2017年12月5日火曜日

羽生棋聖が竜王戦に勝ち竜王通算7期になり永世竜王の称号を獲得し永世七冠を達成した

10月ころからツイッターを始めて、そちらに興味が湧いて、このブログをしばらく留守にしていたが、今日は書かずにいられない。

私が将棋棋士の羽生善治氏の大ファンであることは前にも書いたが、きょうの竜王戦第5局で、渡辺明竜王を87手で破り、4勝1敗で竜王位を獲得した。これで竜王位通算7期となって、永世竜王の称号も獲得した。と同時に、将棋の七大タイトルすべてで永世位を獲得し、永世七冠という前人未到の偉業を達成した。終局後の記者会見の様子をご覧ください。

今年に入って、王位と王座の二冠を若手に奪取されて棋聖の一冠だけになった羽生さんだが、竜王戦では、予選では強者が集う1組で優勝し、挑戦者決定戦では2勝1敗で松尾八段を破って挑戦者になった。

近年の竜王戦では、挑戦者決定戦で敗れたり挑戦者決定トーナメントで敗れるなど足踏み状態が続いていた。将棋ファンの多くは、羽生さんに竜王位をもう一期獲得して永世竜王の称号を得てほしいと思っていたが、難しいのではないかとも思っていたことだろう。

竜王といえば9連覇通算11期を誇る渡辺明氏と言われるほどで、羽生さんも2度挑戦して負けている。そのうちの一戦は、3連勝後の4連敗という将棋タイトル戦史上初の出来事で敗れている。

しかし、今回は違った。敗れた1敗は得意戦法とは言えない中飛車で戦った結果であるが、他の4勝は、どれも完勝といえる戦いっぷりだった。とくに今日の最終戦は見事なものだった。

昨日の封じ手からは全くミスのない攻め将棋で、87手という短手数で、激戦とは言えない圧勝dあった。2日制のタイトル戦といえば、2日目夜までかかることが多いが、きょうは、4時すぎという明るいうちに終わった。

大いに満足で、気分の良い一日であった。老妻曰く。「ほんとに、羽生さんの大ファンなのね」。

2017年10月17日火曜日

不在者投票へ行ってきた

投票日の日曜日に東京で用事があるので(選挙日程が決まるずっと前からの予定)、きょう、小雨の中を老妻と期日前投票に行ってきた。近くに何か所かあるうちの投票所の中では住民数が多い地域にある投票所だったせいか、列をなすほどに大勢が来ていた。

老女の二人連れが、「誰にしたらいいのか、わからない」と笑いながら話していた。まあ、そんなものかもしれない。「教えましょうか」と冗談言ったら、近くにいた老男(こういう言い方はないのが不思議)たちが、睨むように目を向けたので、「ははは」と笑って、その場を去った。

もし、その場で助言したり、声高に特定候補、特定政党を口にしたら、どうなんだろう。

投票所を出ると、たすき掛けの若い男性立候補者が一人でマウンテンバイクのような自転車を押して歩いていた。自転車走行禁止区間だったからだが、話しかけると、「これで一人で回っているんです」とのことだった。

期日前投票がすっかり定着した感がある。これなら、投票期間を最初から2週間くらいとればいいのに、とも思うが、経費や投票済み用紙の保管などの関係で大変か、とも思った。それでも、色々と工夫すれば、もっと簡単に投票できる方法があるような気もする。

ここずっと小雨模様の天気が続いていて、例年のように自宅庭で収穫した渋柿をつかって干し柿づくりをしたが、終日外に干すことができない。雨が当たらないところに出してはみたが、干すどころかかえって湿気てしまうようなので、玄関の土間で扇風機を当てっぱなしにしている。今年はおいしい干し柿ができそうもない。

2017年10月11日水曜日

田んぼの中で言いたい放題の安倍首相-稲が泣いている・・・

ネット上で評判になっている安倍首相の田んぼの中での第一声。亀岡候補は、首相が演説に来るので稲刈りを待ってほしいと農家に依頼したそうだ。

ネット上では、安倍首相を揶揄した次のような書き込みも見られる。面白い・・・

このあたりならですね、例えばですよ、ミサイルは飛んでこなさそうだという判断からでございます。国民の命を守るためには、まずですね、いいですか、まずは自分の命を守らなければいけないというのがですね、これはですね、李下に冠を正さずというじゃありませんか。

私はですね、この後ろの田んぼが示しているようにですね、広辞苑にもありますよ、「実るほど頭の下がる稲穂かな」でございます。これはですね、「学識や徳行が深まると、その人柄や態度が謙虚になる」ことのたとえでございます。実るほど頭(こうべ)を垂(た)るる稲穂かな」とも言うのでございます。でもですね、これは、学識や徳行が深い人のことでございます。ですからね、学識や徳行が深くないとですね、(後ろをふぃりかえって)本当ですね、首を垂れるどころか、倒れっちゃうんですね。

2017年10月9日月曜日

日本記者クラブ党首討論会

日本記者クラブの党首討論会をご覧ください。各党党首の発言内容と態度、表情から、誰が、どの党が、国民を幸せにし、平和な国を導いていくのか判断できるでしょう。

2017年10月5日木曜日

公明党も綱領で言うこととやってることとが一致しない-党名は、「こうめえても党」にしたらどうか

公明党の綱領を見てみた。綱領で言っていることと、いま、山口代表が安倍首相の僕(しもべ)のように奮闘していることとだいぶ違うんじゃないのか。自民党と同じく、羊頭狗肉だ。公明党ならぬ「こうめえても党」だ(ちょっと苦しいが、「こうめえても」は「こう見えても」のことと理解されたい)。

長くなるが、気が付いたところを抜粋しておく。いかに羊頭狗肉かがわかるだろう。

十八世紀以来の人権尊重の歴史的推移は、まず国家権力の干渉から個人の諸権利を守ることを主眼とした市民的・政治的自由権の確立として出発。次に国家に人々の生活の保障を求める生存権・社会的基本権へと発展。そして今日においては、平和にしても開発にしても、すべては究極目的である人権の実現――人間が人間らしく平和に幸せに生きることの保障である、との位置付けがなされるに至っています。

われわれの目標とすベき国内社会像は、「生活者優先」を基調とする、成熟した文化・福祉国家であり、その実現に全力を期していきます。

国家、行政、社会はすべて国民=生活者のためにあり、生活者に奉仕するという理念を確立すべきです。また、従来の生産者優先のあらゆる社会システムを見直し、生活者を重視した新たな制度・体制・機構を構築することです。

エコロジーを重視する立場から利潤と効率一辺倒の「経済の論理」や近代文明そのものに潜むゆがんだ自然観、地球観の見直しが欠かせません。

冷戦終結により第三次世界大戦・熱核戦争の脅威がやや遠のいたとはいえ、すでに膨大に蓄積された核兵器の存在は、種としての人類の絶滅をもたらすものです。

ラッセル=アインシュタインが提唱した「人類の全面的破滅を避けることは、他のすべての目標に優位すべきである」との、“人類的生存権”の原則に立つべきです。

わが国は、世界の繁栄と平和で公正な国際社会をめざし、国連中心主義の立場に立って国連を改革し、国連の役割強化を図るとともに、国連とわが国との連携強化を軸にした平和の確保や軍縮、緑の回復など地球環境保全、南北問題の解決などに積極的な役割を果たすべきです。

戦後、日本国憲法と地方自治法の制定によって地方分権が制度としては保障されたにもかかわらず、それを具体化するための中央政府からの権限移譲や事務の再配分、地方財政の抜本的強化が一向に進まず、今なお中央集権構造が続いているのが現実です。

われわれは、いかなる時代、いかなる社会にあっても、「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」との誓いを貫き、常に民衆の側に立つことを信条とします。われわれが内に求め、行動の規範とするのは、高い志と社会的正義感、モラル性、強い公的責任感、そして民衆への献身です。これこそ公明党議員が身上とすベき特質です。(平成六年十二月五日決定)平成十年十月二十四日一部改正)

かつては、こんなこともやっていたのに。いま、恥ずかしくないのか。


2017年10月2日月曜日

自民党は、この際、党の綱領や党名を変更した方が良いのではないか

自民党が、自由民主党の略称であることを知らない人もいるようだ。「自由」と「民主」という戦後の日本が戦前の日本と決別したことを象徴する2文字を結び合わせて作られている。とても立派な党名であると思う。

この党名がどのようにして決まったかについては、自民党の公式サイトに次のような説明がある。

最後まで問題になったのは、新党の名称でしたが、広く党内外に公募した結果、自由民主主義を最も端的に象徴する「自由民主党」に決定しました。

自民党の公式サイトには、以下のような立党宣言も掲載されている。

立党宣言
昭和三十年十一月十五日
 政治は国民のもの、即ちその使命と任務は、内に民生を安定せしめ、公共の福祉を増進し、外に自主独立の権威を回復し、平和の諸条件を調整確立するにある。われらは、この使命と任務に鑑み、ここに民主政治の本義に立脚して、自由民主党を結成し、広く国民大衆とともにその責務を全うせんことを誓う。
 大戦終熄して既に十年、世界の大勢は著しく相貌を変じ、原子科学の発達と共に、全人類の歴史は日々新しい頁を書き加えつつある。今日の政治は、少なくとも十年後の世界を目標に描いて、創造の努力を払い、過去及び現在の制度機構の中から健全なるものを生かし、古き無用なるものを除き、社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。
 われら立党の政治理念は、第一に、ひたすら議会民主政治の大道を歩むにある。従ってわれらは、暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃する。第二に、個人の自由と人格の尊厳を社会秩序の基本的条件となす。故に、権力による専制と階級主義に反対する。
 われらは、秩序の中に前進をもとめ、知性を磨き、進歩的諸政策を敢行し、文化的民主国家の諸制度を確立して、祖国再建の大業に邁進せんとするものである。
 右宣言する。

う~ん、すっばらしい!

「自主独立の権威を回復」とか、「平和の諸条件を調整確立」とか、「民主政治の本義」とか、「古き無用なるものを除き」とか、「社会的欠陥を是正することに勇敢」とか、「ひたすら議会民主政治の大道を歩む」とか、「個人の自由と人格の尊厳を社会秩序の基本条件となす」とか、「権力による専制と階級主義に反対する」とか、「知性を磨き」とか、「文化的民主国家の諸制度を確立」とか、素晴らしいことをたくさん言っている。自民党の公式サイトの説明では、この宣言で、「自由民主政治の基本精神を明らかにしました」とある。

そして、「党のあゆみ」を説明している中には、次のような記述がある。

 「党の性格」については、(1)わが党は国民政党である、(2)わが党は平和主義政党である、(3)わが党は真の民主主義政党である、(4)わが党は議会主義政党である、(5)わが党は進歩的政党である、(6)わが党は福祉国家の実現をはかる政党である、と規定し、「綱領」には、
一、わが党は、民主主義の理念を基調として諸般の制度、機構を刷新改善し、文化的民主国家の完成を期する
一、わが党は、平和と自由を希求する人類普遍の正義に立脚して、国際関係を是正し、調整し、自主独立の完成を期する
一、わが党は、公共の福祉を規範とし、個人の創意と企業の自由を基底とする経済の総合計画を策定実施し、民生の安定と福祉国家の完成を期する
と定めました。
 かくして、わが国戦後民主政治の発展に画期的な歴史を画する自由民主党の歩みは、ここに始まりました。なお、これより一カ月早く、社会党はすでに左右両派の統一をみていましたから、いわゆる保守・革新の二大政党時代が本格的に幕あけしたことになり、日本の政治は、これを契機として全く新しい前進を示すものと期待されたのです。

うーん、すばらしい。

長々と引用したが、これを読んで、いまの自民党に重ね合わせることができるだろうか。党名や国名、年号などを伏せて、どこの党のことを言っているのか受験生に問えば、どんな党名が出てくるだろうか。自民党所属議員や自民党員、自民党支持者にも問うてみたい。

あっ、一番先に安倍首相に問うたらいいのかもしれない。「これはですね、アメリカ民主党のことでございます」と言うかもしれない。また、「立党宣言」とか「党のあゆみ」、「綱領」を読んだことがあるかと尋ねれば、「つまびらかには読んではいませんが」と答えるかもしれない。

菅官房長官なら、「承知していない」とか、今の自民党とは大違いだが、と質問すると、「問題ない」と答えるかもしれない。

上で紹介した「党の性格」では、自民党は、「国民政党」であり、「平和主義政党」であり、「真の民主主義政党」であり、「議会主義政党」であり、「進歩的政党」であり、「福祉国家の実現をはかる党」だと言っている。こんな素晴らしい政党なら大歓迎だ。

ところが、まさに、羊頭狗肉という表現がぴったりのように、この何十年も、「立党宣言」や「党の性格」、「綱領」で言っていることとは正反対のことをやり続けてきた。その極みが現在の安倍政権だ。自由民主党の党名が、恥ずかしくて穴があったら入りたい、と叫んでいるにちがいない。早く党名を変えてくれ~、とべそをかいているだろう。

もっとも、憲法を踏みにじるくらいだから、「立党宣言」や「党の性格」、「綱領」なんぞを無視することくらい屁の河童なんだろう。

ということで、憲法改正を叫ぶ前に、立党宣言を破棄したり、党の綱領を改正したり、党名を変更したりすることの方が大事な大事な先決事項であることを安倍首相に日本会議が忠告してやったらどうだろうか。

とうとう枝野新党が誕生することになった-本物の政治家の集団となることを期待

おそらく、民進党支持者やリベラル派は、枝野新党が誕生することを今か今かと待ち望んでいたのではないだろうか。

枝野氏に感心するところは、軽挙妄動することなく、民進党代表代行としての役割をキッチリと果たすべく筋を通して前原代表の方針に期待をかけて代表を支持しつづけながら、民進党と民進党議員のためを思い(それは国民のためだとも思う)、代表と会談を重ねてきたことだ。組織人であることと民進党代表選挙の結果をしっかりと自覚して行動していたことだ。

そして、おそらく、そうした彼の行動を理解し、支えていた仲間が民進党内部に少なからずいて、彼らもまた、軽挙妄動をすることがなかった。軽挙妄動したのが前原代表と彼の支持者であったことと極めて対照的である。

前原代表は、“すまん、悪かった”と民進党員に謝罪して、「希望の党」の“選別審査”に申請し、小池代表に“私を排除しないで下さい”と再度頭を下げて、「希望の党」の一兵卒として頑張ることだ。

これまでに一連の“騒動”は、本物の政治家と国政を誰にゆだねればいいか/誰にゆだねたらだめかを誰の目にも明らかにしてきたが、そのことに拍車をかけたのが、小池「希望の党」代表とその取り巻き連中や民進党脱党者たちの度重なる妄言・妄動であった。

これを機会に民主党が再生して、現在の危い政治状況を一刻も早く一掃してほしいと願うばかりだ。不正とデタラメがまかり通り、トンデモナイ輩が空っぽの脳みそで好き放題に政治をもてあそび日本と国民を危い状態に陥れている。民主党が本物の政治家の集団として国政をリードして平和で嘘とデタラメのない豊かで世界に誇れる日本を作っていってほしいと願うばかりだ。

新党の名称が取りざたされているようだが、やはり民主党がいいだろう。短くて簡潔で、省略表現も必要がない(省略表現ができない)。そして、「希望の党」や「日本のこころ」、「日本維新の会」のように子どもだましのような知性のかけらも感じさせない名称と際立って対照的に感じさせるからだ。

2017年9月30日土曜日

小池百合子・松井一郎・大村秀章の3知事が連携して三途の川を渡るそうだ

報道によれば、30日の夜に、大阪府内で、東京都の小池百合子知事、大阪府の松井一郎知事、愛知県の大村秀章知事の共同記者会見が開かれたそうだ。その会見で、小池知事は、3知事が連携して「国内総生産で半分に匹敵する都府県で(日本を)けん引する」と大見得を切ったそうだ。

3知事が手にしているのは会見の際のパネルかなんかのようだが、「東京・・・愛知・・・大阪」と書かれた下に、「三都物語」とある。な~んだ、物語か。わざわざ会見なんかして、どんな物語をしたのかというと、その右側には。●しがらみのない政治 ●身を切る改革 ●真の地方自治の推進 とある。あ~、コメディだったんだ。見てみたかった。残念だ。私は、コメディが大好きだから。


この写真は、見ようによっては、「三バカ大将」を捩(もじ)って「三バカ知事」が「三都物語」演じているみたいだ。三者三様の表情もなかなかなものだ。

「三都物語」と書かれているが、「三途物語」の間違いなのだろう。3知事が手を携(たずさ)えて三途の川を渡ろうという雰囲気が醸し出されているようだから。ちなみに、三途の川と三途について辞書(広辞苑)を引くと、次のような記述がある。あれま、3知事にピッタリな感じだが、ビックリ! 驚いたね。役者がそろいすぎ、という声も聞こえる。

さんず‐の‐かわ【三途の川】
 人が死んで7日目に渡るという、冥土への途中にある川。川中に三つの瀬があって、緩急を異にし、生前の業ごうの如何によって渡る所を異にする。川のほとりに奪衣婆だつえばと懸衣翁けんえおうとの二鬼がいて、死者の衣を奪うという。偽経「十王経」に説く。みつせがわ。渡り川。葬頭川そうずがわ。

さん‐ず【三途】
 悪業をなした者が死後に赴く三つのあり方。猛火に焼かれる火途(地獄道)と、互いに相食む血途けちず(畜生道)と、刀・剣・杖などで迫害される刀途(餓鬼道)。三悪道。三悪趣。

【追記】
こんなのがウェブ上に流れていた。持参金なのか? 悪徳大学の受験料と寄付金をまねたのか? いずれにしても、ガメツイというか意地汚いというか、清廉さゼロだな。「希望」は金で買えるって言ってるわけだ。


こんなのもあった。

10月1日。若い人たちが頑張っている。デモ行進。民進党枝野代表代行が力強いスピーチ。



毎日新聞の動画はこちらから(2017年10月01日 19:20)。以下のような記事が添えられている。
安倍政権へ抗議デモ:民進党の枝野幸男代表代行の姿も 新宿
森友学園・加計学園問題の疑惑で、安倍政権に反対する市民らが1日、東京都新宿区で抗議のデモ行進を行った。また行進が出発する直前には、民進党の枝野幸男代表代行も姿を見せた。【撮影・後藤由耶】2017年10月1日公開

2017年9月29日金曜日

立候補者を選別するのは有権者であって仮面をかぶった魑魅魍魎ではない-「希望の党」はいい気になって勘違いするな

「希望の党」(またの名を「絶望の党」)の小池百合子代表をはじめとする仮面をかぶった魑魅魍魎は、民進党員を「希望の党」の公認にするか否かの選別を行うと公言している。

ちなみに、魑魅魍魎(ちみもうりょう)というのは、「山の怪物や川の怪物。さまざまのばけもの」(広辞苑)のことだ。

立候補者を公認するかしないかは、その党に権限があるのは当然であるが、今回の場合は、前原誠司民進党代表との協議した結果、民進党の現職は全員が「希望の党」公認として出馬するとの確約ができたから民進党の両院議員総会で満場一致で、前原代表の提案を了承したのではないのか。

そのこと自体が、有権者にとってはきわめて異常なことに映るが、その後に、安保法制や憲法改悪などを踏み絵にして公認するかしないかを選別すると言い出した。民進党現職の中には、情けないことに、公認してもらえるか否かを待つのは大学受験の合否を待つような不安な気分だというようなことを口にしている者もいるそうだ。

民進党からの脱党者である細野某は、三権の長を経験した者は公認しないと言ったそうだ。

審判を受けるみたいに、公認してもらえるか、してもらえないかが最大関心事になっている民進党議員もおかしくないか。お前ら、小池に雇われようとしているのか。政治理念を捨て去り、そんなに諂(へつら)ってまで、仮面をかぶった魑魅魍魎の下で何をさせてもらおうというのだ。

おれはこうだという矜持(きょうじ:自分の能力を信じていだく誇り。自負。プライド:広辞苑)をもって、お前らより政治家として優れていると主張できないのか。前原代表も、小池代表と協議をしたというが、何を話し合ったのか。一連の動きを見ていると、ペコペコと頭を下げて、仮面をかぶったお化けに、“女王様、何なりと申しつけ下さい。何でも言うことを聞きますので、どうかお助け下さい”とすがりついたとしか思えない。

狂っているとしか言いようがない。選ぶのは有権者である。「希望の党」は傲慢このうえない。いい気になって、とんでもない勘違いをしている。こんな党に国政を任せられるわけがない。

魑魅魍魎の仮面の下に隠されているものをうかがい知ることができる資料の一つを下に掲げておく。これは、2014年の衆院選の際に毎日新聞社行った立候補者アンケートに当時の小池百合子立候補者が回答したものである。画像をクリックすると拡大表示される。


2017年9月28日木曜日

腹が立つやら情けないやら-有権者をバカにするのも、いい加減にしろ

民進党の両院議員総会で「希望の党」との合流が決まったそうだ。詳しく論評する気にもなれない。ただ。腹が立つやら情けないやらで、気分が悪い。

よくわからんが(じゃあ、しゃべるな、と影の声も聞こえるが)、前原誠司とか小池百合子とか、なんじゃ、あの二人は。どう考えても、日本をよくするとか、国民のために懸命に働くという政治姿勢が微塵(みじん)も感じられない。

バカヤロー! これだけ書けば十分だろう。まったく、腹が立つ。腹が立ってしょうがない。ほんとに、まったく。

驚いたね-「希望の党」は10年以上も前にあったんだ:小池知事はパクリか

驚いたね~、というのは、今は引退しているが、将棋の中原誠十六世名人が現役時代に、そんな手があったのか、というときに、決まって口にした言葉だ。

たまたま目にしたウェブに、「国民が選挙に行かず、「希望の党」という独裁政権が誕生し、恐ろしい日本になるという作品があった!」というタイトルで、12年前の2005年に総務省と明るい選挙推進協会が選挙キャンペーンとして制作した短編映画が紹介されていた。20分の短編作品だ。監督は「デスノート」を作った金子修介で、渋谷飛鳥や木下ほうか、楳図かずおらが出演している。

「希望の党」が政権をとると、選挙に3回行かなかった有権者は選挙権をはく奪され、代わりに政治的関心が強ければ高校生などの未成年者に特別選挙権が与えられることや生類憐みの令によって動物を可愛がらない者が逮捕され、裁判官は被告が気に食わないからと痴漢犯に死刑を宣告するような事態が進行するようになった。そして、戦争が起きて未成年が兵隊にとられる。そこまできて、選挙に無関心だった父親もようやく娘が言っていた選挙の重要性を認識して狂わんばかりに反省して過去に戻りたいと霊能力者に泣きつく、というのがあらすじ。

ユーチューブにずっと載っていたようだが、こんな選挙キャンペーン映画があることは知らなかった。選挙キャンペーン映画としては秀逸である。いまなら、とんでもない大学がじゃんじゃん作られたり原発事故処理のでたらめさや辺野古埋め立て問題、憲法改悪、Jアラートなど題材に事欠かないだろうし、登場人物も、安倍首相や昭恵夫人、菅官房長官、麻生副総理、下村博文、稲田、和泉、萩生田、佐川、松井大阪府知事、その背後に控える日本会議の面々など、キャラクターも選り取り見取りで、オールスターキャストでアカデミー賞候補になるくらいの素晴らしい選挙キャンペーン映画を作ることができそうだ。電通に発注してはどうかな(ちなみに、上の作品は博報堂制作と書かれていた)。

【追記:2017/10/8】
朝日新聞デジタルによると、上で紹介した動画は削除されたそうだ。以下に、記事の抜粋を載せておく。

小池百合子都知事が同名の新党設立を発表すると動画サイトのアクセス数が急増。公示を控えて動画は削除された。当時は明推協のホームページで配信したが、12年からは金子監督が「ユーチューブ」にアップ。9月25日に小池都知事が「希望の党」の設立を発表すると、視聴回数は累計14万回を超えた。10日の公示を前に、明推協は「当時は架空の名称であった『希望の党』が現実のものとなり、誤解を招く恐れがある」と金子監督に削除を依頼。監督も了承した。監督は「安保法制が成立し、北朝鮮との緊張関係も増している。ブラックジョークとして考えたことに、現実が近づいている気がしてならない」。今回の衆院選について「戦争と平和、どちらに向かうのかを問い直す選挙。私の作品が現実を予言したと言われるような時代など、来てほしくありません」と述べた。

2017年9月27日水曜日

記憶力の衰退した政治家や官僚に贈る絶品

老妻とお喋(しゃべ)りしていたとき、近くのたまに行く小規模の商業複合施設の名称が二人とも思い出せなかった。二人して、「あれ?」と言って、ああでもない、こうでもないと思いつくままに色々と上げてはみたものの、どれも別のスーパーや複合施設ばかり。

最近こういうことが多くなって、二人で競い合うように思い出し比べをすることが一種の楽しみになっている。先に思い出した方は嬉しがり、そうでない方は、「すごい!」と単純に感心する。

認知症の初期症状ではないことは“確認済み”だから、これがいわゆる老人性健忘症か、と老いを実感する。

10%割引の案内に誘われて別の安売りスーパーに買い物に出かけるついでに確かめようと車を走らせた。そして、通りすがりに、その商業複合施設の看板に書かれている名称を見て、二人して大笑いをして、「なーんだ」ということになったが、「思い出せないもんだね」と二人して少々落ち込んだ。

安売りスーパーで買い物をしているときに、すごいものを見つけた。「記憶力を維持する」と銘打ったガムである。早速購入した。


裏面には、ちっちゃい字で次のような能書きがある。「イチョウ葉フラボノイド配糖体及びイチョウ葉テルペンラクトンは、中高年の方の、認知機能の一部である記憶力(言葉や図形などを覚え、思い出す能力)を維持することが報告されています。本品は、事業者の責任において特定の目的が期待できる旨を表示するものとして、消費者庁長官に届出されたものです。ただし、特定保健用食品と異なり、消費者庁長官による個別審査を受けたものではありません」。

ガムにしては堅苦しくて難しい能書きであるが、このネーミングには感心する。言いたいことが素直にそのままである。「希望の党」や「日本のこころ」なんていう小学生じみて気恥ずかしくなる政党名に比べると、消費者の心をぐっとつかんで購買欲をそそるセンス抜群の商品名だと思う。

早速、老妻と二人で、くちゃくちゃと“噛みしめる”。なんとなく、記憶力が維持されそうな気がするが、何粒を口に入れたかわすれてしまった。12粒入りだから残りを数えたが、値段がいくらだったかは思い出せない。

ともあれ、事実を突き付けられても「記憶にない」を連発してきた政治家や官僚に、バカにつける薬に替わって、このガムを大量に贈ってやろうかとかと思うが、どうだろうか。

2017年9月26日火曜日

有権者はバカではない。なめたらいかんぜよ-「国難突破解散」に失笑

安倍首相が報道ステーションに出演していたのには驚いた。国会を開催せずにテレビに出演して、相も変わらず筋の通らないことを脳細胞を経由することなく吐き続ける。

加計孝太郎氏との関係についても、学生時代から親友として長く付き合い続けることができるのも、互いに利権がらみではなかったからのようなことを言っていた。前々からそのようなことを言い続けているが、誰の入れ知恵だろうか。あまりにも見え透いた嘘を、息を吐くように言い続ける度胸には恐れ入谷の鬼子母神である。

司会者が、軍事衝突の危険に関して、日本は軍事行動を起こすのか否かを尋ねても、それには答えずに、テーブルにはあらゆる対応策が載っているとか、どの国も平和解決を望んでいるとか、話をはぐらかしていた。

森友・加計問題についても、国会で問われれば引き続き答えるようなことも言っていた。その場限りの言い逃れ上手は、誰に指導を受けたのか。

テレビ出演の前に行われた記者会見では、「国難突破解散」だと言ったとのこと。誰の入れ知恵か知らないが、国難を生じさせてきた本人が言うのだから、洒落にもならないというかブラック・ジョークだ。記者会見場で思わず大勢が失笑(笑ってはならないような場面で、おかしさに堪えきれず、ふきだして笑うこと:広辞苑)したとは伝えられていない。

これほど有権者をバカにしきった国政運営を続けた政権はないだろう。安倍首相と麻生大臣、菅官房長官の国民愚弄三羽烏や手下の閣僚たち、時代錯誤そのままに国会と有権者を無視して幽霊語で放言する二階堂幹事長や竹下総務会長などの自民党幹部や雲隠れ模様の嘘つき下手の下村元文科大臣など、政治家として首をかしげざるを得ない面々が国難を惹起してきた。

そうした面々が、国民に多大の迷惑と損害を与えたことに対して申し訳ないと辞職するのなら話はわかるが、政治家としての責任感も倫理観もなく、何事も他人事のように、いけしゃあしゃあとしていることに、「なめたらいかんぜよ」と鬼龍院花子の名台詞(めいぜりふ)を贈ろうではないか。

2017年9月24日日曜日

現在の危険なムードに疑問と怒りを感じないのは日本を悲惨な結末に陥れる手伝いをしていることになる

とても危険なムードが日本を覆っている。

深く考えたり調べたりすることもなく、思いつきと自分が容易に理解できる範囲の内容の情報しか受け入れることができず、それを超える情報や知識は、自分が理解・納得できるように曲解する。

安倍首相を先頭に、そんな無知で無思慮で自分勝手で思い込みの激しく、研究というよりも勉強すらしていないことが露骨に表れている連中が、日本を危険に陥れるようなことを何の躊躇もなく、言ったりやったりしている。

そして、そうしたことを煽るがごとくに、政治ジャーナリストだか政治評論家として知られている奴儕(やつばら)や、これを機会にテレビデビューしました顔の若い得体のしれない笑顔を振りまく〇〇の研究家だか△△に詳しいと紹介される人物がわけ知り顔で放言(思うままに言いちらすこと。また、無責任な発言:広辞苑)しては、バラエティ番組を盛り上げている。

なんだ、こいつらは、というのが正直な感想で、なんでこいつなんかがテレビでもてはやされるんだと気分が悪くなる。まあ、これも、怪しげな商品の紹介にある「個人の感想です」と言うこともできる。

麻生大臣が(まだ、大臣や副総理やっているのが不思議だが)、また、暴論を吐いた。

報道によれば、彼は、23日に宇都宮市内での講演で、朝鮮半島から大量の難民が日本に押し寄せる可能性に触れたうえで、「武装難民かもしれない。警察で対応するのか。自衛隊、防衛出動か。射殺ですか。真剣に考えなければならない」と語った、ということだ(動画はこちら)。

何とかにつける薬はないの好例としか言いようがない。聴衆は、これを聞いて喝采したのがブーイングがあったのか、そして、どこの誰が講演会を企画し、彼なんかを演者として招いたのか報道からだけではわからない。調べるのも億劫だが、どうせ仲間内の怪しげな団体だろう。

酔っぱらって酒のつまみとして無責任な戯言をぬかしているのならバカな老いぼれと軽蔑して無視しておけばいいが、いやしくも一国の大臣とあろう者が、素面(しらふ)で本気に得意げに公の場で大勢(参加者数も不明だが)に向かって、「武装難民かもしれない」などという荒唐無稽な作り話をし、難民の実情を全く知らず、真剣に考えたことも調べたこともないことをさらけ出す低能ぶりで「難民を警察や自衛隊が射殺」などと、麻生大臣の愛読書と言われる漫画でも描かれないようなことを臆面もなく言うなんて、日本人として恥ずかしいやら情けないやらを通り越して、吐き気がする。こんな奴が閣僚として高給をとり、高額な政治資金を無駄遣いしていることが許されるわけがない。

ちなみに、麻生大臣の公式ウェブサイトを覗いてみると、「活動記録」は2011年5月27日の「スポーツ議員連盟総会」出席が最後になっており、「活動・論文」のところには、2008年3月以降は何も書かれていない。要するに活動していないということであり、眠っているということだ。国会に出席している時の様子は、政治家として長いこと活動休止していることを国民に知ってもらいたいための賢明なアピールだったということのようだ。それとも、眠ったふりして、自らのウェブサイトにかけない悪さを長いことやり続けているのかもしれない。



【ワシントン共同】米国が南シナ海や東シナ海で中国と軍事衝突した場合に米軍が米領グアムまで一時移動し、沖縄から台湾、フィリピンを結ぶ軍事戦略上の海上ライン「第1列島線」の防衛を同盟国の日本などに委ねる案が検討されていることが15日分かった。昨年7月に陸上幕僚長を退職した岩田清文氏がワシントンのシンポジウムで明らかにした。
 米軍を中国近海に寄せ付けない中国の「接近拒否戦略」に対応するためで、中国が開発した「空母キラー」と呼ばれる対艦弾道ミサイル「東風21D」による空母撃沈を避ける狙いがある。実際にこの案が採用されれば、自衛隊の役割拡大が求められるのは確実だ。

トンデモナイことが書かれていることがわかるだろう。これが、安倍首相の言う集団的自衛権だ。「近いところは、お前のところがやれ。俺たちは空母が沈められるのは困るから、空母を持っていない日本なら構わないだろう」と言われているということだ。

対中国にしろ対北朝鮮にしろ、アメリカが軍事衝突した際には、アメリカは、自国の領域は自分で守るが、それ以外の領域は日本に任せるということだから、アメリカが守ってくれるから日本もそれなりの協力を、なんてことではないことが明らかだ。もし、日本が、中国や北朝鮮と軍事衝突することがあれば、アメリカは、すぐに駆け付けて日本と共同で戦ってくれるというわけではなくて、自国の領域に影響が及ばない限りは遠くから傍観しているという案だと言うことだ。

中国も北朝鮮も、この案は当然承知しているだろうから、安倍首相や取り巻き連中がトランプに迎合してアメリカの力を頼りに過激な発言をしていい気になっていることを笑っていることだろう。外交に懸命になって努力せずにアメリカの武力と安保条約に頼り切ってというか心底信じてというか、全く幼稚で浅薄(せんぱく:学問や思慮が足らず浅はかなこと。広辞苑)な知識で物事を独りよがりに判断し、それを人に押し付ける最悪な首相と閣僚たちだ。

そんな連中に政治をゆだねていることに疑問と怒りを感じないのは、日本を悲惨な結末に陥れることに協力していることになる。そして、その付けは自分たちに回ってくることを、真剣に物事を考えたことなどありそうもない麻生大臣も言うように、真剣に考えなければならない

2017年9月21日木曜日

いま、日本にとって一番危険な人物は・・・

報道によれば、20日午後(日本時間21日未明)の国連総会で一般討論演説を行った。

国連総会での演説ということだから、国連加盟のすべての国の代表者や関係者が会議場に参集して拝聴するものと思っていたら、そうじゃないらしい。聴きたい演者の演説だけを聴けばいいようだ。まるで、研究者が集う学会大会などで、関心を集めない発表が並ぶ会場で、聴衆がパラパラとしかいない会場風景のようだ。

テレビでは会場全体が放映されなかったが、ウェブ上には以下のような会場風景が掲載されていたので拝借する。安倍首相が “ 力を込めて懸命に演説している ” のに、大きくて立派な総会会議場はガラガラで、リハーサルをしているのか、はたまた休憩時間かと思うほどだ。ちなみに、3枚目の画像は、トランプ大統領が演説したときの会議場の光景だ。比べてみれば、なんとま~・・・。

安倍首相の演説を聴こうとするのは物好きか変わり者か、昼寝をしに来たのか内職をしに来たのかと思わざるを得ない。大多数は、愚にもならない演説を聞くより、会場外で他国の代表らと意見交換したり、遊びに出かけていた方が実り多いと判断したのだろう。世界の多くの国の代表は正直でまともということか。





安倍首相の演説を最前列でメモを取りながら、無表情にというか面白くなさそうにというか、聞いていたのは、北朝鮮のメンバーとのこと。いわくありげで不気味ではある。


ウェブにはいろいろと画像を掲載してくれる人がいる。拝借する。順に、フランスのマクロン大統領、イスラエルのネタニヤフ首相、イランのロウハニ大統領、カタールのタミーム首長。聴衆が安倍首相の演説の時よりもはるかに多いことが見て取れる。





ウェブ上では、中曽根康弘、細川護熙、河野洋平、鳩山由紀夫の各氏が国連総会で演説した時の画像も掲載されている。聴衆の数は安倍演説の時よりもはるかに多い。鳩山由紀夫首相(当時)の演説では満員の盛況であった。

どんな内容の演説だったかは、安倍首相の広報誌と見なされている産経新聞が、ご丁寧に演説の全文をウェブ上で公開している。それを読んで、以下には私が印象に残ったところを抜粋しておく。

 日本がどこまでも守りたいものとは、フリーで、リベラルで、オープンな国際秩序、多国間の枠組みであります。
 われわれが営々続けてきた軍縮の努力を北朝鮮は一笑に付そうとしている。
 対話による問題解決の試みは、一再ならず、無に帰した。
 何の成算あって、われわれは三度、同じ過ちを繰り返そうというのでしょう。
 北朝鮮に全ての核・弾道ミサイル計画を、完全な、検証可能な、かつ、不可逆的な方法で放棄させなくてはなりません。
 そのため必要なのは、対話ではない。圧力なのです。
 「全ての選択肢はテーブルの上にある」とする米国の立場を一貫して支持します。
 必要なのは行動です。北朝鮮による挑発を止めることができるかどうかは、国際社会の連帯にかかっている。
 残された時間は多くありません。

自分の超過激な演説に酔っている感じがすることと、安倍首相の日本国内での日頃の言動から「フリーで、リベラルで、オープンな」とか「検証可能な、かつ、不可逆的な方法」なんて表現が飛びだすとは意外というか意味が分かっているのかと訝(いぶ)しい。人の振り見て我が振り直せという諺(ことわざ)を教えてやらなければならないだろう。
そのため必要なのは、対話ではない。圧力なのです」というのは、対話を拒否したり、はぐらかしてまともに対話をしようとしない安倍首相らしいといえば、らしさ丸出しと言えようか。
残された時間は多くありません」というのも、安倍政権のことか、安倍首相や昭恵夫人に司直の手が近づいていることに対する危機意識にもとれそうだ。
「全ての選択肢はテーブルの上にある」とする米国の立場を一貫して支持します」、「必要なのは行動です」というのは、もはや軍事行動=戦争をしかけることを世界各国に訴えているかのようだ。そして、日本は、その準備があることを自信満々に宣言したかのようである。

安倍首相は、トランプ大統領が先頭になって戦争をしてくれると思い込んでいるようだ。トランプ大統領は、“安倍君、そこまで言うなら、まずは、北朝鮮に近い日本が先陣を切って、戦争をおっぱじめてくれ。その様子を見て、参戦するかしないか考えてみる”と言うかもしれない、なんてことを安倍首相は考えたことがあるだろうか。

国民に命を差し出せと言っていることと同じであることをわかっているのだろうか。一触即発の事態になれば、自衛隊員だけでなく、多くの国民が血を流す危険を招くことは目に見えている。そうなっても、自分(たち)だけは大丈夫と思い込んでいるから、平気で過激な発言を繰り返すのか。どんな脳細胞なのか頭の中を覗いてみたいものだが、空っぽだったりしたら・・・。

何を望んで、そんなに過激な発言を繰り返すのか。それによって、日本は何か得られることがあるのだろうか。得られるとしたら、大いなる危険だけではないのだろうか。

われわれが営々続けてきた軍縮の努力を北朝鮮は一笑に付そうとしている」というが、安倍首相は、軍縮の努力を営々と続けてきただろうか。それは、ちがうだろ~
国際社会に向かって嘘を言ったらいかんだろ~

衆議院を解散して、そして、北朝鮮問題で危機を煽り、疑惑の隠蔽を図ろうとしているとしか思えない安倍首相こそが、いま、日本にとって一番危険な人物ということだ。対話を拒否し続ける安倍首相とその取り巻き連中に政治の舞台からさっさと引退してもらうためには、安倍首相自らが言うように、「必要なのは、対話ではない。圧力なのです」。そして、「必要なのは行動」だというから、そのようにしようではないか。

2017年9月18日月曜日

最善の安全保障策は優れた政治家を選ぶことだ-老人よ覚醒せよ




報道によれば、9月15日早朝に北朝鮮がミサイルを発射した3分後の午前7時にJアラート(全国瞬時警報)が12道県(北海道、青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県、茨城県、栃木県、群馬県、新潟県、長野県)の617市町村という広範な地域に発信され、「建物の中、または地下に避難してください」と呼びかけられたそうだ。そして、その7分後に、「ミサイルは北海道地方から太平洋へ通過した模様」と伝えられたそうだ。

当該12道県の総人口は、2千5百47万9千人(2016年:総務省統計局:2017年4月14日公表)である。早朝であるとはいえ、通勤・通学での人の移動を考えると、当時、当該道県にいた人の数は人口統計の数字とは異なるだろうが、2,000万人を優に超える人々が一斉に避難行動をする姿が想像できない。

実際にどのような避難行動をしたか報じられていないから何とも言えないが、Jアラートを発した政府は、Jアラートを発するたびに、発せられた地域の人々が本気になって対応をしたら、どれだけ混乱が生じるか慎重に検討しているのだろうか。

もっとも、北朝鮮のミサイルの発射に際してJアラートを発しても、国民の多くはミサイルが日本を直撃するなどとは考えていなくて、安倍政権お得意の無思慮で頓珍漢な自分よがりの無策に等しい駄策悪策(造語です)とみなして普段通りの生活を粛々と営むだろうから、まあ、Jアラートを発して広範囲に避難を呼びかけても許してくれるだろうぐらいにしか思っていないのだろう。その証拠に、安倍首相はじめ政権の面々は、Jアラートを発していながら、どんな行動をとっていたのだろう。大騒ぎの割には、特に変わった様子も報道されていないような気がする。

北朝鮮のミサイル発射に危機感を煽り続けている安倍政権だが、13日から15日にインドを訪問して、昭恵夫人とともにインドの衣装を着てパレードをしてもらい、名所旧跡を案内されてご満悦の日々を過ごしている。何とも違和感を覚え、とても恥ずかしくなる光景である。いい気なもんだ、というのが率直な印象である。以下の写真は首相官邸のウェブサイトから。動画は、こちらから。








インド訪問では、外務省のウェブサイトに以下のようなインドに対する経済協力(円借款及び無償資金協力に関する書簡の交換)の内容が掲載されている。

円借款案件の概要及び供与条件案件の概要
(1)ムンバイ・アーメダバード間高速鉄道整備計画(1,000億円)
この計画は,マハラシュトラ州ムンバイからグジャラート州アーメダバード間において,日本の新幹線システムに基づき,高速鉄道及び研修施設を建設することにより,大量かつ高頻度な旅客輸送システムの構築を図り,もってインド国内広範囲における効率的な旅客輸送システムの実現を通じて,連結性の強化に寄与することが期待されます。
(2)グジャラート州アラン及びソシヤ地区シップリサイクル環境管理改善計画(85億2,000万円)
この計画は,グジャラート州アラン及びソシヤ地区において,シップリサイクル(船舶の解体・撤去)関連施設等を改善し国際条約に適合するシップリサイクル方法を導入することにより,シップリサイクルにおける環境管理及び労働衛生管理の改善を図り,もって同国の環境保全と持続的産業発展を通じて,産業競争力の強化及び持続的で包摂的な成長への支援に寄与することが期待されます。
(3)北東州道路網連結性改善計画(フェーズ2)(386億6,600万円)
この計画は,インド北東州地域において,国道40号線の改良及び国道54号線のバイパス新設等を行うことにより,同地域内及び国内外他地域との連結性向上を図り,もって同地域内の経済開発を通じて,連結性の強化に寄与することが期待されます。
(4)コルカタ東西地下鉄建設計画(第三期)(259億300万円)
この計画は,西ベンガル州のコルカタ都市圏において,大量交通輸送システムを建設することにより,増加する輸送需要への対応を図り,もって同都市圏の交通混雑の緩和と交通公害減少を通じた地域経済の発展及び都市環境の改善を通じて,産業競争力の強化に寄与することが期待されます。
(5)グジャラート州投資促進プログラム(168億2,500万円)
この計画は,グジャラート州において,財政支援を通じて海外直接投資等の民間投資促進や産業振興,産業人材育成に関連する政策・制度の改善を促すことにより,同州の道路,電力,水道等のインフラ投資環境の整備を図り,もって同州に対する海外直接投資等の民間投資増加を通じて産業競争力の強化に寄与することが期待されます。

円借款案件の供与条件
 上記(1)

  (ア)金利年0.10%
  (イ)償還期間50年(15年の据置期間を含む。)
  (ウ)調達条件タイド
 上記(2),(3)及び(4)

  (ア)金利年1.20%(コンサルティングサービス部分は年0.01%)
  (イ)償還期間30年(10年の据置期間を含む。)
  (ウ)調達条件一般アンタイド
 上記(5)

  (ア)金利年0.60%
  (イ)償還期間15年(5年の据置期間を含む。)
  (ウ)調達条件一般アンタイド
無償資金協力案件の概要
   ヴァラナシ国際協力・コンベンションセンター建設計画(22億4,000万円)
この計画は,ヴァラナシ市において国際協力・コンベンションセンターを建設することにより,国内外の人的・文化的交流の促進を図り,もって観光分野の振興を通じた産業競争力の強化に寄与することが期待されます。
円借款は合計で1,899憶1,400万円に上る。償還期間は最長50年である。無償資金協力も少なくない金額である。

日本が、多額の国際援助をしていることはよく知られている。JICA(国際協力機構)の2016年の『年次報告書』(2015年度実績)を見ると、世界150か国・地域に対する資金援助は以下のようである。

〇日本全体のODA実績(暦年実績。支出総額。東欧・卒業国等への支援を含む) 1兆8,351億円
〇 JICAの技術協力事業等の経費実績(資金協力・管理費を除く) 1,917億円
〇 JICAの有償資金協力実績(新規L/A承諾) 2兆2,609億円
〇 JICAの無償資金協力実績(新規G/A締結) 1,117億円


そして、これまでの累積金額は、33兆2,972億円と記されている。また、無償資金協力案件一覧(2015年度実施分)には、154件(58カ国・地域)に 1,116憶8300万円とある。

国際協力に多額の金額を国家予算から支出することに文句を言おうとするわけではない。日本が途上国の発展に協力することは大いに進めるべきである(その方法や多額の資金の使い方、援助の仕方に問題がないわけではないが)。しかし、である。

安倍首相が、国内の経済、政治にデタラメばかりを繰り返して問題を起こし、解決に何らの方策も講じず、責任も取らずに、いけしゃあしゃあ(人にどう思われようが、つら憎いまで平気でいるさま:広辞苑)と得意になって国際協力に大盤振る舞いをしていることは何ら褒められたことではないばかりか、許せないことである。

北朝鮮の脅威を煽り、戦争準備をするがごとくに防衛費を増額して、アメリカから兵器を高額で購入する。Jアラートで国民の命を守る振りをする。Jアラートが発せられたら、建物の中や地下に避難し、近くに建物や地下が無い場合には、頭を抱えてうずくまるように勧める。ミサイルや核兵器の脅威を煽ることと勧めている避難の仕方との落差の大きさには呆れるというか国民をおちょくるのもいい加減にしろ、といいたい。

このブログで前にも書いたが、技術的に詳しくなくても、超高速で超高空を飛ぶ大陸間弾道弾(ICBM:intercontinental ballistic missile)を空中で迎撃することは至難の業であることはわかる。技術の粋を集めて迎撃兵器を作ったとしても、そして、また、それを購入して配備したとしても、お守りやおまじない程度の気休めになったとしても、防衛には何の役にも立たない。作ることと、その兵器が有効であることは別問題である。

もし、迎撃兵器が目的通りに機能するならば、誰も攻撃用のミサイルを飛ばそうなどと考えるわけがない。攻撃用ミサイルは全くの無駄になるだけだからである。迎撃兵器が役に立たないことが明々白々だから、攻撃ミサイルを夢中になって開発しようとするのである。こんな常識的なことがわからないとすれば、クルクルパーである。

野球では、3割打者は好打者である。たった3割しか打てなくても誉めそやされる。それだけ投手有利で打者不利のゲームである。打ち損じの方が7割と遥かに多くても許されるどころか感心される。抗がん剤の奏効率の基準は2割と言われている。ここでいう奏功(効果が現れること)とは、がんが縮小することで、完治したことではない。抗がん剤治療が開始されてから4週間の間に、その治療を受けてがんが50%縮小した患者の割合が2割ということである。これでも、その抗がん剤は奏効率が高いと判断される。

迎撃ミサイルや政府が推奨する避難の仕方の奏効率がどれほどだがわからないが、大量殺戮兵器の奏功率は極めて高いことだけは過去の数々の実例を挙げるまでもなく、誰でもがわかっている。高度の兵器を用いるときには、攻撃有利・迎撃不利、しかも、圧倒的に攻撃が有利である。武力で防衛するということは、迎撃用兵器を配備することことではなくて攻撃用兵器を大量に抱えることである。いまの北朝鮮は、その好例である。北朝鮮が迎撃用兵器を配備しているということを聞いたことがない。

では、なぜ、役に立たない迎撃兵器などを考案したのだろうか。答えは簡単である。本当は、誰も大量殺戮兵器など使いたくはないからである。もし、攻撃ミサイルを完全に迎撃できれば、他国をミサイルで攻撃しようなどと思わなくなるだろうという期待というか幻想があったからだろう。だから、とにかく迎撃ミサイルを作って配備することが目的になったのである。しかし、迎撃ミサイルの性能向上は、攻撃ミサイルの性能向上を上回ることができないことも明らかになった。

もう、ここまで言えば、膨大な国家予算を投じて武力による安全保障を図ろうとしても、そんなことは何ら安全保障の手段になり得ないと結論付けるほかはないだろう。建物や地下に入ったり、頭を抱えてうずくまることを避難訓練で体得しても、身の安全を守ることはできないのである。

避難訓練に精を出すことよりも、武力に頼らず、真に平和を愛し、国民の安全と幸福を願い、諸外国から羨望のまととなるような豊かで平和な国づくりに平和憲法を武器にして懸命に取り組む頭脳明晰で不正を許さない優れた政治家を選ぶことこそが、国の安全保障にとって最も賢明で有効な方策であろう。

学校では、ミサイル着弾に備えて生徒に役にも立たない避難訓練させるよりも、真に平和を愛する政治家とはどんな人物かを教えることの方が遥かに生徒の安全につながり、恒久平和の担い手を育成することになるだろう。

どの選挙でも常に高い投票率を示し、有権者の中でも次第に高い割合を占めるようになって来た高齢者には、平和国家を維持・発展するためには、どのような政治家を選ぶべきか手本を見せてほしいし、高齢者には、そうすることが次の世代に対する責任であることを肝に銘じてもらいたい。クルクルパーが寄って集(たか)って軍事国家にしようとしている現在の日本を座して見ているのは、次世代に対する責任放棄であるだけではなく、犯罪に加担するようなものである。

そんなこと言ったって、攻撃されたらどうするんだよ、という声が出そうだが、攻撃されたら、その時点で負けである。攻撃されないように、戦争は、勝者も敗者もなく悲惨な結果だけが残る忌まわしいものであることを知らしめることができなければ、政治家は、政治家として失格であることを肝に銘じなければならないし、国内外に向けてそうした説得ができない政治家を選んだとしたら、それは国民の責任であり、大恥である。

折しも、安倍首相は、衆議院の早期解散を決めたそうだ。森友問題や加計問題、南スーダンの日報問題など、何一つ責任をとることもなく、支持率が幾分かは回復したからといって、内閣改造をしたばかりで、「仕事人内閣」だとか「人づくり革命」だとかぶち上げといて、何の仕事もしないままに解散総選挙に多額の公金を消費しようというわけである。最後まで無駄遣い内閣を押し通そうというつもりなのか。

総務省の「平成25年行政事業レビューシート」によれば、平成24年12月16日に実施した第46回衆議院議員総選挙では、587億5,300万円が使われている。今回も同程度か、それを上回る税金が不正隠しと自己保全のための総選挙で使われる。こんな政権を平気で見逃すとしたら、国民は自分の首を絞めるだけだ。

国民を愚弄した悪政をし続けてきて何ら責任を取ることもせずに舌先三寸で言い逃れてきた安倍政権を許して脳天気のままに税金を払い続けることができるとすれば、まさに正気の沙汰ではないだろう。国民の正気を取り戻すために、老人よ覚醒せよ

2017年8月31日木曜日

なぜ、賢くもない人間がリーダーとして君臨するのか-人間社会の不思議か

「つれづれなるままに、日くらし硯(すずり)にむかひて、心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」というのは、徒然草の冒頭の一文であるが、 天才数学者たちの業績と人生に関する翻訳本を読んでいて、ふと、思ったことがあるので、つれづれなるままに日くらしパソコンに向かって・・・。

世に天才や本当に頭脳明晰な人間は少なくないが、そうした人たちが組織や活動のリーダーになれない/ならないのは、なぜだろうか。

何を今更、そんな甘いことを言って、人生経験が足りないんじゃないか、と言われそうだが、ちょっと歴史についてかじってみても、そして、在職中の経験や毎日報道される政治家の動向から、さらには大企業や官公庁をめぐる事件について否応なしに飛び込んでくるニュースから、どう見ても頭脳明晰とは到底言えないような者たちが、浅知恵・半可通を恥じることなく、ヌケヌケと言ったりやったりできるのか、不思議に思わざるを得ない。

そして、もっと不思議なことは、そうした輩を支持し、従う者たちが多いことだ。

麻生副総理兼財務相は、29日、自ら率いる派閥(麻生派)の研修会で講演した際、「(政治家を志した)動機は問わない。結果が大事だ。何百万人を殺したヒトラーは、いくら動機が正しくても駄目だ」と述べたことが報じられている。

国内だけではなく、外国からも批判が殺到しているが、派閥の研修会に参加して、そうした講演をありがたがって聴いていて何の疑問も批判もしない/できない麻生派の自民党員て、みなバカなのか。

歴史から学ばないという批判もあるが、学ぼうとしても歴史を知らないのだから学びようもないだろうし、歴史を学ぼうともしていないのだから、歴史から学べるわけがない。そのことは、安倍首相や、その取り巻きにも当てはまるだろう。そんな輩が、日本は昔から何とかとか、日本の伝統はとか、日本の良さをなんとかかんとか大仰に言い募(つの)るのだから、笑止千万である。

ちなみに、笑止千万は、広辞苑によれば、「たいそう笑うべきこと」のほかに、「はなはだ気の毒なこと」という意味がある。

無恥ゆえに知りもしないことを自分勝手に曲解して得意げに口にしてバカ丸出しを演じて批判を浴びるのは「はなはだ気の毒なこと」とも言えるが、そんな連中に政治が牛耳られている国民こそが、「はなはだ気の毒なこと」なのだが・・・。

北朝鮮のミサイル発射で「Jアラート」が発せられ、戦時体制の如くに大騒ぎして危機感を煽っていることにも批判が多い。「Jアラート」の「J」はJOKE(冗談)の「J」かと思った、という声も聞く。さしずめ、「冗談警報」と言うことか。

新幹線を止めたり連日テレビで北朝鮮のミサイルについて長時間にわたって取り上げていることを北朝鮮は面白がっていることだろう。慌てふためいている日本は、チョットからってやれば、思い通りに、というか思い通り以上に反応してくれる素直で愚かな国で、とても御しやすいと思われていることだろう。

安倍政権を構成する無知無能な有象無象に、武力行使の愚かさと悲惨な結末を語らせることは無理なことなのか。政治家になった以上は、必死になって、それこそ命がけで平和を守るために日夜全力を尽くすべきだろう。そんな努力をしている様子はさらさら見えない。何のために政治家になったのかを真剣に考えている風にも見えない。そんなことを考えるだけの脳みそも持ち合わせていないかのような言動に、ほとほと呆れてしまうばかりか、腹が立ってしようがない。

例年にない暑かった夏も終わる。朝晩の涼風と鳴き出した虫の音に快適な季節の到来を感じるが、森友問題と加計問題も未だ終わっていない。

2017年8月15日火曜日

72回目の終戦記念日に思うこと-悔しさと怒り

今年も終戦記念日がやってきた。すでに72回目だ。戦後生まれも、いまや“立派な老人”だ。

君が代斉唱と祭壇に大きな日の丸の旗。戦前・戦中そのままの風景の中で全国戦没者追悼式が行われることに毎年違和感を覚えるのだが、以下に記す安倍首相の式辞から始まった(首相官邸のウェブサイト参照)。ふりがなも原文どおり。安倍首相が漢字の読み間違いをしない様にという配慮だろう。

天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、全国戦没者追悼式を、ここに挙行致(いた)します。
 先の大戦において、三百万余の方々が、祖国を想(おも)い、家族の行く末を案じながら、苛烈を極めた戦場に斃(たお)れ、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遠い異郷の地で命を落とされました。いま、その御霊(みたま)の御前(おんまえ)にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。
 いま、私たちが享受している平和と繁栄は、かけがえのない命を捧(ささ)げられた皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであります。私たちは、そのことを、ひとときも忘れることはありません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念を捧げます。
 戦争の惨禍を、二度と、繰り返してはならない。
 戦後、我が国は、一貫して、戦争を憎み、平和を重んずる国として、ただひたすらに、歩んでまいりました。そして、世界の平和と繁栄に力を尽くしてきました。私たちは、歴史と謙虚に向き合いながら、どのような時代であっても、この不動の方針を貫いてまいります。

 未(いま)だ、争いが絶えることのない世界にあって、我が国は、争いの温床ともなる貧困の問題をはじめ、様々な課題に、真摯に取り組むことにより、世界の平和と繁栄に貢献してまいります。そして、今を生きる世代、明日を生きる世代のため、希望に満ちた明るい未来を切り拓いていく。そのことに、全力を尽くしてまいります。
 終わりに、いま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様には、ご多幸を、心よりお祈りし、式辞といたします。

常日頃の言動とはとてつもなく遠い内容で、とても白々しい式辞である。相も変わらず舌先三寸で得意げに式辞を読む。どうしてそんなことができるのか神経を疑う。

日経新聞によれば、「式辞では安倍首相はアジア諸国への加害責任に5年連続で言及しなかった。昨年12月の真珠湾での演説では言及した「不戦の誓い」も戦没者追悼式では2007年を最後に言及していない」。

日本国憲法の前文は次のように言う。

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


憲法に「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」と明記されていることを式辞で言及し、誰が-どこのどいつが-とてつもなく大勢の尊い人命と生活を奪う戦争を引き起こしたのかを一国の首相として明言してから、「戦争の惨禍を、二度と、繰り返してはならない」と決意を示さなければならないだろう。そうではなくて、とってつけたような美辞麗句を並べ立てても、望まずして有無を言わせずに戦地に投げ込まれ、銃を握らされ、激しく飛び交う銃砲弾と投下される爆弾に想像を絶する恐怖に戦(おのの)きながら悲惨な最期を遂げた戦争犠牲者に対する追悼にはならない。

大バカな政治家と軍人によって引き起こされた戦争の犠牲者とその家族や親族、知人・友人らの悔(くや)しさと怒りを現在の大バカな政治家とその取り巻き連中は少しも理解できずに、無知丸出しで時代錯誤的言動を繰り返している。

いま、私たちが享受している平和と繁栄は、かけがえのない命を捧(ささ)げられた皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであります。私たちは、そのことを、ひとときも忘れることはありません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念を捧げます」とは、なんと傲慢なことか。大勢を死に追いやり、犬死をさせ、人間としての尊厳を踏みにじったのは、どういう輩だ。

他人(ひと)に犠牲を強いて、自分たちは決して被害を被ることがないように常に安全な居場所を確保し、我欲を貪る。終戦記念日が来るたびに、悔しさと怒りで胸が張り裂ける思いである。この思いは、死ぬまで続くだろう。いや、もし、黄泉(よみ)の国があるのならば、この悔しさと怒りを死んでも持ち続けることだろう。

2017年8月9日水曜日

長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典:田上富久・長崎市長による「長崎平和宣言」は素晴らしい

昨年と同様に、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における田上富久・長崎市長による「長崎平和宣言」は素晴らしかった(長崎市のホームページに全文掲載)。その一部を以下に掲載する。

 核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。
安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器に よって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての
加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気 ある決断を待っています。
 日本政府に訴えます。 核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加 しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の 参加を国際社会は待っています。
 また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原 則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、
今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。


そのあとに挨拶に立った安倍首相は、広島平和記念式典の時と同様に誰が書いたかわからないような文章を朗読し、口先だけで「真に「核兵器のない世界」を実現するためには、核兵器国と非核兵器国双方の参画が必要です。我が国は、非核三原則を堅持し、双方に働きかけを行うことを通じて、国際社会を主導していく決意です」と読み上げた(全文は首相官邸のホームページ参照)。

そして、こんなことも読み上げた。

昨年、オバマ大統領が、現職の米国大統領として初めて、広島を訪れ、被爆の実相に触れ、核を保有する国々に対して、核兵器のない世界を追求する勇気を持とうと力強く呼びかけました。核を保有する国の人々を含め、長崎・広島を訪れる世界中の人々が、被爆の悲惨な実相に触れ、平和への思いを新たにする。若い世代が、被爆者の方々から伝えられた被爆体験を語り継ぐ。政府として、そうした取組をしっかりと推し進めてまいります。

広島平和記念式典では広島県知事がオバマ大統領の広島訪問について再三触れていたが、安倍首相もオバマ大統領に言及した。広島県知事がオバマ大統領の広島訪問に触れたのは、安倍首相への皮肉を込めたメッセージと私は理解しているが、安倍首相は、“じゃ、俺も負けずにオバマ大統領に触れておこうか”ぐらいにしか思っていなかったのだろう。

オバマ大統領が「核を保有する国々に対して、核兵器のない世界を追求する勇気を持とうと力強く呼びかけました」と言っているにも拘らず、日本は、世界で唯一の被爆国であるのに、長崎市長が言うように、「核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加 しない」。言うことは言うが、やることをやらない。言行不一致の典型だ。

NHK の長崎NEWS WEBでは、次のようなことが報じられている。

長崎の被爆者団体の代表が、平和祈念式典のあと、安倍総理大臣と会い、日本政府が核兵器禁止条約の交渉に参加しなかったことに対して長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長は、核兵器禁止条約の交渉に日本が参加しなかったことについて「あなたはどこの国の総理大臣ですか。私たち被爆者を見捨てるのですか」と述べて、抗議しました。長崎県被爆者手帳友の会の井原東洋一会長は「政府は、これまでも現実的な対応と言ってきたが、その成果はまったく見られない。条約に参加しないことに詭弁を弄しているとしか思えない」と話していました。

これが被爆国の首相なのか、となさけなくなる。舌先三寸(くちさきだけで心のこもらない言葉:広辞苑)を連発する安倍首相には閻魔大王を差し向けるしかないようだ。

2017年8月6日日曜日

2017年広島平和記念式典を視聴して


被爆72年になる今年の広島平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)をRCC(中国放送)テレビ公式YOUTUBEで視聴した。 1時間があっという間に過ぎた。

原爆ドームや原爆資料館は何回か訪れたことがあるが、式典には参列したことはなかったので、1週間前には、式典に参列するつもりで宿泊先を探すなどしていたが、猛暑の中で体調に自信がなくなったために中止した。来年は体調を整えて妻と参列しようと思う。

6年生男女の子ども代表による平和の誓いには心を打たれた。大きな声で、心を込めての訴えに比べて、安倍首相の、まさに口だけの挨拶には、やっぱりな、としか感想がない。

諸大臣や自民党の幹部を引き連れているのに、政府代表として平和を全力で守るための具体的施策を国民に、世界に力強く伝えることはなかった。日頃から言ったりやったりしていることが平和への取り組みとはとは程遠いことばかりだから、新鮮味のないあいさつ文を、ただ読むことだけしかできないのも無理もないことか。

松井一實・広島市長による「平和宣言」でとくに印象に残ったところを以下に摘記しておく。

為政者の皆さんには、特に、互いに相違点を認め合い、その相違点を克服するための努力を「誠実」に行っていただきたい。また、そのためには、核兵器の非人道性についての認識を深めた上で、自国のことのみに専念して他国を無視することなく、共に生きるための世界をつくる責務があるということを自覚しておくことが重要です。

特に、日本政府には、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」と明記している日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい。また、平均年齢が81歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の影響により心身に苦しみを抱える多くの人々に寄り添い、その支援策を一層充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

湯崎英彦・広島県知事の「あいさつ」でとくに印象に残ったところを以下に摘記しておく。

昨年,オバマ大統領は,ここ広島で,未来において,広島と長崎が,核時代の始まった場所ではなく,人類が道徳的に目覚めた場所として記憶されなければならない,とスピーチされました。その後,私たちはどれだけ歩みを進められたでしょうか。

日本政府には,この地獄の現実を潜(くぐ)り抜けた唯一の国として,そのリーダーとなっていただきたい。核兵器国と非核兵器国の分断を埋め,核兵器廃絶への道のりを全ての国の力で進んでいくために必要な,具体的な提案と行動を提示することをお願い申し上げます。

私たちはオバマ大統領が指摘したように,恐怖の論理,すなわち神話に過ぎない核抑止論から脱却し,「核兵器のない平和」というあるべき現実に転回しなければなりません。


オバマ大統領のかつてのスピーチは触れられたが、安倍首相の言動は何ら触れることもなかったことは象徴的である。特別席(特等席)に鎮座していた安倍首相や閣僚らはどう思ったであろうか。恥をさらしていることに、その場から逃げ出したくなったのではないだろうか。そんな気持ちにもならなかったとしたら、平和を口にする資格はないだろう。

中日新聞の2017年8月7日朝刊には、以下のような記事が載っていた。

松井一実市長は平和宣言で、七月に採択された核兵器禁止条約に触れ、核廃絶への取り組みをさらに前進させるよう各国に提唱。日本は条約に不参加で、安倍晋三首相は式典でのあいさつでも条約に言及せず、式典後の面会で被爆者団体が「怒りを込めて抗議する」と直接批判した。

2017年8月5日土曜日

第三次安倍内閣というのが「大惨事危ない加計」と聞こえた:別名「懲りない内閣」かな

国民を馬鹿にした内閣の改造である。まったく懲りない面々で再組閣をして、安倍首相は悦に入っているようだ。こういうのをアンビリーバブルというのだろう。

マスメディアは盛んに第三次安倍内閣を報じているが、歯を磨いていてテレビの音声が耳に入ってきたら、大惨事危ない加計(だいさんじあぶないかけ)と聞こえて、口中いっぱいの練り歯磨きをごくんと飲み込んでしまった。

改造後の記者会見で、安倍首相は、「私自身、至らない点があり、こうした状況を招いたこと、深く反省をしている。結果を残していくことによって国民の皆さまの信頼を勝ち得る、そのことで責任を果たして参りたい」と語った。聞いた人は、唖然・呆然・愕然・憮然・悄然・憤然・暗然・欝然たる気持ちになったのではないだろうか。

反省とか責任という言葉の意味を全く分かっていない、ということだろう。

結果本位の仕事人内閣」とも言っていた。闇の仕事人が暗躍する内閣というわけだ。とすれば、国民は、それに対抗するには、「必殺仕置き人」に依頼しなければならない恐ろしい社会になってしまいそうである。そういえば、藤田まこと演じる中村主水は、今でいえば下級役人である。「仕事人内閣」に仕(つか)える役人の中に、大勢の仕置き人が潜んでいるやもしれない。

人づくり革命」なんて、漫画っぽい表現も深刻な顔で口にしていた。これを聞いて、ズッコケない人はユーモアを解さない人だ。実にウィットに富んでいる首相であると言いたいところだが、本人は、聞いた人が、それが実に悪い冗談だと思うとは決して考えないところに知性のなさを感じる。

まあ、今回の改造は安倍首相の限界を如実に示しているから、まっしぐらに倒閣へ向けて思い切ってアクセルを踏み込んで、破れかぶれに急加速をしたのだろう。首相の器ではないことを自分であれこれと披露しているだけだということも気が付かない哀れな男だ。

2017年8月2日水曜日

内閣改造だってか・・・ふざけんな!って声が聞こえる

問題の解決をしないままに、内閣改造によって支持率の回復と閣僚の不祥事を不問に付すことを図ろうとしている。とんでもない政権である。

嘘と隠蔽、デタラメ、ルール無視、違法行為、やりたい放題・・・。怒りに加えて吐き気を催すほどである。

もはや21世紀における政治ではない。前世紀どころか、戦前からさらに遡って・・・、いったい、いつの時代の政治に準(なぞら)えたらいいのだろう。

大多数を占める政権与党がやりたい放題になるのは、ある意味では仕方のないことかもしれない。しかし、そのやり方が、とても陰湿・下劣で、政権集団の構成員が無知・無能・不勉強・無責任であるならば、国政を担う資格はない。安倍政権は、まさにその典型である。

主要閣僚を代えずに、似たり寄ったりの閣僚交代で内閣を改造しても、政権集団の「体質」が変わることはない。自らと、お仲間の主要閣僚が辞職してこそ、お気に入りの「美しい日本」と「道徳」が守られ、国民の幸福と国益につながることを肝に銘ずるべきである。

2017年7月25日火曜日

参院閉会中審査の中継を視聴した-疑惑はますます深まった

昨日に続いて、9時からの参院閉会中審査を視聴した。今朝も8時半に起床した。ずいぶん朝寝坊と思われそうだが、睡眠時間は4時間半だ。老人でも、徹夜まがいのことをしなければならないこともあるのだ。寝不足で食欲もないので、朝食は、牛乳と地元産の桃と老妻お好みのアールグレイの出がらしである。

トップバッターの自民党・青山繁晴氏は1時間以上の持ち時間で加計問題に関しては問題の究明に関わるような質問はなく、例によって出所不明の「私が関係者から聞いたところによると」的な説明に終始し、時間つぶしの役割は十分に果たしたと満足したようだ。

老妻曰く。バラエティ番組なんかでは自信たっぷりに話すのに、国会では、なんか自信なさげで不安定な感じ。

自民党や日本維新の議員の質問には安倍首相も安心して弁舌をふるう。哀れ。

民進党の蓮舫議員は、例によってカッと相手をにらみつけ、舌鋒鋭く歯切れのよい口調で論じる。南スーダンの日報問題について問われた稲田大臣の頓珍漢な答弁とは対照的。だが、残念ながら、日報問題も加計問題も攻め切れていなかった感じ。

民進党の桜井議員は、加計問題究明のプロジェクトチームを率いているだけあって、今治市職員の官邸訪問記録を基に官邸での面会者とされる柳瀬元首相秘書官に面会の事実を鋭く迫った。しかし、柳瀬元秘書官は、「記憶にない」から始まり、同じ質問を何回もされても同じように「記憶にない」を繰り返した挙句、「記憶にないから会ってはいない」と最後までしらを押し通した。

老妻曰く。記憶力が悪いのか、記憶の選別機能が優れているのか、いずれにしても記憶にないと言い続けるところは根性あるけど、正直に言ったら、身の危険でもあるのかしらね、かわいそうに。経歴は立派なのに、認知症が疑われるから、一度病院で診てもらうことをすすめた方がいいのに。

昨日と同様に、山本幸三大臣は、指名されてもいないのに何回ものこのこ答弁席に立ってごにょごにょとしゃべり続け、桜井議員に、「出ていけ」と罵倒された。

老妻曰く。あの人バカなの、性懲りもなく。自分を客観視できないのね。どんな風にテレビに映っているか想像しないのかしら。

共産党の小池議員は短い時間しか質問できなかったが、日報問題と安倍首相が加計考太郎氏が獣医学部新設を申請していたことをいつ知ったか、という点について問いただした。安倍首相は苦し紛れの答弁を何回も繰り返しては、呆れられていた。

老妻曰く。ますます印象悪くしていることに気が付きそうなものなのに。鈍なの、鈍だけ。

無所属の松沢成文議員は、加計孝太郎氏の政治活動について、自民党岡山県自治振興支部の政治資金収支報告書を掲げて質問した。この点は、国会で初めて取り上げられたと思うが、加計学園と政治家との間の金の流れや加計学園の経営や資金管理をめぐる問題(ドラマでは学校経営といえば、すぐに二重帳簿と政治献金の問題が出るところだが)につながっていくような予感がする。松沢議員が、どういうスタンスで取り組むのかわからないが。

予想通り、「丁寧な説明」なんか、何もなかった。「李下に冠を正さず」なんて、初めて知った諺(ことわざ)をチョット賢くなった気分で子どもが嬉しそうに使い続けるみたいに連発しているが、本当のところは、「李下に冠を何回も何回も正しましたでございます」だろう。安倍首相と昭恵夫人が加計学園とどれだけ密接な関係(ずぶずぶとも言うそうだ)にあるかは万人の知るところだ(ネット上に、そうした関係を示す写真がいっぱいある)。

2日間、われら老夫婦は、いったい何を期待してテレビにくぎ付けになったのだろう。単なる野次馬じゃないか、と言われれば、そうかもしれない。特に政治活動に熱心でもないのに、閉会中審査の中継が、老夫婦にお気に入りの連続ドラマよりも興味と感心を惹きつけさせるのはなぜだろうか。

老妻曰く。やっぱり、おかしいわよ。問題をたっくさん抱えているのに、国民の生活をよくするような政治を何もやっていない。年寄りが増えて財源が足りなくなるからと年金を減額したり支給年齢を上げようとしたりしている。それなのに、仲の良いお友達には、国を挙げて道理に外れたようなことを平気でやっている。とんでもないことよ。そんなこと許せないわよ。黙っているからって、いい気になるんじゃないよ。天に代わってお仕置きよ(なんか古いな:まあ、人間が古いからいいか)。老人を馬鹿にしたら許さないから。

2017年7月24日月曜日

加計問題の閉会中審査の中継を視聴した-「丁寧に説明」と「李下に冠を正さず」って、そういうことか

昨夜は、といっても、もう今日だが、寝たのが朝の4時頃だった。しかし、9時からの衆院予算委員会閉会中審査の中継を視聴すべく、がんばって(こんなことに頑張らなくてもいいのにとは思うが)8時半には起床した。さてさて、朝食に、牛乳と蜂蜜を塗ったトースト、それに到来物の巨峰を食べて、老妻と二人、淹(い)れたてのキリマンジャロの香りと味を楽しみながら、テレビの前に座った。

このところ、老妻は政治に夢中で、テレビや新聞はもとより、愛用のタブレット(iPad)を駆使して、インターネット上のニュース記事やツイッター、ユーチューブから最新情報を収集しては、私に情報を提供してくれる。そして、疑問や議論をぶつけてくる。いまや、われら老夫婦は、すっかり政治オタクになってしまっている。安倍政権が、これほどまでに政治的関心を掻き立ててくれるとは思いもよらなかったし、老後に、こんな高尚な楽しみを提供してくれるとは想像もしなかった。

いま、政治が面白い。

正午までの前半と13時から15時までの後半、計5時間にわたる閉会中審査における質疑応答は、こう言っては語弊があるかもしれないが、期待していたほどではなかったものの、退屈はしなかった。

安倍首相が「丁寧に説明する」ということだったが、「丁寧に説明する」という意味を理解していないのか、「丁寧に説明する」つもりなんか毛頭ないのか、ちっとも「丁寧な説明」をしなかった。力(りき)んで声高に一方的に捲(まく)し立てたり、大声をあげたり、人を小ばかにしたような薄ら笑いはなく、神妙な振りをして、しかし、相変わらず質問にはまともに答えずに、はぐらかしに終始していた。

老妻曰く。やっぱりね~。

指名されてもいないのに、のこのこと答弁席へきて、ごにょごにょと不明瞭な発言を繰り返した山本幸三大臣は、さらに疑惑を深めるのに一役買った。

老妻曰く。この人の言っていること、聞きづらくて、人に聞いてもらおうって気持ちも全然感じられない。どうだ、俺は本当のことなんか言わないぞって、いうのが伝わってくるわね。

参考人として呼ばれた前川喜平前文科事務次官の証言も野党は活かしきれていなかった。和泉洋人内閣総理大臣補佐官は、前川氏が「和泉補佐官は、総理は自分の口からは言えないので、代わって私が言うんだ」と言ったことを、最初は記憶にないと言っておいて、その後、さらに追及されると、「言っていない」と強く否定した。そして、「私は補佐官として特区諮問会議に陪席し、首相から常々『岩盤規制改革を全体としてスピード感をもって進めるんだ』と聞き、前川さんに『スピード感をもって取り組むことは大事だ』ということは申し上げあげたかもしれない」と自信満々に語った。

老妻曰く。逃げ回っていて、出てきたら、そんなこと言うんだ。きっと、誰かに入れ知恵されたね。

安倍首相はじめ関係閣僚らがぐうの音も出ないほどに野党の質問者が攻めて攻めて攻めまくってどこまで追い込めるか期待していたが、残念ながら、イマイチであった。

印象的なことは、麻生大臣が、例によって、眠っているのかくたびれているのか、目をつむって椅子にだら~と座って、時折ニヤニヤと薄ら笑いをしている全く持って感じ悪い爺さん然としていることだ。この爺さんが派閥の領袖で財務大臣兼副総理とのこと。全然似合わない。

まあ、明日も参議院で閉会中審査があるから老妻ともども楽しみにしている。

2017年7月22日土曜日

加計学園問題は、なぜ早急・簡単に解決できないのか-不思議と不気味と不届き-無文字社会日本

森友問題も加計学園問題も一向に解決しない。どこに、そんな解決困難な課題があるのか、ちっとも理解できない。不思議であり、不気味である。

「総理の意向」だの「忖度」だの、文書がなかっただのあっただの、記憶にないだの忘れただの、言っただの言わなかっただの。嘘をついているだけだろ。
バカか、お前らは、という天の声が聞こえる・・・

悪いことをしたんだろう。だったら、謝罪して責任とればいいだけの話じゃないか。
ノータリンか、お前らは、という天の声が聞こえる・・・

証拠? いっぱいあるじゃないか。どれもこれも、立派な証拠じゃないか。
文書よりも記憶? いつから日本は無文字社会に逆戻りしたのか。文字を正しく読めない政治家がいるからといって、その者たちに合わせて無文字政治に励むこともなかろうに。

俺の記憶は正しくて、お前の記憶は正しくないってか。不届き者め!

勘弁してくれよ。黙って聞いていればいい気になって、「天知る、地知る、我知る、子知る」なんて、知らないんだろうな。

嘘と隠蔽を続けに続けて、それでも懲りずに、嘘と隠蔽を重ねに重ねている。

説明を求める? なんじゃ、それは。
丁寧な説明? 説明責任? なんじゃ、それは。

嘘も方便。嘘の説明も方便。嘘でも説明をすれば説明責任を果たしたことになる。言い訳することが説明責任? 説明することの責任? そんなの責任とは言わないだろう。
嘘にまみれた説明なんかはいらない。言い訳できないはずなのに、説明を求める、なんて言うから、嘘と隠蔽で言い訳を許してしまうのだ。

事実を事実ではないと言い張り、筋の通った話も対話もできない論理的思考力の欠如した人間に、説明を求めたり、証拠を突き付けて納得させようとしても無理である。近代的思考というか実証的思考というか科学的思考というか、そういったものとは全く無縁に、あたかも無文字時代の呪術や神話の世界に跋扈(ばっこ:勝手気ままにふるまうこと。のさばりはびこること。広辞苑)する呪(まじな)い師には、呪術で対抗するしかないのかもしれない。

「馬の耳に念仏」、「猫に小判」、「無理が通れば道理引っ込む」といった俗諺(ぞくげん:俗世間のことわざ)がこれほどまでにピッタリの好例を何回も何回も見せつけられては、何をか況(いわん)やである。

森友学園と加計学園に共通していることは、小学校新設にしろ獣医学部の新設にしろ、教育機関を経営・新設するのに相応(ふさわ)しいとは到底思えない人間が名乗りを上げ、それを教育にはもともと興味も関心もなく、私益を貪(むさぼ)ろうとする狡(ずる)い連中が多額の国費/公費を使って必死に、躍起に、共謀して支援していることだ。

2017年7月16日日曜日

加計学園の獣医学部設置問題の本質を突いた発言を見つけた

決して優れているとは言えない幾つもの大学を自治体や国から土地の無償提供や多額の建設・運営資金の援助を受けて経営している加計学園が、なぜ、国家戦略特区政策によって獣医学部新設を申請でき、文科省の大学設置審査が開始されないずっと前から校舎建設工事が始められたかが、実によくわかる説明がツイッターで語られている。

そのツイッターのタイトルは、「加計問題の真実(私は新学部設置の仕事を5年やったことあります)」と、なっている。また、ウェブページにも同じ記事が掲載されている。

「新学部設置の仕事を5年やったことあります」と、ちょっと表現が若者っぽいと感じるのは、老人の私なら、「やったこと(が)あります」と(が)をいれるからだ。

それはともかく、「新学部設置の仕事をやったことがある」人というのはどういう人なのかと興味がわくが、そこでいう「仕事」を広くとれば、文科省の職員だけでなく、大学の教員や職員なども含まれるだろうから、結構な数に上るだろう。

まあ、どういう立場の人かを詮索してもたいして意味はない。肝心なことは、書かれている内容である。

このブログにもしばしば登場してくれている件(くだん)の教授も、かつて(定年退職していまは名誉教授だが)学部や大学院の新設・改組に関わる設置審の仕事をした経験を持っているということで、そのツイッターを読んだ感想を聞いたところ、書かれている内容は、新学部設置の仕事を実際に経験していなければ書けない内容だろうな、ということで、加計学園岡山理科大学の獣医学部新設問題の問題の本質を突いていると思う、ということであった。

その内容について、ここで詳しく紹介するよりも、上で赤字で書いたところをクリックして読んでもらった方が話が早いから、ここでは、件の教授から聞いたことと混ぜこぜにして、私なりの理解を記すことにする。

新学部の設置は、通常であれば、新学部設置を計画する大学が、設置に必要な条件を文科省の大学の学部設置関係の部署と事前に相談する。場合によっては、係長クラスの段階でボロクソに言われてすごすごと文科省を後にする。指摘されたことを大学に持ち帰って教授会などで報告し、議論を重ねて計画書を作り直して、再び文科省に相談に行く。

そんなことを何回も何回も繰り返して、かなり上位の役職者が相手にしてくれるようになると脈があると判断して、今度は喜んで文科省を後にする。こうして、設置に必要な条件が出そろうと、いわゆる内定がもらえる。設置計画書の完成版が作成されて、設置審と略称される本審査に付されることになる。

こうして、設置審に上げることになるまでに文科省と相談し続けるというか指導を受け続けて、やっとのことで新学部設置が可能になる。内定がもらえれば、設置審でも、特別な理由がない限り認可される。認可される見通しが出るまで相談と指導が続くというわけである。これが学部や大学院を新設したり改組するときの文科省のルールである。

今回の加計学園岡山理科大学が獣医学部新設を申請し、受理された経緯には、この文科省ルールに従って進められる従来の方法ではなく、国家戦略特区ルールともいうべき方法で進められた、ということである。文科省ではなくて(文科省ルールとはかかわりなく)、国家戦略特区諮問会議が内定を出した、ということである。

「行政がゆがめられた」というのは、大学の学部新設等に関わる教育行政のルールが破られたことを指していると言える。文科省ルールに従えば、岡山理科大学の獣医学部新設の申請は決して通らなかったであろう。獣医学部を新設するに足る種々の条件をクリアできているとは思えないばかりか、加計学園が経営する千葉科学大学や倉敷芸術科学大学も種々問題を抱えているから、設置審に上げる前に獣医学部新設計画は受理さえされなかったであろう。

国家戦略特区諮問委員会は、設置審まがいのことをやったことにもなる。前に書いたが、諮問委員会のメンバーの顔触れを見れば、諮問委員会が獣医学部新設の問題を教育・研究の観点から高度の専門性を保ちながら審議できるとは、とうてい思えない。

ルールにのっとって一点の曇りもなく審議したようなことを諮問委員会のメンバーは言っていたが、審議できるだけの専門的識見がないのであれば、教育行政とは無関係なルールに従って一転の曇りもなく頓珍漢(トンチンカン)なオシャベリを楽しんだだけにすぎない。

国家戦略特区ルールが強引に適用されて加計学園の獣医学部新設が急ピッチで進められるようになったのは、そこに、常識では考えられない悪行が展開されているとしか考えられない。隠蔽と虚言が渦巻いていることが、何よりの証拠である。

2017年7月12日水曜日

安倍首相のお仲間に共通していることは国民に対して不誠実であることだ-内閣支持率調査の結果が教えてくれること

新聞社やテレビ局の世論調査で内閣支持率が暴落し、不支持率が支持率を上回ったことが報じられた。安倍御用新聞と言われている読売新聞の調査での不支持率が一番高かったことも興味深いものがある。

その調査では、「支持する」が 36%、「支持しない」が 52%で、支持しない理由として最も多くあげられているのが、「首相が信頼できない」の49%である。

マスメディアが行う世論調査は標本調査で、今回の読売新聞の場合は、全国の18歳以上の有権者の中から、RDD方式という電話で聴取する方法を用いて、固定電話を対象にした世帯から547人、携帯電話を対象にした個人から541人の回答を得ている(有効回答率は固定電話で60%、携帯電話で42%ということである)。

標本調査だから誤差が生じる。 その計算方法の詳細は、このブログの2015年5月18日の記事に記したが、上の調査結果を同様にして計算すると次のようになる。

支持率36%というのは、全国の有権者全部を対象に調査した場合には、33.1%~38.9%に、不支持率52%は、同様に49%~55%になるだろう、ということを指している。要するに、発表された支持率と不支持率は、そうした幅を持った数値であるということである。したがって、ひょっとすると、支持率は33.1%で、不支持率は49%かもしれないし、支持率は38.9%で不支持率は55%かもしれない、ということである。こういうのを区間推定と言う。

これに対して、発表される内閣支持率/不支持率は、たいていの場合、今回のように支持率36%/不支持率52%と区間を表示することはない。そうした推定を点推定と言う。点推定で、数%の違いがあっても、本当のところは、支持率が上がったとか下がったと言うことはできない。

しかし、今回の場合は、支持率33.1%~38.9%の区間と、不支持率49%~55%の区間には重なるところがないので、明らかに支持率は不支持率を下回っているということができるのである。

さて、ここからが本題である。支持しない理由の回答は以下のようになっている。

1.政策に期待できない -------- 15%   5.自民党中心の政権だから ----- 11%
2.首相に指導力がない --------  5%   6.これまでの内閣の方がよい ---  1%
3.首相が信頼できない -------- 49%   7.その他 -----------------------------  1%
4.閣僚の顔ぶれがよくない --- 16%   8.答えない --------------------------  2%

3の「首相が信頼できない」がダントツである。用意された回答の選択肢が国民の政治に対する
考えや思いを調べるのに十分なものかどうかは措くとしても、「首相が信頼できない」というのは、政権に対する全否定の表明ということができるだろう。

「政策に期待できない」ことも、「首相に指導力がない」ことも、「閣僚の顔ぶれがよくない」ことも、「首相が信頼できない」ことに含まれる理由と見ることができよう。

政治に関わる世論調査でいつも疑問に思っていることは、日頃から政治や政策のことに関心を持ち、それらに関する正しい情報を収集している人と、そうではない人とを一緒くたにして政治や政策に関わることを尋ねて得られた結果がどれほどの意味をもつのか、ということである。

憲法に目を通したことも、憲法問題について考えたこともない人が改憲の是非を尋ねられても的確に回答できるだろうか。しかし、「首相を信頼できるか、できないか」のような質問には、正常な常識感覚をもった人間ならば、政治や政策の面倒な事柄抜きでも的確に回答できる。

連日のように新聞やテレビ、インターネットで、森友学園問題や加計学園問題、共謀罪問題、稲田防衛大臣問題、豊田議員問題などが報じられ、国会や記者会見での首相や官房長官をはじめ閣僚と官僚の国民をバカにしきった答弁や応答から、彼ら/彼女らが誠実さのかけらもない信頼の置けない人間であることをイヤと言うほど思い知らされたからである。

政治や政策はわからない。しかし、その政治家が政治家にふさわしい誠実で品格を備えた人間であるか否かはわかる。ずるい奴かそうではないか、悪い奴かそうではないか、ウソをついているかそうではないか、軽薄な人間かそうではないかくらいは、よくわかる。そして、難しいことはわからないし興味もないが、そんな輩に政治を任せていてはとんでもないことになる、ということは、とってもよくわかる。

私利私欲にまみれたお仲間たちで国費を私物化し、国民に対しては不誠実きわまりない対応をする。そんなことは、もう隠しきれない段階になった、ということを、お仲間たちの広報誌である読売新聞が明らかにした、ということである。

2017年6月30日金曜日

安倍政権のお仲間たちの言動に、ほとほと呆れたりウンザリしたり

もう、ウンザリ、としか言いようがない。

稲田防衛大臣が公職選挙法と自衛隊法に違反する都議選応援演説と、その後の発言撤回と謝罪によってそれを問題がないとする菅官房長官の定例会見における発言。記者も、稲田大臣の発言としてではなく、一般的に言って、と断ってから、現職の防衛大臣がそうした発言を不特定多数を前にした応援演説の中ですることが公職選挙法と自衛隊法に違反する行為であるという認識を菅官房長官が持っているか否かを回答が得られるまで追及すべきであった。

稲田防衛大臣は、安倍首相の寵愛をずっと受けてきたと言われている。安倍首相は、彼女を首相候補と党務や政務の経験を積ませてきたということらしい。思想信条が同じだそうだが、知的レベルが同じということなんだろう。その意味では、安倍首相には、見る目がある、ということなのかもしれない。いや、同類を強く引き付ける磁力が備わっているのかもしれない。

警察や司法は、選挙運動を監視しているはずであるのに、一向に動きを見せない。公職選挙法違反や自衛隊法違反の罪は親告罪ではないはずなのに。

政治資金規正法違反の疑いに対する下村元文科大臣の釈明会見も噴飯ものである。この人物が文科大臣としてふさわしくなかったことはSTAP細胞事件の際の文科大臣としての対応から周知のところだが、200万円の寄付が11の個人・団体からのものだから、1件当たり20万円未満になるという理由で記載不要の寄付だというのである。

そのことについてネット上で子どもだましにもならない“計算”と揶揄されている。200万円が1人当たり20万円未満になるように11の個人・団体からと“小学生レベル”の算術をしたのだろう。が(200万円÷11=181,811.181818・・・円:)。

11の個人・団体が200万円を均等に寄付したとすると、それぞれの寄付金額は、単純平均して、181,811.181818・・・円になる。数字の語呂合わせで、イヤイヤイヤなんて言われている。

小数点以下切り捨てて、181,811円ずつ寄付した理解してもらおうと思ったのなら、脳細胞欠損症でしかないだろう。誰か一人が199万9,990円寄付して、残りの10人が1円ずつ寄付しても、総額は200万円になる。

200万円を11人で分けるということは、200万個のなかから11個取り出すときの組み合わせ問題になる。

一般に、n 個の中から r 個を取り出すときの組み合わせの総数は次式で求められる。
n が 2,000,000 で r が11だから、これを計算すると、5.130530706E+61となる。普通に書くと次のようになる。

51,305,307,060,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000

天文学的数字だ。11人が均等に寄付するのは、そのうちの1組だから、1を上の数字で割れば、そうした組み合わせが出現する確率が出る。1.94911609988131E-60%。これを普通に書くと、小数点前に0が果てしなく続くから書いても意味がない。要するに、ほとんど0ということだ。これも超天文学的数字といえる。11個取り出したときに、どれもが20万円未満になる組み合わせとなると・・・気が向いた方は計算してみてはどうだろうか。

早稲田の教育学部を出ていて、文科大臣を経験していながら、自分の言っていることが愚にもつかないことだとわからないのか。こんな人物が、安倍首相の側近として優遇され、文科大臣をやっていたとは、国民も馬鹿にされたものである。安倍首相は、稲田氏と同様に、下村氏も同じ知的レベルの同志と思っているのだろう。

国有地投げ売り問題に関する国会での野党の追及に、よくもこれほどというくらいに詭弁を弄し続けてきた佐川財務局長が、国税庁長官に出世するそうだ。文書の破棄と記憶にないで証拠の提出を拒んだ人間が国税庁の長官とはギャクにもならない。マルサ(国税局査察部)も仕事がやりにくくなるのではないだろうか。

秘書に政治家にあるまじき暴言を吐き、乱暴を働いた豊田真由子議員。それをかばう細田博之自民総務会長。

加計学園岡山理科大学獣医学部の新設を推し進めてきた国家戦略特別区域諮問会議

もう、ほとほと呆れてウンザリする。

諮問会議の諮問というのは、「意見を尋ね求めること。下の者や識者の意見を求めること」(広辞苑)を言う。そこで、諮問会議というのは、誰かに意見を求められたときに、どのように答えるかを複数人が一堂に会して議論する場ということになる。結論が出たら、それを諮問した人間や組織に伝えることを答申という。

では、国家戦略特別区域諮問会議に誰が諮問し、誰に答申するのかというと、「国家戦略特別区域法」(平成二十五年法律第百七号)の第三十条には、次のように記されている。

六 前各号に掲げるもののほか、内閣総理大臣又は関係各大臣の諮問に応じ、国家戦略特  別区域における産業の国際競争力の強化及び国際的な経済活動の拠点の形成の推進に関する重要事項について調査審議すること。
七 第一号から前号までに規定する事項に関し、調査審議し、必要があると認めるときは、内閣総理大臣及び関係各大臣に対し、意見を述べること。

諮問するのは、内閣総理大臣や関係各大臣であり、したがって、この諮問会議が答申する相手は内閣総理大臣や関係各大臣である。

では、諮問会議の組織についてはどうかと言えば、次のような条文がある。

第三十一条 会議は、議長及び議員十人以内をもって組織する。
第三十二条 議長は、内閣総理大臣をもって充てる。
2  議長は、会務を総理する。
3  議長に事故があるときは、あらかじめその指名する議員が、その職務を代理する。
第三十三条 議員は、次に掲げる者をもって充てる。
一 内閣官房長官
二 国家戦略特別区域担当大臣
三 前二号に掲げる者のほか、国務大臣のうちから、内閣総理大臣が指定する者
四 経済社会の構造改革の推進による産業の国際競争力の強化又は国際的な経済活動の拠点の形成に関し優れた識見を有する者のうちから、内閣総理大臣が任命する者

諮問会議の議長は内閣総理大臣である。ん? 内閣総理大臣又は関係各大臣の諮問に応じとあったから、内閣総理大臣が諮問した場合には、自問自答ということになる。へ?

内閣総理大臣(自分)が諮問し、内閣総理大臣(自分)が議長になって会議の事務を統一して管理し(会務を総理する)、内閣総理大臣(自分)に答申することができる、ということのようだ。諮問会議っていうのはよくわからないが、こういう諮問会議って、ありなのか? 

これって、物わかりがいいからかボンクラだからかわからないが、操りやすい面々を「有識者議員」などとおだてておいて、十分な役得のようなものを与えながら内閣総理大臣の意に沿った言動をすることに大いなる喜びを感じる参謀にしていることが見え見えで、諮問会議とは名ばかりの参謀本部じゃないのか。

ちなみに、国家戦略特別区域諮問会議の議員名簿は次の通りである。

議 長 安倍 晋三  内閣総理大臣
議 員 麻生 太郎  財務大臣 兼 副総理
同  山本 幸三  内閣府特命担当大臣(地方創生、規制改革)
同  菅  義偉  内閣官房長官
同  石原 伸晃  内閣府特命担当大臣(経済財政政策) 兼 経済再生担当大臣
有識者
議 員 秋池 玲子  ボストンコンサルティンググループ シニア・パートナー&マネージ 

    ング・ディレクター
同  坂根 正弘  株式会社小松製作所相談役
同  坂村  健  東洋大学情報連携学部 INIAD学部長
同  竹中 平蔵  東洋大学教授 慶應義塾大学名誉教授
同  八田 達夫  アジア成長研究所所長 大阪大学名誉教授


これらの有識者議員は、上に記した第三十三条の四にある「経済社会の構造改革の推進による産業の国際競争力の強化又は国際的な経済活動の拠点の形成に関し優れた識見を有する者のうちから、内閣総理大臣が任命する者」というわけだが、そうなの? ふーん、としか言えないが、大見得を切って大々的にぶち上げているにしては、国家戦略特別区域諮問会議って、こんなんなの、これで大丈夫、やっぱりな、って感じがしてしまう。

まあ、とにかく、安倍政権には、呆れたりうんざりすることばかりで、国民の幸福で安全な生活のために必死になって良いことをやっている/やろうとしているところが全く見られない。もう、ウンザリだ。これしか言いようがない。

2017年6月27日火曜日

藤井四段の29連勝に拍手喝采

私が書かなくても藤井四段の快挙は世に知られているところだが、褒めたたえずにはいられない。

日本将棋将棋連盟の公式中継やソフトで検討する中継などを見ながら、まさに手に汗を握る熱戦を堪能した。

素人目には先手の藤井四段が序盤から攻め続けていたようだが、ソフトの評価値は、中盤までは後手の増田四段の方が有利であることを示していた。しかし、藤井四段の粘り強いというか執拗にというか、あくまでも攻めの差し回しで評価値は一挙に藤井四段有利に傾いていき、最終盤の増田四段の攻めを大ゴマの飛車を使っての受けで投了に追い込んだ。91手での終了は、歴史的一戦にしては単手数というべきか。

増田四段は現在19歳で、16歳の時に四段に昇段してプロデビューし、西の天才藤井四段に対して東の天才と並び称される逸材である。

棋士は天才ぞろいであるが、その中でも10代でとびぬけて活躍してきた棋士は、その後もタイトルを獲得するなど偉大な棋士として名を残している。

凡人の私が言うのも何だが、頭脳を目いっぱい使って対戦する天才棋士二人とついつい比べてしまうのは、頭脳を働かせもせず、というか働かせる頭脳を持ち合わせていないのに政権を握ってトンデモナイ言動を繰り返している輩だ。

折しも、安倍首相は、お仲間の招待で講演した際に、獣医学部を作りたいというのなら何校でも認可するようなことを、「あまりにも批判が続くから、頭に来て言ったんだ」そうだ。

 
お笑いタレントが冗談で言うならアホクサと聞捨てることもできるが、いくら、お仲間向けの無駄話でも、これでは、“私の脳内は壊滅寸前です”と言っているようなものだ。そんな壊滅寸前の頭脳で改憲論議をされたのではたまったものではない。これでは、取り巻きの政治屋や官僚も「忖度」のふりをして好き放題にできるわけだ。
 
そういえば、棋士は、目隠しして対戦する「脳内将棋」ができるが、「脳無い政治」で国家財源を私物化したり無駄遣いしている輩と取り巻き連中を投了に追い込まねば、将棋無い(しょうがない)世になってしまう。

2017年6月17日土曜日

藤井四段の快進撃-ハラハラドキドキ

書こう書こうと思いながら、連勝が止まることの恐怖心から、藤井四段の大活躍について触れないでおいた。しかし、四段になってプロデビューしてから無傷の27連勝で、歴代連勝記録にあと1勝となったので、書き留めておくことにした。

藤井四段は、4月から(今年度)の成績は、16日対局分までで、対局数が16局で1位(2位は11局)、勝ち数は16で1位(2位は8勝)、勝率は16勝0敗で10割(同率者が8人いるが、勝ち数は4~1)、連勝数26で1位(2位は6)。

新人が上述の各ランキング1位を独占するなんて、まるで小説か映画のようだ。いくら架空の天才棋士を登場させようとしても、これだけの天才ぶりを描くことには躊躇するだろう。

かつて読んだことのある漫画に「ドカベン」という猛打者が登場する野球漫画があったが、たしか打率は4~6割ではなかったかと記憶している。いくら漫画でも、作者は打率7割とか8割の打者にはできなかったのだろう。

稀代の天才棋士と誰もが認める羽生善治さんは、現在三冠だが、かつて、七大タイトル全冠制覇をした。タイトル獲得97期で、同一タイトル(王座)獲得24期など数々の記録を持っている。

神武以来の天才と評された加藤一二三九段はプロデビュー最年少記録と18歳でA級入りという記録を持っていて、もう破られることはないだろうと言われていた。

大山康晴さんは、生涯A級に留まり、名人位連続13期、通算18期の記録を持っている。

将棋のプロになる(四段になる)ことは極めて難しく、1年に4人しかなれない。基本的には、満26までに四段にならなければ、プロへの道は閉ざされる。幼少期から将棋の才能に恵まれた者ばかりが集まっている天才集団である。その中で、タイトルを獲得できる棋士や記録を打ち立てることができる棋士は、ほんの一握りである。

藤井四段は、すでにそれまでの新人連勝記録10を破る11連勝の新記録を達成している。そして、第30期竜王戦では、61人がトーナメントで戦う最下級クラスの6組ランキング戦で優勝し、賞金93万円を獲得している。

29連勝という新記録を樹立してほしいと切に願うが、本人の心境を思うと、いたたまれない気持ちにもなる。それこそ、祈るばかりである。

それにしても、安倍首相と取り巻き連中が繰り広げるデタラメと胡散臭さ、厚顔無恥無知ぶりと、14歳の天才中学生棋士とを、つい比べてしまう。

2017年6月15日木曜日

安倍政権のおぞましさ

やることなすこと、道理に反することばかり。道徳心のかけらもない。

安倍政権の人道(じんどう:人のふみ行うべき道。人の人たる道。人倫-広辞苑より)に背く数々の悪政と愚行が連日報道されている。

そうした報道に接して、老妻と二人、腹が立つというより、怒り心頭で血圧上昇。

おぞましいかぎりだ。鬼畜にも劣る行いを平然と繰り返す。

「おぞましい」には2つの意味があることを知った(広辞苑)。

悍(おぞま)しい-ぞっとするようで、いやな感じだ。恐ろしい。
鈍(おぞま)しい-にぶい。おろかしい。

安倍政権は、そして、安倍首相を支えている取り巻き連中は、まさに、おぞましい。

2017年6月11日日曜日

「ご意向」文書の再調査-茶番劇は続く:どれだけ国民を馬鹿にしているのか

確認できなかったとか怪文書だとか、さんざん隠蔽工作をしておきながら、今度は、安倍総理の「ご意向」第2弾で、再調査をするという。安倍総理は、徹底的に調査をするように命じたと臆面もなく記者の問いかけにか答えていた。

これほどの茶番劇を書くことができる脚本家はいないだろうし、どんな名優を揃えても、これほどの茶番劇を演出できる演出家もいないだろう。それほど、稀代の茶番劇ということであり、名優も顔負けの演技力抜群で台本に忠実な団員が揃いも揃ったカルト劇団による茶番劇のシーズン3のエピソード1と言えようか。

主役、準主役、準準主役、脇役といった俳優ばかりではなく、舞台装置から大道具、小道具、プロンプターなどの裏方まで、よくぞこれほど強烈な個性をもった団員を揃えることができたか感心する。映画やテレビドラマの制作者からすれば、うらやましい限りではなかろうか。

しかも、観客からは事前に高額な観劇料を徴収していて、休演や役者のトチリでブーイングを受けたり予告なしの交代があって観客に満足を与えなくても観劇料の払い戻しは一切ないから、興行が赤字になることも絶対にない。団員のふところは全く痛まない。

そこで、観客を徹底的に馬鹿にして、というか、観客は劇の筋書きも展開もわからないバカばっかりだと決めつけて、デタラメで見え透いたミステリー仕立てにする。それを名作だとばかりに頓珍漢な劇評をもっともらしく書き連ね、言い連ねて金を稼いでいる悪徳評論家がいる。こうして、ゲスどもがグルになって稀代の茶番劇が繰り広げられている。

「ご意向」文書が捏造された怪文書ではなく、確実に存在することをあらためて調査するということはどういうことか。怪文書だとか確認できなかったといい続けてきた者の責任を問い、処罰するためでなければ意味がない。

「ご意向」が加計学園の獣医学部新設に直接触れていないから安倍総理には累が及ばないようなことを一生懸命に言い募るノータリンな連中がいるが、唯一加計学園だけが獣医学部新設の申請を許可され、受理されていたのだから、「ご意向」が加計学園の獣医学部新設の件であることは誰でもがわかっていることだ。

問題は、なぜ、加計学園なのか、ということだ。安倍首相だから加計学園だ、ということだ。安倍首相が加計学園にしろと言ったか言わなかったかは問題ではないのだ。安倍首相と首相夫人、お仲間たちの加計学園とのズブズブの関係は、広く知られている。あきれるばかりだ。

茶番劇に終止符を打つことができるように、心ある政治家とマスメディア、ジャーナリスト、文筆家にあらためて声援を送ろうではないか。そして、大きなことができないわれわれは、安倍政権のデタラメで危い政策運営をしっかりと監視して、来るべき日に備えておこうではないか。

2017年6月8日木曜日

加計学園問題への対応からわかる安倍内閣の非論理性と前近代性

加計学園問題と森友問題への政府の対応に共通していることは、安倍首相や菅官房長官を始めとする諸閣僚の言動が、非論理的で非科学的、前近代的であるということである。そして、そうした言動を否としないばかりか、むしろ積極的に是とすることが安倍内閣の規範になっているのである。

その一例は、菅義偉官房長官が、6日午前の記者会見で、前川喜平前文部科学事務次官が自身の辞任に関し5日に発表した菅氏の国会答弁への反論に対して、「私は辞任の経緯について私の承知している事実に基づいて発言した」と述べたところにみられる。

菅官房長官の発言に対して、会見場にいた記者らは何も質問していないし、報道でも問題にされていないが、私には、見逃せない実に重要な発言である。おそらく、菅官房長官自身も気が付いていないと思うが、上に記した発言の中に見られる「私の承知している事実」ということを平然と口にしているところが、見逃せないのである。

私の承知している事実」に基づくというのは、“私が承知していない事実”は事実として認めないということであるから、事実というものは幾つもあるということになる。これは、近代以降では、「事実に基づいて」いることにはならない。

会見場にいた記者たちは、少なくとも、「では、官房長官が承知していない事実とは何ですか」とか「官房長官は、事実は幾つくらいあると思うのか」、「どちらの事実が正しいのですか」くらいは、皮肉を込めて追及すべきであった。

一言でいえば、菅官房長官の発言は、古代・中世の天動説支持者のものである。ガリレオを有罪にするために天動説を持ち出した中世のローマ教皇庁と同じである。安倍内閣の面々は、「我々が承知している事実は、太陽が地球の周りをまわっているということだ」と言っているのである。

教育の本拠ともいうべき文科省の大臣らは、「調べてみたが確認できなかった」ことを恥ずかしげもなく公言している。事実を確認する方法の正否については一切触れていない。実験でも調査でも、方法が正しくなければ、結果は誤りであり、その実験や調査は何の意味もないばかり百害あって一利なしである。

財務省の佐川局長は、自分の子どもにどんなしつけをしているのか興味があるが、一切合切調査することを拒んでいる。財務省こそ正確な事実認識の下で仕事をする省庁であるはずなのに、事実を確認しようとしない。裏を返せば、事実を尊重するからこそ、事実を確認することは自らの非を認めざるを得ないことになることをよく理解しているということだろう。

安倍首相の国会での答弁やマスメディアに対する発言も、事実に対して無頓着というか正しい事実を認識することが現代政治の基本であることを全く理解していないをよく表している。事実はこうだと証拠を示されても、事実の重みを理解できずに、多弁を弄することによって言い逃れできると確信している。自分に都合の良い事実だけを強調する。

そういえば、STAP細胞問題の時に文科大臣だった下村博文幹事長代行の文科大臣らしからぬ問題認識にはあきれ果てたが、その後も安倍首相の第一の側近として相変わらずの無知性ぶりを発揮している。

要するに、安倍政権の特質は、事実に依拠して物事を考え、判断し、処理するという現代の思考様式とは無縁の類まれなる非論理性と前近代性にある、ということだ。事実を事実として受け入れることができずに、ひたすら隠蔽と誤魔化しに終始し、そのことが邪悪な行為であることを認識できず、幼稚で我儘なだけの人間集団と言ってよかろう。小学校教育から学びなおさなければならないほどである。

こんな政権を支持することは、日本を前近代社会に後戻りさせてしまうことに加担することであることを肝に銘じなければならない。

2017年6月4日日曜日

加計学園がなんで獣医学部新設を申請できて、受理されたのか-加計学園は設置計画について何も言っていないという不思議

獣医学部新設をめぐって、加計学園問題が世情をにぎわしているが、マスメディアも政治家も真正面から取り上げないことは、加計学園グループの大学の実情である。

今回の騒動が起きるまで、加計学園はもとより、岡山理科大や千葉科学大学、倉敷芸術科学大学という加計学園が経営する大学が存在していることすら知らなかった。

初めて、その名前を聞いたとき、岡山理科大学は、東京理科大学の岡山キャンパスかと思ったし、千葉や倉敷に、そうした大学があることも初めて知った。そこで、少し調べてみた。

そのことについては、以前にも触れたが、文部科学省のホームページに掲載されている設置計画履行状況等調査には、上記3大学がいずれも定員割れ等の問題を抱えていて、改善が必要であることが明記されていた。

大学受験産業が提供している大学入試情報では、3大学いずれもが、入試の難易度のかなり低い大学に属することが示されている。しかし、入試の難易度が低いこと自体が問題になるわけではない。いろいろな大学があることは悪いことではない。そこでしか学べないとか、特色ある教育・研究が行われていて、そうしたところに魅力を感じる学生でにぎわっていれば-定員が埋まっていれば-素晴らしいことだ。

ところが、加計学園グループの大学は、どう考えても、そうした大学とは言えない。疑問に思うのは、それなのに、そうした大学が世界水準の獣医学部を新設するという野望を抱いた暴挙を諫めるどころか申請を奨励し、それを受理したのか、ということである。

国立大学の運営費や教員を削減する“大学改革”を積極的に進めていながら、他方では、議論の多い獣医学部新設を問題が少なくない大学経営グループに積極的、というよりは強引、というよりは強権的に認可しようとするのか。

獣医学部が足りないというのなら、実績のある既設の獣医学部の定員を増やせばよいことではないだろうか。聞くところによると、申請している獣医学部は、キャンパスも、その獣医学部だけをつくるために今治市が無償提供したという。

個別キャンパスで獣医学教育をするには、そのための施設はもちろんのこと、獣医学の専門教育を担当する教員だけではなく、いわゆる教養教育担当の教員も必要とする。施設・設備と教員スタッフをどのように揃えるのか詳細は分からないが、国費からの相当規模の補助金が提供されることを見越していることであろう。

加計学園のホームページを見ても、獣医学部設置計画に関する記述はどこにも見当たらない。それどころか、事業計画について平成28年度までについては、上記3大学が個別に詳しく記しているのに、平成29年度に関しては、既に6月というのに、記載されていない。あえて記載していないのだろうか。何か隠しているような印象を受ける。

岡山理科大学の平成28年度の事業計画を見ると、「平成29年度に・・・新たに経営学部経営学科の開設を計画しています。・・・文部科学省に対し平成28年4月に設置届出を行います。なお、入学定員が130名となるため、平成28年3月に収容定員増の認可申請を行いました。・・・ビッグデータコースを立ち上げ、20名の定員増を行います。・・・定員増のほか、理学部・・・において、平成29年度より入学定員増を行います。大学全体で185名の入学定員増となります。平成28年3月に学則変更認可申請書類を提出しており、6月認可を予定しています」と、かなり詳しく書いてある。こうした拡大策を展開できるのはなぜだろうか。不思議である。

それにしても、獣医学部新設は、加計学園にとっては一大事業だと思うが、そのことに一切触れていないのは、とても奇妙で、不気味で、うさん臭いと思わないではいられない。誰も指摘していないのも、不思議である。何か、後ろめたいことがあることを告白しているようなものではないだろうか。
 
獣医学関係でいえば、山口大学が、「大学院共同獣医学研究科の設置構想について(平成30年4月設置予定)」の記事をホームページに掲載している。これが、意気込んで新設組織を設置しようとする場合に大学が示す普通の態度だろう。

このように見ていけば、進行中の加計学園問題が政治的一大スキャンダルであることは誰にでもわかる。それは政治的な暗躍(人に知れないように活動すること。ひそかに策動すること:広辞苑)ではなくて、まさに強権政治による“悪だくみ”である。そして、それは、何もかも知っていながら、平然とことを進めようとする嘘つきでたらめ集団による共謀がなせる業(わざ)である。

この問題を軽く見てはいけない。そこには、国の命運を左右するほどの大きくて邪悪で、薄汚れてどす黒い病んだ精神が跳梁跋扈しているのである。退治しなければ、世も末、になってしまう。

2017年5月26日金曜日

この国の政権幹部と閣僚の頭と心の構造はどうなっているのだろうか

安倍首相や管官房長官をはじめ、閣僚の言動には首を傾げざるを得ない。どうも、一国の政治の中枢にいる人間にはふさわしくない頭と心の構造を備えているようだ。

個々の具体例を挙げれば切りがないし、怒りが収まらなくなる。こういうときには、一般的に-もちょっと格好良く言えば理論的に-語るに越したことはない。

調べればすむものを調べずに、正直に言えばいいことを言わない。皆で共謀して陰謀を隠し通そうとする。こういうのを嘘つき集団という。

挙げ句の果てに、自分(たち)が犯しているデタラメを棚に上げて、相手を攻撃する。こういうのを自分勝手という。

『広辞苑』によれば、自分勝手とは、「他人の都合を考えず、自分のためだけを計ること」であり、「てまえがって」や「みがって」と言い換えられる。夏目漱石『坊つちやん』にある「職員が寄つてたかつて自分勝手な説をたてゝ」という一節が用例としてあげられている。

ウソをつくことを何とも思わずに、恥を恥と感じることなく、暴言を吐いたり誤魔化し続ける。こういうのを厚顔無恥と言う。そういう輩を世間では「面の皮が厚い」とか「鉄面皮」と言う。時には、厚顔無恥無知とも言うとか言わないとか。無知無恥厚顔ともいうとか言わないとか。

何とかに刃物とかいう諺があるが、無知無恥厚顔の輩に権力を持たせると、自分は偉いから何でもできるし、何でもしていいと勘違いする。他人のものでも皆のものでも、何でもかんでも自分のものであり好き勝手にできると思い込んでしまう。

無知蒙昧で厚顔無恥な輩の嘘つき集団が政治家としてやりたい放題をしている国の国民ほど不幸なことはない。政治家のレベルは国民のレベルのようなことを言った人がいたが、そんな政治家が、何を言われても痛くも痒くもないと横暴に振る舞うことに、いつまでも我慢して低レベルに合わせることはない。国民が痛い目を見るか、そんな政治家が痛い目を見るか、いままさに正念場である。

2017年5月25日木曜日

加計学園岡山理科大学は文科省から改善意見が出され続けているのに新設学部ってなんで?

加計学園は、話題になっている獣医学部新設を計画している岡山理科大学に加えて、千葉科学大学倉敷芸術科学大学と3つも大学を経営している。

文科省は、設置計画履行状況等調査というのを毎年実施している。どんな調査かというと、文科省の説明によれば、「この調査は,文部科学省令及び告示に基づき,大学等の設置認可及び届出後,原則として開設した年度に入学した学生が卒業する年度までの間,当該設置計画の履行状況について,各大学の教育水準の維持・向上及びその主体的な改善・充実に資することを目的として,大学設置・学校法人審議会大学設置分科会に「設置計画履行状況等調査委員会」を設けて実施しています」ということだ。

要するに、大学設置の認可はしたが、その後、ちゃんとやっているか調べる、ということだ。そして、「設置計画期間中に付された意見への対応が十分でなかった大学等には,完成年度以降も設 置計画履行状況の調査を継続して行うこととしている」。

その結果は、「留意事項」や「是正意見」、「改善意見」が付されて公表されている(25年度までは「留意事項」のみ)。

「留意事項」とは、「大学の設置等の認可の申請及び届出に係る手続等に関する規則(平成1 8年文部科学省令第12号)第13条に基づき,認可を受けた者が設置計画を履行するに当た って留意すべき事項であり、調査が終了したものについてその結果を留意事項として付していたが、複数回にわたって留意事項を付しても一向に改善しない事例があること等の課題も見られたことから、留意事項の内容を明確に示し、調査対象校に誠実な対応を求める観点から」、「是正意見」と「改善意見」が付されるようになった、ということである。

 「是正意見」とは、設置計画履行状況等調査の結果、「早急な是正が求められる場合、又は改善意見を受 けた後に行った」設置計画履行状況等調査の結果、「当該改善意見が求められる事項について不履行がある場合若しくは対応が不十分な場合において、認可を受けた者又は届出を行った者に対して、その早急な是正を求める意見」である。

「改善意見」は、設置計画履行状況等調査の結果、「留意事項の履行状況等に関し、改善を強く求める 事項があり、認可を受けた者又は届出を行った者に対して、その改善を求める意見」である。

設置計画履行状況等調査には、平成28年度では全国の大学の教授、准教授33人の委員によって行われるなど、相当の時間とエネルギーが費やされているようだ。

平成21年度以降の調査結果を見ると、加計学園が経営している上記の3つの大学のいずれにも、平成28年度まで、毎年度、「留意事項」や「改善意見」が付されている。

私立大学には「留意事項」や「意見」が付される大学の方が「意見を付されない」大学よりも多いから、加計学園が経営する大学だけが問題があるというわけではないが、上記3大学は、8年間も問題を指摘され続けているのである。加計学園が経営している3つの大学は、ずっと、「設置計画期間中に付された意見への対応が十分でなかった大学」であるということだ。

こうした大学が新設学部を申請して、それが受理されること自体が異常であると考えるのが常識ある人間のふつうの判断であろう。国の大学行政が、いかにいい加減であることか、ということである。

折しも、きょう、前文科事務次官が、加計学園問題にかかわる記者会見で、「行政がゆがめられた」と発言している。

現在、加計学園が申請した新設獣医学部の設置審査が行われているという。設置審の委員は公表されていて、以下の面々である。

平成28年度大学設置・学校法人審議会(大学設置分科会)専門委員<獣医学専門委員会>平成29年3月

石塚 真由美 北海道大学大学院獣医学研究科環境獣医科学講座毒性学教室 教授
 岡田 利也  大阪府立大学大学院生命環境科学研究科獣医学専攻 教授
 金井 正美  東京医科歯科大学院医歯学総合研究科疾患モデル動物解析学分野 教授
 久保 喜平  大阪府立大学大学院生命環境科学研究科獣医学専攻 教授
 佐藤 れえ子 岩手大学農学部小動物病態内科学研究室 教授
 髙井 伸二  北里大学獣医学部獣医学科獣医衛生学研究室 学部長、教授
 二上 英樹  岐阜大学生命科学総合研究支援センター動物実験分野 教授
 藤井 洋子  麻布大学獣医学部獣医学科 教授

獣医学部新設に対して、日本獣医師会は、「今治市及び愛媛県から、構造改革特区・地域再生の提案により、『今治市への大学獣医学部の設置認可』の要望が再三に渡り提出」されていることに対して、平成2 2 年8月5日付で、反対の文書を出している。その中で、次のように言っている。

今回の「特区提案」においては、世界水準の獣医学部を設置するとありますが、医師等の医療専門職養成と同様、実学教育としての獣医学教育の質の確保の要は、専任教員の数と施設・設備にあります。しかしながら、現状の全国16大学の教育改善を目指す上においても最大の課題は専任教員数の確保にあります。新設の獣医学部について、国際的通用性の確保を図り得る水準の専任教員数(「獣医学教育の整備目標」においても学生定員60人に対し専任教員数72人としている)を確保するとするのは画餅にすぎません。

大学設置審で、どういう結果が出るか強い関心を向けざるを得ないが、設置審の委員は、通常の新設学部等の審査ではなくて、特区提案にあるような世界水準の獣医学部の新設という観点から、既存の獣医学部を遥に凌ぐ水準と条件を設定して審査しなければならないことになるから、その責任は重大である。

国会議員とマスメディアは、設置計画履行状況等調査の方法や内容と設置審における審議内容等について詳細に調査、取材することが加計学園問題の究明に必要であることを理解しなければならないだろう。

2017年5月19日金曜日

安倍政権の危うさに気づくのが遅かったとならないために-共謀罪の強行採決

きょう、衆議院法務委員会で共謀罪が強行採決された。テロ等準備罪とやらに名を変えて平成版治安維持法を強引に成立させようとしている。

国民にとっては、この法案の中身を熟知しているか否かよりも何よりも、問題は、金田法務大臣の信じがたい/大臣にあるまじき支離滅裂でデタラメな答弁や法案に対して多くの批判と疑問が提起されているのに、何でそこまで強引に成立させようと必死になっているのか、ということである。

安倍政権がテロ等準備罪が必要と主張する理由に「国際組織犯罪防止条約(TOC条約)」を締結するためだということも、全くのデタラメのようだ。下の画像は、acasiaさんのツイッターに掲載されていたものを拝借したのだ(報道ステーションのテレビ画像)。acasiaさんは、パネッサ教授の発言を次のように文字に起こしている。「東京五輪のようなイベントの開催を脅かすようなテロ等の犯罪に対して、現在の法体系で対応できないものは見当たりません」、「国連には、条約に入るための条件を満たすか審査する機関はない」、「各国は、条件を満たしていなくても条約に入ることは可能です」。

子ども騙しのような屁理屈を幾つも並べて、この法案が通らなければ東京五輪は開催できないようなことを安倍首相は真顔で言っていた。では、なぜ、この法案が成立してから五輪招致をしようとしなかったのか。自分の言っていることの矛盾を理解できないほど思考力がないということだろう。

森友学園問題に続いて加計学園問題が安倍首相個人と首相夫人、安倍政権の閣僚、その取り巻き連中の国民の福祉向上を無視した好き勝手、やりたい放題を露呈させている。

あるテレビ番組の法曹資格を持ったコメンテーターは、森友学園問題には学園側の違法行為が認められたが加計学園問題には学園側の違法行為がないところに違いがある、なんてことを言っていた。あたかも、加計学園問題の方が問題の程度が低いような印象を与えるコメントである。

そうではないだろう。いずれも政治問題であり、国民を無視した、というより国民を徹頭徹尾バカにした政治家にあるまじき行為がもたらしている問題である。加計学園の問題は、どう見ても安倍首相による不正な便宜供与としか理解できない。

安倍首相は、加計学園理事長の加計孝太郎氏は親友であることを広言している。そして、そのことを示す多くの事実が伝えられている。安倍政権でなくても、加計学園岡山理科大学に獣医学部の新設が計画・認可されるようなことがあっただろうか。おそらく、というよりは、絶対になかったであろうことは想像に難くない。それを示すさまざまな状況証拠が次から次へと出て来ている。

まっとうな政治家なら、ごく親しい友人であればこそ、便宜を供与することを敢えて避けるのではないだろうか。そして、その友人は、親友が政治家であれば、自分の私的利益につながるよう権力行使を絶対にさせないように配慮するだろう。そう考えると、この親友関係は、政治権力を濫用して貪欲に私的利益をむさぼりあう欲得尽くの関係ということになる。まるで反社会的勢力に見られる親友関係である。そして、その周りに、どんな利益かはわからないが、政治理念も知性も誠意も一欠片(ひとかけら)もない輩が群がっている。一言で言えば、ノータリン&ノータリンズというグループが大手を振って日本をダメにしているということだ。昔の人はよく言った。「バカに付ける薬はない」と。

だが、こんな政権とそれの取り巻き連中に国や地方の政治を任せていては、日本は決してよい国にはならないし、国民の生活は向上しない。あのときに、もっと、しっかり政治について考えておけばよかった、ということにならないことを腰痛に悩む老人は怒りを抑えきれずに切に願うものである。