいくつか見てみた。どれも列車の姿形の美しさや走行中の“かっこよさ”を見せようと苦心して撮影されたことがわかる。当たり前のことだと思うが、わざわざパンタグラフに着目して撮影しようとする人などいないようだ。私も撮っていないので、新幹線車両のパンタグラフが2つしかないことをここでお見せすることができないのが残念だ(ちっとも残念ではないか)。でも、これらの写真をみると、新幹線車両にパンタグラフが目に付かないほど少ない、ということを“発見”できるのではないだろうか。そんな見方をされたんでは、自慢の写真を掲載した方はがっかりするかもしれないが。

「のぞみ」がホームに止まろうとして目の前をゆっくりと進んでいるのを見ながら、人間の技術力ってすごいもんだな、とあらためて思った。あれっ、おれ、年取ったせいかな、とおもいながら周囲に目をやると、鉄骨造りのホームの屋根があり、その先には高層ビルがある。土と草と木と空気しかなかったところを人間は構造物で埋め尽くしてきたのだと、これも幼稚な感慨にふけって、いかんいかん、と思いなおしながらも、構造物こそ人間の知の結晶だと、つくづく思ったりした。

そう言えば、中学生の時に、若戸大橋が東洋一の巨大橋/長大橋として完成したときに、「おお、これだ。おれは巨大橋づくりをする」と意気込んだことがある。その当時購入した記念切手がいまも切手帳に残っている(下の写真)。久しく手にしていなかったが、セロハンで丁寧に包んであったので、ほとんど痛んでいない。若戸大橋の色と同じく赤の単色だが、当時は、なんて迫力のある図柄だろうとわくわくして切手を眺めていた記憶がある。


無から有を生み出し、未だ見たことも聞いたことも触れたこともない物を人間は生み出してきた。動物にはないイメージするという能力によってだ。他の動物がイメージの能力を備えていたとしたら、人間は万物の霊長にはなれなかったかもしれない。

凡人は、それらを、誰が、どのようにして生み出したか知らないし、知ろうともしない。だが、それらを当たり前のように使って生活している。ごく少数の、とっても頭のよい(イメージ能力が桁外れに高い)人間によって次々と新たな構造物が作り出され、それらの中で、それらに囲まれて、凡人は生活している。そして、ときには、そうした多数の、あるいは少数の凡人が、類い希なるイメージ能力で生み出された構造物を使って人間を不幸にするという悪行を働くこともある。自分の力ではとうてい生み出すこともできないものを産みだした人に何の敬意も払うことなく、私利私欲からか何からかわからないが、我が物顔で間違った使い方をして人間を社会を不幸に陥(おとしい)れることは御免蒙(ごめんこうむ)りたいものだ。

最近、“ものづくり”という言葉が、よく使われる。なんじゃい、その“ものづくり”っていうのは、と常々その言い方に違和感を覚えていたが、その言い方では、小さなものにしろ巨大なものにしろ、人智が生み出す構造物の迫力を少しも伝えていないからだと、いま気がついた。

たった2つのパンタグラフで16両編成の「のぞみ」が細いレールの上を猛スピードで走る。その中で乗客はシートベルトもしないで弁当を食べたり居眠りをしたり、スマートフォンの画面に集中している。そして、時にはトイレに歩いていき、喫煙ルームで立って紫煙を燻(くゆ)らす。人間とは、何と、すごいことを平然とできる動物なんだと、老人は感心するばかりである。

2014年10月27日月曜日

干し柿が完成した

12日に干し始めて2週間が経った干し柿を食べた。「おー、うっまい!」と思わず声を出してしまった。形は悪いが、これほど、<上手く(うま)、美味(うま)く>できるとは期待していなかったので、感激してしまった(こんなことで感激するとは情けないか)。お店で売っているのと遜色(そんしょく)がない。

10月12日の干し始め
10月25日の干し終わり




ビニール紐(ひも)を使って吊(つる)していたので、まずは、縛っていた小枝部分のビニール紐を外そうと、初めは手でほどこうとしたが、きつく縛っていたので、簡単にはほどけない。そこで、文具のハサミを使って結び目を切ることにしたのだが、これがけっこう面倒。なかなか上手く切れないのだ。そこで、次には、料理用のごついハサミで小枝を切ることにしたのだが、これもけっこう力が要(い)るのと、実と小枝の間にハサミを差し込むのが難儀(なんぎ)。

そうこうしているうちに、小枝をつまんで、捩じ切る(ねじきる)ようにすると、紐ごと簡単に取れることがわかった。こんなことでも試行錯誤していれば頭の訓練にはなるか(なるわけがないと裏の声がする)。何事もやってみなければわからない、と素朴でわかりやすい経験主義が頭をもたげる。というわけで、テーブルの上や下には、紐の切れ端やら小枝がバラバラになったのやらが散乱したが、干し柿づくりの完成とあいなった。

そこで、早速、初物(はつもの)を楽しんだ。妻もご満悦であった。私の小さい頃に、初物をいただくときには東に向かって笑う、ということを教えられて、よくそうしたものだ。私の郷里の習慣だったのだろうか。干し柿を口にして、東を向いて、にっ、と小さく笑顔をつくってみた。何かいいことでもあるといいのだが。

食べ物と方角ということでは、関西でよく知られている「恵方巻(えほうまき)」というのがある。太い巻き寿司を切らずにそのまま恵方を向いて頬張(ほうば)る。初めて恵方巻を知ったときに、なんて下品な、と思ったが、広辞苑では、こう説明している。恵方巻は、「節分の日に、その年の恵方を向いて食う巻きずし」で、「恵方とは、古くは正月の神の来臨する方角。のちに暦術が入って、その年の歳徳神(としとくじん)のいる方角」。神様にかこつけてへんてこなこじつけで突拍子(とっぴょうし)もない習慣をつくってしまうのは、人間の遊び心なんだろうな。科学技術の発明発見に通じるところがあるのかもしれない。そして、洋の東西を問わずに見られることだが、神様仏様にまつわる迷信・俗信を商売に結びつける商魂たくましい人間と、それに乗っかって、神も仏も信心も“それはさておき”と楽しもうとする客とで商売が成立していることに、人間のすごさというか、賢さを見る思いがする、というのは余談に過ぎるか。

2014年10月18日土曜日

渋をぬいた柿が食べ頃になった

12日に35度の焼酎で渋抜きを始めた柿を、渋が抜けたかな、とポリ袋から取り出して試しに食べてみた。とっても甘くなっていた。熟柿(じゅくし)のようになっていたのや、堅さが保たれていたものなど色々だが、実に美味であった。


左側がフラッシュ撮影、右側が蛍光灯下での撮影。右側の方が自然の色に近い。

これまで何回も渋抜きを試みてきたが、今年の出来が最高だ。妻曰く。「私が本気を出さないと何事もうまくいかない」。とってもご機嫌である。確かに(exactly!)。これまでは私が自己流で適当にやっていたのが失敗のもとであった、ということである。悔しいが脱帽である。少々くずれた柿はプリンにするということだ。それも楽しみだ。これで、これからは、毎年、妻公認のというか妻主導のと言うか、渋柿の収穫と渋抜きを大ぴらに楽しめることになる。

「柿の木に、早速、御礼肥をしなくては」とのことである。こんなこともいままでは言ったことがなく、実のなる木にはあまり関心を寄せていなかった妻であるが、自分のしたことが良い成果をもたらすと、人間、俄然(がぜん)とやる気が出るものだ、ということの一つの例証になるかもしれない。

ちなみに、御礼肥(おれいごえ)というのは、「果実の収穫や開花の後に施す肥料」と広辞苑では説明している。園芸用語辞典では、「開花後や果実の収穫後に施す肥料。消耗した植物に栄養分を補給して回復をはかり、株を充実させて次年度の成長に備える。即効性の肥料を使う。ほうび肥ともいう」とある。褒美肥というのも言い表現だな、と思う。御礼肥にしろ褒美肥にしろ、こういうところは、なかなか日本的情緒を感じさせると思う。 外国語でも、こんな表現てあるんだろうか。

2014年10月15日水曜日

メガネが壊れてしまった

昨夜、風呂上がりにメガネのレンズを拭こうと思ったら、ポロッとフレームがとれてしまった(下図)。特に力を入れたわけではなく、手に持った途端にもげてしまった。

 
そういうわけで、行きつけの(というのもおかしいが)眼鏡屋さんに朝一番で行くべく家を出たが、開店は10時から。しかたがないので、近くの大規模公園の中を30分ほど散歩した。おかげで運動不足の解消になった。一人で、夫婦でと、散歩するお年寄りが何人かいたが、考えてみれば(考えなくても)、私もお年寄り。
 
先日は、温泉大浴場の脱衣場でこのメガネを落としてしまい、片方のレンズが割れてしまったので、交換したばかりだった。そのときに、壊れた経緯(いきさつ)を話すと、眼鏡屋さんは商売上手で、「あっ、それなら、おすすめのメガネがございます」と言って、風呂用メガネを持ってきた。「お客様にちょうどピッタリの度数のがありました」ということで、試しにかけてみたら、ホントだ、よく見える。ということで、購入したのが下の写真のメガネ。パッケージに、「BATH GLASSES FOR ゆ」とあって、「ゆ」の下に小さく「 YOU」とある。こういうの、好きである。「GLASSES」の「S」も湯気に見立てていて、なかなか親父ギャグ的で好感度満点、と私には受ける。
 

今日の話に戻ると、壊れたメガネの修理はメガネの生産地福井県に送ることになり、2週間はかかると言い、溶接するだけなら4,500円ですむが、溶接で変色した部分を元通りに補修するには1万円ほどかかり、日数も伸びるというので、思案の結果、レンズはそのままでフレームだけを買い換えることにした。その店で購入したメガネなので記録が残っていて調べてくれたが、同じフレームはなかった。7年前に購入したことも、そのときにわかった。まだ3年くらいしか使っていないと思っていたが、けっこう長く使っていたことになる。商品購入の記憶は好い加減なんだと思った。

新しいフレームにいま使っているレンズをはめ込むことになると、フレームに合わせてレンズのまわりを削ることになるのでレンズ本体が小さくなる。それに合うフレームがなかなか見つからない。流行の違いか、横長だったり角張っていたりして隙間ができてしまうものが多く、7年前の形状のものがなかなか見つからない。仕方がないので、削ったレンズでもはまりそうなもので我慢することにした。年金生活者だから贅沢は言ってられないので、低価格のをと思ったが、それもかなわず、19,000円ほどのものを購入することにした(下図)。


レンズなしの場合は割引で、さらに“お得意様ですので”ということで5%引き。で、結局、16,621円と相成った。店員の話では、このデザインは“トラッド”だということで、その種のメガネをかけたモデルの写真が載っているチラシを指さしながら、「どこでも、どんな場面でも違和感なくお使いになれます」とのことである。まあ、その写真のモデルは当然のごとくに“イケメン”だからよく似合ってはいるが、典型的な親父の私には似合うかどうかは二の次で、よく見えることが大事。

出来上がるまで40~50分かかるとのこと。一度家に帰ろうかと思ったが、また、すぐに来ることになるのも面倒だと思い、近くの公立図書館に行った。おー、朝からこんなにもたくさんの人で賑わっている、と少しばかり驚く。しかも、圧倒的に“老老男女”だ。テーブルと倚子のほとんどは爺婆(じじばば)で占領されている。どっかり座ってテーブルに新聞を広げているのを見ると、図書館で新聞なんか読まなくても、と思ったりする。書架の間を“徘徊(はいかい)”しているのも爺婆だ。大勢の爺婆が、静かに、ゆったりと“徘徊”する様(さま)は、さながら幽霊が天界を彷徨(さまよ)っているかのようだ、というのは失礼に当たるか。おいおい(老老)、どうなってるんだ、と思う私も、その仲間で、つい、釣(つ)られて、さて何を読もうかと同じように館内を彷徨う。図書館が、あたかも天界のごとき様相を呈しているところにも、高齢社会ならではの景色を見ることができる、というのが私の印象風景である。

最新刊の将棋雑誌があったので、それを手にして、どこか座る場所はないかと“徘徊”すると、児童書コーナーのテーブルと倚子には空きが多いではないか。よっしゃ、とばかりに座ろうとすると、テーブルの上に、「ここは子ども用ですので、大人は座らないで下さい」というようなことが書いてあった。おっとっとっと、そういうことなのか、と気恥ずかしい思いで、そそくさと移動する。

児童書書架の陰に倚子だけが並べられていて、そこに座って大人も児童書を読んでいる。おー、ここなら老人が座ってもかまわないのだと、どっかと座って将棋雑誌を開く。阪大大学院在学中の糸谷七段が竜王戦の挑戦者になった記事や豊島七段が羽生名人が持つ王座に挑戦している記事などを読む。目をしょぼつけながら指し手を追いながら読むのはけっこう疲れる。

時折、母親に連れられてきている子どもの声がする。図書館らしく静謐(せいしつ)な中に、と言いたいところだが、「次の方、こちらにどうぞ」とか「少々お待ち下さい」という女性の明るく元気な声が引っ切りなしに響き渡っている。本を借りたり返却する人がカウンター前に行列を作っているので、それを捌(さば)く声だ。“徘徊”している時には気にならなかったが、読書に集中するとスーパーの大売り出しさながらの喧噪のように感じてしまう。そうこうしているうちに40分はあっという間に過ぎたので、眼鏡屋さんに戻っていったら、ちょうど出来上がったところだった。

聞いたことがある気がするのだが、国によっては、メガネも健康保険が適用されるようだ。近眼や老眼は病気ではないというのが日本の健康保険の考え方なのだろうか。それとも、近眼や老眼は“治療”できないから病気として扱わないというのだろうか。あるいは、“治療に値しない”ということなのだろうか。近眼、老眼も日常生活にけっこう支障があるし、メガネやコンタクトレンズ(私は使ったことはないが)にも費用が嵩(かさ)むことを考えると、健康保険が適用されたら随分とうれしいが。


これは、パソコンに向かうときや、旅行時に予備として使っているメガネ。レンズセットで6,000円という格安品。プラスチックレンズで、フレームもごついが、目に易しい感じがする。
寝ながら本を読むときに使っているメガネ。近眼用だが度数はかなり弱い。遠近両用を使わない私には、とても使い勝手が良い。ドライブ中に通りかかった眼鏡屋さんの宣伝幟(のぼり)にあった「レンズ付き格安メガネ3,500円」の文字が目に入って、その場で購入したもの。こんなのもあるんだと感心した一品。
若かりし時に大枚をはたいて買った舶来品(オーストリア製)。気に入っていて、自分でもよく似合っていたと思っていた。踏んづけてしまってプラスチック(だかエボナイトだか)のフレームがボキッと折れてしまった。そのときは、フレームの修理などのことは知らなかったので、自分で接着剤で修理した。
接着剤で修理(になっていないかもしれないが)したところが“見事”にわかる。頑丈にと、レンズもろとも接着させた。何を考えていたのか、随分乱暴である。そのせいで、その後は外で使うことはめったになかったが、いまでも十分に(?)使えている。
これも同時に購入したオーストリア製。ちょっと、トンボメガネ的だが、若いときには、これでも、まあ似合っていて、気に入っていた。いまも現役だが、重たくて、鼻骨が痛くなり、長時間はかけていられない。それよりも何よりも、まったく不似合で、たま~にしか使わない。


一時期、車を運転するときに使っていたメガネ。息子が使っていたフレームにそれまで使っていたレンズをはめ込んだもの。老眼が進むとともに近眼の程度が弱くなったようで、このメガネでは度がきつくなり、スピードメーターもハッキリ見えなくなったので、いまはほとんど使っていない。ときどき予備に持ち歩くことがある程度。
度付きのサングラス。これも購入したときには抜群の見え方だったが、いまでは度がきつくなってしまったので、あまり使っていない。
以上が私のメガネコレクションだが、本格的にメガネをかけるようになったのが大学時代からで、どこかにしまい込んだままになっているものや捨てたのもあるので、 これまでに実にたくさんのメガネを使ってきたことになる。“メガネは顔の一部です”なんてコピーのコマーシャルがあったっけ。

コンタクトレンズが流行(はや)りだしてからも、目に異物を入れるなど、げに恐ろしげな、と使ったことはない。高校時代に大学生のバスケットの試合を見ていたときに、慶応大学の選手がコート内で急に止まって這いつくばったことがあった。他の選手も審判もみな同じように這いつくばってウロウロし出した。コンタクトレンズが落ちたのを探し始めたのだった。「コンタクトレンズ→落ちる→這いつくばって探す」。コンタクトレンズにはそんなイメージを私は持っているが、いまのコンタクトレンズは、使い捨てが多いようだから、そんなイメージはもう合わないのだろう。

泳ぐのが好きだったので、度付きの水中眼鏡も使ったことがあるが、シュノーケリングをするときには昔ながらの一つ眼(ひとつがん)でぼやけたままで海中の景色や魚の群れを楽しんだ。ハワイの海では、魚群が壁のごとくに迫ってきたのには驚いた。

小中学校の時にはサザエも自由に獲れた。その当時は、シッタカなんかは、まさに“とるにたりない”貝で、海底にたくさんいたが、獲っても自慢にはならなかったから手を出す子どももいなかった。たまに獲った子がいると、「な~んだ、シッタカか」と言われて、ポイッと海に戻したものだが、いまではけっこう食されているそうだ。いまはサザエもシッタカも自由には獲れないのだろう。川では、カンジッコやダボッカンジを学校帰りに糸だけで釣って遊んだ。話がメガネからとんでもない方向に行ってしまったが、そんな古き良き時代に幼少期を過ごしたことは幸せであったと言うべきか。

2014年10月13日月曜日

台風19号が接近中

現在14時30分。台風第19号が接近中。この台風は、ヴォンフォンと名付けられている。気象庁の10月13日13時40分の発表は、以下の通り。

<13日13時の実況>
大きさ 大型
強さ -
存在地域 土佐清水市の西南西約90km
中心位置 北緯 32度20分(32.3度)
東経 132度10分(132.2度)
進行方向、速さ 東北東 35km/h(19kt)
中心気圧 975hPa
最大風速 30m/s(60kt)
最大瞬間風速 45m/s(85kt)
25m/s以上の暴風域 北側 280km(150NM)
南側 220km(120NM)
15m/s以上の強風域 全域 700km(375NM)
<13日14時の推定>
大きさ 大型
強さ -
存在地域 土佐清水市の西南西約50km
中心位置 北緯 32度30分(32.5度)
東経 132度30分(132.5度)
進行方向、速さ 東北東 35km/h(19kt)
中心気圧 975hPa
最大風速 30m/s(60kt)
最大瞬間風速 45m/s(85kt)
25m/s以上の暴風域 北側 280km(150NM)
南側 220km(120NM)
15m/s以上の強風域 全域 700km(375NM)
<14日00時の予報>
強さ -
存在地域 下呂市の南東約30km
予報円の中心 北緯 35度35分(35.6度)
東経 137度25分(137.4度)
進行方向、速さ 北東 55km/h(29kt)
中心気圧 980hPa
最大風速 30m/s(55kt)
最大瞬間風速 40m/s(80kt)
予報円の半径 90km(50NM)
暴風警戒域 南東側 350km(190NM)
北西側 310km(170NM)
<14日12時の予報>
強さ -
存在地域 宮古市の東北東約220km
予報円の中心 北緯 40度10分(40.2度)
東経 144度25分(144.4度)
進行方向、速さ 北東 65km/h(36kt)
中心気圧 980hPa
最大風速 30m/s(60kt)
最大瞬間風速 45m/s(85kt)
予報円の半径 240km(130NM)
暴風警戒域 南東側 520km(280NM)
北西側 440km(240NM)
<15日09時の予報>
強さ -
温帯低気圧
存在地域 千島近海
予報円の中心 北緯 45度55分(45.9度)
東経 155度35分(155.6度)
進行方向、速さ 北東 50km/h(28kt)
中心気圧 976hPa
最大風速 30m/s(60kt)
最大瞬間風速 45m/s(85kt)
予報円の半径 410km(220NM)
暴風警戒域 南東側 700km(375NM)
北西側 650km(350NM)

 


このような詳細な情報を瞬時に出すことができることはすごいことだ。気象観測機器とコンピュータの発達が可能にしたと言う意味では、科学技術が人類社会の安全に果たしている大いなる成果といえる。まさに、かつてベーコンが言った「知は力なり」の具現である。

昔、小学校か中学校で、低気圧というのは大気の圧力が1,013ミリバール(mb)より小さいことと習ったように記憶している。なんと中途半端な数字だと不思議に思ったことが記憶に深く刻まれることになったのかもしれない。いまではヘクトパスカル(hPa)と単位の呼称が変わったが、数値は同じだ。ところが、気象庁の説明では、「高さ(気圧)の同じ面で、周囲よりも気圧(高度)が低く、閉じた等圧線(等高度線)で囲まれたところ」となっていて、具体的な数値は示されていない。単に1気圧は1,013ミリバールと習ったことを私が勘違いしていたのかもしれない。

いま接近中の台風19号はヴォンフォンと名付けられている。日本人には馴染みのない名前と聞こえるが、これも気象庁の説明を見てみると以下のように記されている。

台風には従来、米国が英語名(人名)を付けていましたが、北西太平洋または南シナ海で発生する台風防災に関する各国の政府間組織である台風委員会(日本ほか14カ国等が加盟)は、平成12年(2000年)から、北西太平洋または南シナ海の領域で発生する台風には同領域内で用いられている固有の名前(加盟国などが提案した名前)を付けることになりました。平成12年の台風第1号にカンボジアで「象」を意味する「ダムレイ」の名前が付けられ、以後、発生順にあらかじめ用意された140個の名前を順番に用いて、その後再び「ダムレイ」に戻ります。台風の年間発生数の平年値は25.6個ですので、おおむね5年間で台風の名前が一巡することになります。

いま、外は大雨と大風ですごい。どの家も雨戸を閉めてひっそりとしている。予報の精度は格段に高まったが、台風を直接制御することまではできない。全国で何十万人に避難勧告が出されているが、避難する場所が安全なところであるならば、避難しなくても良い安全な場所と住居に住むようにすることもできるはずだ。そういう意味では、まだまだ人智を十分に働かせてはいないということなのだろう。「知は力なり」ではあるが、知を用いてこそ力を発揮できるというところまで考えが及んでいないということなのだろうか。

2014年10月12日日曜日

干し柿づくりに挑戦

2階の“書斎”で“研究”に“夢中“になっていると、「手が痛くて一人ではできない」と妻が呼びに来た。

妻は、9日に収穫した渋柿を干し柿にするために皮を剥いていたのだが、先日、右手首を痛めてしまって、皮剥きに難儀していたからだ。

「よしっ、まかせなさい」と勇んでみたものの、ひもで吊(つる)すための小枝がついた小さな柿の皮剥きはけっこう面倒だ。老眼の目をしょぼつかせながら、妻の指示に従って、蔕(へた)を丁寧にむしってから、包丁や果物ナイフ、ピーラーを使って奮闘(と言うと大げさだが)。

剥き始めは沢山あるなと思ったが、剥き終わるとたいした数ではなかった。剥いた皮は柿の根元に埋めた。

こんな風にきれいに剥けました
 
台風が近づいていて、今日の夜半から雨が降るということなので、すぐに取り込めるようにと、ふだんは使っていない移動式の衣類掛けを妻が物干し台に持ってきて、それに吊した。うん、なかなかいいアイデア、と感心した。 
 
 

 
手でもぎ取った柿は35度の焼酎で渋抜きをすることにした。妻の話では1週間経ったら、また、焼酎を追加するそうだ。
 
 
干し柿も渋抜き柿もうまくいくといいが。その間は、近くの直売所で売っている甘柿をせっせと食べることにする。そうそう、その直売所では、地元産のブドウを沢山売っている。ピオーネという品種が多い。私は、紫玉という品種が好きだ。昨年も、いやっと言うほど食べたが、今年も毎日食べている。糖分の取り過ぎで、老人には、あまりよろしくないかもしれない。

2014年10月9日木曜日

皆既月食を見た

ニュースでアナウンサーが「今夜は皆既月食が見られる」と言ったのを聞くやいなや妻はバタバタと表(おもて)に駆けだした。元気である。では、わしも、とモタモタと表に出てみた。

快晴の夜空に、いまや光が消え失せようとしている赤茶色のまんまる月が浮かんでいた。あわててコンパクトデジカメを取りに戻って、門柱を台にして、しっかり手で押さえてみたものの、その状態で数秒の露光には無理があって、ぶれてしまった。何枚か撮った中で、比較的ましなものを乗せてみたが、どうだろう。


 
下のは、かなり古いものだが、2000年の皆既月食の時に撮ったうちの1枚。記憶が定かではないが、当時としてはハイスペックのスチールカメラに望遠レンズを装着し、三脚に固定して撮ったような気がする。スキャナーを使ってデジタル化して保存していたのだと思う。今回の月食の写真と比べると、カメラが著しく進歩したことがわかる。
 
 
ついでと言っては何だけど、狭い庭に植わっている柿を収穫(と言うと大げさだが)したので、その写真も載せておく。今年は台風で成長途中の実がだいぶ落ちてしまったので数が少ないが、快晴の日におもしろがって手でもぎ取ったり、高枝鋏を使って収穫した。この柿は、食べた甘柿の種を試しに植えてみたところ、2本が成長したものだ。まだ、十分な成木にはなっていないが、それなりに実をつけるので、毎年、収穫を楽しみにしている。ただ、残念なことに、接ぎ木をしなかったので、甘柿の種から生長したのに渋柿だ。初めて実がなったときに、喜んで齧(かぶ)りついてギャッとなったのも楽しい思い出だ。
 
干し柿づくりにも何回か挑戦したが失敗続きで、焼酎で渋を抜く方法も何回も試しているが、なかなかうまい具合にいかない。ずっと昔に、温泉につけて渋を抜いていたのを見たことがあるが、いまでもそうしたことをしているのだろうか。
 
 









 
こんな形の柿もありました。