2014年8月6日水曜日

理研CDBの笹井副センター長の自殺と理研の対応

理研CDBの笹井副センター長が自殺したことを知って、何ともやりきれない気持ちになった。

前日に夜更かしをしたので5日は朝寝坊をしてしまった。ごそごそと冷蔵庫を開けて牛乳を取り出していると、夏休みを取って在宅している娘がタブレットを持ってきて、笹井氏が自殺を図ったことを報じる記事を私に見せた。

テレビやインターネットが続々と報道しだした。これからも、しばらくは様々な形で取り上げられるだろうが、私の関心は、何よりもまず、こうした事態を招いた理研や理研の監督官庁である文科省のこれまでの対応に向けられている。直接的には、CDBの竹市センター長や理研の野依理事長、下村文科大臣など、関係組織の管理運営責任者らしからぬこれまでの言動に向けられている。そして、その関心には激しい憤りが含まれている。

科学研究において日本はもとより世界の先導的組織と自他共に認める理研の管理運営に当たってきた竹市氏と野依氏は、STAP論文の不正が暴かれてからこれまでの間に、世界に名だたる科学者らしからぬ言動を繰り返し、問題の解決をダラダラと先延ばししてきた。そして、文部科学行政の最高責任者である下村大臣は、そうした言動にお墨付きを与えるような発言を繰り返してきた。

STAP細胞の検証実験などと言う世界の笑いものになっている奇策を弄して組織と既得権益を維持することに汲汲としてきた。そして、それに操られる/乗じるかのように奇妙奇天烈な言動を繰り返す似非博士号持ちの女性が世間の注目を集めてきた。

詳しいことは門外漢にはわからないが、笹井氏は、これまでに類い希なる研究成果をあげてきたと言われている。そして、今後もノーベル賞級の研究成果をあげることが期待されていたようだ。そのために、笹井氏の死に対しては、世界的な頭脳を失ったと残念がる論調が目立つ。しかし、その論調には違和感を覚える。

死を悼む気持ちは私も同じであるが、もし、優れた数多くの研究実績をもつ彼が、今後とも期待に応えて研究に邁進する気持ちを持っていたのなら、自ら命を絶つことなど絶対にしなかったであろう。優れた研究者であった彼にとっては、生きるということは研究を続けることであり、優れた研究成果を発表し続けることであった。

STAP細胞問題の一連の流れの中で、当初は、輝かしい研究実績と理研という揺るぎない一流研究機関に支えられてそれほど大きな問題が自分に降りかかることなくSTAP騒動は終焉すると考えていたのかもしれないし、周囲の対応にも期待し、信頼していたのかもしない。センター長や理事長、文科大臣なども頼もしく思えたのかもしれない。

しかし、不正や疑惑が次々に取り沙汰されるようになる一方で、ダラダラと問題の解決を先延ばしし続け、いつ決着がつくかわからないように、次から次へと奇策を打ち出してくる理研の対応に、いわば出口無しの心境に追い込まれたのではないだろうか。そうした中で、彼は、これまでの研究生活では経験したことのない回復不能な失態をしでかしてしまった、と強く意識するようになったのではないだろうか。

かといって、洗いざらい話して身を軽くするというには彼は理研CDBきっての管理運営に長けた行政マンでありすぎたのではないだろうか。そして、周囲も自分をそうした人間として見ていることを重々承知していて、その期待にも応えようとしていたのだろう。

そうしているうちに、いつ、どのような形で決着がつくか不透明のまま、気がつけば自分の力では最早どうすることもできない状況に至っていたと感じていたに違いない。出ることも引くこともできず、地力を発揮できる場を喪失した感が強くなっていったと推察される。そして、いずれ何らかの形で決着がついたとしても、もはや従来通りの研究生活を続けることなどできるはずもなく、研究者としての自分の命は終わったと確信あるいは納得したのだろう。この段階では、誰の言葉も励ましも彼には響かなかったと思われる。

報道によれば、遺書が4通も残されていたという。小保方嬢宛ての遺書には、「研究は楽しかった」、「STAP細胞を必ず再現してください」、「あなたのせいではない」、「新しい人生を一歩一歩進んで行ってください」といった記述があったという。どういう経路でそうした遺書の内容が報道されたのかわからないし、内容の真偽のほども不明だが、4通もの遺書を認(したた)めたのは、そして、遺書には謝罪の言葉も書かれているようだが、そうした行為は、名を成した研究者としての、また有数の研究機関の管理職としての矜持を保つ最後のメッセージなのだろう。

笹井氏は犠牲になったと言おうとしているわけではないが、こうした事態を招いたことを理研の幹部や文科省は自らの責任問題として真剣に考えなければいけない。

笹井氏の自殺によってSTAP問題の解明が遅れるとか検証実験に支障が出るなどという的外れの議論もあるようだが、ノーベル賞受賞者であり世界に名の知れた野依理事長に期待されることは、まっとうな超一流の科学者としてのプライドをかけて、純粋に学術的、科学的観点から問題に向き合い、是々非々の態度と行動でリーダーシップを発揮し、全力をあげてSTAP細胞問題や関連する問題を洗い浚い(あらいざらい)俎上(そじょう)に載せて、一つずつ迅速に片付けていくことである。そして、竹市センター長は、それを全力で補佐することが、笹井副センター長の死に報いることでもあろう。野依氏も竹市氏もそうしたことができる人物であると期待するからであり、管理者としてそうしなければならないと考えるからであり、加えて、覚悟のないダメ老人として晩節を汚すようなことをしてほしくないからである。

そうした対応が、理研CDBの名誉を傷つけ、存続を危うくするものであったとしても、そんなことは、科学の発展を担うことに一生を捧げ、そのことを誇りとする者にとっては極々些末的なことであろう。正しい事実認識に基づいて判断し、行動すれば何事にも恐れることはない、というのが科学者の真骨頂であることは野依理事長が最もよく理解していることであろう。そして、そうした判断と行動で問題解決に当たる理事長を頂く組織であれば、研究者は安心して誇りを持って科学研究に邁進できるであろうし、真摯な態度で不正などすることなく研究に励む研究者であれば、誰でもが心底応援しようと思うだろう。そうしたことが、結果的にどんな形になろうとも、組織と真面目な研究者を守ることになるのである。

STAP細胞問題をめぐって明らかにされてきた様々な不正や疑惑を放置したまま常識では考えられないような対応を続けていれば、さらに不測の事態を招きかねない。目眩まし的で無駄に予算を浪費している検証実験とやらを速やかに止めて、早急に一つひとつ問題の決着を図っていくことが、いま理研に求められているのである。悲惨な結末を迎えないためにも、挽回の機会はいまを措(お)いてないことを肝に銘じてほしい。

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