2015年12月16日水曜日

軽減税率の協議は何と国民をバカにしていることか

消費税を10%に増税するにあたって、自民党と公明党の間で軽減税率の協議が時間をかけて行われた。自民党の税制調査会が当初に主張していた4,000億円の軽減から1兆円規模の軽減へと“大幅に”拡大することになった、ということのようだ。

品目や消費形態などで税を軽減するとかしないとか、それらを細かく分類すると仕組みが複雑になって大変だとか、公明党は選挙公約をしたから軽減税率の対象を拡大することを譲れないとか、公明党の主張を入れないと自民党は選挙に苦戦するとか、なんとかかんとか。

そうした議論だか何だかわけのわからない大騒ぎをしている連中の頭の中には、国民の生活を守るとか豊かにするとか、国民に安心を与えるとかといった政治理念なんぞは、これっぽっちも入っていないのだろう。要するに、国民をバカにしているのだ。

4,000億円だとか1兆円だとか、いまの政治に見られるトンチンカンな国家財源の使い方を見れば、その程度の財源が捻出できないはずはない。無駄や理不尽な支出を徹底的に洗い出せば出来ないはずはない。頭から財源不足と決めつけている連中を放置している財政学者は何をしているのだ、と言いたい。

国民感情から言えば、高額所得者や大もうけしている企業、高額商品に高い税金を掛ければ済むことだ。税金というのは、国民生活を安定させるために所得を再配分することであるから、国民生活が安定して豊かになるということを実感できれば、たとえ税金が高くても、国民は喜んで税金を払うだろう。増税が国民生活を圧迫する一方で、国費の無駄で理不尽な使い方の穴埋めをするためであるならば、誰でも税金なんか払いたくないと思うのは当然のことである。

財政健全化計画を高らかに唱っていながら、その実は、国民から税金をむしり取ることしか考えていない政治家や官僚に、この国を任せておいてはいけないことを、国民はしっかりと認識しなければならないだろう。バカにされていて黙っていてはいけない。

2015年10月26日月曜日

カプセルホテルもなかなかのものだ

先週の日曜日に朝から東京で用事があったので前日の土曜日に都内に宿泊することにした。十数年前から、宿泊や航空券の予約はインターネットで行っていて、今回も色々な予約サイトで1週間前くらいから探し回ったが、年金生活者が手頃な値段(最近では、日本でもリーズナブル何て言うらしい)で泊まれる宿泊施設がどこも満室で予約できなかった。東京ではどれだけの人が土曜日に宿泊しているのかと驚いた。

空室があるところと言えば、カプセルホテルか相部屋のホステルのような所と、私にとっては篦棒(べらぼう)に高額なホテルだけだった。

というわけで、仕方なくカプセルホテルで良さそうなところに予約を入れた。3,100円だったが、手持ちのポイントが利用できたので2,500円で宿泊できた。やったー、なんて気分になれた。

官庁街に近い地下鉄駅のすぐ近くで繁華街からほんの少し離れたところに建つ大型ビルだが、入り口はこじんまりとしていて銭湯みたいだった。が、中に入ると、想像に反して館内は清潔で明るく、館内着やフェイスタオル、バスタオル、歯磨き、ひげ剃りなどの、いわゆるアメニティ・グッズも揃っている。風呂は共同の大浴場でサウナまで付いている。湯量も豊富で、大きな浴槽が3つもあり、チョットした温泉気分が味わえた。

カプセルへの出入りは、それこそ穴蔵に潜り込むようで厄介だったが、中は座っても頭が天井に付かないくらいの広さがあり、テレビやラジオ、アラームクロックも付いていて、照明はビックリするほど明るかった。昔、よく長距離の寝台列車を利用したが、そのときの寝台よりは遙かに広くて清潔感があった。

カプセルの入り口が厚手の遮光ブラインドのためか、周囲のカプセルからイビキが聞こえたが、まあ、自分も大イビキをかくので、お互い様というところか。宿泊者は皆さん静音に心がけているのか、物音はほとんど聞こえず、静かなものだった。

早めに眠りについたので6時半に起床し、前日にコンビニで買った牛乳とパンで朝食を済ませ、ゆっくりとチェックアウトをする準備をし、地下鉄駅に行く途中にあるコーヒー店で濃いめのコーヒーとタバコをゆっくりと楽しんでから用務先に出かけた。

寝るだけ、に徹底すれば、宿泊したカプセルホテルの費用対効果(満足)-コスト・パフォーマンス(コスパなんて略すこともあるそうな)-は抜群に高いと私には思えた。バシッとした身なりの同年配の宿泊者もかなり見受けられた。どんな理由で、このカプセルホテルに宿泊することになったか聞いてみたい気もしたが、思いとどまった。老人のカプセルホテル宿泊体験記でした。

2015年10月16日金曜日

糸谷竜王が防衛初戦で渡辺棋王を破る快挙

糸谷竜王が、昨日と今日の2日にわたって行われた第28期竜王戦七番勝負の初戦で、挑戦者の渡辺棋王(永世竜王)を142手の熱戦の末に破った。終盤、一進一退の攻防が繰り広げられて、はらはらさせられたが、最後は即詰みに討ち取った。

糸谷くん(と呼ばせてもらう)が若干26歳で初タイトルの竜王位を奪取したのが昨年の12月で、このブログでも祝福の記事を書いたが、はや防衛戦を迎えた。挑戦時は七段であったが、竜王位獲得で八段になった。初防衛に成功すれば、規定により九段に昇段する。すごいことだ。

挑戦者の渡辺棋王も31歳と若いが、竜王位9連覇という偉業の持ち主で、獲得タイトル数15期という名棋士である。時折テレビなどで棋戦の解説をするが、実に明快、論理的である。超一流の棋士に対して言うのも何だが、将棋をよく知っているという印象が強い。

羽生ファンの私には、渡辺棋王は羽生四冠のにっくき天敵ともいえる存在であるが、そのくせ、彼の隠れファンでもある。糸谷竜王のファンでもある私には、したがって、今回の防衛戦を複雑な思いで観戦している。

一方では、糸谷竜王が防衛して九段になって欲しいが、渡辺棋王にも竜王に復位して欲しいとも思う。そして、羽生四冠にも、竜王位をもう1期獲得して、永世竜王になってもらいたいとも思う。

そんな、こんなで、へぼ将棋を趣味とする私は、今回の竜王戦に興奮させられている。

2015年10月8日木曜日

一億総活躍社会とやら古くさくてセンスのないスローガンを作った阿呆は誰だ

何ともセンスのないスローガンを出してきた安倍内閣は時代錯誤か懐古趣味か、はたまた知恵不足か。ビックリしたのは、「一億総活躍担当」大臣なるものを置いたことである。

「一億総活躍社会」と聞いて、「おっ!、輝ける未来の日本!」、などと期待を膨らました人がいるだろうか。まず、いないだろう。逆に、何か聞いたことのある言葉だな、と思った人も多いことだろう。そう、経済成長下で言われた「一億総中流社会」や、かつて名を馳せた評論家・大宅壮一氏がテレビの急速な普及を揶揄した造語「1億総白痴化」などである。

もっと古くは、戦中の「一億総決起」や「一億火の玉」を思い出した人もいよう。軍歌にも、「進め一億火の玉だ」というのがあったそうだ。

戦中の日本には一億もの人口はなかったはずなのに、と思うが、昭和16年8月に厚生省人口問題研究所が発行した『人口政策の栞』には、昭和15年10月の国勢調査の結果を引いて、「この結果に依れば、内地、朝鮮、台湾、樺太、更に関東州、南洋諸島をも包含した我が国全版図の人口は1億を突破すること522万余に及んで居る」とある。このときの内地人口は、73,114,308人である。

総務省統計局の人口推計によれば、平成27年4月1日現在の総人口は1億2,693万9千人で、そのうち、日本人人口は1億2,527万5千人だから、1億人を大きく上回っている。しかし、生産年齢人口とされる15~64歳の人口は7,727万7千人だから、1億には足りない。

15~79歳だと1億88万9千人になる。20~84歳だと9,985万6千人になる。でも、これだと、年寄りに期待しすぎになるかもしれない。

10~74歳だと1億25万4千人になる。5~69歳だと9,771万1千人と1億を切ってしまう。でも、これだと子どもに期待しすぎで途上国並みになってしまう。

まあ、一億というのは実際の人口を言っているのではなく、国民みんなを象徴する数字ということだろうが、いまの、そして、これからの日本で、「一億総活躍」と言われれば、ちっちゃな子どもとヨボヨボの老人も含めないと実現できないことになる。それとも、「一億総活躍」というのは、大量の移民流入を図る政策のスローガンということなのだろうか。

昨年、内閣府は、「全員参加型社会を目指して」をスローガンに高齢社会フォーラムが開催したそうだ。これも、「一億総活躍社会」と同じ発想なんだろう。

「一億総活躍社会」だ「全員参加型社会」だ、なんて国民を煽って、誰もが本気になって活躍したり、活躍の場を求めたりしたら、困るのは言い出した方で、自分の首を絞めることになることをわかっていないのは、全くおめでたいと言うほかはない。というよりは、国民みんなが活躍する/活躍できるなんて本当は端(はな)っから思っていないから、そんな古色蒼然なスローガンを打ち上げて悦に入っているのだろう。

かつての日本は、国家総動員法や大政翼賛会のように、トンデモナイ連中がトンデモナイものを作って国民を意のままに操って戦争に駆り立てた。そして、意のままにならない活躍者には弾圧や懐柔で従わせた。

いまはそんな時代ではない、と言うかもしれないが、違憲内閣が違憲の安保法制を作った/作らせてしまったではないか。トンデモナイ連中がトンデモナイものを作ったということでは、ちっとも変わっていないということだ。

おれも、わたしもと、活躍や参加の場を求めて大いに活躍しようとすれば、きっと、いろいろと締め付けが行われることになるだろう。そして、いまでもそうだが、意のままに操れることができる連中の活躍が喧伝(けんでん)されて、更にくだらない無駄遣いの政策が次々と打ち出されてくることだろう。そして、また、その流れに乗るお調子者が考え無しで礼賛し、お人好しは、あれも活躍、これも活躍とわけのわからないことに引きずり回されて、くだらなくて無駄遣いの事業のお先棒を担ぐことになるだろう。その結果、「一億総無駄遣い社会」、「全員総惨禍社会」が出来上がるだろう。そうならないためにも、トンデモナイ連中の意に沿わない活躍に、それこそ皆が参加しなければならないだろう。

2015年9月28日月曜日

スーパームーンの写真を撮った

今夜はスーパームーンが見られるということで、外に出てみた。我が家の空には厚い雲が多くかかっていて、雲間から時折顔を出す程度であったが、何枚か写真を撮ることができた。ズームを最大限の600㎜にして手持ちで撮ったのでピントがイマイチだが、記念に載せておくことにする。




 

スーパームーンという言葉を初めて知ったが、その年に最も大きく見える満月のことだそうだ。

ちなみに国立天文台のウェブサイトを覗いたら、次のような記事があった。

今年の中秋の名月は9月27日です。
「中秋の名月」とは、太陰太陽暦で8月15日の夜の月のことをいいます。農業の行事と結びつき、「芋名月」と呼ばれることもあります。中秋の名月をめでる習慣は、平安時代に中国から伝わったと言われています。
今年は中秋の名月が9月27日、その翌日の9月28日が満月と、中秋の名月と満月の日が1日ずれています。中秋の名月は、新月となる日から数えて15日目の夜の月のことを、満月は、地球から見て月と太陽が反対方向になった瞬間の月を指します。このように決め方が違うことから、それぞれの日のずれが生じることがあるのです。
また、太陰太陽暦で9月13日の夜を「十三夜」と呼び、日本ではその夜にもお月見をする習慣があります。十三夜は、「後(のち)の月」「豆名月」「栗名月」とも呼ばれます。今年の十三夜は10月25日です。
9月28日の月は、今年最も大きく見える満月です。
月は地球の周りを回る天体ですが、その軌道が楕円形をしているため、地球と月の距離は一定ではありません。また、月の軌道は太陽や地球などの影響を受けて変化するため、月が地球に最も近づくとき(近地点)、最も遠ざかるとき(遠地点)の距離が毎回異なります。
今回は、9月28日午前10時46分に月が地球に今年最も近づきます(約35万6900キロメートル)。そして、その約1時間後の午前11時51分に満月の瞬間を迎えます。ただし、日本では月が地平線の上に出ていない時間帯となります。満月の瞬間の月の視直径は約33.5分角です。


天体の運行には興味が尽きない。ガリレオ・ガリレイ自作の望遠鏡で月を観察したのが1609年で、そのときの望遠鏡の倍率は14倍とか20倍だったが、とても覗きづらくて視野も狭くて観察に苦労したようだ。それから406年後の今夜、24倍ズームのデジカメで、いとも簡単に月を観察し、撮影することができた。ガリレオに申し訳ない気がした。月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月(詠み人知らず)。

2015年9月22日火曜日

自家製のおはぎを食べ過ぎた

妻が急に思い立って、「おはぎ」を作った。ずっと昔に作ったような作らなかったような。本人も、よく覚えていないくらいに久しぶり作った。

小豆を買ってきて、時間をかけて「つぶ餡」を作った。糯米(もちごめ)も買ってきて粳米(うるちまい)と混ぜて炊いた。出来上がった「おはぎ」は迫力満点の特大サイズである(下の写真)。

 
「おー、うまそう~」と夕食に食べた。本当においしかった。2つをよく味わいながら食べてから、漬け物とお茶で仕上げ、と思っていたが、甘い物好きなのに、「おはぎは食べられない」と娘は何と「おはぎ」に見向きもしないでレトルトのカレーを食べだした。

せっかく時間をかけて母親が作った「おはぎ」を食べない娘に、「お彼岸には、おはぎを食べるものだ」なんて、突然、伝統文化礼賛論者みたいになってしまった私は、「あれ、俺も年をとったかな」と思いながらも、「おはぎ」の後味を楽しみながら「おはぎ」談義をしようかと思ったが、強烈なカレーの香りに誘惑されてしまい、「食べたいの?」という娘に、素直に、「うん」と言ってしまった。

「おはぎ」とは、また、別の味を楽しんで、「おっ、うまいな」と、つい言ってしまった途端、「もう、おはぎ、食べないの。せっかく時間をかけて、一生懸命作ったのに」と妻からのクレーム。「そうよ、せっかく作ったのにね~」とは娘の弁。自分では食べないくせに、母親の味方をする。妻も娘には食べろとはひとことも言わないのに、私には「さあ、もっと食べて」と無理強い気味に勧める。

若いときなら、「おはぎ」の4つや5つは食間でも食後でも軽く食べたものだが、年には勝てないもので、この、でっかい「おはぎ」は2つ食べれば十分すぎるくらいなんだが、ここで食べないと、「もう作ってやらない」と言われそうな気がして、「じゃ、もう一つ食べようかな」と、口中にカレー味が残っていて何の味だかわからなくなってしまったが、“頑張って”食べた。

というわけで、「おはぎ」食べ過ぎという、しょうもない話しでした。

昔、お彼岸になると、「おはぎ」を各家庭が大量に作って、重箱につめて親戚やら隣近所やらに配ったものだ。「おはぎ」や「ぼたもち」が行ったり来たりすることになるのだが、一日中食べていた気がする。どの家庭でもそうだったんだろう。面白い習慣というか、贅沢な無駄だったんだろうな。

お寺にもお供え物として持っていった。本堂の2階の壁に沿ってぐるりと何段もの位牌が並べられていて、一番下の段の、大人の腰の高さくらいのところがお供え物を置く段になっていた。そこに、各檀家がもってきた「おはぎ」が重箱やら皿に盛られていた。どれくらいの数だったろうか。それはそれは壮観だった。つまんで食べてもいいということだった。好きなだけ食べてもよかった。もっとも、線香の煙と香りが満ちている中では、子どもでも食べる気はしなかったが。

ついでに、「おはぎ」や「ぼたもち」について、あらためてチョット調べてみた。転載しておくことにする。うーん、知らなかったことも多い。勉強になった。

『広辞苑』(岩波書店)より
〇お‐はぎ【御萩】
「はぎのもち」の別称。「彼岸に―をこしらえる」

 〇はぎ‐の‐もち【萩の餅】
糯米(もちごめ)や粳米(うるちまい)などを炊き、軽くついて小さく丸め、餡(あん)・黄粉(きなこ)・胡麻などをつけた餅。煮た小豆を粒のまま散らしかけたのが、萩の花の咲きみだれるさまに似るのでいう。また牡丹に似るから牡丹餅(ぼたもち)ともいう。おはぎ。はぎのはな。きたまど。隣知らず。萩の強飯こわいい。

『世界大百科事典』(平凡社)より
 ぼた蛭(牡丹蛭)ぼたもち
もち米、または、もち米とうるち米をまぜてたき、半つぶしにして小さく丸め、アズキあん、きな粉などをまぶしたもの。春秋の彼岸につくって仏壇に供え、親戚縁者などへ配る風習があった。ぼたん蛭のなまった語で、別に〈萩(はぎ)の花〉〈萩の蛭〉〈おはぎ〉ともいう。いずれも形や色をボタンやハギに見立てたもので、萩の花の語は《日葡辞書》に Faguino fana として書かれている。《本朝食鑑》(1697)は、手軽に蛭つきの音も立てずにつくれるので〈隣知らず〉、またついたかどうかわからぬので〈夜舟(よぶね)〉というだじゃれめいた異称を紹介し、庶民の食べもので貴人の食とされることは少ない、ともいっている。江戸では天保(1830‐44)ころから〈三色ぼた蛭〉で人気を集めた店があった。鵬町三丁目(現,千代田区)にあった〈お鉄ぼた蛭〉がそれで、〈ぼた蛭だけれどお鉄は味がよし〉などと川柳や狂詩によまれている。(鈴木 晋一)

2015年9月19日土曜日

安保法案を読んでいなくて反対するのはおかしいと批判した元国会議員の見識を疑う

どこかのテレビ番組で、元プロ野球選手でなぜか国会議員を経験したことのある江本孟紀氏が、安保法案に反対している人が、どれだけ安保法案を実際に読んだかが問題で、ほとんどの人は読んでいないと批判めいたことを言っていた。テレビに頻出する何でも評論家の宮崎哲弥氏も江本氏をフォローするような発言をしていた。

しかし、コメンテーターとして出演しているのか単なるゲストとして出演しているかわからないが、国会議員を経験している有識者としての立場からの発言とすればお粗末きわまりなく、彼の批判は的を大きく外れている。

たしかに、安保法案や戦争法案と通称されている法案は、内閣官房のウェブサイトに全文も概要も掲載されていて、読もうと思えば誰でもが読めるようにはなっていた。また、ハフィントンポスト(The Huffington Post Japan)などでも詳細な解説を掲載していた。

とはいえ、それらを読んでいないからとか目を通していないからといって、安保法案に反対したのはおかしい、ということにはならない。安倍首相はじめ閣僚の国会での答弁や説明から、安保法案の骨子が自衛隊を軍隊として海外派兵ができるようにする危険な法案であり、日本のこれまでの安全保障政策を根底から変えることを目的とする憲法違反の戦争法案であると判断したから反対の声を上げたのである。

法案そのものの検討や解釈、説明は、それこそ国会議員や有識者の役割である。江本氏は、これまでにどれだけそうしたことを真剣にやってきたか、ということだ。そうしたことを自省することなく、わけしり顔で、臆面もなく、茶飲み話的に、さもわかった風に喋る神経を疑う。

そういえば、5月20日の衆議院での党首討論で、共産党の志位委員長からポツダム宣言に関する認識を問われたとき、安倍首相は、「私はまだ、つまびらかに読んでいない。論評は差し控えたい」と答弁したことがあった。そういう答え方もあるのかと感心(?)したが、要するに読んだことはない、ということだろう。ひょっとしたら、憲法も、「まだ、つまびらかに読んでいない」のかもしれない。

こんなこともあった。参議院特別委員会で鴻池委員長の不信任動議に賛成理由の説明をしていた民主党の大塚議員が、「総理に集団的自衛権は自然権ですかと聞いたところ、総理はキョトンとしていた。おそらく自然権という言葉をご存じなかった」と“暴露”した。

政治家としての、ましてや首相としての見識を疑う事例であるが、おそらく文書や文献などをじっくり読んで勉強するなどということをしてこなかったし、していないのではないだろうか。ひょっとすると、安保法案もしっかりと読んでいないのかもしれないし、理解もしていなかったりして・・・。

一般の国民が法案を読まずに反対運動することと、首相が重要文書も「まだ、つまびらかに読んでいない」で政治学の基本概念についても不案内なままに違憲の法案を成立させて政策をゴリ押しするのと、どちらが批判、揶揄(やゆ)されるべきだろうか。

安保法案が可決、成立したが、これで終わるわけではない

与党の自民党、公明党、そして、次世代の党、日本を元気にする会、新党改革の5党による安保法案のごり押しは、日本を低劣で未熟な非文明国家に貶めようとするものである。それらの政党に所属する国会議員は、平和と安全は武力で維持されると考えているようだ。

いま、参議院では、愚劣きわまりない安保法案を数の力で可決成立させようとしている。

数の力と武力で平和と安全が守られると考えるのは、古代から中世、近世の統治者の発想であろう。そうした発想の延長で武力の高度化と量産化が進み、近代に入ってから大規模な武力衝突が繰り返されてきた。そして、悲惨な結果がもたらされた。

その反省と悔悟の念は国連憲章の全文には「われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い」と明記され、日本国憲法の全文には「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」と明記されている。そして、日本国憲法では、その決意を具体的に明示するために第九条で戦争放棄を謳っている。それは、日本の宝であり、それを大事にすることは日本人の知性を表すものだと私は思っている。

第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 
安倍内閣が推し進めようとしている安全保障政策は、時代に逆行する政策である。国際環境が変わったとか何とか言っているが、安倍首相本人とその取り巻きは、中世的思考から脱却できずにいる頑迷固陋な人間であることを少しも自覚していない。変わるべきは自分たちであることにいささかも気づいていないのである。
 
いましがた参議院本会議で安保法案が可決、成立した。愚法を愚者の横暴で可決、成立させることになったのは多数の愚者を国会へ送り込んだ多くの国民である。悲しい。実に悲しい。取り返しの付かない事態が生じないことを祈ると同時に、性根を入れて政治に向き合うことの大事さを国民の多くが学んだことだろう。

遅くはない。舵を元に戻さなければ痛い目に遭うのは自分たちである。

2015年9月17日木曜日

安保法案の強行採決って、ありゃ何だ?

安全保障関連法案を審議している参院平和安全法制特別委員会での鴻池祥肇委員長への不信任動議に対して与野党議員が賛否の理由説明をしているのを妻とテレビでずっと見ていた。結構長かったが、コーヒーを何杯も飲みながら終わりまで見ていた。することが山ほどあったのだが、テレビの前から離れられなくなったほど面白かった。

面白かったというと語弊があるかもしれないが、これまでの委員会や本会議での質疑応答とちがって、不信任動議に賛成する野党議員が、ここぞとばかりに安保法案の違憲性について指摘し、安倍首相はじめとする閣僚の矛盾に満ちた説明を批判首尾一貫した主張を展開し、とてもわかりやすく、説得力があったからである。

民主党の福山、大塚両議員、共産党の井上議員、社民党の福島議員の明快で自信に満ちた、そして、感情のこもった演説には感心したし、感動さえ覚えた。政治家の演説の上手さにあらためて感心した。そして、よく調べ、よく勉強しているという印象を受けた。

山本太郎議員の若干不安定な議論の展開も、独自の観点から何が問題かをよく調べた上での事実認識に基づいて一生懸命訴えようとする姿勢が伝わって、悪いものではなかった。とくに、イラクへの自衛隊派遣に関する事後評価が十分に行われていないこと、そして、その当時に、いま審議されているような安保法案があったとしたら、自衛隊の活動内容や自衛隊員の被害はどうなっていたか、という指摘は傾聴に値すると思った。

安倍内閣の面々に比べて、知性と政治理念の面では明らかに大きく上回っていたと視聴者は感じたことだろう。そして、なんで、そうではない面々が政治を牛耳り、良識ある意見に耳を傾けようとしないのだ、と思ったことだろう。

不信任案を出されたときの鴻池委員長の戸惑いというか動揺したような表情としゃべり方、すっと立って委員長席からすたすたと去っていった姿も印象的であった。そして、不信任動議についての理由説明を行った野党議員全員が、鴻池委員長にはすこぶる高い評価をしていたことも、この種の動議に関する演説では珍しいことではないだろうか。

数の力に物を言わせて不信任動議は否決されたが、その後で、委員会が再開されるべく、鴻池委員長が着席した途端に野党議員が委員長席に群がっていった。見ていて、何事が起こったかと思った。採決が終わった後で委員長代理である髭の佐藤議員(筆頭理事)が、「記録を止めて下さい」とか言った後で、記録再開を命じた風でもなかったし、着席した委員長が何か喋った風もなかった。

もみ合っている最中に安倍首相はすたすたと委員会室を出て行った。そんな中で、もみ合いの中にいる佐藤議員が左手を何回も何回も上げ下げしていた。与党議員らに起立を促しているようだったが、野党議員の多くももみ合いの中にいて着席していなかったし、委員長が声を発した様子もなかった。少なくとも、テレビからは委員長の声は聞こえなかった。

そのうち、中谷、岸田の両大臣も席を立ち、委員長も与党議員に守られるようにして委員会室を出て行った。テレビの解説でも、すぐには状況がつかめていなくて、後ほど確認すると言うことだったが、結局、起立多数で可決したということだった。あんな状態で起立多数と判断するのか。

あれが国会での審議と採決なのかとなのかと唖然とする。まあ、強行採決はいま始まったことではないが、ごり押しでも何でも、数の力でやってしまえば勝ち、ということか。良識の府とされる参議院は、安倍内閣のもとで一挙に愚劣の府に化してしまった。

愚かで頑固で信念だけは強固な者には何を言っても通じない。始末に負えない。安倍首相と、その取り巻きの連中は、何を望んで、そんなに愚者ぶろうとするのか。誰を真似て自らを愚かで頑固で信念だけは誰にも負けない人間に仕立て上げて突っ走ろうとするのか。

この安保法案を通してしまうことは、国民こぞってそんな人間になってしまうことだ。そして、日本は、愚かで頑固で知性のかけらも持ち合わせないが信念だけは堅固な人間が集まった非文明国家として歩み始めることになるだろう。

2015年8月18日火曜日

大学に人文社会科学の教育研究は不要だそうだ-大学改革の失政は続く

またしても大学改革構想に日本的バカ政策が発揮されようとしている。どうも、この国の教育政策には優れた知性と鋭い洞察力、豊かな想像力が感じられない。

平成27年5月27日に開催された第51 回国立大学法人評価委員会総会に提出された資料10-3「国立大学法人の第2期中期目標期間終了時における組織及び業務全般の見直しについて(案)」によれば、、国立大学の使命は、「法人化のメリットを生かし、各大学の強み・特色・社会的役割を踏まえ、自ら改善・発展する仕組みを構築することにより、持続的な競争力を持ち、高い付加価値を生み出す国立大学となることが期待されている」ということである。

「持続的な競争力を持ち、高い付加価値を生み出す」といわれても、なにか抽象的で、これが国立大学の使命と言われても、よくわからない。

だが、資料を読み進めていくと、「『ミッションの再定義』」を踏まえた組織の見直し」という標題が付けられた項の中で言っていることが、国立大学の使命とされる「持続的な競争力を持ち、高い付加価値を生み出す」ための方法というか手段というか、そうしたことを具体的に述べていて、それが今回の改革案の“目玉”のようだ。こんなことを言っている。

「ミッションの再定義」で明らかにされた各大学の強み・特色・社会的役割を踏まえた速やかな組織改革に努めることとする。特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする。

マスメディアもこぞって取り上げていたが、「教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする」という見直し案は、事の是非はともかく衝撃的である。そして、それが、単なる脅しか、本気かはわからないが、これまでの大学政策からいえば、まさに画期的ではある。

その資料を、もう一度、最初から読み返すと、冒頭で、こんなことを言っている。

国立大学は、全国的な高等教育の機会均等の確保、世界最高水準の教育研究の実施、社会・経済的な観点からの需要は必ずしも多くないが重要な学問分野の継承・発展、計画的な人材育成等への対応、地域の活性化への貢献等の役割を担ってきた。

思わず、吹き出してしまった。どこがそんなに笑えるかといえば、「社会・経済的な観点からの需要は必ずしも多くないが重要な学問分野の継承・発展」という件(くだり)である。とくに、「需要は必ずしも多くないが重要な学問分野」と持って回った言い方をしているところである。

需要(じゅよう)と重要(じゅうよう)は音がよく似ているから、この一文は、きっと駄洒落好きの誰かが、“こんな資料づくりはバカらしくて、やってられないよ”と出来がよくない駄洒落をそっと盛り込んだのかもしれない。大学教育のことを真剣に考えて書かれた文章とは到底思えないからである。

ともあれ、この一文は、大学において求められる学問分野は、何よりも「需要」がある学問分野であると言っているのであって、それ以外の学問分野に関しては、申し訳程度に「重要」な学問分野と付け加えているに過ぎない。なぜ、そのように言えるかと言えば、「重要」である理由には何ら触れていないからである。

「社会・経済的な観点からの需要」という表現も奇妙な言い回しである。社会的需要や経済的需要ではなく、「社会・経済的な観点からの」需要というのは何のことだろう。この資料では、それらについて何も説明されていない。

社会的需要が高いといえば、ふつうは多くの人がそれを求めていることを意味するが、そう理解すると、経済的需要というのは社会的需要に対応しなくなる。社会・経済的観点からの需要」を社会的観点からの需要と経済的観点からの需要として考えてみよう。

社会的観点からの需要というのはさまざまに解釈できるから、まずは経済的観点からの需要について考えてみる。これは、経済的問題の解決や経済成長に資する/役立つような学問分野ということであろう。経済的問題と言うことであれば、貧困問題や経済格差問題なども含まれるが、ここで言っている経済的観点からと言うのは、どうも専ら経済成長のことのようだ。

社会的観点からの需要は、経済的観点からの需要を除く様々な需要ということになるだろう。高齢化問題や少子化問題、犯罪、災害問題、教育問題等々を解決する学問分野ということになるだろう。もっとも、そうした問題をどこまで認識して社会的観点からの需要と言っているのかは不明である。

こう考えると、社会・経済的観点からの需要というのは、ありとあらゆる需要が含まれることになるが、それらは多い需要と少ない需要に分けられて、少ない需要が教員養成系や人文社会科学系の学問分野だと言うわけである。そして、そうした学問分野は日本にはいらない、と言っているのである。要は、実学重視で即効性のある学問分野だけあればいいというわけである。

あまりにも粗雑で短絡的な議論であきれてしまう。ちなみに、第6期国立大学法人評価委員会国立大学法人分科会委員(平成27年5月1日現在)は以下の面々である。

市川 太一 広島修道大学長
奥野 武俊 前公立大学法人大阪府立大学理事長・学長(分科会長)
河田 悌一 日本私立学校振興・共済事業団理事長
桐野 高明 独立行政法人国立病院機構理事長
熊平 美香 一般財団法人クマヒラセキュリティ財団代表理事
田籠 喜三 株式会社TAGS代表取締役社長
津坂 美樹 ボストンコンサルティンググループシニア・パートナー&マネージング・ディレクター
早川 信夫 日本放送協会放送総局解説委員室解説委員
日比谷潤子 国際基督教大学長
深見希代子 東京薬科大学生命科学部長
前原 金一 公益社団法人経済同友会終身幹事
宮内  忍 宮内公認会計士事務所長(分科会長代理)
臨時委員4名
巻之内 茂 巻之内・上石法律事務所長・弁護士
松川 禮子 岐阜県教育委員会教育長
森山 幹弘 南山大学外国語学部教授、図書館長
山田 礼子 同志社大学学習支援・教育開発センター長

社会・経済的観点からの需要がある学問分野ということを、その国が抱えている問題の解決に役立つ学問分野と理解したとしよう。この場合には、何よりもまず、その国がどのような問題を抱えているかを的確に把握することが大事である。次には、どのような学問をどのように活用すればそれらの問題を解決することができるかを考えることである。大事なことは、役に立たない学問などないことを理解することである。

その学問が役に立つか立たないかは、その学問それ自体の性質ではなくて、その学問を役に立たせる/活用するすることができるか否かといった人間の側の問題である。

どの学問も、人間や社会、自然に関わる現実の問題や疑問から発している。それらの問題を解決する必要や、疑問や不明であったことを解き明かしたいという欲求から様々な学問分野が発展してきた。どの学問分野も人類の崇高な営みの成果であり、役に立たない学問分野などはないのである。

ただし、学問を役立たせることができない人間はいる。今から400年以上も前(1597年)のことだが、フランシス・ベーコンは、こんなことを言っている。

「すばしこい人間は学問を軽蔑し、単純な人間はそれに感嘆し、賢い人間はそれを利用する。学問それ自身は使用法を教えないからである。」(渡辺義雄訳『ベーコン随想集』岩波文庫218頁)。ちなみに、『ベーコン随想集』の原本はインターネット上でいくつか公開されているので紹介しておく。Searchable online text of the Essays  Original Scan of the University of Toronto

「すばしこい人間」というとチョットわかりづらいが、原語は Crafty men で、crafty は、「悪賢い」とか「悪巧みにたけた」、「悪知恵のある」、「狡猾な」、「ずるい」という意味である。ということで、「すばしこい人間」は「ずる賢い人間」と訳した方が、ベーコンがこの文章で言おうとしているところを理解しやすいだろう。

学問は事実や真理を伝えるから、ずる賢い人間にとっては、学問は役に立つどころか邪魔くさい物になる。何やら近頃の安保法案をめぐる議論の中で、憲法学者の言うことに真摯に耳を傾けることのない政治屋連中のことを言っているみたいだ。ベーコンに言わせれば、彼らは crafty men ということになる。

学問分野を役に立つ分野と役に立たない分野とに分類するという、とてもわかりやすくて幼稚で、400年以上の昔でさえそんな分類は知性ある人間のすることではないことをベーコンが教えているにもかかわらず、そんな分類をして平気でいられる神経の持ち主ばかりの上に記した国立大学法人評価委員会国立大学法人分科会委員の錚錚(そうそう)たる面々も、同じく crafty men ということになるのだろうか。少なくとも、「賢い人間はそれを利用する」といった態度で議論したとは思えないのだが。

おかしなことを平気で行う政治家の多くは人文社会科学系学部の卒業者だ。ちなみに、安倍内閣の閣僚の最終学歴を以下に記しておく。20名の閣僚のうち、太田昭宏国土交通大臣と中谷元防衛大臣の2名(1割)だけが非人文社会科学系の卒業者/修了者だ。

内閣総理大臣         安倍晋三 成蹊大学法学部政治学科
副総理・財務大臣       麻生太郎 学習院大学政経学部
総務大臣            高市早苗 神戸大学経営学部経営学科
法務大臣            上川陽子 東京大学教養学部教養学科 ハーバード大学大学院政治行政学
外務大臣            岸田文雄 早稲田大学法学部
文部科学大臣         下村博文 早稲田大学教育学部
厚生労働大臣         塩崎恭久 東京大学教養学部教養学科 ハーバード大学大学院行政学
農林水産大臣         林 芳正  東京大学法学部
経済産業大臣         宮澤洋一 東京大学法学部 ハーバード大学大学院院行政学
国土交通大臣         太田昭宏 京都大学工学部土木工学科 京都大学大学院工学研究科
環境大臣            望月義夫 中央大学法学部
防衛大臣            中谷 元  防衛大学校本科理工学専攻
内閣官房長官         菅 義偉  法政大学法学部政治学科
復興大臣            竹下 亘  慶應義塾大学経済学部
国家公安委員会委員長   山谷えり子 聖心女子大学文学部
内閣府特命担当大臣    山口俊一  青山学院大学文学部
内閣府特命担当大臣    有村治子  国際基督教大学教養学部 SIT大学院
内閣府特命担当大臣    甘利 明   慶應義塾大学法学部
内閣府特命担当大臣    石破 茂   慶應義塾大学法学部
東京オリンピック担当大臣 遠藤利明  中央大学法学部

「社会・経済的な観点からの需要は必ずしも多くない」人文社会科学系の学部・大学院を卒業/修了した者が政治に携わると、ろくな政治が行われないことが、この閣僚名簿から一目瞭然だろう、ということで、人文社会科学系の学問は役に立たない、という結論に達したのであれば、奇妙奇天烈な大学改革構想にわずかながらも耳を傾けようかという気分になったかもしれない。

待て待て、20名の閣僚のうち、国立大学出身者は6名(3割)にすぎない。いま、課題になっているのは国立大学法人の改革だから、私大の人文社会科学系の学部・大学院には無縁のことで、むしろ、これからは、人文社会科学系の学問は私大にお任せ、ということになって、私大の人文社会科学系の学部・大学院が活況を呈して、その卒業者・修了者が政治の世界を制覇することになるかもしれない。

しかし、先進産業国であることを自負する日本が、そして、優秀と自負する官僚が、そして、また、日本有数の知識人と思われる面々が、あたかも、明治期の日本が西欧列強に追いすがろうとして国策事業に血道を上げたことと軌を一にするような国立大学改革を臆面もなく打ち上げたことには、これが日本人の知性なのかと、恥ずかしい思いをする。みっともない。

日本は、あんなこと言ってるよ。めったに数値目標を出さない曖昧さが日本の特徴だと思っていたが、世界100大学の中に少なくとも10校が入るようにしたいそうだ。国立大学では、人文社会科学系の教育研究組織を廃止してまで、その目標実現に取り組むことになるそうだね。可愛げがあるというか、いじらしいというか、なにか悲しさが漂っているね。と感想を語ったのは、日本をよく知るアメリカ人の友人だ。

教育や研究に強い関心と真の理解のない政治家は、官僚の予算獲得のための改革構想の是非を判断できずに、言われるままに教育改革を口にしたり、それを推し進めようとする。そして、それに乗じる教育関係者も少なくないようだ。

ちなみに、教育基本法の一部を掲載しておく。今回の大学改革案は、教育基本法に照らしてもおかしいと思うが・・・。
 
第一章 教育の目的及び理念
(教育の目的)
第一条  教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
(教育の目標)
第二条  教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うととも に、健やかな身体を養うこと。
 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四  生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五  伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
(生涯学習の理念)
第三条  国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。
(教育の機会均等)
第四条  すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
2  国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。
国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない。

(大学)
第七条  大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。
2  大学については、自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならない。
 
(教員)
第九条  法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。
 前項の教員については、その使命と職責の重要性にかんがみ、その身分は尊重され、待遇の適正が期せられるとともに、養成と研修の充実が図られなければならない。

2015年8月9日日曜日

長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における「平和宣言」と「平和への誓い」に感動した

長崎市の平和公園で開催された「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」の中継をテレビで見た。

田上富久市長の「平和宣言」と被爆者代表・谷口稜曄(すみてる)さんの「平和への誓い」には本当に感動した。二人の落ち着いて淡々と語る中にも強い思いが伝わってくる宣言と誓いに涙が出るほど強く心を動かされた。

それに引き替え、二人の後に登壇した安倍首相の「あいさつ」には呆れてしまった。まさに儀礼的としか言いようのない内容で、人々に語りかけるのではなく、ただ書かれたものを早く読み終えたいという思いが強く表れていたように思えた。そして、その表情からは、一国のリーダーとして国民の先頭に立って平和を守り抜くという意気込みも被爆者に対する心からの優しさも感じられなかった。

「平和宣言」と「誓い」が語られているときに、テレビカメラは安倍首相の表情をアップで写していた。目がうつろで、時折、視線を左右に向けていた。平和公園での平和記念式典で平和を参列者に、全国民に、世界に強く訴えることをしない/できない首相を頂くことの悲しさと無念さを多くの国民が感じたことであろう。

「平和宣言」と「平和への誓い」の全文は新聞にも掲載されている。「平和宣言」は、長崎市のウェブサイト「この宣言文は、国連加盟の各国元首をはじめ、全国の地方公共団体などへ送るとともに、インターネットを通じ全世界に発信します。」と日本語原文に加えて、中国語、韓国語、フランス語、ロシア語、スペイン語、アラビア語、ポルトガル語、オランダ語、ドイツ語の各翻訳版も掲載されている。

ここでは、以下に、「平和宣言」、「平和への誓い」、「首相あいさつ」の全文を掲載しておく。

「平和宣言」
昭和20年8月9日午前11時2分、一発の原子爆弾により、長崎の街は一瞬で廃墟(はいきょ)と化しました。
 大量の放射線が人々の体をつらぬき、想像を絶する熱線と爆風が街を襲いました。24万人の市民のうち、7万4000人が亡くなり、7万5000人が傷つきました。70年は草木も生えない、といわれた廃墟の浦上の丘は今、こうして緑に囲まれています。しかし、放射線に体を蝕(むしば)まれ、後障害に苦しみ続けている被爆者は、あの日のことを一日たりとも忘れることはできません。
  原子爆弾は戦争の中で生まれました。そして、戦争の中で使われました。
  原子爆弾の凄(すさ)まじい破壊力を身をもって知った被爆者は、核兵器は存在してはならない、そして二度と戦争をしてはならないと深く、強く、心に刻みました。日本国憲法における平和の理念は、こうした辛(つら)く厳しい経験と戦争の反省の中から生まれ、戦後、我が国は平和国家としての道を歩んできました。長崎にとっても、日本にとっても、戦争をしないという平和の理念は永久に変えてはならない原点です。
  今、戦後に生まれた世代が国民の多くを占めるようになり、戦争の記憶が私たちの社会から急速に失われつつあります。長崎や広島の被爆体験だけでなく、東京をはじめ多くの街を破壊した空襲、沖縄戦、そしてアジアの多くの人々を苦しめた悲惨な戦争の記憶を忘れてはなりません。
  70年を経た今、私たちに必要なことは、その記憶を語り継いでいくことです。
  原爆や戦争を体験した日本、そして世界の皆さん、記憶を風化させないためにも、その経験を語ってください。
  若い世代の皆さん、過去の話だと切り捨てずに、未来のあなたの身に起こるかもしれない話だからこそ伝えようとする、平和への思いをしっかりと受け止めてください。「私だったらどうするだろう」と想像してみてください。そして、「平和のために、私にできることは何だろう」と考えてみてください。若い世代の皆さんは、国境を越えて新しい関係を築いていく力を持っています。
  世界の皆さん、戦争と核兵器のない世界を実現するための最も大きな力は私たち一人ひとりの中にあります。戦争の話に耳を傾け、核兵器廃絶の署名に賛同し、原爆展に足を運ぶといった一人ひとりの活動も、集まれば大きな力になります。長崎では、被爆二世、三世をはじめ、次の世代が思いを受け継ぎ、動き始めています。
  私たち一人ひとりの力こそが、戦争と核兵器のない世界を実現する最大の力です。市民社会の力は、政府を動かし、世界を動かす力なのです。
  今年5月、核不拡散条約(NPT)再検討会議は、最終文書を採択できないまま閉幕しました。しかし、最終文書案には、核兵器を禁止しようとする国々の努力により、核軍縮について一歩踏み込んだ内容も盛り込むことができました。
  NPT加盟国の首脳に訴えます。
  今回の再検討会議を決して無駄にしないでください。国連総会などあらゆる機会に、核兵器禁止条約など法的枠組みを議論する努力を続けてください。
  また、会議では被爆地訪問の重要性が、多くの国々に共有されました。
  改めて、長崎から呼びかけます。
  オバマ大統領、核保有国をはじめ各国首脳の皆さん、世界中の皆さん、70年前、原子雲の下で何があったのか、長崎や広島を訪れて確かめてください。被爆者が、単なる被害者としてではなく、“人類の一員”として、今も懸命に伝えようとしていることを感じとってください。
  日本政府に訴えます。
  国の安全保障は、核抑止力に頼らない方法を検討してください。アメリカ、日本、韓国、中国など多くの国の研究者が提案しているように、北東アジア非核兵器地帯の設立によって、それは可能です。未来を見据え、“核の傘”から“非核の傘”への転換について、ぜひ検討してください。
  この夏、長崎では世界の122の国や地域の子どもたちが、平和について考え、話し合う、「世界こども平和会議」を開きました。
  11月には、長崎で初めての「パグウォッシュ会議世界大会」が開かれます。核兵器の恐ろしさを知ったアインシュタインの訴えから始まったこの会議には、世界の科学者が集まり、核兵器の問題を語り合い、平和のメッセージを長崎から世界に発信します。
  「ピース・フロム・ナガサキ」。平和は長崎から。私たちはこの言葉を大切に守りながら、平和の種を蒔(ま)き続けます。
  また、東日本大震災から4年が過ぎても、原発事故の影響で苦しんでいる福島の皆さんを、長崎はこれからも応援し続けます。
  現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯(しんし)な審議を行うことを求めます。
  被爆者の平均年齢は今年80歳を超えました。日本政府には、国の責任において、被爆者の実態に即した援護の充実と被爆体験者が生きているうちの被爆地域拡大を強く要望します。
  原子爆弾により亡くなられた方々に追悼の意を捧(ささ)げ、私たち長崎市民は広島とともに、核兵器のない世界と平和の実現に向けて、全力を尽くし続けることを、ここに宣言します。
  2015年(平成27年)8月9日  長崎市長 田上 富久


「平和への誓い」
 70年前のこの日、この上空に投下されたアメリカの原爆によって、一瞬にして7万余の人々が殺されました。真っ黒く焼け焦げた死体。倒壊した建物の下から助けを求める声。肉はちぎれ、ぶらさがり、腸が露出している人。かぼちゃのように膨れあがった顔。眼(め)が飛び出している人。水を求め浦上川で命絶えた人々の群れ。この浦上の地は、一晩中火の海でした。地獄でした。
 地獄はその後も続きました。火傷(やけど)や怪我(けが)もなかった人々が、肉親を捜して爆心地をさまよった人々が、救援・救護に駆け付けた人々が、突然体中に紫斑が出、血を吐きながら、死んでいきました。
  70年前のこの日、私は16才。郵便配達をしていました。爆心地から1・8キロの住吉町を自転車で走っていた時でした。突然、背後から虹のような光が目に映り、強烈な爆風で吹き飛ばされ道路に叩きつけられました。
  しばらくして起き上がってみると、私の左手は肩から手の先までボロ布を下げたように、皮膚が垂れ下がっていました。背中に手を当てると着ていた物は何もなくヌルヌルと焼けただれた皮膚がべっとり付いてきました。不思議なことに、傷からは一滴の血も出ず、痛みも全く感じませんでした。
  それから2晩山の中で過ごし、3日目の朝やっと救助されました。3年7カ月の病院生活、その内の1年9カ月は背中一面大火傷のため、うつ伏せのままで死の淵をさまよいました。
  そのため私の胸は床擦れで骨まで腐りました。今でも胸は深くえぐり取ったようになり、肋骨(ろっこつ)の間から心臓の動いているのが見えます。肺活量は人の半分近くだと言われています。
  かろうじて生き残った者も、暮らしと健康を破壊され、病気との闘い、国の援護のないまま、12年間放置されました。アメリカのビキニ水爆実験の被害によって高まった原水爆禁止運動によって励まされた私たち被爆者は、1956年に被爆者の組織を立ち上げることができたのです。あの日、死体の山に入らなかった私は、被爆者の運動の中で生きてくることができました。
  戦後日本は再び戦争はしない、武器は持たないと、世界に公約した「憲法」が制定されました。しかし、今集団的自衛権の行使容認を押しつけ、憲法改正を押し進め、戦時中の時代に逆戻りしようとしています。今政府が進めようとしている戦争につながる安保法案は、被爆者を始め平和を願う多くの人々が積み上げてきた核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆そうとするもので、許すことはできません。
  核兵器は残虐で人道に反する兵器です。廃絶すべきだということが、世界の圧倒的な声になっています。
  私はこの70年の間に倒れた多くの仲間の遺志を引き継ぎ、戦争のない、核兵器のない世界の実現のため、生きている限り、戦争と原爆被害の生き証人の一人として、その実相を世界中に語り続けることを、平和を願うすべての皆さんの前で心から誓います。
 平成27年8月9日  被爆者代表 谷口稜曄(すみてる)


「首相あいさつ」
 本日ここに、被爆七十周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が執り行われるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。
 そして、被爆による後遺症に、今なお苦しんでおられる方々に対し、衷心(ちゅうしん)よりお見舞いを申し上げます。
 あの日投下された原子爆弾により、長崎の地が、草木もない焦土と化してから70年が経(た)ちました。当時、7万ともいわれる、あまたの貴い命が奪われました。惨禍の中、生き永らえた方々にも、筆舌に尽くしがたい苦難の生活をもたらしました。
 しかし、苦境の中から力強く立ち上がられた市民の皆様によって、世界文化遺産と美しい自然に恵まれた国際文化都市が、見事に築き上げられました。
 今日の復興を成し遂げた長崎の街を見渡すとき、改めて平和の尊さを噛(か)みしめています。そして、世界で唯一の戦争被爆国として、非核三原則を堅持しつつ、「核兵器のない世界」の実現に向けて、国際社会の核軍縮の取り組みを主導していく決意を新たにいたしました。
 特に本年は、被爆70年という節目の年です。核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議では、残念ながら最終合意には至りませんでしたが、我が国としては、核兵器国と非核兵器国、双方の協力を引き続き求めつつ、「核兵器のない世界」の実現に向けて、一層の努力を積み重ねていく決意です。この決意を表明するため、本年秋の国連総会に新たな核兵器廃絶決議案を提出いたします。
 8月末に広島で開催される包括的核実験禁止条約賢人グループ会合並びに国連軍縮会議に続き、11月には、パグウォッシュ会議がここ長崎で開催されます。更に来年には、G7外相会合が広島で開催されます。これらの国際会議を通じ、被爆地から我々の思いを、国際社会に力強く発信いたします。また、世界の指導者や若者が被爆の悲惨な現実に直(じか)に触れることを通じ、「核兵器のない世界」の実現に向けた取り組みを前に進めてまいります。
 今年、被爆者の方々の平均年齢が、はじめて80歳を超えました。高齢化する被爆者の方々に支援を行うために制定された「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」も、施行から20年を迎えました。引き続き、保健、医療、福祉にわたる総合的な援護施策を、しっかりと進めてまいります。
 特に、原爆症の認定につきましては、申請された方々の心情を思い、一日も早く認定がなされるよう、審査を急いでまいります。
 結びに、亡くなられた方々のご冥福と、ご遺族並びに被爆者の皆様のご多幸をお祈り申し上げるとともに、参列者並びに長崎市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私のご挨拶(あいさつ)といたします。
平成27年8月9日 内閣総理大臣・安倍晋三

2015年7月23日木曜日

新国立競技場建設をめぐる議論に見る政治家の阿呆さ加減

新国立競技場の建設計画案が白紙に戻った後に、各界でさまざまな議論が行われているが、政治家の阿呆さ加減を代表する発言の極めつけは、なぜか五輪組織委員会の会長に収まっている森喜朗・元首相が、7月22日に東京の日本記者クラブで講演した際の発言と記者の質問に対する返答だろう。

知性のかけらもない発言内容は、逐一(ちくいち)論(あげつら)うことが阿呆らしいくらいであるので、ここではしない。その詳細は、ハフィントンポスト日本版に掲載されているから、是非ご覧いただき、こういう発言を得意になってする低レベルの阿呆な人間が、“大物”として君臨し、重責を担っている日本は、全くおかしな国である。

肝心なことは、森発言にしろ、下村文部科学省大臣にしろ、はたまた、舛添東京都知事にしろ、安倍首相もそうだが、新国立競技場の建設計画問題に関して、国家財政の問題や財政健全化計画と全く関連させることなく無駄話をしていることである。政治家の発言とは言えないお粗末きわまりないものである。

どうして、そのような無駄話を阿呆面して平気でできるかと言えば、要するに、他人(ひと)の金を使うことで自分の腹は痛まない、という感覚だからだろう。国家の財源が国民の労働から生み出される血税によるものであることなど、ちっとも考えていない、ということである。

国民は、懸命に働いてせっせと税金を払っても、阿呆どもは、どうせ自分の金ではないからと、面白がって他人の金を自由に使い、足りなくなりそうになったら、もっとよこせ、と有無を言わせずに取り立てればいい、と考えているわけである。時代劇に出てくる能なしで欲深な悪代官と全く同じである。私利私欲に走り、目先のことしかわからず、考えもせず、将来の日本にツケを残すことを一向に気にもかけない脳天気な与太者ばかりが政治を行っている。こんなことを許しておいて日本の将来は大丈夫だろうか。

2015年7月22日水曜日

第56期王位戦七番勝負第2局も羽生王位が快勝

羽生王位が挑戦者広瀬八段を117手で破り、2連勝した。実に愉快である。

この第2局は一日目の昨日から羽生王位の作戦が功を奏しているようだった。そして、2日目の本日は、角桂と金の2枚替えという駒損の強襲で60手目あたりから羽生王位のペースになり、徐々に差を広げてゆき、と金と金で後手番の広瀬八段の王を追い詰めていった。

70手目を過ぎた頃からは明らかに羽生王位の勝勢になり、間もなく終了かと思われたが、広瀬八段が長考を繰り返して粘り続け、反撃の機会をうかがう展開になった。

将棋ソフトの評価値は1,500台、1,800台、2,000台と次第に先手有利に傾いていき、終盤には、一時、8,000台までいった。大きな差がついたということだが、そこには、挑戦者広瀬八段が、この一戦の重さを思い、投げるに投げられずに必死に考え続けたことが表れていると思う。

羽生王位は、この1勝で通算勝数を1,320とし、現役最高齢の加藤一二三九段に並ぶ歴代2位タイとなった。ちなみに、歴代1位は、故大山康晴十五世名人の 1,433勝である。113勝の差であるが、年間40勝するとして、3年で追いつく数字である。年間25勝すれば棋士として優秀と言われているから、40勝は最優秀ともいえる。

羽生4冠(名人、王位、棋聖、王座)は、1985年12月18日に四段に昇段して中学生棋士としてプロデビューしたから約30年経っている。その期間に1,320勝しているから、平均すると年44勝になる。棋戦の数に変化がなく、対局数にも大きな変化がなければ、3年で113勝は可能だと期待したい。

加藤一二三九段は、羽生4冠が凄まじい活躍をするまでは、私が一番好きな棋士だった。残念ながらいまでは順位戦はC級2組、竜王戦は6組と最下級のクラスにまで落ちてしまったし、近年は対局数も少なく、勝率も5割を大きく切るようになったので、これからも勝ち数を積み上げることができても、羽生4冠に並ぶだけの勝ち数をあげることはないと思うので、羽生4冠が独走態勢で歴代1位に向かって突き進むだろう。ずっと応援したいと思う。

2015年7月18日土曜日

歯科医院に床屋に温泉に-老人のある一日

もう2か月以上も歯医者に通院している。近所の歯科医院から4か月に一度の検診の案内をもらったのが4月で、歯石の除去などをしてもらった。その日の夕食中、咀嚼していると金属の異物を感じた。出してみると、長細い金属片。どうも虫歯治療の詰め物のようだ。おそらく、歯石の除去のときに詰め物の一部もひっかいたのだろう。そのために、詰め物が剥がれたのだろう。でも、舌で探ってみても、詰め物が取れたような感覚がなかったので、まっ、しばらく様子を見るか、と数日経ったら、食事中に奥歯に激痛が走った。家にあった鎮痛剤を飲んでも、さほど痛みが治まらない。

翌日、電話で事情を話して診療時間最後の所に予約を入れてもらった。大繁盛の歯科医院なので、予約していないと受け付けてもらえないからだ。

そういえば、昔、ハワイに滞在していたときに、治療せずに放っておいた虫歯が悪化して痛み出して歯茎(はぐき)もはれてきたので現地の知り合いに歯科医院の予約を頼んだところ、数週間先にならないと受診できないと言われて困ってしまったことがある。そのときには、幸いというか、ほどなくして膿が出尽くして痛みが引き、その後は、だましだまししているうちに帰国することになって日本で治療ができた。

詰め物を持って歯科医院に行って見せると、「端っこのが剥がれたようですね。まあ、たいしたことはないですが」と言って、簡単な治療をした。しかし、相変わらず痛みは続いた。1週間後の予約日に行くと、レントゲンを撮ってから、「ここが少し虫歯になっていますね」と画像を見せられたが、よくわからない。少しの虫歯にしては痛みが強い。

麻酔を打ってから、例のキュイーン、キュルキュルキュル、キッキッキッキッキ、ガリガリガリ(とは、いまはしないが、どんな擬音語で表現したらよいか難しい音だ)の音と振動(そんなに振動するわけではないが)で、痛みに弱くて、鼻で上手く息ができない私は、麻酔をしているので痛みはないはずだが、痛くないことを体が受け入れないらしくて、肘掛けをグッと握った手と治療倚子に押しつけている背中に汗をかいた。

そんな治療を続けていたが、どうも、治療している歯のもう一つ奥の歯茎が痛んでいるようだが、虫歯にも歯周病にもなっていないということだった。激痛のようなことはないが、噛むと鈍痛がまだすると訴えると、いま治療している歯の治療が終われば痛みも消えるようなことだったので、治療を続けた。

冠をかぶせてやっと治療が終わり、きょうは、いわば最終点検日だったが、まだ、治療を終えた歯のもう一つ奥の歯のところが食べ物をグッと噛むと鈍痛がする。そのことを伝えて、痛みが続くわけではなく、我慢できないこともないから、ひどくなったら治療をお願いすることにしたい旨を言うと、ひどくなると大変だし、治療も長引くと言われて、それではお願いしますということになった。

というわけで、また、麻酔を打たれて、キュイーン、キュルキュルキュル、キッキッキッキッキ、ガリガリガリ、と歯が削られて、仮詰めをした。これで、また、何週間か通院することになった。

自慢ではないが、抜けた歯は1本だけだ。始めて歯科医にかかったのは中学1年の時。上の前歯2本の歯茎近いところにちょっとした虫歯ができたようだった。たぶん、学校の検診で指摘され、歯科医院に行ったのだと思う。同級生の家だった。そのときに何かを捏(こ)ねて詰めたような塗ったような記憶があるが、それから大学性になるまで歯科医にかかったことはなかった。歯科検診でも、その前歯2本の治療跡は何もないらしくて、治療した歯と認定されたことはない。自然治癒-再石灰化-したのかもしれない。昔のことだから、歯は朝起きて磨くくらいだったし、そんなに丁寧に磨いた記憶もないから、もともと丈夫な歯だったんだろう。

抜けた1本は、下の奥歯で、大学時代に虫歯になっていたのを放っていおいて、いまでもハッキリ覚えているが、夜中の3時に激痛で耐えられなくなって、下宿のすぐ近くにあった歯学部付属病院に駆け込んだ。夜間外来があったわけではなく、勝手に入り込んだような記憶がある。若い歯科医が親切に応急措置をしてくれた。そのときに、ひどくなっている虫歯を診て、「正露丸でも詰め込んだの?」と言った。「えっ、そんなことしていませんが」というと、「こっちの人は歯が痛むと正露丸をすり込むからね。そんなことしちゃダメなんだけどね」と教えてくれた。そして、翌日あらためて正式に受診し、抜歯した次第だ。

それ以来、歯科医にはけっこうまめに通うようになったこともあって、奥歯は上も下もがっちり治療してある。それらが、年をとるにつれて、いわばガタがきているのだろう。

というわけで、きょう土曜日の午後3時半から4時半までは歯科医院の診療倚子に座っていた次第。そうそう、歯科医院にもお年寄りが多かったが、気がついたことは、老男子がけっこう洒落た靴やサンダルを履いていたことだ。私のサンダルは一応バックストラップ(バックバンド)付きなのだが、合成樹脂製の安物で、もう5年も履いている。

この歯科医院は土足で診察室に入るようになっている。治療中は診療倚子を後ろに倒されて水平仰向けになるので足下がもろに見えるようになるから、患者は履き物にも気を遣うのかもしれない。サンダル履きで行って、足のツメが伸び放題になっているのに気がついたときには気が引けたこともある。

帰ると、娘が温泉に連れて行ってやるとのこと。まあ、久しぶりに時間的余裕ができて、温泉にでも浸かりたいと思ったのだろう。もっとも、入浴回数券は私が買って持っていたものだから、連れて行ってやるも何もないのだが、車に乗せて行ってやるということのようだが、その車は私の車だから、運転だけはする、ということに過ぎない。

温泉に行く途中に床屋に寄った。髪は途轍もなく薄いのだが(世間ではハゲと言うらしい)、それなりにボサボサになっていて、暑苦しくなってきたので、ばっさり切ってもらうことにした。以前にこのブログにも書いた老人割引のある例の床屋さんだが、土曜の夕方だからか、混んでいた。

散髪倚子は10脚もあるのだが、理容師が10人いるわけではないので、「8番にどうぞ」と言われて散髪倚子に座ったが、散髪開始まで30分も座っていることになった。首から青いエプロンを掛けられているので雑誌も読めず、周りをキョロキョロと見回したり、前の大きな鏡に映る自分と睨(にら)めっこするしかない。

歯科医院の診療倚子よりは座り心地はいい、なんて思ったり、そう言えば、歯科医院でも治療中はエプロンを首に回されていたっけ、とか、リクライニングできるのも一緒だな、とか、でも、歯科医院には老人割引はなかったな、とか、今日は口中と頭の手入れの日か、とか、まったくもって、つまらないことをあれやこれや思って時間を潰した。

「どのようにしますか」と聞かれたので、「夏向きに全体を短く」と頼んだ。「バリカンを使って良いですか」と聞かれたので、「バリカンでもカンナでも」と言うと(矢でも鉄砲でもとまでは言わなかった)、にたっ、と笑ってから、まるで、ジョニー・デップ演じるシザーハンズのごとくに、バババババっと刈り終えた。それは見事なもので気持ちよかった。ものの10分ほどで終わった。この短さが私には快感だ。すっかり軽くなった頭で(中身のことではない)妻と娘が待っている間に買い物をしているスーパーへ。

さて、温泉だが、露天風呂にゆったりと浸かり、高温サウナでオールスター戦を見ながらやら汗を出し、中温サウナでは塩を全身にまぶして、これも汗を出す。小学校2年生という男の子が中温サウナに入っていて、お喋りをした。小2の子どもって、こんなにしっかりしているものかと感心した。「もう夏休み?」と聞くと、24日からだという。「夏休みか、いいね、何して遊ぶの」と聞くと、「勉強する」と言う返事。たまげた。「えらいね、どんな勉強が好き」と聞くと、「図工」とのこと。「いいね、おじさんも図工好きだったな、絵を描いたり船を作ったりしたよ」と言うとと、「風鈴を作った」と言う。「へー、ガラスで?」と聞くと、「ううん、粘土で」とのこと。老少交換の一幕である。

入浴後にその温泉で遅い夕食を摂った。とんてき定食は豚肉も御飯も盛りだくさんで、完食したのは良いが、帰宅してからも満腹感が続いて、なかなか寝られそうもない。そこで、この雑文を書きながら消化を待つことにした。食べ過ぎはいかん。自分の年をよく考えなくては、と反省した。と、まあ、そんな老人の一日であった。

2015年7月17日金曜日

新国立競技場の建設計画が白紙に戻った-茶番劇の第二幕か

森喜朗古墳とも揶揄された新国立競技場の建設計画を白紙に戻すことがきまったということだ。テレビのニュースで、安倍首相が「国民の声を聞いて・・・」などと言っているのを見て、まあ、何と、いけしゃあしゃあと、と思ったのは、私一人ではないだろう。安保法案では国民の声を完全に無視していたのに、である。

白紙に戻すことを決めたのは、これもテレビで自民党議員が言っていたことだが、そうしないと、安倍政権や自民党にとって不利になるからである。そこには、不合理な血税の大盤振る舞いに対する国民の批判は全く念頭に置かれていない。

最新のおもちゃをもらえることになって大喜びで友だちや親類縁者に自慢するかのようにはしゃいでいた五輪組織委員会会長の森喜朗元首相(日本ラグビー協会名誉会長)はとても残念がっていたそうだが、首相経験者ともあろう者が、事態を全く理解できていないことに開いた口がふさがらない。

借金まみれの国で、しかも、東日本大震災からの復興のための施策を実施するために必要な財源の確保に関する特別措置法 (平成二十三年十二月二日法律第百十七号)を制定して、震災復興のために平成25年から平成49年までの長期にわたって復興特別税を徴収し続けるというのに、原発事故の処理に解決の目途が立たないままに多額の税金を投入し続けているのに、道路や橋梁の老朽化対策が急がれているのに、少子高齢化対策が遅々として進まないのに・・・。

するべきことが山ほどあるのに、お祭り騒ぎで、はしゃぎ回っているときではない。

オリンピックにケチをつけるわけではないが、開催地の決定プロセスにしろ運営にしろ、FIFA(Fédération Internationale de Football Association:国際サッカー連盟)の汚職事件にも見られるように、胡散臭いことが多い。スポーツという美名に隠れて私利を図り、私欲を充たそうとする輩が跋扈していることには、ほとほとうんざりする。そこに、頭で考えることなく、筋肉で考えるが如くの思考回路に同期(作動を時間的に一致させること:『広辞苑』)させる連中が群がって知性なき言動を繰り返す。そして、そのツケを平気で国民に押しつける。勘弁して欲しい、というより、許しておけない。

質素であっても、世界一流のアスリートが競技に全力を出せる環境を整えることは十分に可能であろう。国民に不必要な負担をかけることなく、さすが日本だ、と言われるほどの創意工夫をしてこそ、国民がこぞって祝福できるオリンピックになるはずである。

2015年7月16日木曜日

台風11号接近中

大型で強い台風11号が接近中だ。この台風は、「ナンカー」と名付けられている。

気象庁が16日18時50分に発表(16日18時の実況)したところでは、次の通りである。

  大きさ             大型
  強さ               強い
  存在地域           室戸岬の南南東約90km
  中心位置           北緯 32度30分(32.5度)
                      東経 134度30分(134.5度)
  進行方向、速さ       北 20km/h(10kt)
  中心気圧          960hPa
  中心付近の最大風速  35m/s(70kt)
  最大瞬間風速         50m/s(100kt)
  25m/s以上の暴風域    南東側 190km(100NM)
                  北西側 150km(80NM)
  15m/s以上の強風域    南東側 650km(350NM)
                  北西側 440km(240NM)

 
日本地図の大部分が赤と黄色で塗られている。全国各地に警報・注意報が出ている様子が一目瞭然である。我が家の近くには土砂災害危険区域があり、「避難準備」が出されている。隣家の方が雨合羽を用意していると、妻に話していた。ヒューヒュー、ゴーゴーと強風が吹きまくっていて恐ろしいが、まだ、雨はそれほど降っていない。私は、庭で栽培しているミニトマトで完熟しているのをせっせと収穫した。大ぶりのボール一杯になった。今年のトマトは酸味が強い。私は酸っぱいのが苦手だから、収穫はするが、食べるのは専ら妻である。
 
雨戸を閉め、懐中電灯も用意して万全を期しているが、台風の怖さに震えている。

安保法案が衆議院で野党欠席のまま可決された-

強力な台風11号が間もなく四国・近畿を直撃しようとしているいま、衆議院で、自民、公明、次世代の賛成多数で安保法案が可決された。民主、維新、共産、社民の各党の議員は採決の前に退席した。、生活の党は本会議に出席していなかった。

採決前の野党党首の反対演説は筋の通ったものだったが、安倍首相は、無表情で、時折は不敵な表情で、また、隣席の石破大臣と言葉を交わしながら、“なに言ってんだ、喋るだけしゃべっておけ”と腹の中で言っているかのように何の反応もせずにじっと時間の経つのを座して待っていた。

新聞各紙のネット上の速報もNHKのニュースでも、安保法案が衆議院で可決されたことから、参議院で可決も議決もされない場合であっても、憲法の「60日ルール」に従って再度衆議院で出席議員の3分の2で可決されれば、法案は成立することから、今国会での成立は確実になる、と報じている。60日=2か月先であるから、9月14日から会期末の9月27日までの間に安保法案は成立するということである。こういうときは憲法に従う、というよりは、憲法を利用するという小賢しくて陰湿で身勝手な体質がもろに現れている。

「法案成立が確実になる」という報道には違和感を覚える。もう、何を言っても、しても、無駄ですよ、と聞こえる。マスメディアが法案成立の見通しを政府に代わって/お先棒を担いで国民に広報しているかのようである。

民主主義の基本原則とは言え、ただただ、数の論理で事が進められている。違憲だろうと何だろうと、数で押しまくれば非も是になるという暴挙である。そこには、知性のかけらも、人間的な心情も、国民と国の将来に対する責任感も何も感じられない。

正当な手段・方法では対抗できない、効果がない、というときには、人間は絶望感に襲われるか、ルールを無視した暴挙に出る。ふつうの人間は後者を選ばないから、絶望感や無力感、虚無感に襲われて何もしなくなるか、無関心になる。かつて学生闘争に身を投じた学生たちが味わった挫折感もそうであろう。

しかし、相手の思う壺(つぼ)に陥らないためには、一時の感情に身を任せることなく、しつこくしつこく、澤地久枝女史が語る「絶望せずにモノ言う勇気を」もち続けることが何よりも大事である。日本人にもっとも欠けている勇気が、そうしたしつこさではないだろうか。そして、そのことが、これまでに多くの人を犠牲にし、心情の欠けた傲慢で無知蒙昧な輩どもの身勝手な独断専行を許してきたことを肝に銘じなければならないだろう。

2015年7月15日水曜日

安保法案が衆院特別委員会で強行採決された-同じ日に羽生棋聖が棋聖位8連覇を達成した

私にとって悲喜混在の一日であった。

安保法案が衆院特別委員会で強行採決された。とても悲しいことだ。そして、怒りに震える。全てがルールなしに進められている。独裁政権の専制政治である。テレビ各局がこぞって中継すると思っていたら、どこも中継していなかった。くだらない番組を垂れ流していた。日本のマスメディアのレベルを象徴している。

羽生棋聖(名人、王位、王座)が挑戦者の豊島七段を3勝1敗で退け、棋聖位8連覇(通算14期)を達成した。これは、故大山康晴十五世名人の7連覇を抜き、棋聖位では新記録である。羽生ファンの私にはとてもうれしいことだ。ルールをキチッと守り、運に左右されることなく、年齢や経験の長さを問わずに一人で嘘偽りのない真っ向勝負をするのが将棋で、そのことに感動を覚える。

数を頼りに、数の暴力で違憲行為を遮二無二進めている安倍首相と安倍内閣、自民党、公明党にとって、日本国民は愚かで従順で臆病者で御しやすい民族なのかもしれない。

大学改革とやらが進められているが、その構想の中には、日本国民の知性の向上などということについては一欠片(ひとかけら)も触れられていない。さもありなん、というところだ。

いま安保法案を絶対に阻止しなければ、日本は前近代国家の烙印を押される

安倍違憲内閣は、安保法案を強行採決しようとしている。トンデモナイ事態だ。

いま、安保法案を阻止しなければ、日本国民は、無知蒙昧で前近代的な思考しかできない政治家にいいように操られる底抜けにおめでたい民族として世界の笑いものになる。

かつて平和と護憲を唱っていた公明党も、好戦的な危ない政党に変身してしまった。

自衛隊員のリスクがどうのこうのとトンチンカンな議論がされていて、これも信じがたいことであるが、集団的自衛権が行使できるようになってもリスクは高くなることはないなどと言う輩がいる。集団的自衛権を行使するということは、自ら進んで戦争に荷担することである。安倍くんをはじめとする無知蒙昧な連中が自ら進んで戦争に出向くというわけではない。日本という国がである。

そのことは、戦争になっても、俺には/俺たちには絶対に危険は及ばないようにと、あれやこれやの手段を尽くすことができるあくどい連中を除いて、自衛隊員であろうとなかろうと、国民の誰にでも危険が降りかかるということだ。そんなことは、過去の戦争から否という程(いやというほど)学んでいるはずである。

いま、NO(ノー)を突きつけなければ、バカでおっちょこちょいの政治家の片棒を担いで、子々孫々(ししそんそん)まで重いツケを残すことになる。

2015年7月12日日曜日

安保法案が可決されるようでは日本は立憲主義国家ではないということになる

国会で自民党安倍内閣の安保法案と、民主党と維新の党が提出した領域警備法案とやらが国会で審議されているが、肝心要(かんじんかなめ)の違憲論議から安全保障論議(というより国防論議)に比重が移ってしまっている。

幕末から明治維新後しばらくの間の憲法が制定されていない中での国防論議のようだ。まるで、司馬遼太郎が『翔ぶが如く』で描いた前近代的な政治状況だ。

こんな法案を採決の俎上に載せようとする政治家は、立憲主義を否定する(というより、まったく理解していない/できない政治的に無知な)トンデモナイ輩(やから)だ。そうした輩が数を頼りにトンデモナイ法案を出して、国民の安全と平和な生活を守るためなどと全く心にもないことを屁理屈をこねて押し通そうとする。

無知蒙昧で気概だけある始末に負えない輩だ。そんな輩に日本を任せて、悲惨な経験から立ち直って営々と築き上げてきた立憲主義的平和国家を一夜にして崩壊させてなるものか。

2015年7月9日木曜日

新国立競技場の改築費に2520億円を投じるそうだ-お金持ち日本は無駄遣いしたい政治家が多い

テレビのニュースが伝えるところによれば、オリンピックのメイン競技場に予定されている新国立競技場の改築費に2,520億円を投じることが決まったそうだ。斬新なデザインだから、当初の予定より大幅に高額になっても仕方がないそうだ。

日本はお金持ちなんだね~。無駄遣いしたい政治家が沢山いて、財政健全化計画というのは、無駄遣いするために消費税を上げ、社会保障費を削るということと理解しているようだ。要するにバカなんだね。事業計画の見積もりもチャンとできずに、そんなに軽費がかかるんなら、そんなのはダメだ、と言えない。まあ、見栄っ張りのバカどもに任せている国民もバカということになっちゃうか。

そんなにお金をかけるんだから、後生大事にして、世界遺産かギネスに登録申請するんだろうな。

国民生活の安定と向上のためにすることは沢山あるだろうに、そっちは予算がないとか何とか言って出し渋り、見栄えだけに莫大な費用を出費することは厭わない。頭の構造がどうなっているのだろうか。世界の笑いものになる。

王位戦-羽生王位が第一局に勝利

昨年A級に昇級して八段になった28歳の若手強豪広瀬章人の挑戦を受けている第56期王位戦七番勝負の第1局で、後手番の羽生善治王位(名人、棋聖、王座)が122手で勝ち、王位防衛に幸先のよいスタートを切った。

上記の王位戦中継サイトと個人で配信している中継サイトの両方で熱戦を堪能した。羽生ファンの私には、先日4日に、これも若手(25歳)のホープ豊島将之七段の挑戦を受けている棋聖戦での勝利も合わせて、広瀬・豊島両挑戦者には申し訳ないが、実に愉快な気分である。

王位戦の第1局は難解な押し合いが続いたが、終盤にはじわじわと優勢になっていった。将棋ソフトの評価値も最終盤には4,000を超えるまでになった。圧勝ということだ。45歳の羽生4冠の棋力は凄まじいというほかはない。感動ものである。

2015年7月8日水曜日

高齢化と人口減少が進むのは豊かな社会の証拠

総務省が最近公表した住民基本台帳による人口統計によると、2015年1月1日現在の老年人口割合は25.60%だそうだ(下の表:総務省発表の資料の一部を加工)。人口のちょうど4分の1が65歳以上ということになる。平成25年から1.5%ポイント増加している。実数で言うと、185万6,582人の増加である。すごい勢いで増加している。急速な高齢化が進んでいることがわかる。

 
日本住民と外国人住民とを分けて見ると、日本住民の老年人口割合は25.90%で、外国住民のそれは6.98%と、両者に大きな差がある。外国人住民が日本の老年人口割合を、ほんの僅かではあるが、引き下げていることがわかる。老年人口とは逆に、年少人口と生産年齢人口では、外国人住民がそれらの割合を、これもほんの僅かではあるが、引き上げている。
 
日本における外国人住民の割合は2%未満に過ぎない(下の表:総務省発表の資料の一部)。そのことが、日本の年齢別人口構成に外国人住民が与える影響をごく僅かなものにしている。
 
日本人住民の人口は減少を続けており、この1年で27万1,058人も減少している。これに対して外国人住民は増加しているが、わずかに6万人強にすぎない。 
 
比較する資料がまちまちだが、日本に外国人住民の割合は、先進産業国の中では韓国と並んで極端に小さい(下の表:法務省入国管理局の資料)。
 
 


 どの国においても、外国人住民の年齢は総じて若く、出生率も高い。日本の高齢化が先進産業国の中でも急激で、出生率が低くて人口減少を続けているのは、他の先進産業国に比べて外国人住民の割合が極端に小さいからだろう。だからといって、移民の奨励などで外国人住民を増やせばいい、と言おうとしているわけではない。ただ、事実がそうなっているということだ。
 
30年くらい前のことだが、徳島の山村で、ある家の縁側に腰掛けて眼前の迫る杉山の美しさに見とれていたとき、「この頃では子どもの声も聞かないし、物干し竿に掛かっている洗濯物も、以前にはたくさん見かけた可愛らしい子どもの服なんか全然見なくなって、爺(じい)さん、婆(ばあ)さんの古くさい洗濯物ばかりだ。それに、子どもたちには、いい山だと言っても、山ばかり見て暮らせは言えないし、村を出て行ってしまうのも仕方ないことだよ」と話しかけられた。
 
若年人口の流出による過疎化が山村を急速に高齢化させていった例だが、それから30年を経た今日では、都市近郊の住宅団地でも、子どもの歓声や歌声が以前よりもずっと少なくなった。
 
その代わりと言うべきか、朝早くから元気に歩き回るお年寄りの姿が目立つようになった。そして、老男老女(とくに老女ら)のお喋(しゃべ)りの声が賑やかになった。が、それも、次第にあまり聞かれないようになってきた。老いが重なり、外でお喋りする体力も気力も低下したり、亡くなる人も増えてきたからだろう。
 
高齢化が進み、出生率が下がり、ひいては人口減少が進むのは、社会が豊かだからだ。社会が豊かになれば高齢化が進む。そして、中国のような一人っ子政策をしなくても、出生率は低下する。低い出生率が続けば高齢化が進む。低出生率と高齢化が続けば、死亡数が出生数を上回って人口は減少する(人口の自然減が進む)。
 
上で取り上げた総務省の資料によれば、2014年1月1日から12月31日までの1年間の出生者数は、日本人住民では100万3,554人と調査開始(昭和54年度)以降最少で、外国人住民では、1万4,449人と前年より増加している。死亡者数は、日本人住民では、127万311人と調査開始(昭和54年度)以降最多で、外国人住民では6,654人と前年より減少している。
 
その結果、日本人住民の自然増減数は、26万6,757人の減少になり、外国人住民は、7,795人の増加になっている。
 
先進産業国=豊かな社会は、どこでも日本と同じように高齢化が進んでおり、出生率も低い。その社会が豊かになれば、そうした現象が必然的に起こるということだ。そして、それは、避けられない現象であり、ふつうの成り行きなのである。
 
日本は、上で見たように、外国人住民の割合が極めて小さい。そして、外国人住民の転入-転出の差し引きは5万人程度であり、外国人住民の自然増を加えても、外国人住民の増加は年に5~6万人ほどである。要するに、日本は、日本人住民(母国人)がほとんどを占めていて、住民構成から言えば、いわば閉じられた社会である。その結果、日本は、「豊かな社会になれば高齢化と低出生率が進み、人口が減少する」という現象が典型的に現れている国なのである。
 
こう考えると、高齢化を止めることも、出生率を上げることも、人口減少を食い止めることも、とても難しいことがわかる。極論すれば、豊かさを追い求めようとする限り、そうしたことは不可能ということになる。
 
人口減少を食い止めようと出生率を上げるためのあれやこれやの政策が講じられてきた。しかし、どれもこれも功を奏していない。言ってみれば、無駄を繰り返し続けている。平成27年度予算でも、地方創成関連予算の中で、「若い世代の結婚・出産・子育ての希望をかなえる」予算として1,096億円が、「社会保障の充実」予算の中で、「子ども・子育て支援」予算が5,189億円が計上されている。
 
しかし、「高齢化・低出生率・人口減少」が豊かな社会にしっかりと組み込まれた遺伝子であるとすれば、突然変異を引き起こすくらいの強烈な刺激を与えるような少子化対策でなければ実効性は期待できないだろう。日本の将来を本当に考えるなら、安保法制などを議論したり、アジア開発銀行(ADB)と連携してアジアのインフラ整備に今後5年間で約1,100億ドル(約13兆2,000億円)を投じると大見得を切っている暇はないのではないだろうか。

2015年7月2日木曜日

ギリシャの経済危機と日本の債務残高-財政健全化計画と安保法案は矛盾する政策

ギリシャの経済危機が報じられている。

NHK News Web によれば、ギリシャが抱えている債務残高は、今年3月末時点で、日本円にして約42兆円(3130億ユーロ)に上る。債務の内訳は、IMF(国際通貨基金)に210億ユーロ余、ヨーロッパ中央銀行に270億ユーロ余、EU=ヨーロッパ連合に約1840億ユーロだ。

債務残高が大きいことに加えて、返済期日が迫っていることも、ギリシャ経済を危うくしている。これもNHK News Web によれば、IMFへの15億4000万ユーロ余(2070億円)の返済は期日の30日になっても実行されずに、債務「延滞国」扱いとなった。来月13日にも約4億5000万ユーロを返済しなければならない。加えて、14日には、およそ8400万ユーロ分の円建て国債、いわゆる「サムライ債」の償還期限を迎えるほか、20日には、ヨーロッパ中央銀行が保有する国債の償還で、およそ35億ユーロを返済しなければならない。さらに、来月中旬から下旬にかけて合わせて8億ユーロに上る国債の利払いも控えているほか、8月にもヨーロッパ中央銀行に対し、およそ32億ユーロの支払いもある。

要するに、ギリシャは借金まみれの国ということだが、日本も債務残高が1,000兆円を超えているのだから、借金まみれということでは同じだ(下の表:財務省資料)。


ギリシャと違うところは、債務のほとんどが国債と地方債で、それらを購入しているのがほとんど日本国内の金融機関であるということだ(下の表:日本銀行調査統計局2015年6月29日発行の参考表から抜粋して作成)。

(注1) 国債等は、「国庫短期証券」「国債・財融債」の合計。また、国債等は、一般政府(中央政府)のほか、公的金融機 
    関(財政融資資金)の発行分を含む。
(注2) 金融仲介機関は、預金取扱機関、保険・年金基金、その他金融仲介機関から構成されるが、*ではその他金融仲
    介機関のうち公的金融機関を除いている。
(注3) その他は、「非金融法人企業」「対家計民間非営利団体」「非仲介型金融機関」の合計。
中でも、中央銀行(日本銀行:日銀)の購入比率が26.5%と大きい。日本政府が国債を発行して、それを日銀が購入して、日本政府が日銀に金利を支払う。素人には、その仕組みがイマイチ理解できないが、政府が支払う金利は税金だから、結局は国民が金利を負担することになる。何か、他人の金を貸したり借りたりして政府と日銀がマネーゲームをして遊んでいるような感じだ。まあ、他人の金だから気にしないで動かせる、という感じかもしれない。本当は身内の大切な金を預かっているんだが、そういった感覚は全くないんだろうな。

外国や国際金融機関から多額の借金をしていれば、ギリシャのように返済期日までに約束通りに返済しなければ大事になるし、借金返済のために借金をするということも、そう簡単には許してくれないだろうが、国内で政府と貨幣を製造する中央銀行が、ナアナアでやっているから、多額の返済をしながら多額の借金をするという自転車操業が可能になっているのだろう。

財政健全化計画とやらで、2020年までに赤字から脱却すると大見得を切ったが、せいぜいそれくらいか、という感じだ。確実にできることは、消費税増税と社会保障費の削減だけで、経済成長戦略などは期待だけだから、債務残高が激減するわけでも国民生活が豊かになるわけでもない。

いつでも戦争ができる国にすることを熱望している内閣なら、当然のことながら軍事関係に予算をつぎ込もうとするだろう。艦船や航空機、車両、それらの燃料、諸々の軍事システム、人員等々にかかる費用は莫大になる。

エコだ省エネだとか何だかんだといっても、軍用の艦船や航空機、車両などに費やされる燃料が少しばかりでも増えれば、高度な技術を用いたハイブリッドや電気自動車で燃費を競い合っていても、それで節約できる石油の国内消費量などは何の効果もなくなる。常に臨戦態勢を整えておくということは、膨大な量のエネルギー源を消費することであり、究極の反エコ、反省エネであるということだ。

こう考えると、財政健全化計画と安保法案は、本来なら真っ向から対立する政策ということになる。そのことに知らんぷりして政策を進めようとする安倍内閣は国民を愚弄しているということである。そして、そのことに気づかない国民は、全くもっておめでたい、と言わざるを得ない。

2015年7月1日水曜日

安倍首相の戦後70年を記念する談話への関心

安倍首相の戦後70年を記念する談話に関心が高まっているが、たまたま興味深い記事を見つけた米国の学者8人、「私なら70年談話をこう語る」と題されたネット上の記事だ。その中で、『太平洋戦争終結70周年に考える-8人のスタンフォード研究者による終戦の日の談話-』という出版物が紹介されている(上記書名をクリックすれば全文が読める)。

これは、スタンフォード大学ショーレンスタイン・アジア太平洋研究センター とフリーマン・スポグリ国際研究所 に所属する8人の日本研究者が、自分が日本の首相だったら、どのような談話を発表するか、という観点から書かれたものだ。その中には、村山談話(1995年<平成7年>8月15日の戦後50周年記念式典に際 して、内閣総理大臣の村山富市が閣議決定に基づき発表した声明)と小泉談話( 2005年<平成17年>8月15日の戦後60周年記念式典に 際して、内閣総理大臣の小泉純一郎が閣議決定に基づき発表した声明)も収録されている。

詳細は上記の出版物に直接当たって欲しいが、私は、その内容もさることながら、これを企画した編者の星岳雄(ホシ・タケオ)氏とダニエル・スナイダー氏、そして、その求めに応じて“談話”を書いた8人の日本研究者(編者らを含む)のこのような希有と思われる試みに感心する。

首相談話で議論になることは、かつての日本の行為に対する反省と謝罪(お詫び)に関してである。戦後生まれの人間にとって、正直なところ、戦後50年も、60年も、そして70年も経って、なお、反省と謝罪が首相談話の重要課題になることにはとても違和感を覚える。もちろん、日本が犯した過去の不始末に目を瞑(つむ)るとか、反省や謝罪が必要ではないと言うのではない。これまで長い間、過去の不始末に決着をつけずに、いつまでも後世の人間に付けを残し続けるのか、ということである。

30年ほど前(戦後40年を経ていた)のことだが、仕事でマレーシアの開拓農村に滞在していたことがある。ゴムや油椰子(オイルパーム)の林に囲まれた方々(ほうぼう)の集落を回ったが、ある日、村の集会所のような所で昼食休憩をしていたときに、どことなく古めかしい小銃を持った中年の警備員が親しげに話しかけてきて、テーブルの向かいに座った。外国人が珍しかったようだ。テーブルの上に、ドンと小銃を置いたのには驚いた。

一緒にいたマレーシア人が、私が日本人で、仕事で来ていることを話した。警備員は、ますます親しげにあれこれと話し、聞いてきた。私はマレー語がわからなかったので、同席のマレーシア人の通訳で雑談していたのだが、彼が時折苦い顔をして警備員に話していたので、何を話しているのかを聞いたところ、日本の占領時代のことだという。日本兵の銃剣で追い立てられて椰子の木に登って逃げたという話を祖母から聞いたということだった。

警備員は、とりたてて私を責めているような感じはなかったが、ジッと見つめられたときには複雑な心境になった。いま、この村にいる日本人は私一人と思うと、日本を代表して謝罪しなければならないのか、とも思ったが、口から出たのは、「そんなことがありましたか。その兵隊はとても悪い兵隊でしたね。おばあさんは、とても恐ろしかったでしょうね、くやしかったでしょうね」、「でも、そのことに私が日本人だからといってここでお詫びしたりするつもりはありませんし、過去に悪行を犯した日本人と一緒にしてほしくはないです」というものだった。警備員もマレーシア人も、その後に交わした会話の中で、私の言ったことに理解してくれたようだった。彼は、重そうな小銃を手にすると、笑顔で去って行った。

同国人だからと言って、いまの世代が前の世代が犯した悪行の責めを負わなければならないなんてことはない。いつまで経っても反省と謝罪の議論が繰り返されているのは、悪行を働いた者たちの責任をハッキリさせることなく、皆が納得できるようなしっかりとした決着をつけないままにズルズルと先延ばして来たからである。

その間に、外向きには中途半端な反省やら謝罪やらでお茶を濁すようなことをし、内向きには自国民が無知蒙昧かのように幼稚な手練手管(てれんてくだ)を弄(ろう)して恰(あたか)も戦前回帰のような言動を繰り返してきた。そして、それに同調したり、指示を与えたりする輩が跋扈し、少なからぬ国民がそれを許してきた。

安倍首相の談話は閣議決定を経ることなく個人の談話として発表することも検討されているという。時の総理大臣が戦後70年を記念する談話を個人談話として発表することに何の意味があるのだろう。“ああ、首相談話ね。あれって、個人の単なる呟(つぶや)きでしょ。その程度のことは、みんなツイッターでやってるよ”ということだ。無責任きわまりない。それこそ国民を愚弄するものではないのか。愚民扱いである。国民は何と馬鹿にされていることか。そして、また、決着させることなく、日本は、日本人は「反省と謝罪」を歴史的遺物として後世に引き継いでいくことになる。

日本国憲法は、戦前の愚かな独善者が犯した悪行に対して内外に向けて反省と謝罪を表明したものであり、二度とそのような悪行を起こさないことを権力の地位に座る者に誓わしめたものである、と私は理解している。憲法の前文は次のように述べている。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」たのであり、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」と宣言したのである。そう宣言した以上、この憲法に則(のっと)って、速やかに過去の悪行に対して国内外が納得しうるような決着を速やかに図るべきであった。そうすることなく、平和憲法を蔑(ないがし)ろにするような言動を相も変わらず繰り返している。

私は、現行の日本国憲法は、他の何にも増して日本人が誇りうる世界遺産に相応しいと思っている。憲法が世界遺産に登録されている例を知らないし、世界遺産の登録をめぐる運動やら駆け引きには胡散臭(うさんくさ)さやバカバカしさを感じてはいるが、日本政府が日本国憲法を大事にし、世界遺産に登録したいという態度を示せば、過去の悪行に対して本気になって決着をつけようとしていると国内外に理解してもらえるに違いない。

私の父は、終戦時に満州(中国東北部)でソ連軍の捕虜になり、シベリアに2年間抑留された。帰国できたが、抑留中の過酷な捕虜生活で体はボロボロになっていた。帰国後何年もしないうちに長い入院生活を余儀なくされ、多くを語ることなく亡くなった。誰からも、どこからも心底からの謝罪の言葉を受けたことはない。かつての戦争で犠牲になった途轍(とてつ)もない多くの人々もそうだろう。

上辺だけの、形だけの哀悼の意らしきもの、謝罪らしきもので取り繕われてきた。それでも日本人は、自国の権力者に対して類い希なる寛容の精神を示してきた。そのことにいい気になって/図に乗って、過去を清算する努力を怠り、付けを残したまま、時には過去の過ちを美化し、再び過ちを犯そうとするかのような言動を繰り返している。そして、そうしたことを支持する輩が欲得尽(よくとくずく)で群がっている。

もう、反省と謝罪の議論で振り回されるのはご免である。過去を清算する決意を表明し、日本が真の平和国家として世界から尊敬され、羨望の的になれるような首相談話であることを願わずにはいられない。

2015年6月25日木曜日

憲法を遵守しなくてよいのなら、全ての法律を遵守しなくてもよいのではないか

安保法案の論議が山場にさしかかっている。かつてない期間の国会延長が決まったという。期間を延長すると、どれほどの費用が嵩むのだろう。

安保法制に関する安倍首相の説明や国会での与野党の論戦がわかりにくいと言われるが、わたしには、そうは思えない。多くの人も、そう思っているのではなかろうか。

首相や閣僚、自民党幹部の言っていることを簡潔に代弁すれば、

ボクも、ボクたちも、いつでも戦争ができる国にしたいんだよ。それだから、いまの憲法で言っていることを首相だから国会議員だからといって守っているわけにはいかないんだよ。

安倍首相の日頃の物言いを真似れば、「すぐにでも戦争のできる国に替えたいのでございます」ということだ。何も難しいことを言っているわけでも、わかりにくいことでもない。ごくごく簡単なことを言っているだけだ。ごく常識的な人間には、安倍首相も中谷防衛大臣も、高村正彦自民党副総裁も、そして、公明党も、何が言いたいのかは、すぐに理解できる。

彼らの発言を大学入試問題に出して、発言の真意を100字程度にまとめよ、と問えば、受験生の多くは、苦もなく正解を記すことができるだろう。

安倍総理は、先頭を切って憲法違反を犯そうというのだから、違憲総理と呼ぶのが相応しいだろう。そして、違憲総理を代表に抱える内閣は違憲内閣ということか。「そんなことを言ってはイケンでございます」と返されるかもしれない。

第十章 最高法規
第九十七条  この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
第九十八条  この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
○2  日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

憲法が国の最高法規であることは上に記した日本国憲法第十章を持ち出すまでもない。最高法規である憲法を「尊重し擁護する義務を負う」べき地位にある者たちが率先して憲法を蔑(ないがし)ろにしている。それこそ憲法違反である。 国政のリーダーが最高法規である憲法に違反した行為を犯しても何の罪にも問われないのなら、どんな法律も意味はなく、全ての違法行為は許されることになる。こう思うのがふつうの生活者の感覚だろう。 安保法案成立にしゃかりきになっている面々は、国民の安全と平和のためだと繰り返し主張しているが、国民の安全と平和のために考えられることが戦争準備態勢を整えることでしかないようでは、全くもって幼稚で知恵も知識も働かない/働かせていないとしか言いようがない。そのことが、国民の安全と平和を奪いつつある、ということに気がつかないのか、そんなことはどうでもよいと思っているのか。

自国の憲法を遵守できない者が、国民の安全と平和を守れるはずがない。ましてや、世界の平和の維持・促進に貢献できるはずはないし、期待もされないだろう。そんな面々を国政のリーダー層として“温存”している国民は、世界中から無知で野蛮な民族と見なされるだろう。

2015年5月18日月曜日

大阪都構想の賛否を問う住民投票の結果はまさにドラマチック

大阪都構想に賛成でもなければ反対でもなく、格別関心があるわけではないが、テレビで住民投票の開票速報をしていたので何とはなしに見ていたら、賛成票と反対票が作ったように拮抗していて面白かった。開票率が80%を超えた頃だろうか、その段階でも賛成票が上回っていたが、反対票が上回ることが確実と報じられた。

最終的には、反対が70万5,585票、賛成が69万4,844票と、反対が多数となって大阪都構想は否決されることになった。大阪市選挙管理委員会は、今回の住民投票のルールを次のように説明していた。

今回の住民投票は投票者数にかかわらず成立し、賛成の票数が有効投票(賛成票と反対票を合計した総数)の半数を超える場合は、特別区設置協定書に基づき大阪市が廃止され、特別区が設置されます。反対の票数が有効投票の半数以上の場合は、特別区は設置されません。<ご注意>実際に投票された有効投票数以外は賛否の決定に影響しません。
 
大阪都構想の是非を問う住民投票と一般に言われてきたが、正確には「大阪市における特別区設置についての住民投票」と言うようで、大阪市選挙管理委員会のウェブサイトには、「特別区設置住民投票」という言葉はあるが、大阪都構想という言葉はひとこともない。

今回の住民投票のルールは多数決ではあるが、大阪市選挙管理委員会の説明にもあるように、投票者数にかかわらず成立し」ということであるから、投票者数や賛否の差がどれくらいかは問題にならない。極端なことを言えば、3人が投票して2人が賛成あるいは反対すれば決着する。そして、1票差だろうと100万票差だろうと関係ない。とはいうものの、有権者数が少ない村の村会議員選挙で数票の差で当落が決まるのは別に驚きでもないが、今回の票差には本当にビックリした。

住民投票の当日有権者数が210万4,076人で投票率が66.83%ということだから、140万6,154人が投票したことになる。賛成票と反対票の合計より多いが、無効票が5,640票あったからだ。それだけ多くの人が投票して、たった1万741票の差しかなかったというのは、まさにドラマチックである。名作を手がける脚本家でも、ここまでは描けないだろう。かえって嘘くさくなってしまうからだ。そういうことでは、ドラマ以上にドラマチックと言えるかもしれない。そう考えると、橋下大阪市長は、アカデミー賞の各部門賞を総なめするほどの類い希なる脚本家かつ役者であったと言えるかもしれない。

大阪都構想が住民投票で否決されたので橋下市長は任期が切れたら政治家を辞めると明言したということだが、あまりにもドラマチックなきわどい結果が何をもたらすことになるか注目したい。彼は辞めてもなおエンターテイナーであり続けることだろう。

ところで、反対票の70万5,585票と賛成票の69万4,844票をそれぞれ投票数全体の割合にすると、反対票は全体の50.383489630677456693627452730556%で、賛成票は全体の49.616510369322543306372547269444%である(これだけ多くの小数点以下の数字を並べるのは全くの遊びでしかないのであしからず)。その差は、なんと、0.766979261354905%ポイントにしかすぎない。多数決とはいえ、割合から言えば、無視できるほどの差しかない。

ブリタニカ国際大百科事典によれば、多数決原理とは、「集団でものを決めるときの決定ルールの一つで構成員の過半数の意見を集団の意思とする方法である」。この説明で肝心なところは、「構成員の過半数」と言う場合の「構成員」をどうとらえるかということである。

今回の住民投票に当てはめれば、「構成員」を20歳以上の大阪市民とすると、「構成員の過半数」は有権者210万4,076人の過半数だから105万2,039人となる。住民投票の結果は、賛成も反対も、その数には達していない。それでも、投票率は66.83%と比較的高かったから、まあ、有効投票数の過半数でも「構成員」全体を代表していると見なしてもよいだろうが、仮に有権者が一人残らず投票したとすると、どんな結果になっていただろう。

そこで、試しに計算してみた。こういう場合は、標本抽出の原理を応用することになる。

標本抽出(サンプリング)は、ある全体(これを母集団という)の中から標本(サンプル)を幾つか選んで、それらを調べることによって母集団全体のことを知ろうとするときに行われる。製品検査や世論調査で行われる手法であるが、大事なことは標本が無作為(ランダム)に選ばれていることである。

無作為と言っても、適当デタラメに選ぶことではなく、どの標本も選ばれる確率が等しくなるように選ぶ。要するにくじ引きである。歳末大売り出しの時なんかに見られるガラガラ回して当たり玉が出る抽選機での福引きや宝くじの抽選と同じである。当たる確率が誰にでも同じだと思うから福引きをし、宝くじを買うのである。当たる確率が等しくなかったり操作して偏りがあれば、それは如何様(イカサマ)であるから、誰も福引きをしたり宝くじを買ったりしなくなる。実験や調査で標本抽出する場合でも同じことが言える。

住民投票の場合は、世論調査で回答の対象者となった場合と同じように、投票をした人を抽選で当たった人と考えればよい。そうした人が無作為で選ばれたと言うことはできないので厳密性に欠けるが、210万4,076人の内の66.83%に当たる140万6,154人もの人が投票したので、標本数が多くなれば誤差は小さくなるということを頼りに先に進むことにしよう。

比率の誤差の推計と区間推定は次のような式で計算できる。


p は標本から得られた結果で、ここでは賛成50.38%や反対49.62%。ただし、式に入れるときには、0.5038や0.4962のようにする。
k は信頼係数と呼ばれるもので、5%とか1%、0.1%の誤差を見込むときには、それぞれ1.96や2.58、3.29にする。
は母集団の規模で、ここでは有権者総数の210万4,076。
は標本数で、ここでは有効投票数の140万429。
は真の値。要するに、有権者210万4,076人が全員投票(投票率100%)したと仮定した場合の賛成や反対の割合。

上の式に、推計の誤差を5%として反対の割合について数値を代入した場合には以下のようになる。
 
計算すると以下のようになった。
0.503358937138526  < < 0.504310855475022
同様にして、推計の誤差を1%(k を2.56)、0.1%(k を3.29)とした場合の結果は、それぞれ以下のようになった。
0.503208378626121 <  < 0.504461413987427
0.503035964845786 <  < 0.504633827767762
 
いずれの場合でも、50%を超える結果になった。賛成票についても同様に計算してみたが、50%を超えることはなかった。要するに、有権者が一人残らず投票していたとしても(投票率100%だったとしても)、反対票は、50%を(わずかではあるが)超えていただろう、ということである。ただし、投票率や賛成票と反対票の割合に世代差(年齢別の違い)が大きいとすれば、以上の推計結果が妥当かどうかは判断できない。そのことを検討するためには、選挙管理委員会がそれらの詳細なデータを公表することである。
 
橋下市長は、退任する前に、ぜひ、そのことを行い、住民投票の結果と意義を総括すべきであろう。おそらく、住民投票の実施のために莫大な費用を市の財源から支出したであろうから、反対されましたから潔く政治家を辞めます、などと子どもじみたパフォーマンスでお仕舞いにするのではなく、その支出を無駄にしないために、日頃の言動通りに政治家としての責任を全うしなくてはならないだろう。

2015年4月21日火曜日

「お疲れ様」、「お世話になっています」、「させていただきます」の乱用に違和感を覚える

いつ頃からか、ずっと若い人から「お疲れ様」と言われて違和感を覚えたが、学生でも教授に対して使うらしい。聞くところによると、とても丁寧な挨拶として、いまでは頻繁に使われるようだ。というより、そう教えられているようだ。メールの文頭に「お疲れ様です」と書かれてあって驚いたことがある。「お疲れ様」は何かが済んだときとか、別れ際に言う挨拶語ではないかと思うからだ。

誰に教わったのかは知らないが、昔は、というと年寄りの繰り言と言われそうだが、年長者に対して、「お疲れ様」や「お疲れ様でした」なんて言うことはなかった(と思う)。「御疲れ様」は、労(ろう)を労(ねぎら)う挨拶語として『広辞苑』にも出ているが、私の理解では、年長者が年少者や同輩に、よくやった、よく頑張った、ありがとう、という気持ちを込めて使う言葉ではないかと思う。

例えば、仕事を頑張ってこなして、上司に「もう、帰っていいよ」と言われた(り、言われなかったりした)ときに、「では、お先に失礼します」と言った返事に、上司が「あー、お疲れさん」とか「お疲れ様」と言うのであれば違和感はない。

仕事も大してできない若造にニコニコ顔で「お疲れ様」と言われれば、私なら、「ああ、お前のせいで、すっかり疲れてしまったわいな。お前が疲れるくらい仕事をしろよ」と言いたくなってしまう。部下や年少者から「お疲れ様」と言われて喜んでいる者や、そう挨拶されることを期待している者、そう挨拶しろと教えている者の気が知れない、と思うのは私だけだろうか。

では、挨拶の際に何と言えばいいのかと聞かれれば、別れ際には、「失礼します」とか「お先に失礼します」と言えばいいし、何かの仕事が一段落して上司や年長者に労いの言葉をかけるとしたら、「お疲れになったことでしょう」(と言って,その後に、「十分できなくてすみませんでした」と言えればもっといい)と言えばいい。感謝の気持ちがあるのなら、素直に「ありがとうございました」と言えばいい。飲み会の後で、青春真っ盛りのような若者に「お疲れ様でした」と言われたときには、すっかり酔いが覚めてしまったことがある。

ちなみに、「お疲れ様」を英語で言おうとすると難しい。インターネット上のWeblio翻訳でいろいろと試したところ、機械翻訳では、まっこと面白いことに、Dear Ms. fatigue. となった。たしかに、これは、名前が「お疲れ」の女性に向けた挨拶語になっている。このほかに、英語表現辞典では、Have a nice evening やHave a good evening、See you tomorrow というのもあった。「疲れる」に相当する英語が一字も入っていない。

「お疲れ様」の「様」をひらがなで「さま」として「お疲れさま」で翻訳させると、単に Thank you となった。うーん、そういうものか。「お疲れさまでした」とやると、なんと、この言葉の使い方についての次のような注釈付きの翻訳が出てきた。

•お疲れさまでした(上司が部下に対して「よい仕事をした」と褒める場合【ややカジュアルな表現】) Good job.
•お疲れさまでした(上司が部下に対して「よく働いてくれてありがとう」と伝える場合【やや丁寧な表現】) Thanks for your hard work.

年少者が年長者などに対して「お疲れ様」と言うことに違和感を覚えるのも、この注釈で合点がいくのではないだろうか。

「お世話になっています」も挨拶語として頻繁に使われるが、これも、使う場面によっては違和感を覚える。本当にお世話になっているのならともかく、そんなお世話をしたつもりもないのに、ましてや、初めての人にのっけから、「お世話になっています」と言われると、空々しくて嫌になる。個人的にではなく商売上であれば、企業どうしの関係として通常の挨拶語だろうが、同じ組織の中での連絡のやりとりの際にも、決まり文句のように「お世話になっています」とやられると、「えっ、お世話したっけ。あんた誰だっけ」と言いたくなる。

「何々させていただきます」とか「何々させていただきました」という言い方も乱用されていて違和感を覚える。「何々いたします」とか「何々します」、「何々することにいたしました」とか「何々しました」と言えばすむ場合でも(その方が自然なところを)、わざわざ「させていただきます」と言う。謙(へりくだ)って、とっても丁寧に言っているつもりなのかもしれないが、ちっとも、そんな感じがしない。かえって、慇懃無礼というか、ぎこちなさというか、軽いというか、私にはよい印象がない。

というわけで、「以上、一言申し述べさせていただきました」。

2015年4月17日金曜日

運転免許証の更新と献血に行ってきた

ウグイスが盛んに囀(さえず)っている春の一日、陽光を浴びながら“大古愛車”を駆って運転免許証の更新に行ってきた。前回の更新から早5年経った。期限までは1か月以上もあるが、思い立ったが吉日と、ふだんは何事も期限ぎりぎりになってしか着手しない私には珍しく早速出かけることにした。

自慢ではないが、これまでゴールド免許を手にしたことがない。今回も、更新通知の「更新時講習の区分」には「違反運転者講習(2時間)」とあった。「運転者の区分及び最終の違反等」の項目には、「指定場所不停止等」とあった。このブログの昨年(2014年)5月8日の記事で書いた交通違反のことだ。一時停止の標識を見落として罰金7千円を支払ったが、その前にも1回違反していたようだ。

ようだ、というのもおかしいが、記憶にあるのは、4年前だと思うが、右折禁止になって間もない所を新たに設置された標識に気がつかずに曲がってしまい、罰金7千円を課せられたことだ。そのときは、警察官が腕で大きく「✕」 を作って示してくれていたのだが、事故処理でもしているのかと思ってゆっくり進入していったところ、止められて、「教えたじゃないですか」と言われた。「えっ、ここ、いつも通っていましたよ」と言うと、「標識見えなかったですか」と聞かれたので、「えっ、あるんですか」と言うと、「こっちこっち」と言って、標識の所まで連れて行かれて、結局、罰金を支払う羽目になった。

そういう軽微な違反が2回以上なので「違反運転者」の烙印を押されたわけだ。おまけに、「優良運転者」や「一般運転者」よりも、講習時間が長く(30分→1時間→2時間)、免許証の有効期間が短く(5年→3年)、講習手数料も高い(500円→800円→1,350円)とあらゆる面で痛めつけられることになった。違反点数と罰金で十分に償(つぐな)っていると思うのだが、この仕打ちは、ちょっと残酷過剰ではないかと言いたくなる。

違反しておいて何を言うか、と言われそうだし、交通事故防止のためには、それくらいのことをしても足りない、と言われるかもしれない。反省が足りないと叱られるかもしれない。しかし、何となく腑に落ちない。

金曜日の午後であったためか、更新者が多くなかったので、駐車場も空いていたし、手続きもスムーズにいって、待ち時間がほとんどなかった。途中10分間の休憩を挟んだ2時間の講習では、交通違反と交通事故の話と交通事故の悲惨さをこれでもかこれでもかと見せるビデオの視聴であった。机に俯(うつぶ)せになって居眠りしていた若い女性が講師に腕のあたりをちょんちょんと突かれて起こされたが、講習の始まる前に、講習中に居眠りしたり、パソコンで仕事をしたり、本を読んだりするすることのないようにと注意をしていたのに、若い女性は、そのことも聞いていなかったみたいだ。講習に来ても注意義務違反を犯すのは、なんと度胸のいいことよ、と感心したり呆れたり。それに引き替え、母親と一緒に来ていた3~4歳の子は、講習中ずっとおとなしく倚子に座って話を聞いたりビデオを見ていたのには感心した。

古い免許証ももらって、出来上がった新しい免許証の写真と5年前の写真を見比べると、おー、年をとったな、と変わりように今さらながらに驚くというか、納得する。運転免許証は第一等の身分証明書になるから、というより、いまの私にとっては唯一の身分証明書であり、生きている証しだから、良く写っている写真が望ましいのだが、残念ながら、運転免許証の写真で良く写っているものはない。「実物そのままでしょ」と家族は言う。そんなことはないと意地を張っても詮無いことだが、「撮り直して下さい」という勇気もない(そうしたこと可能かどうか確かめたことはないが)。

毎回のことだが、今回も、講習終了後に献血ルームに車を走らせて献血をした。400ml。機会あるごとに献血するようになったのは、学生の頃、母親が大手術のために大量の輸血が必要になったときに、級友や級友の友人、先輩や後輩とその友人たち何十人もが献血をして献血手帳を大量に集めてくれて、献血の大切さを実感したからだ。その頃は、各自の献血手帳に記載された献血量を合計した量の血液を日赤から配分されたのではないかと記憶している。その後、献血をすることになったのは友人たちへの感謝の気持ちからだ。年齢制限まで献血を続けようと思っている。

献血ルームはとても綺麗で、飲み物やらアイスクリームやらが用意されていて、自由に飲める。献血台にはテレビも備えられていて、献血中と献血後の安静時間には飲み物を飲みながらがテレビを視聴できる。そんなに長い時間ではないが、退屈させない工夫がされている。終わるとお菓子をくれた。何か申し訳ない気もした。職員はとても丁寧に応対してくれるので、気持ちが良い。新しい免許証と献血カード(いつも忘れて毎回カードを作ってもらっている)を財布に入れて、さわやかな気分で帰途についた。

2015年3月10日火曜日

竹下亘復興大臣の冷酷非情な発言に怒り心頭

9日の朝日新聞朝刊一面に、竹下亘復興大臣の次のような発言が掲載されていた。

竹下亘復興相は8日、宮城県の村井嘉浩知事らに対し、全額を国が負担する東日本大震災の復興予算について、2016年度以降は自治体に負担を一部求める考えを示した。「被災した一人ひとり、さらに市町村も自立する強い意志を持ってほしい」と強調した。

読んでいて悲しくなってしまった。いや、悲しくなってはいけない。どうも日本人は(と言ってはいけないのだろうが)、怒り、猛り狂う(たけりくるう)べきところを悲しみや無念の情に転換してしまう性癖があるようだ。それを日本人の美徳かのように自他ともに認めてしまうところに、本気になって問題を解決できずに有耶無耶のままに先送りしてしまう原因があるように思える。そして、そこに日本の不幸があるように思えてならない。

被災者も被災自治体も、これまでの長い年月、一日も早く自立できるようにと懸命な努力をしてきたし、していることは多くの国民が知っている。にもかかわらず、「自立する強い意志を持ってほしい」とは、誰に向かって、何を根拠に言っているのか。

竹下復興相は、慶應義塾大学経済学部を卒業してNHK(日本放送協会)に入社し、6年間記者やキャスターとして働いたようだ。その間、記者の目、キャスターとしての見識を培ってきたことと推察する。そして、第三次小泉内閣では環境大臣政務官を務めているから、環境問題にも造詣が深いことだろう。にもかかわらず、被災地県の知事に面と向かって発せられた上のような発言は許しがたい暴言であり、政治家としてあるまじき行為であると言うべきだろう。

震災から早4年。被災地の現状が新聞各紙や各テレビ局、雑誌等で繰り返し報道、放映されている。それらに接すれば、被災者の心中は察してあまりあるという感慨を抱く人が多いことだろう。そして、一刻も早く生活が立て直ることを祈ることはあっても、「被災した一人ひとり、さらに市町村も自立する強い意志を持ってほしい」などと何も知らない人間が上から目線で説教じみた精神論を吐くようなことは決してしないだろうし、そうしたことが頭に浮かぶことさえないだろう。ましてや、政治の中枢にいて膨大な情報を得ているはずの人間なら、なおさらのことと、ふつうは思う。

今回の報道に接して、怒り心頭に達した人がどれくらいいるかはわからない。一面の記事ではあるが、それほど大きく取り上げられたわけではない。マスコミを賑わす失言やスキャンダルの類ではない。確信を持っての発言であるということでは、もっともっと大きな問題であると思うのだが。

2015年2月25日水曜日

売値と利益-安いか高いか儲かるか

寒さも和らぎつつあり穏やかな日和であったので、老妻とデートとしゃれ込んでみた。退職後に三食昼寝付きの養老院よろしく在宅介護をされているような毎日を楽しんでいる私が妻にできることは、日頃のお世話に対するせめてもの労(ねぎら)いとたまに昼食を外でご馳走することくらいだ。

と言いながらも、車の運転は妻まかせで、ゆったりと助手席でタバコを燻(くゆ)らしているのだから、労を犒(ねぎら)うどころか、連れて行ってもらう世話をかけているようなものだ。

昼食は海鮮市場でとることにした。少し離れた公営駐車場に入れて歩くことにした。市場に着くと、どの店で何を食べようかと店先に貼り出されたメニューやら宣伝文句を見ながらブラブラ歩いていると、「ランチメニュー にぎり8個 赤だし付き 800円」、「海鮮ちらし 1,000円 赤だし付き」というのが目についた。おお、これなら手頃でいいと、カウンターだけの小さな寿司屋に入った。

静かな店で、中年夫婦らしき一組がいただけだ。端に座ろうとしたら、「詰めて下さい」というので、その夫婦の隣に座ることになった。入ったばかりらしく、まだ、カウンターにはお茶しか出ていない。

小柄な年配の男性が一人、カウンター内で寿司を握っている。ふつうはカウンター前にあるガラスケースがなくて、ネタが見えない。目の高さまでしきりがあって、立って覗かないとカウンター内も見えない。おかしな寿司屋だ、と一瞬、気味悪くなったが、出てきた寿司は値段の割には悪くなかった。ゲソのにぎりが美味くて、追加注文してしまった。一皿に2個で200円。回転寿司より廉価ではないだろうか。妻が食べた海鮮ちらしもボリュームたっぷりだった。

 満腹のおなかを抱えて、例によって食後のコーヒーをと喫茶店を探す。「サイフォンで淹(い)れたてのコーヒーを」という看板につられてドアを開け、「タバコ吸えますか」と聞くと、もちろん、という顔で「吸えますよ」と年配の女性が言う。テーブル席2つと4人ほどが座れるカウンターの小さな店で、夫婦でやっているようだ。食事のメニューも色々あり、弁当の仕出しもやっているようで、カウンターには美味そうな弁当が詰まれていた。夜はスナック・バーになるようだ。熱々のコーヒーとタバコをひとしきり楽しんだ。コーヒーは1杯400円だった。

市場内をブラブラと見て回る。店先の売り台に幾つも並べられたトレイの中でたくさんの小ぶりの鰈(かれい)が飛び跳ねてひっくり返ったのを威勢のいい女性店員がサッとつかんで元通りにひっくり返したり、子蛸(こたこ)がトレイから這い出しているのを元に戻したする様を見ていると、「おすすめはこれだよ」と鰈と同様に幾つものトレイに並べられて赤い魚を指さした。「ガシラだよ、煮付けでも唐揚げでもおいしいよ」とのこと。つい調子に乗って、というのは妻の弁だが、「では、この3尾のを」と買ってしまった。1,500円。

長崎県水産部ホームページにある「お魚図鑑」によれば、ガシラというのは、地方によってはアカバとも呼ばれるユメカサゴのことである。学名はHelicolenus hilgendorfiで、英名はHilgendorf saucordというそうだ。なんだか難しい。

特徴として次のようなことが記されている。水深100~300mの砂泥底に生息している。体は楕円形で平たい。胸びれの内側に基部付近に大きい皮弁がある。甲殻類や魚類を食べる。底引き網で漁獲され、味はよく煮付けにするとおいしい。分布:青森県以南、東シナ海、朝鮮半島南部。大きさ:30cm。漁法:底曳網。食べ方:煮付け。
長崎県水産部ホームページの「お魚図鑑」より転載
お馴染みのカサゴと同様に、脊椎動物門-硬骨魚綱-カサゴ目-フサカサゴ科だが、カサゴの学名はSebastiscus marmoratusで、英名はJapanese stingfishだそうだ。おお、ジャパニーズ・スティングフィッシュと日本固有の魚のような呼び方ではないか。

スティングは日本語では棘(とげ)のことだから、さしずめ「日本の棘魚」ということになろうか。体中が棘だらけのような魚だから、英語圏では、そう言うのかもしれない。まあ、英語の名詞には、わかりやすさを旨とするのか、見たまんま、そのまんまというのが多いから、これもその類なのだろう。sting hair(スティング・ヘア)というと、イラクサなどの棘のことで、日本語では刺毛(しもう)とか棘毛(きょくもう)と言う。

ついでに言うと、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが共演した映画に「スティング」(1973年)というのがあった。詐欺師を描いたコメディタッチの名作だが、そこで言うスティングは信用詐欺のことである。英和辞典によれば、スティングには計画的犯行とかおとり捜査、犯罪で得た金、盗品などの意味もあるとのことだ。いずれも俗語(スラング)として使われる場合だ。その伝でいけば、ジャパニーズ・スティングフィッシュことカサゴは、「日本詐欺魚」になってしまう。カサゴもビックリというか、迷惑顔をしていることだろう。

ともあれ、妻の労いになったかどうかわからないが、駐車場へと歩く。駐車料金は500円。20分100円だから、100分過ぎたことになる。

魚の煮付けが好きで、妻も料理上手なので、これで今日の夕食をと、いい買い物をしたと満悦至極であったのだが、後で妻に叱られた。高い買い物だということである。煮付けで食べてみたが、見てくれほどには身が多くなくて、あまり美味い魚ではなかった。残念至極というところだ。

さて、本題である(例によって前置きやら周辺の話題が多すぎる)。

コーヒー一杯400円と、にぎり寿司8個赤だし付き800円とを比較すると、どちらの利益が多いのだろう。素人目には、材料費や手間暇を考えるとコーヒーの方が断然利益率が高いように思えるが、売れる数はどちらの方が多いのだろう。利益率✕販売数で儲けは決まるから、薄利多売という言葉もあるように、商品一つの利益率は小さくても数多く売れれば利益は大きい。でも、買う側は、その商品一つの価格の印象が強いから、あの寿司屋は、あれでやっていけるのだろうかと心配になる。

ガシラはどうだろう。大量の鮮魚が店に並んでいる。全部売り切れるのだろうかと心配になる。海から獲ってきて店に並べるだけだから、元手(もとで)はあまりかかっていないか、とも思うが、タダで拾ってくるわけではなくて大量の燃料を使って朝早くから漁に出るのだから軽費はかなりかかっている。3尾1,500円で利益がどれくらいあるのか興味あるところである。

駐車料金はどうだ。車を置かせているだけで(だけでと言っていいかわからないが)金を取るのだから、こんなにおいしい商売はない、と思う。もっとも、駐車場用の土地とビルの建設費はバカにならないから、元手はかかっている。

バングラデシュに滞在していたときに、リキシャと呼ばれている人力車をよく利用した。歩けば30分ほどかかるところを、当時は、日本円にして何十円かで利用できた。3人乗っても、大して変わらない料金だった。まあ、交渉次第での料金だから、距離や時間に料金が対応しているわけでもない。かなりの年配のやせ細った運転手がリンギと呼ばれる腰巻きをたくし上げて裸足で自転車をこぐ。バングラデシュの友人は、距離あたりの料金で言えば飛行機代より高い、と笑っていた。

売値と利益。安いか高いか儲かるか、と考えると、物の値段の付け方は難しいと思う。もっとも、売値は、原価や諸経費だけをもとにして決められるわけではない。買い手の必要や満足が作用するところが大きい。市場経済における需要と供給の原理である。利益率が高い商品の値段は、買い手の必要と満足に左右されるところが大きい。そこでしか買えないもの/そこでしか売っていないものは、それを欲しい人にとっては高額でも買うしかないことになる。見栄っ張りや気取りっちゃんは、同じ商品でも、有名ブランド品を有名店で高値で買うことで満足を得る。

消費者の商品知識などは高が知れているので、物の価値を判断して買い物をしているわけではない。欲求が満たされることに価値を置いて買い物をしているに過ぎない。偽ブランドが蔓延したり有名店が商品の偽装したりする余地もそこにある。芸術作品が高値で取引されるのも、幾分かは、同じ理屈であると言えるかもしれない。

適正価格がどういうものかよくわからないが、「こんな値段で儲かるのか」と心配させるような価格のことだろうと勝手に思っている。売り手にとっては厳しいことかもしれないが、それで商売が続けられているのなら、適正価格なんだろうと思う。そういうことで言うなら、儲けが大きい=利益率が高い商品は、みな不適正価格で販売されていることになるが、経済活動のほとんどは不適正価格で展開されていると言っていいのかもしれない。その典型が、バブル経済の崩壊となって現れる。

インフレも、言ってみれば、商品の多くが不適正価格になることである。だから、インフレ政策を成功させる一番の早道は、消費者の商品知識を曇らせて、適正価格はどれほどか、などということを頭にのぼらせないで、ひたすら欲求を満たすことに価値を置くように仕向けることなのかもしれない。

2015年2月7日土曜日

お年寄りのウォーキング

久しぶりに散歩した。冷たい空気を吸いながら50分ばかり妻と一緒に近所を歩いた。山を削って40年前に作られた大規模住宅団地には3千世帯が住んでいるが、空き家や空き地が目立つようになっている。

「この家は売れてよかったね」とは妻の言葉。何がよかったかはわからないが、売りに出ても長らく売れないでいる家も多い。別に妻の知り合いの家ではないが、昔から住宅に興味のある妻は、周辺地域の売買物件のことをよく知っている。断っておくが(別に断らなくてもいいことだが)、妻は不動産屋でも何でもない。それでも、売りに出た家が売れないと気になるようだ。

売り物件が出ると、冷やかしに見て回ることもけっこうあって、私もついて回ったこともある。中には気に入った物件もあって、引っ越しを考えたことも何回もある。とは言っても、そう簡単には引っ越すこともできない。先立つ物が無いからである。

このあたりは、20年前ほど前までは新築も盛んだった。当時は5千万円とか6千万円もしていた。そんな住宅でも、2千万円台で売りに出ている。中古でも4千万円台していたが、今では1千万円台だ。土地の値段が急落したためだ。私の家も、当時は坪60万円だったが、今では20万円もしないようだ。25年とか30年のローンで購入した人は、大金をドブに捨てたとまでは言いたくないが、何年分もの年収をふいにしたことだろう。ということで、買い換えもままにならないことから、気に入った売り物件があっても、おいそれとは引っ越せないというわけだ。

話がとんでしまったついでに、更に横道に。

先日、高校時代の友人から電話があった。何かとてもやかましい中での電話のようだったが、同級生3人でカラオケをやっていると言うことだった。同じ運動部の仲間だった。高校在学中は運動漬けの毎日で、県大会の常連だったし、全国大会や国体にもいま一歩で涙をのんだ仲間である。

いまやそれぞれ第2の職場でちょっぴりの収入を得ながら親の介護に苦労している。一人の友人は、自分の母親の介護で郷里に帰ってきており、彼の奥さんは彼女の親の介護のためと退職後に別居生活を余儀なくされている。

何だかんだと話していても、最後は健康のことになる。お互い病気もしていないが、私はメタボだ。連中は、タバコも止めているし、スリムを自慢している。聞けば、毎日1万歩を歩いているという。朝か昼間は8千歩止まりだから、夕方か夜に2千歩を歩いて1日1万歩を達成しているという。携帯電話に万歩計がついているとのことだ。先日も連中と山登りをしたという。聞けば、昔よく尾根を縦走して楽しんだ山だ。馬酔木のトンネルがある山で、モリアオガエルのいる池もあるところだ。

「お前も歩け」というから「そんなに歩いて、どうするんだ」と返事をすると、お互い運動バカだったから、「歩きゃいいんだよ」と言われると、「そうだな」と納得する。

妻と散歩しながら、「こうして何も用がないのに健康のためと歩いて過ごせるなんて平和だし幸せだね」ということになったが、歩きながら話すことは、昨日、年金通知が来て、また受給額が減ることになったことだ。高齢者虐待だな。どう考えても、在職中の半分という収入にはとてもとてもならない。約束が違うじゃないか。税金や国民健康保険料、介護保険料、固定資産税を払うと、実際に使える額はぐんと減る。

歩いて健康を維持することは大事だろうし、何よりも健康が第一というのも、よくわかるが、それだけで豊かな生活を楽しめるわけでもない。歩いていると、ひたすら歩くことが生活目的になっているかのような(偏見もいいとこか)老老男女を何人も見かけるが、病院通いをしながら、たくさんの薬を飲みながらウォーキングに精を出している人も多いだろう。そう言えば、ウォーキングのしすぎで膝を痛めたご老人を何人も知っている。医者に通いながらも健康のためにとウォーキングを止められないらしい。健康のためなら体を壊してもいいということのようだ。なんともはや、おかしなというか、すさまじいというか、わけのわからない時代になったものだ。

先日、用事で大久保や市ヶ谷に行ったが、地下鉄やJR(今でも馴染めない名称だ)で乗り換えをするには、けっこう歩くし、電車内で立っているのも運動になる。都会に住む人間は歩くのが速いし、歩く姿勢もいい。交通が便利なところに住む方がよく歩くことになる、ということだ。田舎暮らしの人間は、ちょっとした距離でも車を使うことが多いので都会人より歩かないことになる。バスが頻繁に走っていた頃は、バス停までの往復でも乗り降りでもけっこう運動になっていたと思うが、バスの運行が激減してからは歩く機会が減ってしまったし、歩くのが億劫になった。年寄りを歩かせるには公共交通機関を整備することも一案ではないだろうか。

まあ、せいぜい歩いて、街中の不備なところを見つけては改善案を練ることにしよう。そうすれば、無駄に歩いていない、と自分を言い聞かせることになるかもしれない。

憲法を改正すると国民は何を失い何を得るのか

2月5日の朝日新聞朝刊の1面に、「参院選後に改憲国民投票」の大見出しが。とても目を引いた。小見出しには、「首相意向 議論開始へ」とあった。

改憲の議論を開始するというのもへんてこな表現だが、国会で議題にするということなのだろう。上記の新聞によると、船田元・憲法改正推進本部長は、改正のテーマは、「環境権、緊急事態(条項)、財政健全化(条項)あたりが候補となっている」と安倍首相に報告したという。

環境権や財政健全化が改憲のテーマになるというのもおかしな話で、それらは改憲しなければ進められない問題ではないだろう。政治家が本気になってやるかやらないかだけの問題だ。

改憲の目的は別のところにあることは、自民党の「憲法改正案」をちらっとでも見ればわかる。

 憲法が改正されれば国民の生活が向上し、国民が誇れる真に民主主義的平和国家として国際的に尊敬を集めることになるということであれば、国民にとって得るところは多いと言えるだろう。しかし、憲法が改正されることによって国民が失うものが多いとすれば、日本国の自殺行為になりかねない。国民投票を強引に推し進めるのは、全国民をそれに荷担させようしていることに他ならない。

憲法を改正すると、国民は何を失い、何を得るのか。悪巧みに荷担して、大事なものを失う愚を犯してはならない。

2015年1月12日月曜日

市町村開催の成人式はもう止めたらどうか

成人式とか成人祭と呼ばれている年中行事が今年も全国各地で開催されたようだ。そして、例年のように、参加した新成人が暴れたとかで会場が荒れたところがあったそうだ。どこでもそうだというわけではないだろうが、もう、市町村が公費と公務員を動員して成人式を開催する時代でもないだろう。会場が荒れたり騒ぎになったりするのは、“もう、止めた方がいいよ”というメッセージなんだろう。

やんちゃをしてみたい気持ちもわからなくもないが、わざわざ仮装大会並みに着飾って会場で目立とうとしなくてもいいのではないかとも思う。

「私は、こんなにバカなんです」と金と時間をかけてアピールしなくても、「あなたが救いようのないバカなのは十分に承知しています」と周囲の人は認めてくれているんですから。

市町村が、いったい幾らくらいかけて成人式を開催しているのは定かではないが、ある調査によると、50万円~300万円超のようだ。その調査では、成人式を開催する目的を聞いていて、回答の中には、「新成人に対してのサービス」とか「地域づくりに参加するきっかけづくり」、「青少年教育の一環」、「社会人としての自覚を高める」、「経済振興政策のため」なんていうのもある。

登別市の「平成22年度登別市事業仕分け結果」の中に、「成人として自覚を持つ一つの機会であり、成人となった青年を祝い励ます意義は認められる。全国に散らばっている同級生との絆を強める意味もある。ただ、成人式が地域づくりに参画する 契機となるとは考えにくい」という改善意見が記されている。

市町村にとっては成人式開催のための費用は全体予算から言えば僅かなものかもしれないが、いっときのバカ騒ぎに大切な税金を使うことは無能行政であることを首長も議員も住民も自覚しなければならないだろう。駆り出される公務員も、やってられない、と声をあげたらいい。

私は成人式に出たことはない。20歳の誕生日は一人で過ごした。ちょうど、新潮社からシェイクスピア全集が発刊された年で、最初の配本の2巻を購入し、「20歳の誕生日に」と表紙裏に書き込んだ。そして、今日は記念に美味いものを食う、と決めて、その土地の名物料理を大衆食堂で食べた。とても充実して満足の一日であった。

成人式に出なかったのは、そこの市と出身の市とでは、成人式出席資格が満年齢と数えの年齢とで違っていて、転居の時期がその狭間になったからどちらからも案内が来なかったからだが、友人の中にも成人式には出たことのないものが多かった。

成人式といっても、20歳で大人、なんて国は世界では少ない。多くは18歳だ。成人の年齢を定めた理由は国によりまちまちだが、いまの日本は子ども扱いの期間が長すぎるのではないだろうか。すでに立派な大人と言える段階に達している者たちが、20歳になって今日から成人だというのもわざとらしくて何となく気味が悪い。

総務省統計局によれば、この1年間(平成25年1月~12月)に,新たに成人に達した人口(平成26年1月1日現在20歳の人口)は121万人(男性62万人,女性59万人)で前年比1万人減だそうだ。もう少し解説をみていくと、つぎのようなことが述べられている。

この推計を開始した昭和43年からの推移をみると,第1次ベビーブーム世代の昭和24年生まれの人が成人に達した45年が246万人で最も多くなった後,減少に転じ,53年には152万人となりました。その後,昭和50年代後半から再び増加傾向を続け,第2次ベビーブーム世代の人が成人に達した時に200万人台(最多は平成6年207万人)となった後,平成7年に再び減少に転じて以降は減少傾向を続けています。平成26年の新成人人口は121万人,総人口に占める割合は0.95%となり,前年と比べると,1万人,0.01ポイント減となり,人口,割合共に過去最低を更新しました。

ということで、以下の表と図が掲載されている。


 
時代が下るにつれて、新成人はどんどん減少していく様子がわかる。その意味では、じぶんのバカさかげんをいじらしいほどアピールする呆気者(うつけもの)であっても、“貴重な存在”だから大事にしなければ、という気にはなるのかもしれない。
  
平成25(2013)年10月1日現在の60歳人口は170万人、65歳人口は221万人、70歳人口は163万人だから、20歳人口121万人よりも遙かに多い。
 
成人が20歳からと決められているのとは異なって、何歳から老人とか高齢者とかいう決まりは何もなくて、人口統計学上は65歳以上を老年人口と呼び習わしているだけだが、まあ、60歳ともなれば、元気だとか何とかとは関係なく、年齢が十分に高いということでは立派な高齢者なんだが、いっそのこと、60歳になった人を対象に成人式と併せて老人式を開催したらどうだろうか。それこそ金の無駄遣いと非難囂々かもしれないが。

2015年1月1日木曜日

2015年を迎えて

新年明けましておめでとうございます。

正真正銘のよい年になることを願わざるを得ません。皆々様のご多幸を心よりお祈り申し上げます。

今年も、ボチボチと拙い文章を書き連ねていこうと思います。引き続きご笑覧下されば幸いに存じます。