2014年8月19日火曜日

どうしようもないテレビ番組がなんて多いことか

退職してからテレビに接する時間が増えた。面白くて感心する番組も少なくないが、どうしようもない番組が実に多いことかと驚いている。

「なんだ、この番組は。ゾロゾロとわけがわからないような連中がたくさん出ていて、くだらん」と言うと、「見なければいいのに」と娘の一言。たしかに。視なければ、そんな批判めいた言葉も出てこない。うん、正論だ。

でも、そんな番組がたくさんあって、いつもいつも放映されているのだから、視聴者が大勢いるということなのだろう。でなければスポンサーがつかずに番組も制作されないはずだ。

では、そんな大勢の視聴者って、どんな人たちか、ということになるが、まず第一に、テレビを視る時間があって、第二に、そうした番組に興味・関心をもっていて、心底楽しめる人、ということであろう。これでは至極当然のことで面白くも何ともない。

仕事で心身共に疲れていて、息抜きやストレス発散のためにバカバカしい番組とはわかっていても、あえてそうした番組を視聴している人もいるかもしれない。番組の内容自体には関係なく登場する「タレントのないタレント」が好きだから視ている人もいるかもしれない。病気やケガで長く床に臥(ふ)せっている人にとっても、いっとき気を紛らわすには良いのかもしれない。

聞くところによると、そんな番組に出ているだけでも何千万円とか億を超す収入を得ているらしい。どんな仕事にも、それなりの苦労があり、努力が必要だが、それに見合う報酬ということになると、どうなんだろうか、それよりも遙かに低い収入で世のため人のために働いている人たちが多いことを考えると、大いに矛盾を感じてしまう。

そして、そんな番組のスポンサーになる企業がこんなにもあることに驚くというか呆れるというか腹が立つのは私だけだろうか。近年では、企業の社会貢献とやらで色々とわけのわからないことをやっているようだが、優れた番組のスポンサーにはなっても、くだらん番組のスポンサーには決してならないことも立派な社会貢献だと思うのだが、どうしようもない番組がたくさん作られ、そうした番組に出演するどうしようもない「タレントのないタレント」が理解しがたい高収入を得ているのは、そうした番組に大金を出すスポンサーがいるからである。

かつて、テレビ番組の低俗性に対する批判として一億総白痴化と言われたことがある。テレビ放送が一般化し、放送形態も多様化してものすごい数のチャンネルがある今日では、テレビによって国民が皆バカになったとは誰も思っていないだろうから、そんな言葉での批判は意味のないことであるが、番組の制作担当者や放送局、スポンサーは、もうちょっと、考えてほしいと思う。

私は、何をテレビに求めているのか、などと自問することが多くなったが、さすがテレビ局、さすがタレント、さすがこの会社がスポンサー、といったような番組を楽しみたいものである。

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